mutually exclusive




 総合病院裏にあるホテルでは、ツインの部屋が二部屋、ファウルたちのために用意されていた。五階に並んでリザーヴされた部屋の片方に、ファウルはフェリ シンを連れて入る。そしてもう片方の部屋には、全身の力が抜けてしまって殆ど歩けないエインセルを支えるルーナサ軍の女性と、フォノデリーが入っていっ た。
 医療器具といくつかの薬品を借りたファウルは早急にフェリシンの手当てを済ませる。コートも服も半袖のアンダーシャツも黒に統一されたフェリシンの上着 を脱がせ、治療を完了させると捲りあげたアンダーシャツを元に戻した。半ば意識を失うように眠りにおちたフェリシンの呼吸はもうすっかり落ち着いている。 その右腕には点滴が施されていた。
 使用した器具を片付けて部屋の隅にあるテーブルに置くと、ファウルは空いている方のベッドに腰かける。そして眠っているフェリシンを見ながら大きく息を 吐き出した。
 しばらくそのままでいたが、やがてファウルはフェリシンの眠っているベッドの下に視線を移す。そこには、ルーナサ軍が来たときに咄嗟に彼がコートの下に 隠した、ファウルとフェリシンのライフルが置かれていた。それに手を伸ばしかけたとき、部屋の扉をノックする音が響き、ファウルはぴたりと動きを止めた。
「リーウィデンですわ、……入ってよろしいかしら、」
 誰何される前に扉の向こうから声がする。ライフルをきちんとベッドの下に押し戻し、ファウルは立ち上がった。
 どうぞ、と言いながらファウルは扉を静かに開く。そこにはリーウィデンと、その後ろに二人の女性の護衛がいた。しかし部屋に入ってきたのはリーウィデン だけで、護衛は廊下に待機したままでいる。
 一礼して部屋に入ると、リーウィデンは丁寧に扉を閉めた。
「治療はもう終わられたのね」
「ええ、……あなた方の到着がなければ危なかったと想います。本当にありがとうございました」
 深くファウルは頭を下げる。すぐに、顔をあげるようリーウィデンは穏やかな声で告げた。
 ゆっくりとリーウィデンはフェリシンに歩み寄る。ファウルがベッドサイドの椅子を勧めると、ありがとう、とそっと腰かけた。眠っているフェリシンの様子 を見つめてから、リーウィデンはファウルを見上げる。
「まるで専門医が処置したみたいですわね。旅の方にしておくのはもったいないくらい……」
「そんなことありませんよ。旅をしていると、怪我の手当てには慣れてくるんです。他のことに関しては専門医に遠く及びません」
 ファウルはそう言いながらかぶりを振る。ご謙遜を、とリーウィデンは微笑んだ。
 その一瞬だけ空気が和やかになったものの、すぐにリーウィデンは真面目な、少し厳しい表情を浮かべる。
「……で、本題なのですけれど。旅の方、いえ……なんとお呼びすればよろしいかしら……」
「あぁ、すみません。まだ名乗っていませんでしたね」
 もうひとつの椅子に腰かけながら、ファウルは自分の名を名乗る。続けて他の三人の名も告げた。
 全員分の名前をしっかりと飲み込んでからリーウィデンは続ける。
「ファウルさん、あなた……死途<コーツ>に遭遇なさいませんでした、」
 その問いに、えっ、とファウルは口の中で呟く。すぐに返答をしなかったファウルに、リーウィデンは補足して説明する。
「あなた方のいらっしゃったあの場所で事切れていた人々……、彼らの身体には死途<コーツ>特有の弾痕がありましたわ」
「そう……、ですか、」
 ゆっくりとファウルは言葉を吐き出す。一度視線を落として充分な間をとってから、小さくかぶりを振ると、リーウィデンに再び視線を合わせた。
「あの場所に遺体があったことはなんとなく憶えてはいますが、僕たちは死途<コーツ>とは接触していません。仮に接触していたとしたら、僕らは無事では済 まなかったでしょう。死途<コーツ>は無差別殺人を繰り返す凶悪犯だと言われていますから」
「まぁ……そうですわね。……では、あの場所で何か会話を聞いたですとか、そういうことはなくって、」
「会話……ですか。……まだ頭が混乱していて冷静に思い出せないのですが、あの場所で何かあったのですか、」
 いたって冷静にファウルはそう切り返す。
 右手の人差し指でリーウィデンは眼鏡をあげて、その手を下ろしながら腕を組んだ。一度目が伏せられ、溜息とともに開かれる。
