tense with a conspiracy




「……まさか狂気の死途<アンシーリー・コート>が病弱だとはな」
 隣を歩くファウルにぎりぎり届くほどの小声でエインセルは呟いた。
 ホテルを出た二人は再び大通りを王宮に向かって進んでいる。王宮に近付くにつれて、黄金色の甲冑を頻繁に目にするようになっていた。
「発作持ちってだけで、特別に身体が弱いってわけじゃないみたいなんだ。ただ……、」
 一旦ファウルは言葉を切る。ただ、と鸚鵡返しにエインセルが問いかけると、話を再開した。
「一度大きな医療機関を受診させたことがあるんだけど、医者にも発作の原因がわからないらしい」
「……どこも悪いところはない……と、」
「呼吸器も、その他の臓器や神経もすべて正常だって検査結果が出てた。でも僕とフェルが出逢ってから何年も経つけど、ずっと発作は起きてる、……頑健なはずはない」
「本人は原因不明だと知っているのか、」
 エインセルの問いに、ファウルは頷いた。それから、ひとつ深い溜め息をつく。
「だから開き直ってヘヴィスモーカーになってるんだろうけど」
 三叉路に差し掛かり、二人は一度足を止めた。それぞれの道の先を確認してから、一番右にある通りをファウルは指さす。行き交う車の列が途切れたところで二人は道路を横断し、その先にある、ファウルが示した道を進んだ。
 市街地はどこも同じような景色が続いている。様々な建物があるものの、背の高い建築物が大通りを挟んで並ぶ、という風景ばかりだった。
 しばらく歩いたところで、エインセルが再び口を開く。
「……しかし、よく健康に支障がある人間と旅に出ようなどと想ったものだな」
「まぁ……ね。お互いにこの戦争をどうにかしたいって気持ちがあったのもあるけど……、利益が一致したってのが大きかったのかもしれない」
 ベレノスに到着したときに比べて、幾分か陽射しは弱くなっている。それでもまだ目立った衰えを見せない日光に目を細めながらファウルは続けた。
「僕には生兵法とはいえ薬学の知識があるから、フェルが発作を起こせば薬を提供できる。そしてフェルの戦闘能力なくして戦渦をくぐり抜けることはできない……」
「戦闘能力ならお前にもあるだろう、」
 エインセルは冷静にそう言葉を挟む。しかしファウルは首を横に振った。
「いや……、フェルの戦闘能力は僕とは比較にならないよ。死途<変な異名>が世間に知れ渡っているから同程度の能力だと想われているかもしれないけど、全然そんなことはない。鎧袖一触って言葉がぴったりだよ、あいつは」
 通りはゆるやかに狭くなってきていた。それでもまだ車線はふたつあり、歩道も完備されている。大通りほど広くない歩道を進み、ある建物の前でファウルは足を止めた。
 コンクリートでできた建物が並ぶ中、煉瓦造りのその建物はどっしりと建っている。随分と古そうな外観には威圧感があった。扉は鉄でできており、正面には窓がないため中の様子を伺い知ることはできない。
「ここは……、」
 ベレノスの街並に似合わない建物を眺めてエインセルが呟く。ファウルは再び足を進め、鉄の扉に手を当てた。
「兵士志願者のギルドらしい。なんでも、建てられたときから改築されてないみたいだ」
「なるほど。ヴィクス時代の雰囲気……といった感じだな」
「それだけ伝統があるってことだし、軽々しくデマが流れることはなさそうだと踏んでるんだけどね……」
 ギイ、と重々しい音をたてて扉が開く。入り口は薄暗いが、その奥はしっかりと明るくなっているのが見えた。
 二人は建物内に入ると扉を閉め、周囲を見回す。エントランスにカウンターがあるものの、そこに人の姿はない。奥の明るい場所からは声がいくつも聞こえていた。
 しばらく二人がその場で佇んでいると、カウンターの奥にある階段からひとりの男が降りてくる。男は無精髭を生やし、カッターシャツに深緑のベストを着ていた。
「……兵士志願者か、」
「まぁ、そんなところです。入隊場所をまだ決めていなくて、情報収集のためにいろんな都市をまわっている最中で……」
 さらりとファウルはそう答える。エインセルも冷静に表情ひとつ変えないまま、そのやりとりを聞いていた。
 ファウルの言葉を特に疑う様子もなく、男は顎で建物の奥の方を示す。
