tense with a conspiracy




 できるだけ大通りを避けてファウルとエインセルはホテルへと急いだ。路地裏にはインヴォルグ兵の姿は見当たらない。しかしそのまま細い道を抜け、開けた場所に出ようとした二人は、目の前に銀色の甲冑を纏うインヴォルグ兵が何人もいることに気付いて足を止めた。
 物陰から息を潜めて二人は先の様子を窺う。インヴォルグ兵は丁度ベルテーン兵と剣を交えているところだった。間もなくインヴォルグ兵の大剣がベルテーン兵の喉元を突き、鎧の隙間から血飛沫をあげてベルテーン兵は仰向けに倒れ、動かなくなった。
 インヴォルグ兵の周囲にはその他にもベルテーン兵が倒れている。一般市民とみられる人々の死体も僅かではあるが転がっていた。
 やがて数人のインヴォルグ兵が一箇所に集まり、何かを話しはじめる。その後に二人の兵を残し、残りの兵はどこかへと姿を消していった。
 ファウルとエインセルは視線を合わせる。
「相手が二人なら……」
「……強行突破、だな」
 エインセルのその呟きを契機に、二人は地面を蹴って大通りに飛び出した。
 二人のインヴォルグ兵が振り返る。しかし先に攻撃体勢に入っていたファウルとエインセルは既にそれぞれの引き金を引いていた。銃声とともにインヴォルグ兵は二人ともほぼ同時にその場に倒れる。
 目の前の兵を倒した後も、ファウルとエインセルは立ち止まることもなくただ走った。間もなく背後で騒ぎが起こる。ちらりとファウルが走りながら後ろを見遣ると、倒れた兵の周囲に数人のインヴォルグ兵が集まっていた。
 建物の角を曲がって、二人はインヴォルグ兵の視界から姿を消す。そしてホテルの近くにあるアーケードをくぐり、先を急いだ。
 アーケードを進んだ先でもインヴォルグ、ベルテーンの両兵士や、市民が道路に倒れている。そしてホテルの前には三人のインヴォルグ兵の姿があった。今度は二人が立ち止まって身を隠す前に、インヴォルグ兵が二人の存在に気付く。三人のインヴォルグ兵は物凄い勢いでファウルとエインセルに迫った。
 それぞれに振り下ろされる剣を躱し、銃を構えようとする。しかし三人目のインヴォルグ兵は剣ではなく重火器を手にしていた。重火器の銃口がファウルへと向けられる。攻撃が躱されたとはいえ、剣を持つ兵士は態勢を整えてファウルに斬りかかろうとしていた。エインセルの目の前にも剣を握った兵士が再び迫っている。
「後ろに跳べッ、」
 突如、叫び声が響く。反射的にファウルとエインセルは後方へと跳躍した。
 その直後、武器を構えていた三人の兵士の甲冑にいくつもの穴が空く。派手な金属音をたてて、インヴォルグ兵は前のめりに地面に突っ伏した。
 倒れた兵士の向こうから、足音が響いてくる。二人分のその足音は、フェリシンとフォノデリーのものだった。
「……ありがとう、助かったよ」
 近付いてきたフェリシンをファウルはまっすぐに見つめた。フェリシンの手には細身のライフルがしっかと握られている。隣を小走りに歩くフォノデリーは、フェリシンの黒いコートを抱えていた。
 フェリシンに歩み寄って、エインセルはその表情を窺う。
「私も礼を言う。…………しかしフェル、身体は大丈夫なのか、」
「ん、ああ……、いつものことだし、しばらく休めば治るんでね……もうなんともない。悪ぃな、心配かけちまって」
 苦笑しながらフェリシンがそう言うと、エインセルは返事代わりにかぶりを振った。
 周囲の様子を見回してから、ファウルはフェリシンに視線を戻す。
「……お前とデリィがここにいるということは……、」
「ああ、……さっさとベレノス<ここ>を出た方がいい。インヴォルグ軍が狙ってんのはベルテーンの軍事施設や王宮じゃない……、」
「……昨日の報復、ではないのか、」
 エインセルが怪訝な顔をする。手にした黒いコートをぎゅっと抱き締めて、フォノデリーはエインセルを見上げた。
