mutually exclusive




 翌日、ルーナサで弱い陽の光が差し込む昼間に、フェリシンはようやく眼を覚ました。既に点滴は外され、針の刺さっていた箇所にはガーゼが貼られている。 額には薄いオレンジ色の湿ったタオルが置かれていた。
 ゆるやかに開かれたフェリシンの瞳がエインセルの姿を捉える。ぼうっとした声で、エイン、とフェリシンが呟くと、エインセルは顔を綻ばせた。
「……よかった、気がついたか……」
「はは、大袈裟だな、眠ってただけだって」
 笑顔をのぞかせながらフェリシンは額のタオルを左手に握って身体を起こそうとする。エインセルはそれを制しようとしたが、フェリシンは大丈夫だと言い 張って制止をかわした。
 それからカーテンの隙間から見える外の景色を一瞥して、彼は癖のある髪をくしゃくしゃと撫でる。続いて部屋の中に視線を移し、エインセルだけしかこの場 にいないことを把握してから、ようやく口を開いた。
「……俺、どのくらい寝てた、」
「だいたい一日の4分の3くらい……だと想うが」
「そんなにか、……悪い、看ててくれたりさ、迷惑かけたな」
「いや……もとはと言えば私のせいで……。本当に済まなかった、それから……ありがとう」
 表情に影をおとし、エインセルは頭を下げる。慌ててフェリシンはその顔をあげさせた。
「いいって、俺が勝手にやったことなんだし。それに、急所外させる余裕はあったからな」
 その言葉に、エインセルは今度は眼を丸くした。何度か瞬きを繰り返しながら、まじまじとフェリシンを見つめる。
「まさか……計算した上で刺されたと言うのか、」
 そう、と短く答えながら、なんでもないことのようにフェリシンは笑ってみせる。
「まぁ、戦場にも慣れてるからな。被害を最小限におさえるのは基本、だろ」
 その笑顔につられるように、エインセルの全身の力が抜けた。ようやくほっとした表情を浮かべて、深く息を吐き出す。
 外の喧騒はまだ完全には止んでいなかった。部屋の中での会話が途切れれば、時折、市民や警備軍の声が入り混じって聞こえてくる。頻繁にサイレンが響くよ うなことはなかったが、昨日の混乱を引きずったままでいるのは明らかだった。
 外の様子を気にしているフェリシンの名を、エインセルはそっと呼ぶ。窓の方をぼんやりと見ていたフェリシンは再びエインセルに視線を戻した。二人の視線 が絡まる。
「……フェル、……私は……、」
 躊躇いがちにエインセルは言葉を紡ぐ。
 ゆっくりと次の言葉が吐き出されようとしたそのとき、部屋の扉が乱暴に開いた。
「エイン、ラッキーだよっ、船が……」
 ハリのある声を響かせて、頑是無い笑顔でフォノデリーが部屋に飛び込んでくる。しかし部屋の中の状況にぴたりと動きを止め、言いかけた言葉を飲み込ん だ。そして目を丸くしながら違う言葉を呟く。
「あ、フェルくん起きたんだっ、……ってゆーか……取り込み中だったりする、」
「そんなわけあるか、」
 すぐさまエインセルはぴしゃりと反論した。
 フォノデリーの後ろから、少し遅れてファウルが姿を現す。部屋の中の様子を見て、ひとつ間を置いてからファウルも部屋の中へと足を踏み入れた。
「フェル、具合はどうだ、」
「まったく問題なしだ。悪いな、いつも迷惑かけて」
「いや、……もとはといえば僕のせいだから、さ」
「気にすんなよ。フォローできるとこはしあえばいいって話なんだし」
 ふたりの会話を耳にしながら、フォノデリーは部屋の扉をゆっくりと閉める。そのフォノデリーにエインセルは声をかけた。
「……で、デリィ、船がどうした、」
 あ、そうそう、と思い出したように呟きながら、フォノデリーはエインセルに近付いた。
「インヴォルグ行きの船、昨日の混乱で完全に止まっちゃってたでしょ。でも今日の午後限定で一時運行復帰するらしいんだ。さっきリーウィデンさんが教えて くれたの」
「僕らの目的地であるバタシーの供給源はインヴォルグにもあると踏んでるからね。他にも数箇所あるけど、今の状況で行きやすいところはインヴォルグにある スポットだから」
 丁寧にファウルはそう補足する。
