mutually exclusive




 大通りを抜けたファウルたちは隘路へと迷い込む。ようやく目は正常な機能を取り戻し、煙からは脱することができていた。入り組んだ道を随分と進み、よう やくファウルは足を止める。建物と建物の間の細い道であるものの、街灯は完備されており、常に薄暗いルーナサにしては視界は良好だった。
 完全に息があがってしまっているフォノデリーに歩み寄って、大丈夫か、とファウルは声をかける。軽く咳き込んでから呼吸をできるだけ整え、フォノデリー はこくりと頷いた。
 三人のいる場所の真横にある四階建ての建物から、フェリシンはライフル片手にコートを靡かせて飛び下りてくる。いとも簡単に軽々と地面に着地すると、厳 しい表情を浮かべた。
「……異常だ、数が多すぎる……」
「ああ……、こんなに容易に、しかも短時間に他国に潜入できるなんて……。ルーナサの軍事力はベルテーンと互角だろうに……」
 ファウルが低い声を発する。
 その隣で、フォノデリーは消え入りそうに呟いた。
「……アタシの、せい……、なの、」
 今にも泣き出してしまいそうなフォノデリーの隣に膝をついて身長を近付けると、ファウルは首を横に降った。それに合わせるようにエインセルが言う。
「それはないだろう。お前を……戦闘能力のない人間ひとりを狙ったのなら、これほどの軍勢を用意する必要はない。他にいくらでも方法はある。……こんなこ とをすればベルテーンは因縁の相手であるインヴォルグだけでなく、今まで中立を守ってきたルーナサとも対立する羽目になるというのに……」
「パドルがウリシュクを咎めようとしていたことからすると、今回も過激派の独断による戦闘行為の可能性が強そうだね……」
 ゆっくりと立ち上がり、ファウルはライフルを握り直す。そして周囲をぐるりと見回した。
「……さて、この状況をどう打開するか、だね……。インヴォルグへ行くどころか、エススから抜け出すことも難しく……、」
 ぴたりとファウルの言葉が止む。不思議そうな顔をしたのはフォノデリーだけで、フェリシンもエインセルも厳しい目つきで身構えた。
 先程、フェリシンが飛び下りてきたのと同じように、それよりももう少し背の低い建物から数人の男女が降下してくる。甲冑を身に纏ってはおらず、黒っぽい ジャケットと革のズボンを身に纏っていた。暗がりの中で、黒い色はその姿をはっきりと捉えにくくさせていた。
 その数人の男女それぞれが銃を手にしている。それが構えられる前に、フェリシンはライフルの引き金を引いた。それに続いてファウルとエインセルもトリ ガーを引く。しかし相手はすぐには倒れず、ファウルたちに向かって発砲した。
「まさか、これで動けるというのか、」
 相手の砲撃を跳躍して躱しながらエインセルは思わず大声をあげた。
 飛び下りてきた男女はたしかに血を流しているものの、倒れずに攻撃を仕掛けてくる。出血量はとうに立っていられる量を越えていた。
 再びファウルとフェリシンが弾丸を撃ち込む。身体に大きな穴や、蜂の巣のような細かい穴を開けられ、弾丸が命中した男女はようやく仰向けに倒れた。
 フォノデリーを身体で護るようにしながら、エインセルも抗戦を続ける。その二丁のハンドガンが、飛び下りて来た人々のうち最後まで残っていたひとりを撃 ち抜いた。
 その直後、ようやく攻撃の手を休めることができたファウルとフェリシンに人影が迫る。その気配を読んで二人は大きく跳躍した。しかし人影もすぐに地面を 蹴り、宙にいるファウルに接近する。
「……ウリシュクっ、」
 喉の奥でファウルは呟く。空中で目の前に迫ってくるウリシュクは大剣を薙ぎ払う。身体を捩らせてファウルはそれを避けきった。
 体勢を崩しながらファウルは地面に着地する。ウリシュクは僅かに遅れてそれに迫り、今度は大剣ではなくごつごつとしたレガースで被われた足でファウルの 腹部に容赦なく蹴りを入れた。咄嗟のことに身体が完全には反応せず、少し後ろに跳躍しかけたものの、ファウルの身体は後方へと蹴り飛ばされる。
