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 硬直していた動きを解き、エインセルはハベトロットに向けていたままの銃口を下げる。そして周囲を見回しながら呟いた。
「……これは、……どうなっているのだ、」
 つい先程まで狂ったようにファウルたちに襲いかかってきていた兵は、全員武器を床に落として棒立ちになっている。生気を失ったように、その表情は凍りついていた。
 大理石の床はすっかり紅く染まっている。人の亡骸がいくつも倒れ、あらゆる武器があちこちに散らばっていた。先程までの喧騒が嘘のように、すっかり静まりかえっている。
 うっすらと額ににじんだ汗を袖口で拭って、ファウルは呼吸を整えた。
「ああ、これは……」
 そう言いかけて、言葉が途切れる。
 廊下の向こうから、微かに物音がした。三人ともがそれに反応して身構える。しかしそれ以上、物音は近付いてこようとしなかった。
 廊下の奥へと銃口を向けて、ファウルが声を響かせる。
「そこにいるのはわかっている。……ハベトロット<宮殿の主>はもういない、観念して出てきたらどうだ、」
 その言葉が消えると同時に、再び物音が聞こえはじめた。控えめな足音がゆっくりとファウルたちへと近付いてくる。
「……その言葉、まことでございますか、」
 廊下の奥から姿を見せたのは、ファウルたちの親くらいの年齢の小柄な女性だった。肩まである銀髪も、身に纏うベージュのロング・ワンピースも汚れが激しく、裾が破れかけている。裸足で、足取りもしっかりしておらず、壁に片手をついて身体を支えるようにしながら歩を進めていた。
 殺気もなにもないその女性を見て、ファウルは銃口を下ろす。それと同時に、エインセルはホルダーに素早くハンドガンを戻し、弾かれたように駆けだした。
「イゾルデっ、」
 女性の目の前で足を止め、エインセルは汚れた服に覆われた女性の両肩をがっしりと掴んだ。不揃いな前髪の下で、女性の瞳がゆっくりと輝きを取り戻してゆく。
「……あなたは、もしや……。……髪のお色は違えど、その蒼い瞳……、」
「そうだ、私だ……、ミレシアだ、」
「……ミレシア、」
 二人のやりとりを聞いたファウルが怪訝な表情を浮かべる。
 女性の肩を掴んでいた手を離し、エインセルはゆっくりと踝を返した。ファウルとフェリシンを交互に見遣って、口を開く。
「今まで隠していてすまなかった。私は……、」
「ミレシア・ケルズ・サウィン……世間的には内乱で死んだとされているサウィン皇女、……だろ、」
 エインセルの言葉を遮ってフェリシンは淀みない口調でそう述べた。
 いつもと変わらぬ態度であっさりと言い切ったフェリシンを、ファウルとエインセルは目を丸くして見つめる。お前、とファウルが呟き、その続きを代弁するようにエインセルが声をあげた。
「知っていたのか、」
「サウィン王家は女系世襲制、そしてその血を受けた女性はこの世のものとは想えないほどに透き通ったピーコック・ブルーの瞳と、同じ色の髪を有する……、俺じゃなくても知ってることだ、有名な話だからな」
「それはまぁ、僕も聞いたことはあるけど……」
 控えめに、ファウルはフェリシンの説明に対して頷く。そして続けて質問を投げかけた。
「たしかにエインは綺麗な目をしてるって想ったことは僕もある。でも、だからってサウィン王家の人間だってわかるものなのか、」
「わかるわけねぇだろ。だが……、」
 かぶりを振ってファウルに答えを返した後、フェリシンは横目でエインセルに視線を送った。
「お前自ら白状したんだ、ハベトロットに大切な人を殺された、ってな。……王家内乱で、ハベトロットが直接手を下したってことは……だ、」
「……、……なるほど、……迂闊だったな」
 俯き加減にエインセルは苦笑した。一度瞳を閉じて、ゆっくりと開くと、再び背後の女性の方を振り返る。
 それとほぼ同時に、女性は短い悲鳴をあげた。その視線は転がる屍を見回した後に、女性からは距離をおいているファウルとフェリシンに注がれ、更にエインセルへと移動する。
「ミレシアさま、そのお二人は、まさか……死途<コーツ>では……」
 エインセルに近寄りかけていた足を止めて、女性は身体を震わせながらファウルとフェリシンを怯えた瞳で見つめる。しかし、ファウルもフェリシンも、とくに反応を返すことはなかった。
 小さくかぶりを振って、エインセルは諌めるように女性を見つめる。
