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 まだ陽の光が力を持つ前に、ファウルたちは港に集まっていた。空は白みがかっており、風が冷たい。
 どっしりとした白い船が一隻、港に停泊している。体格の佳い男性が数人、その船に積荷を投げ入れていた。積荷の数は非常に多く、積み上げ作業が長い間続いている。袋に入っているものから、大きな木箱まで、さまざまなものが船に収容されていた。
 その反面、乗客の数は極端に少ない。ファウルたちと同じように桟橋へ行き、乗船したのは、たったの十数名だった。
「グニツァマ スティ……客室、占領し放題だね」
 船内の様子をぐるりと見回してフォノデリーが呟く。
「昨晩の件があるからな、余計に渡航者は減ったのだろう」
 乗船する際に乗組員に手渡されたキーに視線を落として、エインセルは冷静にそう言った。
 キーには29という数字が書かれている。船内の廊下を進み、左右に客室が並ぶ中を進む。扉にキーと同じナンバーが記されている部屋の前で、エインセルは足を止め、フォノデリーもそれに倣った。その隣の部屋の前でファウルとフェリシンも立ち止まる。
「渡航予定ではサウィンには二日半後の到着ってことになってたし、これだけ空いてれば充分ゆっくりできそうだな」
 キーで扉のロックを外しながら、ファウルはフェリシンを見遣る。フェリシンは小さくかぶりを振った。
「人いきれじゃないってだけマシだが……大差ねぇよ、」
「……もしかしなくても渡航続きで結構うんざりしてるだろ、」
「それしか移動手段がねぇんだ、しょうがない」
 苦々しい表情を浮かべるフェリシンを見て、ファウルは小さく笑った。
 ふたりずつにわかれて部屋に入り、部屋の中をひととおり見てから、四人は船内食堂で再び顔をあわせる。船内食堂には丸いテーブルが十数個並んでいたが、ファウルたちの他には二組の客がいるだけだった。オーダーしたメニューもすぐに運ばれてくる。
 バック・グラウンド・ミュージックが流れているため、客の数は少なくとも、しんとしているというわけではなかった。他の客の会話も、テーブルが離れていることもあり、音楽に紛れてしまって聞こえてこない。
 ファウルはまずフェリシンに昨晩起きた騒動について話し、それからその後で血痕に附着したダユーを発見したことを伝えた。
「もしお前の推測通りだとすれば、戦闘回数は必然的に増加するだろうな」
 動揺もなく、フェリシンは熱い珈琲の入ったカップを手にした。
 アイスティーをひとくち喉に流しこんで、ファウルは再びフェリシンに視線を向ける。
「……驚かないのか、」
「ベルテーンじゃ正規軍がシンドロームだったんだ、それに比べりゃ、な」
「そう言われてみればそうか……、なんだか、いろんなところで箍が外れてる感じだな」
 ファウルは溜め息をつく。その向かい側に坐っているエインセルが、続けてフェリシンの方を向いた。
「……フェル、我々の行動についてだが……ファウルから聞いている通りでいいのか、」
「ああ。……この人数じゃ、それしか方法がねぇだろ。悠長に戦力集めしてる余裕でもあれば話は違ってくるが……」
「現状から考えて、それは無理だろうな……」
 声のトーンを落として、エインセルはフェリシンから視線を外した。
 かわされる会話が中断したところで、フォノデリーは三人をぐるりと見回す。齧ったトーストをゆっくりと咀嚼して呑みこんでから、誰に向かってというわけでもなく口を開いた。
「アタシは……やっぱ、待機……だよね、」
 隣でエインセルがすぐに首肯する。そうだな、とファウルも同意を示した。
「今回はいくらなんでも危険すぎる。サバトの市街地で宿をとるから、そこで待っててもらえるかな。できるだけはやく迎えに行くからさ」
「うん、……わかった」
 やさしい口調のファウルに対して、フォノデリーはすんなりと了承した。
 それでいいよな、とファウルはフェリシンに確認する。ああ、と短く返してからフェリシンはカップに口をつけた。しかしそこで、ぴたりと動きを止める。そして想いだしたようにフォノデリーに声をかけた。
「……デリィ、」
「なぁに、」
「サウィンにひとりでいる間、絶対にあの言語は口に出すな。もちろん、歌も含めて、だ」
「……あ、そだよね。前にフェルくんに注意されたのに、結構口走っちゃってるもんね、アタシ……」
 頭にすっぽりとかぶったローブを、フォノデリーは右手でくしゃりと乱した。その直後に、手にパンくずがついていたことに気付いて慌てて手を離すと、まずは手を擦りあわせてそれを皿の上に落とす。それから右手でローブの先程触れた部分を軽く払った。