「報復かそうじゃないかはわかんない。でもね、さっき臨時ニュース見てたら、避難施設が襲撃された、って……。ベルテーン軍が救出に向かったみたいだけど……」
「避難施設……、そういえばエスリィルが言っていたな……。しかし、そこは孤児や難民の救済施設だろう、」
 エインセルの表情が曇る。ファウルも顔をしかめていた。
 服の袖を捲り、フェリシンはライフルを握り直してしっかりと手にフィットさせる。
「そう、……昨日のメネックのように、難民がターゲットになってる。けど、両軍の兵士による軍事衝突もある。つまり……誰が狙われても不思議じゃねぇってことだ」
「なるほどね……。避難施設のことは気になるけど、軍が救出に行ってるなら僕たちの出る幕じゃないだろうし……下手に首を突っ込んで足止を喰らうわけにはいかない。たしかに、脱出した方がよさそうだ」
 ライフルを持っていない方の手で、ファウルは前髪をかき上げた。
 ありがとうな、と言いながらフェリシンはフォノデリーの方に手を伸ばし、彼女の持つ黒いコートを受け取る。沈みかけている陽を眩しそうに見上げて、コートを腰に巻きつけた。
「インヴォルグ側から軍勢が来てるとなると……東へ抜けてルーナサ領に行くしかないか……」
 同じように白いコートを腰に巻き、ファウルは腕を組んだ。間もなくして、思い出したように顔をあげる。
「……エイン、たしかパドルはルーナサとの国境整備に行ってるって……」
「ああ、伝統派の奴等が言っていたのだから間違いないだろう」
 低い声でエインセルが応じた。
 二人の会話を聞いていたフォノデリーが、背伸びをして二人の顔を交互に見上げる。
「パドルって、たしか三将官の……、」
「うん、そのパドルがルーナサとの国境整備に行ってるらしいんだ。昨日の一件があるからパドルは帰還しているかもしれないけど、三将官のひとりがわざわざ率いるほどの軍の規模なら、まだ全軍が撤退していない可能性が高い」
 丁寧にファウルが説明する。小さく何度も頷いて、フォノデリーは理解を示した。フェリシンが話の先を読んで、なるほど、と呟く。
「国境とベレノスを往復する戦艦に密航できるかもしれねぇってわけか」
 アーケードの向こうから金属音や叫び声が聞こえてくる。その直後に地面が揺れ、南西の方角に火があがった。騒ぎが一段と大きくなる。
 喧騒を耳にしながら、ファウルは進むべき方向に身体を向けた。
「とにかく、王宮の方へ急ごう。軍艦の停泊地がその近くにあるはずだ、」
 ファウルがそう言い終わると一行は同時に地面を蹴る。自然にファウルが先頭を走り、フェリシンが殿となった。フォノデリーを護るようにしながら、一番足の遅い彼女の走るペースに合わせて先へと進んでゆく。
 王宮に近付いてゆくにつれ、ベルテーン軍の姿が多くなる。
「神聖なる我が国の安息を纂奪せし愚者どもに死をッ、」
 口々にベルテーン軍の兵士は声をあげながら市街地へと繰り出してきた。王宮から出陣する兵の数は段々と増えてゆく。そして市街地の中心部にまで侵入しているインヴォルグ軍と出くわすと、激しい戦闘を繰り広げた。
 なるべく両軍に見つからないよう、路地裏や細い道路を撰んで一行は王宮へと向かう。しかし両軍の衝突が激化するに伴い、メインストリート以外でも戦闘は避けられなくなっていた。裏路地にも既に事切れている兵士や、重傷を負って朦朧としたまま殆ど動かない兵士の姿がある。数は少ないものの、一般人の死傷者の姿も見られた。
 やがて先を急ぐ一行の前にベルテーン兵が立ち塞がる。両側を建物に囲まれた隘路では、逃げ道などどこにもなかった。一行の姿に気付いた数人の兵は、すぐさま武器を構えて襲いかかってくる。兵のうちひとりは重火器を、ひとりは弓を持ち、あとは全員細身の剣を手にしていた。