「悪いが、戦争が激化してからはそういう奴が多いんで、最近は放任させてもらってる。情報がほしいならギルドにきてる奴に訊くか、そのへんのパンフレットを勝手に持って行くかしてくれ。いちいち相談に応じてたら陽が暮れちまうんでな」
「わかりました、」
「まぁ……奥の集会所は昨日の話題で持ち切りだからな。今日はあんまり隊の話なんざ聞けねぇかもしれんぞ」
「そのときはまた明日出直しますよ」
 笑顔でファウルは応じて、カウンターから離れると狭い廊下を通って奥の灯りへと足を進める。そのすぐ後ろでエインセルもそれに倣った。
 廊下の向こうには随分と広いスペースが開けている。大きな円形の木のテーブルがいくつも並び、その周囲には木の椅子がテーブルを囲むように配置されていた。殆ど空いている椅子がないほどに人工密度が高く、それぞれのテーブルで口角沫を飛ばす議論が繰り広げられている。二人が入ってきたことに気付く者は数人だけで、その数人もすぐに自分たちの話題に意識を集中していた。
 フロア全体を見回して、比較的議論がヒートアップしていないテーブルへと二人は近付いた。そのテーブルには男女二人ずつの姿がある。白熱した議論を繰り広げているわけではなく、それぞれがグラスを片手に真剣な意見交換をしているといったような様子だった。
「見慣れない顔だね、……申し訳ないけど、入隊斡旋なら今日はお断りよ」
 二人の気配に気付いた黒髪の女性が、話をやめてファウルを見上げる。それと同時に、そのテーブルでの会話は中座した。
 黒髪の女性の隣にいる体格の佳い男が空いている椅子を二人に勧める。促されるままに二人は木の椅子に腰を下ろした。それから、ファウルが黒髪の女性に対して頷く。
「受付でもそう言われました。……昨日の椿事があっては仕方ありませんね」
「あれは椿事なんかじゃないって、陰謀だよ」
 正面に坐っている金髪の少年が口を挟んだ。顔は幼いものの、半袖の下からのぞく腕はしっかりと鍛えられている。
 陰謀、とエインセルは鸚鵡返しに訊ねた。少年は勢いよく続ける。
「軍内過激派の陰謀に違いないって。国王命令なしの軍事行為なんか赦されるはずないのに、結局ウリシュクも他の過激派も何の処分も受けてないんだぜ。国王に圧力かけてやがんのは明らかだろ、」
「……グーラゲズ国王の地位を危うくするための陰謀だということか、」
「そう想うね、オレは。新たに国王を擁立したいんだよ、過激派は」
「……それはどうかしらね」
 エインセルと少年の会話に、今度は黒髪の女性が割って入る。
「新国王擁立のためにこんなことをするかしら。国王の地位が国内外問わず危うくなったのは確かだけれど、今回の件の影響はそれだけじゃないわ。他の三将官だって厳しい目を向けられているし、だいたい一番世間体が悪くなるのは過激派なのよ。新国王擁立が目的なら、こんな紛擾が避けられないような手段をとらなくてもいいはずだわ」
 長広舌を揮うその女性に対して、少年以外のメンバーは頷く。
 言葉が途切れたところで、あの、とファウルはタイミングよく質問した。
「三将官は普段から行動を共にしないものなんですか。一般的にはウリシュクが過激派で、エスリィルが新生の保守派、パドルが伝統派だというカテゴライズがされているようですが」
 その問いに対して答えを返したのは、それまで黙っていた桃色のロングヘアの女性だった。
「そうねぇ……大きな戦争では三人揃って軍隊を率いてるみたいだけど、そうでもなければそれぞれが別の任務についてるみたい。その方が効率もいいでしょ。だから過激派は敵と接触すれば惨殺しているとか、保守派は虜囚に情けをかけているとか、本当か嘘かわからない噂が流れるわけ。でも……」
「……でも、」
「ここまで三将官が割れてしまったのは初めてじゃないかなぁ。行動や考え方の相違ってレヴェルなんて飛び越して、今や対立してるって感じだもんねぇ」
 兵士志願者のギルドには似合わないほどの可憐な声でそう言いながら、女性は口元に手を当てた。考えをめぐらせるような仕草をするものの、それ以上意見を言おうとはしない。
 ちらりとエインセルは横目で周囲の様子を観察する。まだ白熱した議論は止む気配を見せなかった。周囲の声は入り乱れてはっきりと会話の内容を聞き取ることはできない。
 体格の佳い男に対して、エインセルは丁寧な口調で訊ねた。