「ファウルッ、」
 エインセルが叫ぶ。それと同時にフェリシンはウリシュクに迫った。
 更にファウルに追撃を加えようとするウリシュクを妨害するように、フェリシンはライフルを薙ぎ、ウリシュクにわざと後方へ避けさせて無理矢理に間を取ら せた。
 背中から地面に墜落したファウルは激しく咳き込みながら起き上がり、地面に膝をつく。握ったままのライフルについた汗を掌で拭い、呼吸を落ち着けながら 立ち上がって体勢を整えた。そのファウルを戦闘の手を一旦休めたウリシュクは凝視する。そして、緊張感漂う中、急に笑い声を響かせた。
 ファウルたちは怪訝な表情を浮かべる。その視線が集まる先で、ウリシュクは低く笑いながら呟いた。
「……貴様、……ファウルウェザー……か、」
 ファウルの表情が、そのひとことにさっと蒼ざめる。震える唇が言葉を零した。
「…………な、ぜ……それを……、」
「やはりそうか……、傑作だな。その弾痕……まさか貴様が解放の死途<シーリー・コート>だとは……」
 しっかりとウリシュクは大剣を右手に握り直す。左手は懐に入れられ、そこからブラウンのハンドガンが取り出された。その銃口はファウルの方を向いてい る。
 しかし、ウリシュクの視線はファウルではなくフェリシンを捉えていた。
「皮肉なものだ……解放の死途<シーリー・コート>と並ぶ存在として、狂気の死途<アンシーリー・コート>として名を馳せながら……お前は何も知らないの だろう、」
「生憎、俺はあんたほど器量があるわけじゃないんでね、細かいバックグラウンドなんか気にしてる余裕はない。……俺は俺の目の前の選択をするので精一杯 だ」
「……後々、大きな後悔をすることになるぞ」
「そうなったときは自縄自縛だって諦めるさ」
「なるほど……諭しには応じない、ということか。骨のある奴なだけに、実に惜しいよ、私は……、」
 そう言い終わると同時にウリシュクは引き金を引こうとする。それよりも一瞬早く、フェリシンはウリシュクの左手を狙って発砲した。それを躱したために狙 いが外れ、ファウルを狙ったはずの弾丸は彼の右横を通過してゆく。
しかしウリシュクはすぐにハンドガンを放り出し、両手で大剣を握って追撃した。顔が蒼ざめたままのファウルはなんとかそれを避けきったものの、動きは先程 よりも明らかに鈍く、ぎりぎりのところでしか攻撃を躱せずにいる。
 そのとき、周囲の建物から先程ファウルたちの手にかかった男女と同じような格好をした人々が、再び飛び降りてきた。ファウルの援護に回ろうとしたフェリ シンとエインセルの行く手を阻むようにその人々は立ち塞がり、それぞれが手にした銃や剣で攻撃を仕掛けてくる。躊躇うことなく、二人はその人々に向かって トリガーを引いた。
 黒い服を着たその人々はまた簡単に倒れることはなく、何発も銃弾を打ち込んでようやく事切れる。周囲の道路や建物は紅く染まっていた。それから目をそら せるように、エインセルの後ろでフォノデリーは伏せ目がちに身を強張らせている。
 息のすっかりあがってしまったファウルは防戦一方になっていた。次々とウリシュクは攻撃を繰り出してくる。そのうちに段々と間合いを詰められ、ファウル の背に建物の壁が当たった。目の前に立つウリシュクが大剣を振り下ろす。それに気付いたエインセルは無理矢理に周囲の攻撃をかいくぐり、ウリシュクに向 かって発砲した。
 背後からの攻撃に気付き、ウリシュクはファウルから離れて弾丸を避けると、ひとつ間合いをとる。その隙にファウルは壁際から遠ざかった。エインセルに向 かって、ごめん助かったよ、と言おうと口を開けようとする。しかしその声は彼の口から出ることなく、すぐに呑み込まれた。
 エインセルの背後に細いスピアを構えた黒服の男が上空から迫っている。慌ててファウルは喉が枯れるほどの大声で叫んだ。
「エインッ、」
 その声と、迫る気配とに、エインセルは背後を振り返る。しかしその視界は彼女が振り返ると同時に塞がれた。
