unveiled




 サウィン王宮で起こった血腥い一件はすぐに公にはされず、サウィン首都サバトは静かな夜を迎えた。雪がしんしんと降り積もり、街には橙色の光が灯る。どの家屋の屋根も均しく真っ白になっていた。
 エインセルとイゾルデが呼び集めた人員の手を借り、兵を牢へと隔離して、血で汚れた王宮内を清掃する。それが終わったときには、既に陽は暮れていた。
 明日の朝に再び王宮に戻るとイゾルデに告げ、エインセルはファウルとフェリシンとともに街へと向かう。なにごともなかったかのように、三人は揃って宿で待つフォノデリーのもとへと戻った。
 三人が部屋へと戻るなり、フォノデリーは相好を崩し、エインセルへと駆け寄る。そしてその小さな身体をエインセルの腕の中にうずめて、顔をあげた。
「よかったぁ……、街にいても王宮の噂話ひとつ聞かないんだもん、どうなってるのかと想ってたよぅ……」
「永らく待たせてすまなかったな、」
 声がうわずっているフォノデリーとは対照的に、エインセルは冷静にそう告げた。
 すっかり気の済むまでエインセルにしがみついていたフォノデリーは、しばらくして身体を離す。落ち着きを取り戻してから、エインセルとその後ろにいるファウルとフェリシンの姿を見回して、どうだったの、と訊ねた。
 ファウルがかいつまんで巧くいった旨を伝えると、フォノデリーの落ち着きは更に増してゆく。しかし話の最後にエインセルの素性の説明を聞き、その落ち着きは粉々に砕け散った。
 目を丸くしたフォノデリーの口から、宿じゅうに響くのではないかと想うほどのヴォリウムで、驚きの声が発される。
「デリィ、落ち着け、」
「エルバヴェイレブヌ、うえぇあぁ、だってだってだって、」
 慌てて制するエインセルに向かって、フォノデリーはもはや言葉になっていない言語をまじえながら、ようやくトーン・ダウンした声を漏らした。
 エインセルは小さくかぶりを振る。
「その言葉を使うのは止せとフェルが言っていただろう。今は我々がいるとはいえ、誰かに聞かれてまずいことになったらどうする、」
 そう言われて、フォノデリーは反射的に両手で口元を覆った。そのままの状態で、そうだった、ともごもごと呟く。その直後に、はっとした表情を浮かべると、口元から手を離して三人を順番に見遣った。
「あ、でもっ、みんながいない間は言わなかったんだよ、ちゃんと、」
「わかってるよ。デリィは緊張感を持って見送ってくれてたからさ。戦闘に参加してなくたって、一緒に作戦を成功させようとしてくれてるのは伝わってたよ」
 穏やかな口調でファウルがそう言うと、フォノデリーはぱっと明るい顔になってファウルを見あげた。
 くるくると変わるフォノデリーの様子に微笑を浮かべて、ファウルは右手を掲げてみせる。その右手にはビニル袋が握られていた。
「とりあえず、今日はもうあまり出歩かない方がいいと想ってね、途中でいろいろ買ってきたし、ここで夕飯にしよう。チョコレート・デニッシュもあるからさ」
「ウルくん、ありがとっ、」
 更にフォノデリーは相好を崩す。その様子に、三人は顔を見合わせて小さく笑った。
 同じ大きさのルーム・チェアがふたつあり、ファウルとエインセルはそこに腰かけた。フェリシンはやわらかい絨毯が敷かれている床に直に坐りこみ、ふたつ置かれたベッドの片方にフォノデリーが腰をおろす。ちょうど輪になるようなかたちで、四人はそれぞれにビニル袋から軽食を引っ張りだして口にした。
 部屋に備え付けられた小さな暖炉がぱちぱちと音をたてている。クリーム色のカーテンが少し開いているために見える窓の外は、すっかり暗くなっていた。闇の中をちらちらと雪が舞い落ちている。