「……もしかして、ここでの議論は対立の余波なのですか、」
 男は頷く。溜め息をつくと、渋面をつくった。
「ベレノス<ここ>で入隊を志願する奴は大抵三将官に憧れてる。だから志願者だけど過激派だとか保守派だとかがあるんだよ。俺たちにとったらつまんない議論だとは想うけど、あいつらは本気だ。あんなことをする過激派に付き従うつもりかって保守派は言うし、過激派はウリシュクたちの行為を正当化しようとする」
「入隊の志が強ければ強いほど、本気になるのかもしれませんね。近い将来、自らが属することになると考えれば……、」
「そうなんだろうな。……ま、俺たちは伝統派だから、あんまり関係ないんだ。パドルはルーナサとの国境警備に行ってて、昨日の一件には関わってないから」
 呆れた目で周囲を見ながら、男は頭の後ろで手を組んだ。
 言葉を止めていた桃色の髪の女性が再び口を開く。
「でもさ、こうしてられるってのはまだ平和なのかもねぇ。いつインヴォルグから報復されたっておかしくないもん」
「洒落にもなんないこと言うなよな」
 少年が横目で女性を睨む。本当のことでしょ、と女性は軽くそれを躱した。
 そのすぐ後で、ガタン、という大きな音がフロア全体に響き渡る。ファウルたちが音のした方に視線を移すと、テーブルの上に身を乗り出した男二人が互いの胸ぐらを掴んでいるのが目に入った。反射的にファウルが椅子から立ち上がろうとすると、黒髪の女性はそれを引き止める。
「目を合わせないで。あいつらが喧嘩しようが関わらない方がいい……血気盛んな奴が多いから、まともに関わったってロクなことがないわ」
 そう言われてファウルは冷静に他のテーブルの様子を窺った。一触即発の状態になっている人間がいるというのに、本気で気にかけている人はひとりもいない。自分には関係のないことのように、それぞれが今までと同じように会話を続けていた。
 そのとき、突如大きな揺れが建物全体を襲う。バランスを失った喧嘩寸前の男二人はテーブルにしがみついた。坐っていたファウルたちもテーブルに体重を預けて体勢を保つ。フロア全体に混乱が起こり、先程とは異なる喧騒があちこちから聞こえてきた。
 数人が外へ様子を見に行こうとすると、廊下から受付の男が息をきらして駆け込んで来る。その顔は血の気を失っていた。
「テメェら、今すぐ散れッ、……インヴォルグが報復してきやがった……ッ」
 その言葉に呼応するように、どっとフロア全体が騒がしさを増す。
「あんだけ警備兵が街中にいるってのにかよっ、」
「過激派があんな莫迦なことするからだろうがッ」
「ふざけないでよっ、保守派がいなきゃメネックを占拠して報復なんか防げてたのよ、」
「そんなこと言ってる暇があるんなら外出ろよ、インヴォルグ軍を返り討ちにしてやるんだッ、」
 口々に叫ぶ声がファウルとエインセルの耳に届く。その二人の肩を黒髪の女性が叩いた。
「早く逃げた方がいいわ。軍事行為が引き金になっている以上、兵士志願者ギルド<こんな処>は高確率で報復の対象になる……。……裏口から逃げましょう、案内するわ」
 混乱する人々の間を縫って女性はフロアを抜けてゆく。ファウルとエインセルもすぐその後に続いた。木の扉を開くとそこには細く薄暗い廊下があり、その向こうに大人がひとりやっと通ることができるくらいの小さな鉄の扉がある。廊下を走り抜けた女性がその扉を開くと、そこは路地裏に繋がっていた。
 陽はもう力を失いかけている。建物の影は長く伸び、涼しさとは無縁とはいえ、気温も日中ほど高くはない。
 大通りの方から様々な叫び声や打々発止が聞こえてくる。路地裏にはまだ被害が及んでいないものの、市街地が混乱に充ちているのがはっきりとわかった。
 ホテルのある方にファウルとエインセルは身体を向ける。その背中に女性は声をかけた。
「私はこっちに行くけど……二人とも気をつけてね。また混乱が落ち着いたらギルドに遊びに来てよ、歓迎するから」
「ありがとうございます。貴方も……気をつけて」
 二人とは逆方向に身体を向ける女性に対して、エインセルは慇懃にそう述べる。二人に笑顔を見せて、女性はくるりと踵を返すと地面を蹴り、あっという間に走り去っていった。
 女性が去るのを見届けてから、ファウルとエインセルは顔を見合わせる。そして無言のままただ頷き合うと、ホテルのある方に向かって駆けだした。