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 途中で強風が吹き荒れたため、航海予定時間よりもサウィンへの渡航には時間がかかった。わずかな人数を乗せた船は三日間以上、海の上をスローペースで進み、ようやくサウィンの首都、サバトの港へと入港する。
 港では積荷の厳しいチェックが行われていた。商人たちが輸出物の検閲に立ち会っている隙に、ファウルたちは船から飛びだし、市街地へと紛れこむ。昼前で天気も佳いというのに、市街地にはあまり人の姿がない。できるだけ急いで、一向は宿へと向かった。
 船と同じように宿も空いている。受付には女性がひとりいるだけで、暇そうに本を読んでいた。予約がほとんどないため四人分の部屋はすぐに確保でき、全員が一旦部屋へと移動する。そこでフォノデリー以外はすぐに潜入の支度を整えた。準備が完了すると、ファウルはフォノデリーに小さな袋を手渡す。袋の中からは金属音がした。
「万が一のときは、このお金で船に乗ってインヴォルグへ戻るんだ。あの国は孤児院や避難施設が多いから、国内に入ってしまえばなんとかなるだろうし」
 肩膝を床につき、フォノデリーと背丈をあわせてファウルは真剣な眼差しを向ける。フォノデリーは力強くかぶりを振った。
「……万が一なんて、そんなこと言わないでよ、」
「もちろんこんなところで死んでやるつもりなんてない。でも……」
 ファウルがそこまで言いかけた言葉を、フェリシンが引き継ぐ。
「世の中に、絶対、なんてもんはねぇからな。それだけのことだ、心配すんなって」
「すぐ迎えにくるよ」
 笑顔でファウルはそう告げる。その隣でエインセルは、フォノデリーを見つめ、一度だけしっかりと頷いてみせた。
 フォノデリーの心配そうな表情に見送られながら、三人は部屋を出る。そして宿のエントランスを通らずに、廊下にある大きな窓から路地裏へと飛びだした。
 ちらちらと雪が降っている。市街地はコンクリートで舗装された道の両側に、白やグレイを基調とした建物が並び、きちんと整備されていた。市街地の大通りの向こうに、大きな宮殿が聳えている。街の建物と同じような色合いのその宮殿は、雪を被り、陽の光を受けて神々しく輝いていた。
「厭な空気だ、」
 表通りではなく、建物の間の隘路を足早に進みながら、フェリシンが呟く。ああ、とエインセルも同意を示した。
「こんなサバトは見たことがない。……街が虐げられている、そんな感じだ……」
 隘路から大通りを覗き見ても、ほとんど人の姿はなかった。宮殿に近付くにつれ、だんだんと人影が増えてゆく。しかしそれは一般人のものではない。紺色の甲冑で武装し、なにかしらの武器を、いつでも使えるよう構えた兵の姿だった。
 三人はあっという間に宮殿に近付く。物陰から宮殿の門が見える場所まで来たところで、ようやく足が止まった。
「フェル、ここからどうするつもりなんだ、」
 声をひそめてファウルが訊ねる。フェリシンは横目でエインセルを見遣ってから答えを返した。
「抜け道かなにかあるだろ。……非常時に宮殿内から脱出できるようなルートが」
 そう言いながら、フェリシンは隘路から外の様子をうかがう。兵士は雪の中、ぴたりと動きを止めたまま警戒を続行していた。ファウルもその後ろから同じように宮殿前を睨む。宮殿からは音も声も聞こえてこない。人の出入りも、兵士の交代以外にはなかった。
 二人の後ろでエインセルは俯いたままでいる。たっぷりと流れる沈黙の時間の中で、ゆっくりと両手の拳を握りしめた。
「……抜け道は、ある」
 低く、エインセルが呟く。ファウルが反射的に振り向いた。
「そうなのか、」
「……ああ。ただ……、通じている先が……」
 そこまでエインセルが言ったところで、ようやくフェリシンが振り返る。
 二人の視線に続きを催促され、エインセルは続けた。
「……軍議の間として以前は使われていた場所だ。今はどう使われているかわからないが、宮殿内でもっともバタシーが強く作用するスポットだからな……なにかしら軍に関わる場所として使われていても不思議ではない」
「武器の鋳造か……はたまた新兵器の開発か、ダユーの製造か……、宮殿全体の統括システムがあるかもしれない……そんなところか。いずれにしても、こっそり潜入するっていうわけにはいかないってことだな」
 ファウルは髪をかきあげ、それから腕を組んだ。
 隘路の端から内側へと数歩移動し、フェリシンは黒いコートについた雪を軽く払い落とす。そしてひとつ白い息を吐き出した。
「……で、どっから入れるんだ、」
 そのひとことにファウルとエインセルが同時にフェリシンに視線を注ぐ。先に口を開いたのはファウルだった。
「本気か、フェル、」
「当然。行かなきゃ始まらねぇだろ。……それに、そんな中枢となるような場所に出られるなら好都合なくらいだ」
「ハベトロットはその近くにいる可能性が高いからか……」
「そ。奴さえ討ってしまえば、あとは簡単に崩れるだろ」
「その自信は一体どこからくるんだよ……」
 溜め息まじりにファウルはそう呟く。その向かい側で、フェリシンはエインセルに視線を移した。エインセルは躊躇いがちに小さく一度頷く。