「今日のところは騒ぎを避けるためにここへ戻ってきたけど……、明日はどうするつもりなんだ、」
 ふと想いだしたように、ファウルはエインセルに訊ねた。チョコレート・デニッシュをほおばっていたフォノデリーも動きを止めて、エインセルを見つめる。
 まだ包装を解いただけで口をつけていないサンドウィッチを片手に持ったまま、エインセルはファウルを見遣った。
「……そのことなのだが……、正直、迷っている部分がある」
「サウィン王家の復興宣言はするんだろう、」
「それは、そうだな。私自身の目的でもあったわけだ、それを達成したという宣言はする。だが……、」
「この国にとどまってサウィンの復興に尽くすか、戦争終結のために旅をするのか、決めかねている……、そんなところか、」
 ゆっくりとした口調でフェリシンが口を挟んだ。そちらを振り返ってエインセルがうべなうと、フェリシンはひとりごとのように続ける。
「まぁ、復興宣言すりゃあ、状況的には離れにくくなるだろうしな」
「……やはり、そう想うか、」
「常識的に考えたらそうだろ。……好きにすりゃいいんじゃねぇのか、って言いたいとこだが、俺はこの国のことはよく知らないからな……」
「フェルなら、どうする、」
「訊いても意味ねぇだろ。参考意見が要る場面じゃねぇんだから。……いや、違うか、」
 そこで一旦言葉を切ると、フェリシンは缶珈琲を喉に流しこんだ。ひとつ息を吐きだして、続きの言葉を口にする。
「結論はもうあるんだろ。……若干の逡巡があるにせよ」
 フェリシンの言葉に、エインセルの透き通った瞳が揺れる。エインセルが言葉を失い、部屋がしんと静まり返った。
 そうなの、と遠慮がちにフォノデリーがエインセルに声をかける。そっとエインセルは目蓋を伏せた。たっぷりとした間のあとで瞳を開くと、サイドテーブルに広げてある包装のビニルの上にサンドウィッチを置く。そしてふっと息を吐き出すと、苦笑した。
「……そう、だな。決めかねている、のではなく、自分の決定に罪悪感がある……、というのが正しいのだろう、……この国は、私の愛する国だから、余計にな……」
「ってことは……、」
 ファウルが反射的に口を開く。エインセルは静かに頷いた。
「ああ……、私はお前たちとともに行きたい。この戦争を終わらせるために。……これ以上、私の愛する人々や国が騒乱で瑕つくことのない世界を取り戻すために……、だが……」
「それは同時にサウィンを統べる立場にいながら、その義務を放棄することになる……、と、」
 低い声で、ゆっくりとファウルは言う。ほとんど空になっている小さな酒瓶を右手で弄んだ。
 チョコレート・デニッシュを食べる手を休めないまま、フォノデリーはエインセルを見つめる。その唇にはデニッシュにたっぷりかけられているチョコレートが附着していた。
「宮殿のみんなに相談しないの、」
 短くそう訊ねると、再びフォノデリーはデニッシュにかぶりついた。しかしその瞳はまっすぐにエインセルを捉え、無垢な輝きを放って答えを待っている。
 フォノデリーから視線を外すように、エインセルは若干俯いた。
「そうしたいが……、私の我がままに、みなが無理をするのではないかと……」
 酒瓶を空にしたファウルが、缶ビールのプルタブを開ける音が部屋に響く。エインセルの消え入りそうな声が止んだ後に会話が途切れ、物音は部屋の壁にしっかりと跳ね返っていた。
 こつんと壁に後頭部をつけて、気だるい瞳でフェリシンはエインセルを見上げる。
「黙っててもなんも始まらねぇんだ……、そんなもん、躊躇してねぇでイゾルデたちに言ってみりゃいいだろ」
 しばらく、間ができる。
 部屋の外からは足音や話し声がちらほらと聞こえてきていた。窓の外は静かで、街はひっそりとしている。