 フォノデリーの右に坐っているエインセルは、フォノデリーの行動に表情を和らげる。そっと手を伸ばすと、フォノデリーが落としきれていなかったローブのパンくずをやさしい手つきで落とした。
「たしかに、フェルの言う通りだな。普段ならばなにかあっても護ってやれるから構わないが……、離れている間はどうしようもない」
「うん、約束する。だからアタシのことは心配しないで、想いっきり暴れてきちゃってよ」
「……それと、体調には気をつけろ」
「……ふぇ、体調……、」
 鸚鵡返しにフォノデリーは口の中で呟く。
 ローブからパンくずを落とし終えて、エインセルは手を引いた。首を傾げるフォノデリーに一度頷いてみせてから、ファウルとフェリシンに対しても一度ずつ視線を送る。
「お前たちもだ。……サウィンは極寒の地だからな。余所者には辛いところがある」
 中身を呑みほして空になったグラスをテーブルに置き、ファウルは前髪をかきあげた。エインセルの忠告に、そうだな、と苦笑を浮かべる。
「僕たちは以前一度サウィンに行ったことがあってね。サバトじゃなくてルグドゥネンシスだったけど……とにかく痛いほど寒かったのを憶えてるよ」
「そ……そんなに寒いんだ……」
 フォノデリーの動きが硬直する。エインセルはくすりと笑った。
「屋内にいる分には大丈夫だ。暖房機器は発達しているからな。寒いのが苦手なら、用がないかぎりは部屋でじっとしていろ」
「うう……そうする……」
 フォノデリーは声をしぼませる。しかしそのすぐ後に、いつもの調子に戻って、あれ、と首を傾げた。
「そんな寒い処なのに、船で港まで行けるの、」
「それがね、不思議なことにまったく問題ないんだよ」
 再度オーダーして運ばれてきた二杯目のアイスティを喉に流し、ファウルはそう答える。ベーグルに手をつけはじめていたエインセルが動きを止めて、その続きを説明した。
「インヴォルグとの境であるトランサルピナ海峡も、ルーナサとの境のウルテリオル海峡も、決して凍ることはない。サウィンは海抜ゼロメートルを境に温度が大きく異なる、という特殊な環境の国だ。陸地は降雪量が多く、年間を通して気温は氷点下であることがほとんどだが、海は常に温水に近い状態になっている。凍るどころか、他国よりも海水は温かい。詳しい理屈はよくわからないが、バタシーの逆転現象だと聞いたことがある」
 逆転現象という言葉をフォノデリーは呟く。そう、とファウルは首肯した。
 話を聞きながら、フェリシンは隣のあいているテーブルへと移動すると、そこで煙草を吸いはじめる。船内食堂に新たな客の姿はなく、がらがらに空いているため、従業員もそれを咎めようとはしなかった。
 ちらりとフェリシンを一瞥して、ファウルは補足する。
「バタシーは場所によって少しずつ異なるはたらきをするものなんだ。ファリアス全域には磁場がめぐっているんだけど、その磁力は均等なものじゃない。そしてそれがバタシーに影響を及ぼす……、サウィンの場合は、他国とは逆ヴェクトルに磁力が作用していて、それがあの環境をつくりあげている、ということらしい。専門家によればね」
「なんか難しいなぁ……」
 首を傾げたままフォノデリーが呟く。ファウルはすぐさま笑顔をみせた。
「まぁ、心配しなくても港までちゃんと行けるってことだよ。それと、エインも言ってたように、船から出たら寒いからちゃんと準備しておくこと」
 簡単なその説明に、フォノデリーは納得を示す。それから齧りかけたトーストにたっぷりと蜂蜜を塗りはじめた。
 食べかけていたベーグルを半分残したまま、エインセルはゆっくりと椅子から立ち上がる。三人が椅子のたてた音に反応してそちらを見遣った。誰かが声を発するより前に、エインセルは口を開く。
「……中座してすまないが、……少し船内を散歩してくる」
 それだけ言うと、くるりと踝を返す。ファウルとフォノデリーがなにかを言おうとしたが、それより先にエインセルの背中は遠ざかっていった。ファウルとフォノデリーは顔を見合わせる。
「急にどうしたんだろう……」
「うーん……なんだか、追っかけない方がいいような感じだったね……」
 心配そうな眼差しでエインセルが消えていった廊下を、フォノデリーは見つめる。ファウルは腕を組んだ。
「いくら戦闘の場数を踏んでいるとはいえ、落ち着かないのかもしれない……。永年離れていた故郷を取り戻すための戦いの前なんだから」
 ファウルのその声は、あとの二人にやっと届くほどの小さなヴォリウムだった。船内食堂にいる他の乗客にはまったく聞こえていない。
 派手なスネアドラムと陽気な歌声が目立つバック・グラウンド・ミュージックが流れ続けていた。