 真っ先に身体が戦闘体勢に入ったフェリシンはフォノデリーの護衛をエインセルに任せ、正確に狙いを定めて後ろの方にいる兵の握っていた重火器に発砲する。兵士の手元で重火器は粉々に砕け、小爆発を起こした。ライフルを手にするフェリシンは発砲直後に迫る二本の剣による攻撃を跳躍して躱す。そして着地と同時に弓の弦に矢を掛けかけている兵士に銃口を向け、直後にその身体を蜂の巣にすると、再び迫る剣を軽い動きで避けきった。
 ファウルは自らに迫る二人の兵士に向かって発砲する。爆発的なその弾丸は一撃ずつで相手を仕留めた。しかしすぐその後ろからもうひとりの兵が現れ、剣を振り下ろす。低い後方への跳躍でファウルはそれを避けた。
 身軽に近接攻撃を躱しながら、フェリシンは不機嫌そうに舌を打ち、ファウルに向かって叫ぶ。
「ウル、気をつけろっ、……こいつら……ダユー・シンドロームだ、」
「なんだって、」
 驚きを示しながらも、ファウルは次に迫る一撃を避けると、その兵に向かって引き金を引く。それと同時にフェリシンも二人の兵に連続して弾丸を浴びせ、三人のベルテーン兵士は相次いで地面に突っ伏した。
 重火器を破壊された兵士が落ちている剣を拾ってエインセルとフォノデリーのいる方へと突進する。エインセルはフォノデリーの前に立ってその視界を奪うと、余裕をもった発砲で兵士を射落とした。その兵士が倒れ、鎧がアスファルトにぶつかって大きな金属音が響くと、辺りはようやく静まり返る。大通りの喧騒がはっきりと聞こえるほどに隘路は落ち着きを取り戻した。
「……正規軍だろう、どう見ても……。それなのにどうしてダユー・シンドロームに……」
 倒れた兵士たちを見下ろしてファウルは苦々しく言葉を呟いた。
 戦闘行為を目の前にしたフォノデリーを気遣っていたエインセルが、ファウルの方に視線を送る。
「そのダユー・シンドロームというのは一体……、」
 ちらりとエインセルの方を見てから、ファウルは再び兵士を見つめて、答えを返した。
「簡単に言えばダユーの過剰摂取だよ。麻薬として用いられるものは成分調整がされているから、過剰摂取と言えどもトランス程度で済む。だけどダユー・シンドロームは、純粋なダユーを嚥下や注入によって通常の数倍摂取することで起こる……効果は見ての通り。相手や戦況に関係なく、ひたすら目にしたものを攻撃する狂戦士と化す……身体能力はもちろん向上したまま、ね」
「だから突然攻撃してきたというわけか……」
「……それと、もうひとつ、ダユー・シンドロームは安全性が皆無なんだ。人によって持続時間は違うけれど、効果が切れれば意識を失い、そのまま死に至ることも、発狂したまま余生を送らなければならなくなることも珍しくない」
「そんなものを国の正規軍が使用していると……、」
「普通に考えれば、有り得ないことだよね」
 ファウルの声は沈んでいる。表情に影が落ちていた。
 淡々とした様子でフェリシンは足を動かしはじめる。
「詮索は後だ、」
 短いそのひとことに促されるように、ファウルたちも王宮へ向かって進みだした。
 兵士の姿を見かけては迂回を繰り返し、少しずつ王宮へと近付いてゆく。そして王宮前広場に出る手前まで来たとき、一行は足を止めた。
 王宮に続く凱旋門の前は円状の大きな広場になっている。その中心には彫刻の施された噴水があり、それをぐるりと囲むように花壇が設置されていた。広場のあちこちにはベンチが並べられている。
 そのベンチのひとつの周囲に、数人のベルテーン兵が集まっている。その場所はファウルたちのいる処からそう遠くなく、耳を澄ませば会話の内容を聞き取ることもできるほどだった。
 物陰に身を潜めてフェウルたちは様子を見ている。目を凝らしているフォノデリーが口の中で、あっ、と声を発した。
「あの兵士の中心にいるの……、三将官のエスリィルじゃない、」
