mutually exclusive




 街の中は静まり返っていた。ただでさえ暗鬱とした空が広がっているというのに、建物からは殆ど光が漏れておらず、道行く人の姿もない。レヴェル・ファイ ヴの緊急対策法ってやつか、とファウルは口の中で呟いた。
 スクリーンのあった場所から少し市街地を進んだところで、フェリシンは急に立ち止まる。その数秒後にファウルとエインセルが、そして更に少し遅れてフォ ノデリーが足を止めた。
 足を止めて振り返り、フェリシンはコートの下のライフルを握る。
「臥せろッ」
 そう言うと同時にフェリシンは近くにあった街灯に向かって発砲した。柱が崩れ、ランプが割れて炎を放つ。それはすぐにフェリシンの目の前に倒れ、地面に 亀裂を入れながら凄まじい埃をあげた。
 フェリシンの後ろでファウルは身を屈めている。エインセルはフォノデリーを庇うようにしてその場に臥せていた。飛び散った柱の破片が勢いよく身体に当た る。
 巻き起こった砂埃の向こうに影がちらついた。その影はあっという間に四人に迫る。一番前にいたフェリシンは左に跳躍した。その直後、フェリシンのいた場 所に大剣が振り下ろされ、地面に小さく亀裂が入った。
 顔を覆っていた右腕をおろして、ファウルは顔をあげる。その表情は、すぐに硬直した。
「……お前は、まさか……」
「…………ウリシュク……、」
 ファウルの後ろで身体をおこしたエインセルが呟く。
 崩れた柱の傍に姿を現したのは、黄金色の鎧に身を包んだ大男だった。兜をかぶっていないため、その顔をはっきりと見ることができる。その男は髭をたくわ えた彫りが深い顔で、黒髪をオールバックにしており、40歳手前くらいに見えた。
「ほう……私のことを知っているのか、」
 ウリシュクは低くゆっくりと言葉を紡ぐ。その間に、右手で大剣をしっかりと握り直していた。
 鋭い瞳でファウルはウリシュクを睨みつける。
「ルーナサへの侵攻……先導者はお前か……。どうりで国境が突破されるわけだ」
「……それは褒め言葉として受け取っておこう。…………さて、」
 一旦言葉を区切ると、ウリシュクはフォノデリーを見つめた。エインセルの服をぎゅっと掴んで、フォノデリーは反射的にその後ろに隠れる。そのフォノデ リーをウリシュクは左手で指さした。
「その娘を渡してもらおうか」
「……どういうことだ、」
 エインセルが顔をしかめる。ちらりと背後にいるフォノデリーを見遣ると、彼女は必死になってかぶりを振った。
「知らない、アタシこんな人逢ったことないもんっ、」
 声を荒げるフォノデリーを見て、ウリシュクは低く笑った。あげた左手をすっとおろす。
「お前が知らなくとも私はお前に用があるのだよ」
「フェルくんに危害を加えようとした人の言うことなんか聞きたくない、」
「……随分と強情なお嬢さんだ。仕方あるまい、少々、悚然としていただこうか」
「まずい下がれッ、」
 会話に割って入るようにフェリシンが叫ぶ。
 ほぼ同時にウリシュクは、大柄な彼が持っても威圧感があるほどの大剣を振り回した。身軽にフェリシンはそれを躱すと、次の一撃が来る前に素早い動きで狙 いを定めさせないように翻弄する。それでもウリシュクは躊躇うことなく攻撃を繰り返し、その度にフェリシンは身軽に動いてそれを避けきった。
 その間にエインセルはフォノデリーを連れて後ろに下がる。ファウルは銃を握るものの、戦闘が激しすぎて正確な狙いで援護射撃ができる状態ではなかった。
 しばらく交戦した後、ウリシュクは気合いの雄叫びとともに一層大きく大剣で凪ぎ払う。大きく宙に舞ってフェリシンはそれを躱し、ファウルたちのすぐ前に 着地した。交戦していた二人に間ができる。
 殆ど息もあげずにフェリシンはウリシュクを射るような瞳で見つめた。その視線の先でウリシュクは口の端を吊り上げた。
「……クク、……流石、佳い動きだ。惜しい……実に惜しい」
 フェリシンの表情から緊張が一瞬消える。
「……惜し、い……、」
 再び警戒の色をのぞかせながら、フェリシンは鸚鵡返しに訊ねる。ウリシュクの口調には余裕が充ち溢れていた。
「やはり、そうか……。記憶がショートしているのだな……」
「…………ッ、あんた、俺を知ってるのか……、」
「やめろウリシュクッ、」
 突然、二人の会話に聞き慣れない声が割って入った。
 ウリシュクの背後に人影が迫っている。ウリシュクと同じ黄金色の鎧が闇の中でゆらりと煌めいていた。