 重さと熱がエインセルのすぐ目の前を支配する。エインセルが目を大きく見開いたまま視線を上げると、そこにはフェリシンの苦痛に歪む顔があった。
 振り下ろされたスピアがフェリシンの身体を背中から貫いている。しかしフェリシンはライフルの銃口を後方に向けると、その姿勢のままでスピアを握る男に 向けて至近距離から発砲した。弾丸の連射をまともに喰らい、男は大きく吹き飛んで動かなくなる。まだ残っていたひとりの黒服が追い討ちをかけようとする が、顔面蒼白の状態から普段の調子に戻り、すかさずトリガーを引いたファウルの放つ弾丸によって、身体に大穴を開けられて地面に突っ伏した。
 目の前にいるエインセルに向かって、フェリシンは掠れた声で問いかける。
「……ッ、……怪、我……ねぇか、」
 フォノデリーが涙目になりながら口元を両手でおさえてフェリシンを見上げる。その視界の中、フェリシンの身体は力を失い、エインセルを巻き込んで彼女に 覆いかぶさるように倒れた。
 フェリシンを受け止めながら地面に座り込んだエインセルの瞳は焦点を結んでいない。不自然なほどに身体が震え、言葉にならない声が漏れていた。
 ゆっくりとエインセルの腕の中でフェリシンの瞳は閉じられてゆく。
「厭あぁぁぁッ」
エインセルの叫びが周囲にこだまする。
それと同時にウリシュクの胸元、甲冑の奥から緑色の光が漏れ、その光が僅かに揺れた。
ウリシュクが口の端を吊り上げる。
「……予定とは異なるが……これはこれで佳かったということか……」
 その言葉をかき消すように、周囲から声が近付いてくる。こっちから悲鳴が聞こえたぞ、という声が喧騒の中に混じって聞こえた。サイレンがあちこちから鳴 り響きはじめる。
 ウリシュクは一度天を仰いでから、ファウルに視線を移した。そして余裕の笑みを浮かべてみせる。
「苦しみは人々に平等であるべきだ。……違うか、ファウルウェザー、いや……解放の死途<シーリー・コート>、だったな」
 そう言うと、ウリシュクは大剣を鞘に収めた。そして重い甲冑をつけているのにも関わらず、軽々と跳躍して一階建ての建物の屋上に跳びあがる。そして下方 を一瞥してから、更に向こうへ跳躍して完全に姿を消した。
 完全に殺気がその場から消え去ったのと同時に、ファウルは弾かれたようにフェリシンに駆け寄った。縋るようにフォノデリーがファウルの瞳を見つめる。
「エム プルッフ、……ウルくん、どうしよう、フェルくんが……っ」
 ファウルの理解できない言葉を思わず口走ったフォノデリーに無言で頷き返し、ファウルはフェリシンの身体を抱き起こす。しばらくファウルの腕の中でフェ リシンは荒い呼吸を繰り返していたが、その後に急に咳き込みはじめた。ゆるゆるとした動きで、フェリシンは左手にライフルを握ったまま、右手で口元をおさ える。まもなく咳に吐血が伴い、右手は紅く汚れた。
 そのフェリシンの身体を力強く支えながら、ファウルはフェリシンの耳元で囁く。
「……少し痛むけど、我慢してくれ」
 咳き込みながらフェリシンは頷く。それを確認して、ファウルは右手をフェリシンの背中にまわすと、刺さったままのスピアに手を添えた。鞘の部分をしっか りと握り、意識を集中する。そして集中が高まったところで息を止め、一瞬でそれを引き抜いた。
 傷口から血液が溢れる。ファウルは素早くフェリシンのコートを脱がせると、それを彼の身体にきつく巻きつけて止血した。そこまで処置を済ませてから、よ うやくフォノデリーに視線を戻す。
「……応急処置はしたから、あとはどこか休める処に連れて行こう。意識はあるみたいだし、命に関わるほどじゃないと想う。……運の悪いことに、発作が出た みたいではあるけど……」
「……発作、は慣れてる、って……、いつも……言ってんだろ、」
 途切れ途切れに、フェリシンは掠れた声で反論する。その髪をファウルはくしゃくしゃと撫で回した。
「はいはい、わかったから喋るなって、瑕口が開いたら洒落にならないからさ、」
 そうフェリシンを宥めると、ファウルはエインセルへと視線を移す。
「エイン、さっきはありがとう、怪我……は、」