 ふっと、エインセルは息を吐いた。そうだな、と、低く、ゆるやかな吐息とともに呟く。表情を緩めながら、サイドテーブルにあった紅茶の入った紙パックを、両手で包むように手に取った。
 時間が動くことを想いだしたように流れはじめる。それぞれが、誰からともなく動きを再開した。チョコレート・デニッシュの包み紙のかさかさという音が派手に響いた。部屋全体を充たしていた緊張も、ゆるやかにほどけてゆく。
 サンドウィッチを手にして、エインセルはその端を少し齧った。それを飲み込んでから、缶珈琲を飲み干したフェリシンへと視線を移す。その視線に気付き、フェリシンは、どうかしたのか、とエインセルに声をかけた。
 はっとして、いや、と反射的にエインセルは答える。それから少し俯き加減になって、ゆっくりとかぶりを振った。
「……すまない、その……、サウィンにいたときに親しかった人物に、フェルが似ていて、つい……」
 フェリシンはとくに表情を変えることなく、エインセルの言葉を聴いている。その向かい側で、ぽつりとファウルが声を発した。
「もしかして、さっきのトリスって名前……、」
 トリス、という名詞にエインセルが反応を示し、ファウルの方を見遣った。フォノデリーもファウルの方へと視線を移し、首を傾げる。
 苦笑しながらエインセルは頷いた。
「……トリスは、宮殿にいた頃に私を妹のように可愛がってくれていた。しかし、内乱のときに私を庇って……、」
「じゃあ、エインが前に言ってたのって……」
 ぴたりと手を止めて、フォノデリーは急に真剣な表情を浮かべる。エインセルはすっとすぐに頷いた。
 食べかけのサンドウィッチをテーブルに戻して、エインセルはフェリシンの方を向き直る。
「他人を重ね合わせるなど、無礼なことをしたな。すまない、」
 それに対して、フェリシンはすぐには反応を示さなかった。ぼんやりとした表情のまま、空になった珈琲の缶を、ゆっくりと床に置く。それからやっと、焦点の定まらない瞳でエインセルを見返した。
「……ああ、いいってべつに、気にしてねぇ……、」
 その続きになにかを言いかけたが、フェリシンの言葉はそこで途切れた。それと同時に左手で口元をおさえて身をかがめると、急に咳きこみはじめる。
 弾かれたようにエインセルとフォノデリーが立ち上がった。フェル、と名を呼びながらエインセルが近づこうとすると、フェリシンは右手でそれを制した。
「だい、じょうぶだ、」
 フェリシンは断続的に軽い咳を繰り返す。
 音をさせずにファウルは腰をあげ、エインセルとフォノデリーの間を抜けてフェリシンに近寄った。フェリシンの右手を自らの右手でおさえて傍に寄ると、伏せられた表情を覗きこむ。右手を離し、その指先でフェリシンの前髪をそっとあげて顔色を見た。
「少し休めよ、……立てるか、」
「ん……、そんなキツいのじゃねぇし、心配すんなって、……悪いけど先に隣で休んでる、」
 少し咳きこんでから、フェリシンはふらりと壁に手をついて立ちあがった。三人に向けて、すまねぇな、と短く告げると、断続的に咳をしながらふらついた足どりで部屋を出てゆく。
 丁寧に扉が閉められ、それから間をおいてフォノデリーが呟いた。
「フェルくん、大丈夫かな……、」
 しばらく無言のまま、ファウルは扉をじっと見つめていた。それからゆっくりとフォノデリーの方を振り返る。ゆっくりと坐っていた椅子へと戻りつつ、口を開いた。
「あいつも言ってたけど、軽い発作みたいだったから心配ないと想うよ。あの程度なら、いつも寝てれば治るみたいだし」
 再び椅子に腰かけると、ファウルはサイドテーブルにあった新しい酒瓶の栓を抜いた。フォノデリーはその向かい側で、オレンジジュースの缶をあける。二人とも、それぞれ手にした飲み物を勢いよく喉に流しこんだ。ゆっくりと食事を進めていたエインセルは、マイペースに残りのサンドウィッチを口にする。