 ファウルの説明を受けたエインセルは、心なしか俯き、口を噤んだ。どうしたの、とフォノデリーはエインセルに声をかける。いや、と短く一度答えを返して から、エインセルはファウルを見遣った。
「……お前たちの言う、バタシーの供給源とみられる場所はメネック以外にどこにあるのだ、」
「え、……あぁ、えっと、……インヴォルグ中部とルーナサだって推測はしてる。ただ、ルーナサはこの状況で国内を自由に探索するなんて今は不可能みたいだ から、先にインヴォルグに行こうかと想ってるんだけど。……まぁ、実際に発見できていないこともあって推測の域を出ないし、他の場所にもそういったものが 存在する可能性もなくはない……。というか、それがどうかしたのか、」
 丁寧な説明をした後で、ファウルは思い出したように目を丸くしてそう訊ねる。しかしエインセルは、そうか、と呟いただけだった。ファウルとフォノデリー は不思議そうな表情をしながら互いに顔を見合わせる。
 その会話を聞きながらフェリシンはマイペースにベッドから降りていた。武器で貫かれてしまった服は破れたため、眠っている間にファウルが新しい服を身に 纏わせている。しかしその服もそれまで着ていたのとほぼ同じような黒いアンダーシャツであり、フェリシンはその皺をおざなりに伸ばした。そしてベッドサイ ドに置いてある服とコートを羽織る。それらもまた、新しいものであるものの、古い服と変わり映えしないものだった。
 昨日に刺されたとは思えないような自然な動きでフェリシンは身支度をしながら、そっと声を発する。
「……サウィン、か、」
 今度はエインセルが目を丸くした。
 どういうことだ、とファウルはフェリシンに視線を送る。フェリシンは新しいコートを身体になじませながら答えた。
「さぁな。べつに彼女が真情を披瀝してくれたわけじゃねぇし。ただ、市街地のスクリーンでサウィンを見たときの様子が変だったから気にはなってた。……そ してインヴォルグ中部に向かえばサウィンから遠ざかることになる……」
 そこでフェリシンは言葉を切った。エインセルは下唇を噛んで俯いている。
 静寂が充分に部屋の中を満たしきったところで、すまない、とエインセルは小さく呟いた。
「……隠すつもりはなかったのだが……、私はサウィンの出身なのだ」
「そう……だったんだ。じゃあ、祖国が攻められるのを見て、君は……」
 ファウルがそういいかけると、エインセルはすぐにかぶりを振った。
「違う、そうではない。……私が屠りたきはノッカーでもルーナサ軍でもない。……今のサウィンをその狡知で牛耳るハベトロットただひとりッ、」
 怫然として色をなすエインセルに、周囲は再び沈黙に包まれた。
 エインセルの両手はぎゅっと握りしめられ、かたかたと小刻みに震えている。長い前髪が俯いたその表情をすっかり隠してしまっていた。やがて震えがおさま り、ゆっくりとエインセルは肩の力を解放してゆく。
「……すまない、……こんなことを言うつもりは……」
「なるほど、……反乱軍への復仇ってわけか」
 エインセルが口を開くのを待っていたかのように、フェリシンは話を続ける言葉を発した。曇った瞳でエインセルはフェリシンを見遣る。そのフェリシンは向 かい合っているファウルと目を合わせていた。
 反乱軍、と鸚鵡返しに呟きながら、フォノデリーは隣にいるファウルを見上げる。ファウルはこくりと小さく首肯した。
「僕の記憶が正しければあれは12年前だったと想うけれど……、サウィン王家で内乱が起きたんだ。そして反乱軍は王家を攻め滅ぼし、自分たちの王国を創っ た。……その反乱の首謀者であるハベトロットが現在サウィンを統治しているんだ」
「そんなことして、王家の味方の人が従うもんなの、」
「噂で聞いただけだからなんとも言えないけど、ハベトロットには絶対的な武力があるらしい。抵抗する者は容赦なく……、ってやつだ。現に、サウィンで政権 を握った直後に彼女はルーナサとの中立条約を一方的に破棄してルーナサに侵攻している」
「……昨日ベルテーンがやったのと同じ……ってこと、」
「そう。だからトローは『あのときみたいに』って言ったんだろう」