「その通りだ。しかし、死途<コーツ>は世間が言うような存在ではない。ハベトロットを討つことができたのも、この二人の助力があってこそ」
「……そのお二人が、……」
 まだ怯えた瞳のまま、女性はそう呟く。首肯して、エインセルはこれまでのいきさつや、ファウルとフェリシンについて、簡単に女性に話して聞かせた。エインセルの言葉のひとつひとつを、女性はしっかりと頷きながら飲みこむ。そして説明を聞き終わると、再びファウルとフェリシンに視線を送り、今度は深々と頭を下げた。
「そうでしたか……。そうとは知らず、失礼なことを申してしまいました、」
「いえ、かまいませんよ。世間的に悪名高いのは事実ですから。それでも、……信じていただけるのですか、」
 紳士的な口調でファウルが訊ねると、女性はあっさりと首を縦に振った。
「ミレシアさまが仰られることに間違いなどございませぬ。それに、……ハベトロットの亡骸があるということも事実なのですから……」
 もうぴくりとも動かなくなった、真紅に染まるハベトロットの身体を、ファウルはちらりと横目で見遣る。しかしすぐに前を向くと、女性に向かってゆっくりと足を進めた。
 その様子を見て、エインセルが口を開く。
「二人とも、紹介しよう。彼女はイゾルデ、……私が幼少のみぎりより世話になっていた女性だ。代々サウィン王家に仕えてもらっている」
 再び、イゾルデと呼ばれた女性は深々と頭を下げた。
 エインセルとイゾルデの目の前まで移動して、ファウルはまっすぐにイゾルデを見つめる。
「僕はファウルといいます。それから、」
 そう言いながらファウルは背後にいるフェリシンの方に視線を送る。フェリシンもファウルに少し遅れて、イゾルデへと近付いてきていた。
 言葉の続きをファウルが言おうと口を開きかける。しかしその前に、イゾルデの口から声が漏れた。
「トリ、ス……、」
 発された、トリスという言葉を、ファウルとフェリシンは怪訝な顔をしながら口の中で鸚鵡返しに呟く。
 慌ててエインセルはかぶりを振った。
「イゾルデ、そんなはずがなかろう。トリスはあのとき……」
「そう……でした、ね」
 震えた声を発してイゾルデは頷く。それから再び先程と同じような調子に戻ると、フェリシンに名を訊ね、フェリシンが自分の名を告げると了承の笑顔をみせた。
 ひとつ間をおいてから、エインセルがイゾルデに声をかける。
「これまでずっと王宮にいたのか、」
「はい、私どもはミレシアさまが逃げ遂せたのを知っておりますから。必ずや戻ってきてくださると、ハベトロットの下で使用人となりながら、その日を心待ちにしておりました。私だけではございません。他に王家にお仕えしていた者のなかに、ミレシアさまのご帰還を信じてハベトロットに仕えていた者がおります。ハベトロットの武力にひれ伏し、寝返ったように見せかけながら、サウィン王家の復活を信じて王宮に残っているのです」
「そうだったのか……。そうとも知らず、私は……、」
「姫、いえ……先代亡き後、ミレシアさまはサウィンを統べる王女、……よくぞ、お戻りくださいました」
 イゾルデの瞳には涙が浮かんでいる。俯き加減に、エインセルはゆっくりとかぶりを振った。
 そっと手を伸ばして、エインセルはイゾルデの右手を両手で包むように握る。そのまましばらくは言葉もなく、ただイゾルデへと視線を注ぐ。そしてイゾルデの手の震えがおさまったころ、ようやくエインセルは口を開いた。
「……それで、その者たちは今どこに……」
「みな、地下におります。私も含め、古くから王宮にいる者は地下で強制労働を強いられておりましたゆえ……、」
「強制労働……、それで……」
 瑕ついた瞳で、エインセルはイゾルデの服装を上から下へと視線を移しながら見つめる。
 そこで一旦会話が途切れると、ファウルが控えめに割って入った。
「……あの、その方々の中で力のある方がいらっしゃれば、申し訳ないのですがお手伝いいただきたいことがあるんですが、」
 ファウルの申し出に、エインセルとイゾルデが同時に反応した。二人が口を開く前に、ファウルは続ける。
「ここで硬直している兵を隔離したいんです。でも僕たちだけで運ぶには時間がかかりすぎますし……」
「隔離、だと……」
 エインセルのその問いに、ファウルは頷く。それから近くで硬直している小柄な兵の隣へ足を進めると、そっとその肩を揺すった。兵はぴくりとも反応を示さず、ファウルのなすがままに身体が揺れる。
 兵から手を離すと、ファウルは腕を組んで周囲を見回した。