 水でも飲んでいるかのように、アルコールで喉を潤すと、ファウルは口を開いた。
「今日はあいつに随分と負担がかかる戦い方だったからな……、疲れさせてしまったのかもしれない、」
 たしかに、とエインセルはすぐに同意を示した。小さく頷き、咀嚼を終えてから、落ち着いた口調で続ける。
「フェルがいなければ、作戦は巧くいかなかった……、いや、生きて還ってはこられなかっただろう、」
「ローコッシティ……、フェルくんってやっぱりすごいんだねぇ」
 驚きとともに、ファウルやエインセルが理解できない言葉を発したフォノデリーは、すぐにいつもの言葉に切り替えた。そこで言葉を一旦切ると、半分ほど残っていたオレンジジュースを再びがぶがぶと飲み、缶を空にする。満足そうに息をひとつ吐きだして、再び口を開いた。
「でも、ウルくんもエインもすごいよー。アタシはその場にいたわけじゃないけど、この三人だからこそ巧くいったんじゃないかなって想う。フェルくんも、ウルくんとエインだから、危険な作戦でも大丈夫だって考えてたんじゃないかなあ」
 飾り気のないフォノデリーの言葉に、ファウルとエインセルはきょとんとした表情になり、そしてふっとやわらかい笑顔を浮かべた。
 椅子から立ち上がり、ファウルはフォノデリーの傍へ移動すると、彼女の被っている白いローブの上から、小さな頭をくしゃくしゃと撫でる。そうしながら低く穏やかな声で、ありがとう、とファウルは呟いた。ふえ、と気の抜けた声を漏らして、フォノデリーはファウルを見上げながら首を傾げる。その様子に、エインセルは小さく笑った。
 時間はゆっくりと過ぎてゆく。サウィンの夜は時間とともに静けさを増していた。部屋の外から断続的に聞こえていた物音や人の声はほとんど聞こえない。
 暖房器具があるとはいえ、気温は徐々に下がってきている。ベッドサイドからサーモンピンクの毛布を引っぱってくると、フォノデリーはくるまるようにそれを羽織った。
 落ち着いた空間の中で、三人は他愛のない話をかわす。エインセルもようやく食事を終え、ファウルの周囲には空になった酒瓶が五本並べられていた。その瓶をビニル袋に片付けて、さて、とファウルが呟く。
「すっかり長居したね、そろそろ部屋に戻るよ」
 そう言いながら扉へと近付いて、一旦足を止めると身体ごとエインセルの方を振り返った。
「明日からのことを気にするなっていうのは無理かもしれないけど、とにかく今日はゆっくり休んで。……もし僕たちにできることがあれば、遠慮なく言ってくれればいい。できるかぎりのことはするからさ」
 長い前髪の下から、ピーコック・ブルーの瞳を輝かせ、エインセルはまっすぐにファウルを見つめる。そして、ありがとう、と低くゆっくりと、あたたかみのある声で紡いだ。
 小さく頷いてから、ファウルは踝を返して部屋を後にした。木製の床を軋ませながら、隣の部屋へと移動する。コートのポケットから鍵を取りだして扉を開け、なるべく物音をたてないようにしながら部屋へ入って施錠した。
 部屋の中は真っ暗で、電気はひとつもついていない。一番小さな電球を点灯させ、薄暗い中をファウルは部屋の奥へと進んだ。ふたつ並んだベッドの奥の方で、入り口に背を向けてフェリシンは眠っている。
 ベッドの傍まで歩み寄って、ファウルはフェリシンの様子を覗きこんだ。発作は既に落ち着いており、深々と布団を被って静かに眠りに落ちている。ファウルはきわめてゆっくりとした動作で、フェリシンの額に右手でそっと触れた。それと同時に、ファウルは渋い表情を浮かべる。その表情のまま手を離し、ファウルはしばらくその場に佇んでいた。