a new step




 王宮を出て、四人は列車に乗り込んだ。縦長の島国であるサウィンの北方にあるサバトから、南方にあるルグドゥネンシスへ向かう。数時間列車に揺られ、ルグドゥネンシスのターミナルに降りると、列車のホームの目の前で、船の出港準備が行われていた。
 大きなドーム状の建物があり、そこに列車も船も到着する構造になっている。列車から船に乗り換えるには、非常に便宜性の佳いターミナルだった。
「ルーナサ行きの船が動いてるってことは、少なくとも交戦中じゃないってことだね。……昨日のエインの演説がここまで届いてるみたいだ、」
 活気のあるターミナルを、ファウルはぐるりと見回した。
 サウィンを早朝に出発したが、ルグドゥネンシスまでは距離があり、既に夕方になっている。気温は夜に向かって下がりはじめていたが、ターミナルは人口密度が高く、寒々しい雰囲気はまるでなかった。
 列車のホームから船のポートへ、エインセルが先頭となって進んでゆく。
「ルーナサには使いを送ってある。すぐに信頼してもらえるかはわからなかったが、この様子を見ると、捨て置かれたわけではなさそうだな。……条約締結についての提案に行くことも、私が目立たぬよう髪の色を変えていることも、ルーナサのトップには伝わっているはずだ」
「さっすが用意周到、恰好いいね、エインっ」
 無垢な瞳を輝かせてそう言ってから、フォノデリーは突然想いだしたように、あっ、と声を漏らした。
 足を進めながら、どうした、とエインセルが問うと、フォノデリーは少し考えるような仕草をした後に口を開く。
「エインって、本当の名前じゃないんでしょ。……今までは佳かったかもしれないけど、これからもその名前で呼んでいいの、」
 殊勝な眼差しを向けてくるフォノデリーに、エインセルは躊躇うことなく首肯した。
「当たり前だろう。それに、サウィンの外では、できるだけ目立たない方がいいからな」
 エインセルの口調はあっさりとしたものだった。しかしフォノデリーはその答えを嬉しそうに受けとって、にっこりと笑みを浮かべる。それと同時に心なしか大股になってずんずんとポートへ向かっていった。
 フォノデリーが先頭となって一行はポートに近づいてゆく。人の行き来が多いため、一行の存在はまるで目立たない。人の流れを見ながら上機嫌で足を進めていたフォノデリーは、ポートの大きなゲートをくぐったところで、あっと声を発して立ち止まった。三人もそれに反応して足を止める。フォノデリーの視線の先にはずっしりとした、周囲にあるものよりも数倍大きなメタリック・ホワイトの軍艦と、ひとりの女性の姿があった。
 女性の姿にファウルたちが気づくのと同時に、その女性もファウルたちを視界に捉える。セミロングの銀髪を風になびかせる眼鏡の女性は、確認するまでもなくリーウィデンであった。
「あら、みなさま、……またお逢いいたしましたわね」
 親しそうな笑みを向けてリーウィデンは四人に歩み寄る。持ち場を離れたリーウィデンにかわって、ルーナサ兵が軍艦の前をかためた。
 やわらかい表情で、ファウルはリーウィデンに応じる。しかしエインセルは淡々とした態度でリーウィデンの前に出ると、一枚の札を差し出した。札にはサウィン王宮の印が押され、その横にもうひとつ、それとは異なる割り印が押されている。
 札を目にするなり、リーウィデンはまじまじとエインセルを見つめた。そして驚愕の声をあげる。周囲の視線が注がれ、それに気づくと、リーウィデンは咳払いをしてその場を取り成した。
 リーウィデンとは対照的に、表情ひとつ変えることなくエインセルは言う。
「先日はご迷惑をおかけいたしました。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
 その言葉に、リーウィデンは曖昧に頷く。まだ視線が宙を彷徨っていた。リーウィデンのその様子に、エインセルは若干相好を崩す。そして凛々しい表情に戻ると、まっすぐにリーウィデンに視線を注いだ。
