a new step




 王宮からエインセルが戻ってきたのは翌日の早朝だった。ふわふわとした生地の、ベージュのロンゴコートを羽織り、ファーのついたフードを深々とかぶってエインセルはフォノデリーのいる部屋に姿を現した。髪は演説をしていたときとは異なり、再びワインレッドへと戻っている。
 エインセルが戻ってきたことを、フォノデリーはすぐにファウルとフェリシンに知らせた。出発準備が完了していた二人は、フォノデリーのいる部屋へと移動する。ノックをしてファウルが部屋に入るとほぼ同時に、フードを取ったエインセルが声を発した。
「遅くなってしまってすまない、」
「おかえり。気にしなくていいよ、そんなこと。それより、お疲れさま」
 ファウルもすぐに言葉を返す。その後ろからフェリシンも部屋へと入り、後ろ手で扉を閉めた。
 フォノデリーは満面の笑みでエインセルの右腕にしがみつく。その様子を穏やかな瞳に映してから、エインセルはまっすぐファウルと視線を合わせた。ファウルの口がゆっくりと開く。
「本当にいいんだな、」
「ああ。……久方ぶりに再会した面々を見ていると、名残惜しくないと言えば嘘になる。だが、ここで旅を終えてしまっては、私は一生後悔することになるだろう」
 一昨日の夜とは異なり、エインセルの口調には迷いがない。真剣なエインセルの眼差しを、ファウルは紳士に受けとめた。
 ファウルとエインセルをきょろきょろと見上げて、フォノデリーはようやくエインセルの腕を解放する。
「それじゃ、早速出発するの、」
 フォノデリーが首を傾げる。
 そうだな、とファウルが頷きかけたところで、エインセルが声を発した。
「すぐにでも出発したいが、……その前に王宮へ来てほしい。見てもらいたいものがある」
 見てもらいたいもの、とファウルは鸚鵡返しに問いかけた。黙ってエインセルは首肯する。
 ぱちんと音をたてて、フェリシンはコートの留め具をはめた。マイペースに袖口まできちんと服装を整えながら、誰にともなく言う。
「だったら、さっさと向かった方がいいな。早朝のうちでないと、王宮には出入りしにくいだろう、」
 あっさりとフェリシンがそう同意を示すと、エインセルは再び小さくうべなった。
「イゾルデに王宮の裏門を開けておくように言ってある。……時間はとらせない、用事が済めばすぐにルグドゥネンシスへ向かおう、」
 エインセルがそう告げると、ファウルはすぐに了承を示す。そしてすぐに四人は部屋を出た。
 代表でファウルがカウンターへ行き、料金を支払って、チェック・アウトを済ませる。スムーズに手続きを終えて外に出ると、そこは冷たい、透き通った空気で充たされていた。雪がちらちらと舞い降りてきている。
 早朝の街を、四人は足早に王宮へと向かった。まだ人通りはほとんどない。フードをしっかりとかぶっていることもあり、たまに街の人間とすれ違っても、エインセルが声をかけられることはなかった。道路に舞い落ちた雪は、地面に埋め込まれた熱源により溶かされており、歩道に雪はまったく積もっていない。しかし建物の屋根は一面真っ白で、四人の身体は銀色の結晶で彩られていた。
 どっしりと聳える王宮の敷地内に入ると、門に沿ってぐるりと裏手へ回る。表の、繊細な透明感のある装飾が施された立派な門扉とは大きく異なり、裏門は小さな鉄製のものだった。その門の傍らにはイゾルデの姿がある。イゾルデは昨日と違い、清潔感のある白いローブを身に纏っていた。
 四人が門をくぐると、そっと音をたてずに、イゾルデは門を閉める。エインセルと視線で会話をしてから、静かに声を発した。
「私はここでお待ち申しあげます。人払いはしてありますので、ご安心ください」
 イゾルデに向かって小さく首肯すると、エインセルはずんずんと奥へ進んでゆく。とくになにかを説明する様子もない。その後ろを追って、ファウルたちはコンクリートで舗装された庭園を歩いていった。
 王宮の入り口の真反対の位置まで来て、エインセルは足を止める。そしてそこにある、なんの変哲もない壁にそっと手を当てた。ゆっくりと壁がスライドし、奥に続く通路が出現する。初めて目にした光景に、フォノデリーは目を丸くした。
 つかつかと、エインセルを先頭として建物の中へ一行は入ってゆく。内部は薄暗く、大理石の螺旋階段があった。それをしばらく下りると、開けた円形の部屋へと辿りつく。そこにはマリン・ブルーの仄かな光が充ちており、静謐な空気がその場を支配していた。
 壁際に寄って、エインセルはそこにあるスイッチを入れる。部屋のライトに鮮やかさが増し、円形の部屋の壁が全面のスクリーンへと変化した。そのスクリーンには海中の様子が映っている。それを見てフォノデリーは感嘆の声をあげた。部屋の中でその声は非常にはっきりと反響する。
 冷静に、ファウルはエインセルを見遣った。
「……ここは一体、」
「サウィンのバタシーの特殊現象を解明するための、海中モニタリング・ルームだ。我々はバタシー・ラボと呼んでいる」
「特殊現象って、船の中で言ってた、逆転現象のこと、」
 エインセルの方を振り返って、フォノデリーが首を傾げる。エインセルは再び壁にあるスイッチを操作しながら、頷いた。
「そうだ。未解明でも今のところは問題ないが、一国を支える現象なだけに、可能なかぎり解明しておきたいからな。……だが、見てもらいたいのはそれに関することではない。……これだ、」