 今まで通ってきた道を、エインセルを先頭にして三人は引き返した。少し進んだところで、来た道とは違う角を曲がる。狭い路地裏を、エインセルは慣れたふうに抜けていった。やがて、宮殿を囲むストーンブロックにぶつかり、隘路は行き止まりになる。そのストーンブロックの前でエインセルは足を止めた。
 無言のまま、エインセルはストーンブロックにそっと両手を翳す。するとストーンブロックの中心に亀裂が走り、ゆっくりと左右に開きはじめた。
「……隠し通路、か……」
 目を丸くしてファウルが呟く。その目の前で、エインセルは開いた通路の奥へと進んでゆく。二人もその後を追ってストーンブロックの中へ入った。それを確認してエインセルはファウルに声をかける。
「内側からは簡単に開閉できる。しっかり閉めておいてくれ」
 そう言われ、ファウルはストーンブロックに触れた。突起を両手で掴み、普段扉を開閉するときのように扱うと、簡単に扉は閉まる。外からの光が遮断され、通路内は真っ暗になった。
 通路内の壁を、エインセルは暗闇の中で弄る。触角だけで壁に埋もれているスイッチを見つけると、指先でそれを押した。小さな電灯が点々と燈り、足元を確認できるほどの明るさが通路内に充ちる。
「ここからは一本道だ。つきあたりの扉が、軍議の間の壁際にある支柱の中へと通じている」
 再び足を進めながらエインセルが説明する。ファウルもフェリシンも、既にコートからライフルを取り出し、それぞれの手に持っていた。
「了解、……それじゃ、責任もって斬りこみ隊長でもやらせてもらうか、」
 さらりとそう言うと、フェリシンは早足で歩きだす。エインセルを追い越すと、狭い通路をずんずんと奥へ進んだ。慌ててファウルとエインセルもその後を追う。
 通路は上り坂と階段で構成されていた。上の方へ向かっていることははっきりしているものの、通路には外をうかがう手段がない。ここがどのくらいの高さなのかはまるで見当がつかなかった。
 同じようなストーンブロックだけが両側に広がる通路をしばらく進み、その先でフェリシンは動きを止めた。そしていちばん奥にある壁にそっと身を寄せる。
 エインセルは両手に構えた銃を握りなおした。その動作に気付いたファウルが、声をひそめて訊ねる。
「……大丈夫か、」
「……無論だ。……これで、……終わらせてやる」
 エインセルの声は怒りに充ちて震えている。その姿にファウルは心配そうな眼差しを向けた。しかしすぐに緊張感のある顔つきになると、フェリシンの背中に声をかける。
「フェル、気配は、」
「……多くない。相手の武装具合が不明なのが痛いところだが……、ま、斬りこみ所要時間は五秒ってとこだな、」
 冷静な口調でそう答えながら、言葉を言い終えるか終えないかのうちに、フェリシンは壁を勢いよく開いていた。想わずファウルとエインセルは目を丸くして、フェル、と制するように名を呼ぶ。しかし、フェリシンの姿は開いた壁から漏れる光に吸い込まれてしまっていた。
 直後、銃声が連続的に響きわたる。叫び声と物が壊れる音も、ほぼ同時に二人の耳に届いた。二人も外の気配を読みながら、銃を構えて壁の外に出る。そのときにはもう既に、フェリシン以外に立っている人物はいなかった。
 部屋の端にある支柱の付近からは、部屋全体が見渡せる。広々としたスペースに機械が並ぶその部屋の中で、二十名ほどの兵が血を流してあちこちに倒れていた。甲冑を身に纏う者も、ろくな装備をしていない者も、身体を蜂の巣のように貫かれている。
 足元に転がる死体に、ファウルはかがみこんだ。身体から流れ出している血液を凝視する。数秒間の観察を終えると、溜め息をつきながら立ち上がった。
「間違いないな、血液にダユーが混ざってる。……シンドロームだ」
 ファウルの言葉をかき消すように、宮殿内に派手な音で警報が響いた。部屋の外が騒がしくなり、その喧騒はこちらへ近付いてきている。
 慌てふためくこともなく支柱の隠し扉を閉めてから、ファウルはフェリシンを見遣った。
「ここまでは予定通り……か、」
「まぁな。……さて、これからだが……」
 そう言いながらフェリシンは部屋の外へ向けて歩きはじめる。そして途中で足を止め、エインセルを振り返った。
「……エイン、お前がハベトロットなら……この状況、どうする、」
 まっすぐに、エインセルはフェリシンを見つめ返す。フェリシンが視線を外すと、つかつかと足音を響かせながら、フェリシンの横を通り越して大股で出口へと向かった。
 二人もエインセルを追って出口を目指す。勢いよく扉を開くと、エインセルはまったく動きを止めずに声だけで指示を出す。
「管制室だ、遅れるなッ」
 そう言い終わらないうちに、エインセルは廊下を駆けだした。
 ファウルはフェリシンと顔を見合わせる。そして同時に軽く頷きあうと、エインセルの背中を追って部屋を出た。
 大理石でできた廊下では足音が派手に響く。しかし宮殿中で鳴り続ける刑法と喧騒の中では、三人分の足音は完全にかき消されている。混乱に充ちた物音があらゆる方向から聞こえていた。