「改めて自己紹介いたします。……サウィン現女王、ミレシア・ケルズ・サウィンと申します。忍びの旅に際してはエインセルと名乗っておりますゆえ、どうぞ気軽にそちらの名でお呼びください」
 すらすらとエインセルはそう言葉を並べる。憧憬の眼差しで、フォノデリーはその姿を後ろから見つめていた。
 街中に鐘の音が響く。その音はポートにも大きく反響した。鐘の音に反応して、リーウィデンはポートにある大理石の時計台を見遣った。時刻はちょうど6時を示している。
 ようやく平静さを取り戻したリーウィデンは、あらたまって頭を下げた。
「立ち話をしている時間はありませんわね。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ。永らく断絶した貴国との国交回復を心より歓迎いたしますわ、」
 こつこつと足音を響かせて、リーウィデンは乗船口へと向かう。ファウルたちがそれに倣おうとすると、突然リーウィデンはぴたりと足を止めて想いだしたように振り返った。
「本来ならば客船をご用意しなければならないと承知してはいたのですが……、ご存知かもしれませんけれど、我が国は今もなおベルテーンと交戦中です。軍艦でお迎えにあがったこと、ご寛恕いただきたく想いますわ」
 お気になさらなくとも構いません、とエインセルは淡々と言葉を返す。それに対してリーウィデンはにっこりと微笑み、再び乗船口へと案内を始めた。
 ファウルたちが乗船して間もなく、船は動き始めた。軍艦とはいえ、その中は決して殺風景ではなかった。ところどころに装飾が施され、廊下も個室もひろびろとしている。軍の機密に関わる箇所以外は自由に利用しても構わないと言い残し、リーウィデンは四人をそれぞれの個室に案内してから去っていった。
 ひとりにつき一室が割り当てられたものの、すぐに四人はファウルの部屋へと集まる。四人が集まっても充分なほどに個室は広く、明るめのグレィで統一された色調で、清潔感があった。上等のベッドがひとつ置かれ、アンティークのテーブルがその脇にある。壁際には簡易なシンクとクローゼットがあり、その隣には、今はカーテンが閉めきられているものの、四角い窓があった。
 話を始める前に、壁際の床に座り込んで、フェリシンはファウルの調合した薬を嚥下する。酔いどめ、とフォノデリーが訊ねると、フェリシンは苦笑しながら小さく頷いた。その様子を見ながらファウルは窓際の壁にもたれかかる。エインセルは上着を脱いで椅子に腰をおろした。
 ベッドに腰かけているフォノデリーはポケットからチョコレートを取りだすと、銀紙を開けて口の中に放り込む。
「この船はルーナサ第一ポートに行くの、」
「いや、多分、直接ルーグに行くんじゃないかな」
 ファウルがそう答えると、フォノデリーは首を傾げた。
「直接……、ルーグってルーナサの首都だよね。さっき地図見てたんだけど、ルーグって海に面してないんじゃないの、」
「そう。だから普通の船じゃ行くことはできない。でも、ルーナサには大きな地下水路がめぐらされていて、軍艦ならそこを通ることができるって聞いたことがある。この軍艦の造りからしても、潜水できそうなボディだったしね」
 ふえ、と声を漏らしてフォノデリーは感心したような表情を浮かべた。
 エインセルはゆっくりとした手つきで上着を膝の上で丁寧に折りたたむ。
「ともかく、私はノッカー首相に謁見せねばならない。その間、適当に時間を潰しておいてくれ」
 ファウルとフォノデリーはすぐに頷いて了承を示す。フェリシンも首肯しながら、ふっと息を吐きだした。
「数日前まで敵国だったところに女王単身で乗り込むとは、奇妙な話だな」
 たしかに、とファウルとエインセルは小さく笑う。少し緩んだやわらかい表情のまま、ファウルはフォノデリーを見遣った。