「……あの隘路で亡くなっていた人々は、我が国民ではないようですの。けれど、どう見てもベルテーンの正規軍ではありません。……今のところは謎が多すぎ ますけれど、我が国に危害を及ぼす組織がある可能性も否定できませんわ、死途<コーツ>が絡んでいることも気になりますし……ですから何か知ってらっしゃ らないかと想って来たのですけれど……」
「すみません、お役に立てなくて。……もし何か思い出せたら、必ずご連絡します」
「ありがとう。……こちらこそごめんなさい、お疲れのところにお邪魔してしまいましたわね、どうかご寛恕を」
 そう言うとリーウィデンは椅子から立ち上がり、ファウルに向かって軽く頭を下げた。それからポケットに手を入れると、そこから名刺を取り出す。ファウル に渡されたその名刺にはリーウィデンの名前とルーナサ大臣という肩書き、それにルーナサ王国議事堂のアドレスが記されていた。
 眼鏡のレンズの奥でリーウィデンはふわりと微笑む。
「フェリシンさんが早く恢復なされるよう、お祈りいたしますわ」
 まったく飾り気のない口調でそう述べ、お邪魔いたしました、と再び軽く頭を下げると、リーウィデンは静かに部屋を出てゆく。ファウルが部屋の入り口まで 見送る中、彼女は扉の向こうに待たせていた護衛を伴って、すぐに廊下から姿を消した。
 扉を閉めて、ファウルはしばらくその場に佇む。そのまま腕を組んで考えをめぐらせようとしていると、背後で再び扉がノックされた。
「ウルくん、もう治療終わった、」
 普段よりトーンの低いフォノデリーの声が聞こえて、ああ、と言いながらファウルは扉を開ける。そこにはフォノデリーだけではなく、エインセルの姿もあっ た。
 ホテルに来たときとは違い、エインセルはしっかりとその場に立っている。少し表情に陰りがあるものの、蒼い瞳はしっかりと焦点を結んでいた。
 部屋の中に入るよう二人を促して、ファウルはそっと扉を閉める。部屋に入ったフォノデリーは空いているベッドに一直線に向かい、そこに腰かけるとエイン セルを手招きして、その隣に座らせた。
 部屋が一度しんと静まり返る。居心地が悪そうにごそごそと足を動かしているフォノデリーの隣で、エインセルはしばらく俯いたままでいた。ゆっくりとファ ウルは先程までリーウィデンが座っていた椅子に腰をおろす。そこでようやくエインセルは顔を上げ、ファウルを見つめた。
「……済まなかった、取り乱したりして……」
「いや、……僕の方こそ。助けてくれてありがとう」
 少しぎこちなくファウルがそう返すと、エインセルはかぶりを振った。
「……フェルに申し訳ないことをしてしまったな……」
 エインセルの湿った声が漏れる。隣にいるフォノデリーが足をぶらぶらさせながら口を挟んだ。
「フェルくんの怪我、どうなの、」
「幸い、内臓には異常がないみたいだったから……手術が必要だとか、そういうことはないと想う。とりあえず痛み止めを打って、あとは本人が目覚めてか ら……かな。……といっても、強がりだから大丈夫だって言うんだろうけど」
「よかったあ……背中に思いっきり刺さってたから、アタシ怖くってさ……」
 安堵の表情を浮かべて、フォノデリーは眠っているフェリシンの顔を覗き込んだ。
 点滴がゆっくりと落ちてゆくのを、ぼうっとエインセルは眺めている。その様子をしばらく見つめてから、ファウルはそっと声を発した。
「……あのさ、無理に答えろとは言わないけど……何かあったの、」
 そう問われて、エインセルの瞳が再び焦点を結ぶ。フォノデリーもエインセルを振り返った。
 すぐにはエインセルは言葉を返さない。その様子を見て、ファウルは俯き加減になりながら軽く頭を掻いた。
「いや……戦場とか、君は見慣れてるはずだろ。そりゃあ、仲間が倒されるのはショックだろうけど、あれほど動揺するとは正直想ってなかったから……。失礼 な話かもしれないけど、さ」
 今度は、ファウルが言葉を紡ぎ終わった直後に、エインセルが口を開く。
「……実を言うと、自分でも驚いている」
 そのひとことを発してしまうと、エインセルの表情は少し和らいだ。ふっと息をひとつ吐き出して、続ける。
「故郷にいるときに、争乱に巻き込まれてな……目の前で、大切な人が殺された……、私を庇って、な。丁度、さっきのように……」
「そう……だったんだ……」
「しかしそれももう10年ほど前の話だ。お前の言う通り戦場も見慣れて時間も経過しているからな……あのときのことを忘れたことはないが、これほどまでに 鮮明に思い出してしまうことなどないと想っていた」