 落ち着いた口調でファウルは丁寧に説明する。そのひとつひとつの言葉に対して、フォノデリーはしっかりと耳を傾けていた。
 エインセルはそっと眼を伏せる。
「ルーナサの肩を持つつもりはない。しかし……おそらく今回の闘争もハベトロットが無理矢理に戦いをけしかけているに違いない。サウィンを支配するだけで は飽き足らず、更なる領土を獲得するためにな。きっと……サウィンの人々は搾取され、貧困な生活に苦しんでいるはずだ……」
 低く発された彼女の声は時折震えをみせる。フォノデリーは真剣な眼差しをエインセルに向けた。
「そんな……非道い、自分のことしか考えてないじゃないっ、」
「奴はそういう人間だ。昔から……」
 諦めたような呟きを耳にしながら、ファウルはエインセルに歩み寄った。その気配にエインセルは瞳を開き、顔をあげる。視線が絡まったところで、ようやく ファウルは声をかけた。
「……エイン、君が祖国<サウィン>を出たのって、もしかして……」
 訊きかけたファウルの言葉を遮るように、エインセルはすぐにはっきりと首肯してみせる。続きの言葉を飲み込んだファウルから少し視線をそらせて、ひとつ 息を吐き出した。
「ああ、……12年前だ。ハベトロット<あの女>に大切な人を殺されて、な」
 一気に吐き出されたその言葉は、部屋中を緊迫と静寂で満たした。
 少し目を潤ませながらフォノデリーはエインセルを見上げる。長い前髪の下にある蒼い瞳は、誰とも視線を合わせることなくただ彼女の足元を映していた。 ファウルが口を開いて何かを言いかけたが、声は発されることなく、すぐに口は閉じられる。
 しばらくして、ゆるやかにエインセルの髪が揺れた。エインセルは顔をあげ、瑕ついたその瞳がようやく周囲に向けられる。
「……悪かったな、こんな話をしてしまって。無理矢理お前たちに同行したくせに私情を挟むなど……」
「それならブッ壊さねぇか、」
 エインセルの言葉の途中で、フェリシンがぽつりと、しかし揺ぎない口ぶりで呟いた。
 全員が目を丸くして言葉を失う。ゆっくりとファウルが声を発した。
「フェル……それ、本気で言ってるのか、」
「ハベトロットだっけ、そいつを蛇蝎のごとく嫌う人間がいる前で、くだらねぇ冗談なんか言うかよ」
 さらりとフェリシンはそう返す。ファウルは息を吐き出した。
「まあ、たしかに彼女は国内外問わず評価はよくないし、このままじゃサウィンの人々は苦しいままだろうとは想うけど……」
「でもどうやって、……すごい武力を持ってるんでしょ、その人。……ルーナサ軍に協力して……とか、」
 呆気にとられた状態を脱したフォノデリーがフェリシンを見上げる。その意見にフェリシンはかぶりを振った。それとほぼ同時に、いつものような冷静さを取 り戻したエインセルが口を挟む。
「それは難しいだろう。ただでさえ今ルーナサはサウィンの侵略に近い横暴に対して応戦している状況だ」
「うーん、そうだよねぇ……。でもさ、ウルくんたちはこの戦争を止めようとしてるんでしょ。もしハベトロットを止められたら、その目的には近づけるかもし れないし……、」
 ひとりでそう呟きながら、フォノデリーは少し視線を落とす。ひとり具体的な方法を考えようとしているその姿を、エインセルはただ黙って見つめていた。
 提案をした張本人であるフェリシンは、それ以上何も言わずに丁寧にコートの留め具をひとつずつはめている。それを見てファウルがその名を呼ぼうとする と、フェリシンが先に口を開いた。
「……ウル、船の時間っていつだ、」
 呟くような問いかけに、ファウルは一瞬口を開きかけたまま動きを止めた。それから部屋の隅に置いてある小さな時計に視線を移す。
「ああ……、そろそろ準備して向かった方がいいだろうな」
 時間を頭の中で計算しながら、ぼんやりとした声でファウルはそう返す。そして再びフェリシンの方を向こうとしたとき、ぴたりとファウルは動きを止めた。
 それからゆっくり視線を戻すと、フェリシンと視線を合わせる。
「……フェル、お前まさか……」
 急に真剣味を帯びた表情をファウルは浮かべている。その瞳に対して、フェリシンは言葉も首肯もなく、ただ視線だけで返事を送った。