 言いかけて、言葉が止まる。
ずっと同じ姿勢のまま、エインセルは空虚を見つめて身体を震わせていた。
「どうしたの、エイン、……ねぇってば、」
 フォノデリーが身体を揺する。それでもしばらく、エインセルの身体は抜け殻のようにそこにあるだけで、何の反応も示さなかった。
 小さな手でエインセルの腕を掴んで、フォノデリーは身体を揺さぶり続ける。フェリシンの身体を支えながら、ファウルも耳元でエインセルの名を大声で呼ん だ。数十秒が経過してから、ようやくエインセルの瞳が焦点を結びはじめる。
「だい……じょぶ、エイン……」
 躊躇いがちに言いながら、フォノデリーはエインセルの表情を覗き込む。まだ半分虚無を見つめたまま、エインセルはかくんと一度だけ、意思を伴わずに頷い た。
 そのとき、隘路の入り口からファウルたちが一度聞いたことのある、男性の声が響いてくる。
「そこにいる諸君、聞こえるか、」
 ファウルとフォノデリーが声のしたほうを見遣ると、そこには数人の人影があった。その先頭には少し背の低い三十歳手前くらいの、長い黒髪を後ろでひとつ に束ねた男性と、リーウィデンが立っている。ファウルがその姿に反応するよりも一瞬早く、リーウィデンが大声をあげてファウルたちに駆け寄った。
「あなたたち、さっきの……っ、」
 男性と、護衛らしき数人の男女がリーウィデンに倣う。薄い紫のカッターシャツに黒いズボンを身に纏ったその男性はファウルたちの傍まで来ると、真ん中で わけた前髪をかきあげて周囲に飛沫した真紅と転がる死体を見回し、顔を歪めた。しかし、ファウルの方に向き直ると冷静に言葉を紡ぐ。
「……自分はルーナサ大臣がひとり、トローと申す者だ。皆様方はリーウィデンの知り合いか、」
「いえ……先程、少しお話をさせていただいただけで……」
「袖触れ合うも……、ですわ。それより……あなた方、この状態は一体……」
 ファウルの言葉を遮って、リーウィデンが訊ねる。
 エインセルを気遣いながら、地面に座り込んだフォノデリーはリーウィデンとトローを見上げた。
「ベルテーンの人たちに襲われて、それで……っ、」
 巧く言葉がまとまりきらないフォノデリーに代わって、続きをファウルが説明する。
「僕たちも旅をしていますから、ある程度の戦闘能力はあるので……身を護るために防戦していたんです。そちらの軍が市街地を護りに来てくださったことも あってなんとかベルテーン軍を退けることはできたものの、仲間が負傷してしまって……」
 言いながらファウルは腕の中にいるフェリシンに視線を落とした。フォノデリーはエインセルの様子をずっと心配そうに見つめている。
 弾かれたようにトローはファウルに駆け寄ると、その腕の中でぐったりとしているフェリシンを覗き込んだ。弱々しい呼吸に咳を混じらせるフェリシンの身体 は熱を帯びてしまっている。瞳はぼんやりと僅かに開かれていた。
 トローが唇を噛む。
「これはまずい……、しかし総合病院は負傷者が大量搬送された後だ、空きがあるかどうか……」
「病院でなくて構いません、どこか休める場所と、医療器具を少々貸していただければ……。一応、医学の知識は持ち合わせています」
 いつもより少し早口になってファウルがそう言うと、トローはすぐに頷いて了承を示す。それと同時にリーウィデンは護衛のうちのひとりに指示を出し、無線 で場所の確保を行わせた。間もなく、その護衛は無線を耳から離す。
「警備本部より確認がとれました。総合病院裏のホテルに空き室があるそうです。器具は病院から借りられるよう申請しておきました」
「ありがとう。……それじゃ、すぐにでも向かいましょう。旅の方、ホテルまでお送りしますわ。軍用車で、ですけど、我慢なさって」
 淀みない口調でリーウィデンはそう言いながら、隘路の入り口に停車している深緑の大きな車を指さした。
 ずっと半泣きになっているフォノデリーは再びごしごしと袖で目元を拭う。そして笑顔になりきれない笑顔で、できるだけ声のトーンを上げながら、ありがと う、とリーウィデンたちを見上げた。