 ひそめられた声を聞き取って、ファウルは目を細めて兵士たちの中心を見つめる。そこにあるのはフォノデリーの言う通り、エインセルの姿だった。兵士に囲まれたエスリィルは兜を外し、地面に片膝をついている。その鎧の右脇の部分は紅く染まっていた。
 エスリィルの身体を支えている兵士が兜を脱ぎ捨てる。素顔を現したその兵士は黒く短い髪の、あまり背の高くない青年だった。
「将官、王宮にお戻り下さい、そのお身体では……、」
「……しかし、これ以上、奴等の好きにさせるわけにはいきません、」
「それは我々が何とかしますッ、……我々には将官ほどの力はありませんが、将官のお力になりたい気持ちは皆同じなのです、どうか……」
 青年の言葉に、周囲にいる兵士たちも口々に同意を声にしはじめる。
 その様子を覗いていたエインセルが低く唸るように呟いた。
「まさかエスリィルが負傷しているとは……」
 隣でファウルも苦々しい表情を浮かべている。フォノデリーはエインセルのショールをぎゅっと掴んでいた。
 癖のある焦茶色の髪を左手の細い指でくしゃりと握り、フェリシンは広場の向こうを眺める。
「軍用艦は……、あれだな」
 広場を進んだ先、凱旋門の西側にある鉄のゲートの更に向こうに銀色のボディを持つ軍用艦が何台か並んでいた。ゲートは開いており、警備兵らしき人物も見当たらない。
 同じ方向に視線を移して、ファウルは呟く。
「……できるなら広場<ここ>を通りたくはないな……、」
「了解、迂回ルートがないか捜してくる、」
 そう言うが早いか、フェリシンは数歩後ろにさがると、街灯のポールの突起に足をかけ、大きく跳躍すると建物の二階にある窓の桟に軽々と飛び乗った。それから更に飛び上がり、三階建ての建物の屋上へと到達する。
 その動きをエインセルとフォノデリーはぽかんとした表情を浮かべて目で追っていた。口を開けたままフォノデリーが声を洩らす。
「……フェルくん、すごーい、」
「人間業じゃないな、あれは……」
 エインセルは腕を組んで上方を見上げていた。その視界に再びフェリシンの姿が飛び込んでくる。同じルートを逆戻りして、フェリシンは三人のすぐ傍に着地した。そして肩に引っ掛けたライフルを再び握り直し、空いている手で今のぼった建物を指さす。
「道とは言い難いが……この向こう側に用水路みたいなのがあった。そこを通れば迂回できるだろうけど……、デリィ、大丈夫か。ちょっと足場が悪いかもしれねぇけど」
 名前を呼ばれて、フォノデリーはぽかんとした表情を慌ててかき消した。
「あ、うん、平気だと想う。アタシ見た目よりも体力あるんだよ」
「……そっか、ならいいけど。無理すんなよ。歩けなくなったらウルが担いでくれるらしいから」
「なんで僕なんだよっ、」
「お前の方が体格いいからな」
 さらりと言い放ってフェリシンは建物の上から確認したルートを進みはじめる。その後にフォノデリーが小走りで続いた。
 ファウルはひとつ溜め息をつく。
「……お前が細すぎるんだよ……、」
 そう言って足を進めようとして、ファウルはエインセルが立ち止まったままでいることに気付いた。
 先を行くフェリシンとフォノデリーの姿を、エインセルはぼうっと蒼い瞳に映している。その横からファウルが声をかけた。
「どうしたんだ、エイン、」
 エインセルは呼びかけられてはっとした表情を浮かべる。すぐにいつものような冷たさを漂わせる表情に戻ると、かぶりを振った。
「……いや、なんでもない。……行こう、」
 陽は殆ど沈みかけている。街灯は破壊されていたり、無事であっても電力が供給されていなかったりしているため、視界はゆるやかではあるものの悪くなりかけていた。街中の喧騒はおさまる気配もなく、爆音や銃声、悲鳴や慟哭が聞こえてくる。王宮前にも、もうすぐその混乱は及ぼうとしていた。
 既に建物の角を曲がろうとしている二人を追って、エインセルは早足で隘路を進みはじめる。ファウルもすぐにそれに倣った。