「現地に行ってみないと詳しいことはわからないけど、リーウィデンが言ってた通り、ルーナサは交戦中だからどんな危険があるかわからない。絶対に離れないようにね」
 ふたつめのチョコレートを口に放り込んで、フォノデリーは素直に了承を示す。
 そのとき、突然ブザーが艦内に鳴り響いた。四人は顔を見合わせる。間もなく、ノイズに混ざって、聴きなれない低い女性の声で艦内放送が流れはじめた。
『軍本部より各員へ通達、軍本部より各員へ通達、ケルレスにてベルテーン軍と思しき集団との騒乱勃発、警備軍を除く各員は現場に急行せよ、』
 繰り返す、と凛々しい声で告げられ、同じ声で同じ文言が流れる。二回目の通達が終了し、ノイズが聴こえなくなるまで、四人は口を噤んだままでいた。
 放送が終了し、ケルレス、とファウルは低く呟いてフェリシンへと視線を移した。厳しい瞳でフェリシンはファウルに視線を返す。
 今までは静かだった廊下が急に騒がしくなった。足音や人の声が頻繁に聴こえてくる。その物音に四人が気をとられていると、しばらくして船室の扉がノックされた。ファウルが反射的に返答をするとすぐに扉が開く。失礼いたします、とひとこと断ってから、リーウィデンが部屋の中へと足を踏み入れた。
「お聞き苦しい通達をお聴かせいたしましたわね……どうかご寛恕を。通達命令通り我々はケルレスに向かわねばなりませんが、その前にあなた方をルーグにお送りいたしますので、どうぞご憂慮なさらず……、取り急ぎで申し訳ありません。また改めてお伺いいたしますわ」
 普段より少し早口になってはいたものの、リーウィデンは冷静さを保っていた。ファウルたちに向かって一礼すると、それでは、と言って部屋を出てゆこうとする。その背中に、待ってください、とファウルは声をかけた。
「エインセルとフォノデリーだけをルーグで降ろしていただけますか。僕とフェリシンはそのままケルレスまで行きますから」
 振り返ったリーウィデンも、エインセルとフォノデリーも、その言葉に目を丸くした。ファウルは壁から背を離し、まっすぐな瞳でリーウィデンを見つめている。
 リーウィデンは勢いよくかぶりを振った。
「そんな、危険ですわ。……ファウルさんやフェリシンさんが我が軍に劣らぬ戦闘能力をお持ちだということは、先の一件で承知しております。ですが、これは我が国の問題。巻き込むわけには……」
「危険なのは承知の上です」
 リーウィデンの言葉を遮って、ファウルははっきりとそう言いきった。しかしリーウィデンは首を縦に振ろうとはしない。
 床に胡坐をかいたまま、フェリシンはリーウィデンを見上げた。
「……俺たちはエススで謎の戦闘集団と交戦している。もしケルレスの件が同一集団による騒乱なら、喫緊の問題に対して機略縦横の見込みがあるのは俺たちだけだ。……というよりも……十中八九、相手がベルテーン軍じゃねぇってのはわかってんだろ、」
 淡々とフェリシンがそう言葉を紡ぐ。リーウィデンはフェリシンを見つめ返して下唇を噛んだ。
 船室に沈黙が流れる。しばらくして、先程と同じ放送が再度艦内に鳴り響いた。それが途切れてから、ようやくリーウィデンは重々しく口を開く。
「……それを言われると痛いところですわね。……わかりました。ですが、前線には出ないでください。サポートしていただければ、それで充分ですわ」
「それならば私も同行したい」
 リーウィデンの言葉が途切れるとほぼ同時に、エインセルはそう横から口を挟んだ。
 反射的に、驚きを隠そうともせずリーウィデンは早口でまくしたてる。
「なりませんわ、いくらお忍びであるといっても、あなたはサウィン女王……、危険に晒すわけには参りません、」
 対照的に落ち着いているエインセルは上着を手に立ちあがった。
「でしたら、私はフォノデリーとともに艦内で待機いたします。……我々を降ろすためだけにルーグに寄航し、その余計な時間に人々が瑕ついたり命を落としたりするのには耐えかねますから」