 人影はすぐにはっきりと見えるようになる。現れたのは鎧を身に纏う男だった。ウリシュクよりも更に年上のようで、短い髪には白髪が混ざっている。
 振り返ることもなく、ウリシュクは静かに告げた。
「これはこれはパドル将官……、何用ですかな、」
「とぼけるなッ、貴公……自分が一体何をしているかわかっているのかッ」
 周囲に響き渡るような大声で、パドルと呼ばれた男は叫ぶ。
 それでもウリシュクはまったく動じる様子がない。視線でファウルたちを牽制しながら、言葉だけをパドルに向かって返す。
「もちろん……わかっていますよ、将官。しかし、綸言汗の如し……もう遅いのです、」
「開き直る気かッ、貴公等……過激派の跳梁跋扈な侵略の所為で、罪もなき国民が報復で命を奪われているのだぞ、……我々将官の役目は国王に仕え、民を護る こと、それを忘れたのかッ」
「…………ご高説賜り光栄です、将官。……しかし、」
 にやり、とウリシュクは不気味な笑みを浮かべる。勢いよく詰問していたパドルの表情が一瞬にして強張る。貴公、とパドルが呟くとほぼ同時に、ウリシュク は低い声を響かせた。
「……どうやら貴方は私と相容れぬ存在のようだ」
「なんだ…と……」
 言葉を紡ぎ終える前に、パドルの声は掠れた。
 ウリシュクの大剣がパドルの左胸を甲冑ごと貫いている。喉が詰まったような音をたてながらパドルは吐血し、大剣が引き抜かれると、その身体は音をたてて 仰向けに地面に突っ伏して動かなくなった。
「……非…道い……ッ」
 両手で口元をおさえ、泣きそうな顔をしたフォノデリーが悲痛な声をあげる。
 まだ笑みを浮かべたまま、ウリシュクは血に濡れた大剣をファウルたちの方へ向け直した。
「……さて、この男のようになりたくなければ、そこにいる娘を渡せ」
 半泣きになりながらフォノデリーはエインセルに縋っている。エインセルは縋る手をしっかりと握りながらも、ウリシュクを睨みつけていた。その様子をちら りと見遣って、ファウルは小声でエインセルに告げる。
「下手に動かない方がいいよ。……囲まれてる、」
「ああ、……気配からすると、そのようだな……」
 二人の会話を聞きながら、フェリシンはそっと声を発した。
「……デリィ、走れるか、」
 振り返らずに視線でウリシュクを威嚇しているフェリシンの背中を、フォノデリーは涙目で見上げる。そしてエインセルに身体を支えられたまま、服の袖でご しごしと目元を拭った。
「……だいじょぶ、逃げるのは得意だよ」
 その答えを待って、フェリシンはコートの裾から黒いライフルを取り出し、銃口をウリシュクに向けた。少し遅れてファウルも銃を手にする。
 ウリシュクは僅かに表情の変化を見せたものの、大きな驚きはみせなかった。
「任侠道、のつもりか、」
「……まさか。あんたみたいにスノビズムじゃねぇからな。ただ、愚にもつかねぇ話につきあう趣味はないってことだ」
 フェリシンは冷静な口調でそう返しながら、身体の後ろで親指と人差し指を伸ばし、あとの指を曲げた。それを見てファウルは一歩後ずさると、ポケットの中 を素早く探る。
 その間もフェリシンとウリシュクの睨み合いは続いていた。左手に大剣をちかえると懐から小型銃を取り出して、ウリシュクは銃口をフェリシンに向ける。
「教えてやろうか、……お前から失われた記憶について」
「必要ねぇな。俺は俺だ、記憶が飛んでようがなかろうが関係ない。それに……そんな烏滸の沙汰を交換条件に、唯々諾々と退くわけねぇだろう」
「……なるほど、この状況もお前には逼塞しているとは想わせないというわけか……」
「んなわけあるかよ、……乾坤一擲、だ」
 そう言い終えると同時にフェリシンはウリシュクの右頬あたりを狙ってトリガーを引く。ウリシュクがそれに反応するのと、フェリシンの後ろにいるファウル が閃光弾を炸裂させるのはほぼ同時だった。
 全員の視界が光と白い煙に奪われる。
「七時の方角だッ、」
 エインセルとフォノデリーに数歩近付いて、ファウルはできるだけ声を抑えながら叫ぶ。了解、とエインセルは短く返すと、フォノデリーの手を引いて駆け出 した。
 様々な叫び声や銃声が閃光の中で響いている。ファウルたちは視界を殆ど奪われたまま、ひたすら足を進めた。光の中、突如として三人の人影が現れる。その 黄金の甲冑に向けて、ファウルは迷うことなくトリガーを引いた。天地を劈くような破裂音とともに鎧は粉々になり、朱色が周囲を染める。身体でフォノデリー の視界をできるだけ塞ぎ、エインセルはその横を駆け抜けた。