 電子音とともにスクリーンの映像が切り替わる。引き続き移っているのは海中の様子であった。しかし、先程まで映っていたような、茫洋たる水中の様子ではない。そこには、大きく立派な、真っ黒の石が砕かれたものがあった。
 ファウルは食い入るようにそれを見つめる。
「……石碑、いや、これは……」
 その隣で、フェリシンは映像を睨むように凝視した。
「列石……じゃねぇのか……、」
 スクリーンを見つめたまま、ファウルは片手をポケットに突っ込むと、そこから小さく折りたたまれた紙を取りした。そして視線をそちらへ移すと、そのぼろぼろの紙をゆっくりと開く。その紙には、今スクリーンに映っている石の復元図のようなものが描かれていた。
 ファウルはその紙をフェリシンに手渡し、二人は互いに相手を見遣る。しばらくして、意思を確認しあうかのように、無言のまま小さく首肯した。
 再びファウルはスクリーンへと目を向ける。それからようやくエインセルを振り返った。
「どうしてこれを僕たちに見せようと……、」
 その問いに答えながら、エインセルは壁際から離れ、ファウルたちのもとへと移動した。
「これは、古くから王家に伝わるものである、とされていた。強大な力を持つがゆえに、決して他の者の目に触れてはならぬ、と……。私がこれの存在を知ったときには既に、このように砕けて海に沈んでしまっていた。しかし、そうなってもなお、王家以外のものに知れてはならないと教えられたのだ。……つまり、この状態であっても利用価値があり、それが悪用されることを危惧していた、ということだろう。……王宮にいたころは、これは外部に知れてはならぬもの、という認識でしかなかったが、お前たちに出逢って話を聴いてから、もしかしたらと想っていた。アルモリカの浮上を支えていたファクター……、お前たちが今、列石と呼んだものなのではないか、と……」
 一度にそこまで言ってしまってから、エインセルはファウルとフェリシンの反応をうかがった。
 なるほどね、とファウルは低く呟く。フェリシンが手にしている図面をもう一度覗きこんでから、スクリーンに数歩近づいた。背後にいるエインセルの方を、首から上だけで振り返る。
「……君の推測通りだ。僕たちは、メネックでこれを捜していた。現地で手に入れた、フィラの住むスラムで使われているテクストに描かれていた列石を、ね」
「スラムで使われていたテクストに、どうしてそんなものが……」
「詳しいことはわからないけど、メネックのオラヴはその情報を持っていなかった。そしてフィラの知るこの列石は、観測値と計算式から導かれた地質学的な数値が、異常なほどに高いとされている。そのエネルギー値の詳細も、本当にバタシーなのか、まだわからない。でも、ずっと世界各国で探索を重ねて発見したものだからね。アルモリカに無関係だとは想えない」
 エインセルの次の言葉を待たずに、ファウルはスクリーンへと向き直った。
 紙が破れないようにそっと折りたたんで、フェリシンはポケットにそれを仕舞う。癖のある髪にくしゃくしゃと指を通した。
「しかし、そんな様子じゃ王家に有力な情報があるってわけじゃなさそうだな」
 そういうことになるな、とエインセルは渋面をつくった。
 ようやくファウルはスクリーンから離れ、部屋の中心へと戻る。その表情は、列石を目にしたときから比べて、少しやわらいでいた。
「列石が各国にあるって仮定が強まっただけでもいいじゃないか。今までは机上の空論に頼ってたようなものなんだから」
「……まあ、な。……破壊されているのが気になるが、海の底じゃ今は調べようもねぇってことか」
 フェリシンのその言葉を受けて、最後までスクリーンに見入っていたフォノデリーがようやく会話に参加した。
「今は……っていうよりも、調べられるものなの、これ」
 映しだされた石碑と、ファウルたちをフォノデリーは交互に見遣る。エインセルは腕を組み、スクリーンをじっと見つめた。しばらく沈黙が流れ、ファウルが重々しく口を開く。
「……できなくは、ない。でも……、」
 語尾を濁したファウルに、フォノデリーは首を傾げた。しかし、ファウルは続けようとせず、下唇を噛む。フォノデリーだけでなく、エインセルも、言葉の続きを待っていた。
 ふっと、フェリシンは息を吐きだす。
「……信憑性、か」
「どういうこと、それ……」
 フォノデリーがそう訊ね、エインセルは信憑性という言葉を口の中で呟いた。
 ゆっくりとフェリシンに対して頷き、ようやくファウルはフォノデリーに説明を始める。
「デリィは知らないかもしれないけど、僕は学者一門の出身なんだよ。だから、もしエインが許可してくれるなら、そこに戻って調査のためのツールもスキルも調達できる。だけど、まだ列石については仮説段階だからね。サウィン王家が代々護り通してきたものに、迂闊に部外者を近づけるのは好ましくない」
 たしかにな、とエインセルは低く同意を示す。フォノデリーも納得がいったというように、何度か小さく頷いた。
 くるりと踝を返し、フェリシンはスクリーンに背を向ける。
「だったら、さっさとルーナサへ向かうべきじゃねぇのか。ルーナサで列石を見つけりゃ進展があるだろ。……この情報を無駄にしないためにもな」
 その細い背中に向かって、ファウルはゆっくりと呟いた。
「……そうだな、」
 もともと低い声が、更に低く吐きだされる。
 足音を響かせて、フェリシンは部屋の出入り口へと向かいはじめた。それを見てファウルは、エインセルとフォノデリーを順に見遣る。互いに意思を確認しあうように視線を合わせると、誰からともなく出入り口の方に身体を向けた。