 そう言い終えてからエインセルはフォノデリーを見遣る。その意見にまったく異論はないというように、フォノデリーは力強く頷いた。そのままフォノデリーの視線はリーウィデンへと移る。幼い無垢な眼差しは、強い意志を有していた。
 リーウィデンはしばらく押し黙ったままでいる。そこに、失礼いたします、と女声の兵士がリーウィデンの背後から姿を現した。
「リーウィデンさま、本部から連絡が、」
「……ええ、すぐに向かいます」
 落ち着きを取り戻した声でリーウィデンがそう告げると、兵士は一礼して船室を後にした。
 リーウィデンはあらためて四人を見回す。そしてゆっくりと息を吐きだした。
「……そのお気持ち、ありがたく頂戴いたします。ただし、女性おふたりは艦内に留まられることをお約束ください」
「ありがとう。無理を言って申し訳ない。……軍本部に連絡をされるのなら、私から直接事情を説明しよう、」
 エインセルがそう申し出ると、お願いいたします、とリーウィデンはすぐにうべなう。そのままふたりは並んで船室を後にした。
 扉が閉ざされて部屋の中は一旦静まり返ったものの、廊下はまだ慌しく、ざわめきが聞こえてくる。誰も声を発さない船室の空気を破って、フォノデリーが遠慮がちに口を開いた。
「……ねえ、なんでベルテーン軍じゃないだろうって言ったの、」
 その問いはフェリシンに向けられたものだった。しかし、フェリシンが顔をあげるよりも先に、再び壁にもたれかかったファウルが声を発する。
「さっき地図を見たって言ってたけど、ケルレスはどこにあるか憶えてる、」
「えっと……、あれ、そういえばケルレスって……。アタシ、ルーナサ領じゃないと想ってたんだけど……」
 足をぶらぶらさせながら、フォノデリーは記憶をたどった。あまり自信のないような口調で、ぽつりぽつりと呟く。
 窓際から離れてファウルはテーブルへと歩み寄った。そこに備え付けられているペンを持ち、傍に置かれていたメモパッドにさらさらとペンを走らせてゆく。ぴょん、とベッドから飛びおりて、フォノデリーはテーブルへと近づくと、ファウルの手元を覗きこんだ。
 メモにはふたつの大陸が横に並んで描かれている。その左の大陸のほぼ中心あたりに、ルーグ、とファウルは書き込んだ。続けて、同じ大陸の左端にエスス、と記す。それからふたつの大陸の間に太い線を引いてから、右側の大陸の中心から少し左寄りあたりに、ケルレス、と書き、一度ペンを止めた。それからペンの先で、ふたつの大陸の図を、とんとんと叩いてみせる。
「ルーナサはこのふたつの大陸からなる国で、ふたつの大陸はゲッシュ大橋という巨大なブリッジでつながってる。だからケルレスもルーナサ領なんだ」
 メモパッドに描かれた図を、フォノデリーは真剣に見つめる。そうしながら、しっかりと説明を呑みこんだとでもいうように、小さく何度も頷いた。フォノデリーのその仕草を見て、ファウルは続ける。
「この前に行った、ベルテーンとの国境はエスス。つまり、ケルレスはルーナサの主要都市の中ではベルテーンから一番遠い位置にある。エススには国境警備軍が集まって護りをかためているのに、ケルレスで騒乱が起きたってことは……、」
 ファウルがそこまで言ったところで、あっ、とフォノデリーは声をあげた。
「ベルテーン軍はエススを突破しなきゃケルレスに来られないってこと、」
「そう。まあ、海上を遠回りすれば不可能ではないけど、ルーナサの海軍が強力であることを考えると、リスクが大きすぎる。首都を狙うならまだしも、今回はそういうわけでもないし……。エススのときは国境だったからベルテーン軍なのか別の集団なのか見分けがつかなかったけど、ケルレスとなると話は違ってくる。……そして、あの謎の組織には、ウリシュクが絡んでいる……、」
 最後のひとことで、ファウルは声のトーンを落とした。艦内放送を耳にした直後と同じように、緊張した眼差しでフェリシンへと視線を送る。胡坐をかいたままフェリシンはファウルを見上げ、鋭い瞳でそれに応じた。