「さっきのはただの閃光弾じゃないんだ。ダユー・シンドロームの症状を一次的に停止させる薬品を混ぜてある、」
 真剣な眼差しで兵の様子を見て回るファウルの背中を見ていたエインセルも、硬直している兵たちへと視線を移す。
「……この兵たちが動かないのは、その効果なのか……、」
「そう。相手がダユー・シンドロームである可能性が高いことはわかってたから、船で調合しておいたんだ。……正直、ここまで非道いなんて想わなかったけど……。ともかく、効果はずっと続くわけじゃないから、今のうちに隔離しておかないとまずい、」
「時間が経てば、また我々を襲う……ということか、」
「普通のダユー・シンドロームならダユーの作用が切れれば正気に戻る可能性はあるけど、この兵たちみたいに人為的に慢性的なシンドロームになっている場合は、いくら時間が経っても元には戻らない……。人為でなされたものなら、なんとか元に戻すことはできるかもしれないけど、それにしたって今すぐにっていうのは無理だからね……、」
「……なるほど、な……。……わかった。地下二階に牢がある、そこに隔離しよう。力のある者は……、」
 一度ファウルに対してしっかりと頷き、エインセルはイゾルデを見遣る。すぐにイゾルデはうべなった。
「すぐにでも連れて参ります。どんな状態であれ、サウィンにミレシアさまがお還りになったと聞けば疲れなど吹き飛びましょう」
「いや、私も行こう、……私も、みなに逢いたい」
 イゾルデにそう告げ、エインセルはファウルとフェリシンの方を振り返る。ファウルがそれに対して視線だけで了承を示すと、エインセルは踵を返し、廊下の向こうへと足を進めはじめた。
 まっすぐにファウルとフェリシンの方を向いて、イゾルデは深々と頭を下げる。そしてゆっくりとした動作で顔をあげると、エインセルの後を小走りで追いかけた。
 大理石に響く足音がだんだんと遠のいてゆく。それが完全に聞こえなくなったところで、ファウルはひとつ大きな溜め息をついた。
「エインが王女、か……。そりゃあ潜入もその後の問題も解決するって断言できるわけだ、」
 右手で前髪をかきあげながら、ファウルはフェリシンを横目で睨む。フェリシンは涼しい顔で、コートのポケットに両手を突っ込んだ。
「お前は他人想いだからな、情を排除できねぇだろ。ただでさえ余裕がなさそうだってのに、情に振り回されるわけにはいかなかったからな、」
「だから僕には話さなかった、と……」
「お前に、じゃねぇ。誰にも、だ」
「……まったく、お前らしいよ。……どっちが他人想いなんだか、」
 苦笑しながらファウルはフェリシンの背中を軽く叩く。フェリシンはゆっくりとかぶりを振った。
「沈黙を貫いたのは俺じゃない。当人だろ、」
「……そうだな。……僕は随分と無神経なこと言ってたなって後悔したよ」
「莫迦言うなって、」
 こつこつと足音を響かせて、フェリシンは壁際へと移動した。壁に体重を預けて凭れかかると、そのまま背中を壁に滑らせる。ゆるやかな動作で、大理石の床に胡座を組んだ。
「秘めごとってのは、そういう状況も覚悟の上ですることだろ」
 ぼんやりとフェリシンの視線は宙を彷徨う。
「まぁ……、どんな状況下でも、プラスだらけなんてありえねぇけど」
「……そうだな、」
 ゆっくりと言葉を吐き出しながらファウルは苦笑した。
「あるいは、サウィン<この国>も……、」
 そこまで呟いてから、ファウルはかぶりを振った。
 口を噤んで、動かなくなっている兵の間をゆっくりと歩きだす。革靴の底が、規則正しく、非常に遅いペースでテンポを刻んだ。
「変革を迎えて、どうなってゆくのかはわからないけど……エインの頭にはもう構想があるんだろうな。……潜入すると決めたときから、たぶん……」
「こんだけの犠牲を払ったんだ、中途半端なことは赦されねぇ。もちろん、加担した俺たちも含めて、な」
「……戦争終結なんて奇麗な目的を今更豪語するつもりはないさ、……いや、できない、と言った方が正しいかな。すべては僕たちの意志でやったってことを忘れちゃいけない……、そういうことだろう、」
 ちらりとファウルはフェリシンに視線を送る。焦点が定まらないままぼんやりとしていたフェリシンはそれに気付くと、ファウルの方を向いて黙ったまま小さく頷いた。
 フロアを歩き回りながら、ファウルはその瞳に廊下の惨状を焼きつける。死んだ眼をしている兵たちも、真紅で透き通る床を汚した屍も、時間が止まってしまったかのようにぴくりとも動かず停止していた。