「……ごめん、厭なこと訊いたね」
「気にすることはない。……本当に答えたくなければ黙っているからな、」
 淡々とエインセルはそう言い切る。
「もうすっかり落ち着いた、大丈夫だ」
 ゆっくりと言葉をひとつひとつかみしめるように紡ぎ、エインセルは長い前髪を指先で梳いた。透き通るように蒼い瞳が露になる。
 その瞳を覗き込んで、フォノデリーは笑顔を浮かべた。そして、エインが元気になってくれてよかった、と言いかける。しかしその言葉は彼女自身の大きな欠 伸によって途中で遮られた。自らの失態に照れ笑いを浮かべるフォノデリーに、ファウルはやさしい眼差しを向ける。
「息つく暇もあんまりなかったからね……、疲れがたまっても仕方ないよ、」
 目をこすりながら、フォノデリーはかぶりを振る。
「んー……でも、そういうのわかってて、でも無理言ってついてきたんだし……」
「それはそうかもしれないけど、休めるときには休まないと、さ」
 ファウルは笑顔でフォノデリーを見つめる。
 その通りだ、とエインセルはファウルの意見に同意した。それからフォノデリーからファウルへと視線を移す。
「ふたりともひとまず休んでくれ。フェルは私が看ている、……私は先程までずっと休ませてもらっていたからな」
 そう言われて、フォノデリーは今自分が座っているベッドを一瞥した。
「……それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかなぁ」
 とろんとした声でそう言うが早いか、床に靴を脱ぎ落として、フォノデリーはベッドに倒れ込むようにして横たわった。一度寝返りをうってファウルとエイン セルに背を向け、その直後には既に寝息をたてている。
 フォノデリーの行動にファウルとエインセルは目を丸くして顔を見合わせると、ふっと表情を緩ませた。
 そっとエインセルはベッドの端から腰を上げ、フォノデリーの小さな背に毛布をかける。眠りにおちてしまったフォノデリーは反応ひとつ示さなかった。
 微笑ましくファウルはフォノデリーの様子を眺めている。その耳に、エインセルの鋭い声が届いた。
「……ウリシュクはデリィのことを知っているようだったな。……そして、お前のことも、フェルのことも……」
 ファウルはエインセルへと視線を移す。
「そう……らしいね。しかも一方的に……」
 部屋の中が静まり返る。少し和みかけていた空気が再び引き締まった。
 ふたりともが険しい表情を浮かべている。しかし、エインセルは矢庭にかぶりを振ると、ふっと緊張を解いた。
「……いや、この話は後にしよう。今は先に休んでくれ。フェルもデリィも眠っているところでこんな話をしても先へ進まないだろうからな」
「たしかにそうだけど……、本当に休ませてもらっていいのか、」
 エインセルにつられるように表情を少し緩めたファウルがそう訊ねると、エインセルは迷うことなく首肯した。
「ああ、デリィがここで寝てしまったからな……若干散らかってはいるが、隣の部屋を使ってくれて構わない」
「それじゃあ、僕もデリィと同じく、お言葉に甘えようかな。……とりあえず、ちょっとアルコールを摂取して、ゆっくりさせてもらうよ」
「……そうか、お前はザルだったな」
「それはフェルが勝手に言ってるだけだって。人よりちょっと強いくらいだよ」
「ちょっと強い程度の人間があんなに浴びるような呑み方をするものか」
 ぴしゃりとエインセルがそう言うと、気のせいだって、とファウルは笑った。それから少し改まった眼差しをエインセルに向ける。
「じゃあ、悪いけど、あとはよろしく」
 ファウルの言葉にエインセルはしっかり頷く。それを確認してゆっくりとした動作でファウルはベッドの傍を離れた。フローリングの床を、ほとんど足音をた てずにそっと歩いて、部屋から出てゆく。
 フェリシンの眠るベッドの横にある椅子に、エインセルはそっと腰を下ろした。
 静まり返った部屋に外の喧騒が届く。サイレンの音や人々の声が入り混じって聞こえていた。
 エインセルはじっと眠っているフェリシンを見つめる。フェリシンはぴくりとも動かず、その顔は無表情のままだった。それを見つめるエインセルも、ほとん ど動くことなく、ただ視線をフェリシンに注いでいる。
 外の喧騒は途切れることなく続いていた。