tense with a conspiracy




 タラニスのものよりも更に大きく、荘厳な鉄のゲートをくぐって市街地へと到着する。周囲の様子を見回してフォノデリーはぽかんと口を開けた。
「すっごーい……これぞ首都って感じだねー」
 完全にアスファルトでかためられた大きな道がいくつも交差し、その両端には高層のコンクリートでできた建物が処狭しと並んでいる。大通りには人や車が溢れ、喧騒は止むことがない。タラニスよりもずっと都会であるベレノスには行商人や農夫の姿は皆無に均しく、そのかわり高貴な身なりをした人々や、甲冑に身を包む兵士の姿が目立った。
 気候はタラニスとほぼ同じで、陽射しが眩しく気温も高い。コートを手にするファウルやフェリシンは旅人であると誰の目にも明らかだった。
 まっすぐ伸びる大通りのずっと向こうに、遠くから見てもはっきりわかるほどの白い大きな建物が見える。目を細めてファウルはその建物のある方向を指さした。
「あれがベルテーンの王宮だ。とりあえず、王宮に危険がない程度まで近付いてみよう。市街地を通っていけば目立ちはしないだろうし……」
 そう言いながらファウルは既に足を進めはじめている。フェリシンたちもその後を追って歩きはじめた。
 大通りの歩道を人の流れに沿って通行する。歩道のあちこちに兵士の姿があり、歩いている人々を監視していた。
「……前に来たときはこれほど兵が巡回していることはなかったが……」
 小声でエインセルが呟く。隣を歩いていたフェリシンが首肯した。
「そうだな。やっぱ緊張状態にあるってことか……いつインヴォルグ軍の報復があっても不思議じゃねぇからな。過激派が勝手なことしやがって、王宮も今後の対応に呻吟してんじゃねぇのか、」
 周囲にいる兵士の耳には決して届かないように、フェリシンの声は潜められていた。
 大きな陸橋の下を通過し、更に大通りを進んでゆく。しばらく進んだところで、脇道に大きな看板が掲げられているのがファウルの目に入った。その看板には周辺の地図が描かれている。
「……ちょっと地理を頭に入れてくる。さすがにあてもなく歩き続けるわけにもいかないし」
 看板を指し示して、ファウルは一度立ち止まった。了解、とフェリシンはすぐに承諾し、エインセルとフォノデリーを促して歩道の真ん中から移動する。そして大きな建物に近付くと、その建物がつくる影に入って息をついた。
 脇道にある看板を眺めているファウルの姿はここからでも視界に入れることができる。左手で首筋を煽ぎながら、フェリシンは時折ちらりとファウルの様子を気にかけていた。
 そのフェリシンの横顔をエインセルは黙って見つめている。ずっとそうしていると、矢庭に視線を感じたフェリシンがエインセルの方を振り返った。
「……どうかしたか、」
「あ、……いや、べつに」
 不自然にエインセルはかぶりを振る。明らかな動揺を目にしたものの、フェリシンはそれ以上なにも言わなかった。
 話が途切れ、間ができる。それを嫌うようにエインセルは口を開いた。
「……お前たちがメネックにいたのは、アルモリカに関する情報を捜していたからなのか、」
「…………まぁ、そんなところだ。情報というか、因子というか……だけどな」
「何かしらの手がかりがあると踏んでいた……ということか、」
「そう。あいつが鑽仰の後に導き出した計算結果からすると、メネックに何らかのエネルギーか、それに准ずるものがあるはず、……だったんだけどな」
 あいつ、という表現とともにファウルの姿を見遣って、フェリシンはそう答える。ファウルはまだ看板を見つめていた。
 エインセルは腕を組む。
「昨日の争乱に巻き込まれてメネックを捜索することはできなかった……ということか」
「そう。……とは言え、メネック以外にも候補箇所はある。だからひとまず他の場所を……、」
 そこでぷつりとフェリシンの言葉は途切れた。表情が硬直する。
 その異変に気付いたエインセルとフォノデリーの視線を避けるように、フェリシンは二人に背を向けた。建物の外壁に右手をついて、背を丸める。その直後、フェリシンは突如激しく咳き込みはじめた。
「どうした、フェル、」
「フェルくんっ、」
 エインセルとフォノデリーの声が重なる。大声を発したために通行人の視線が三人に注がれた。しかし注目を浴びはするものの、人々は足を止めることなくその場から去ってゆく。
 身体ごとフェリシンの正面に回り込んで、エインセルはフェリシンの顔を覗き込んだ。左手で口元をおさえながら咳き込むその表情は苦痛に歪んでいる。今にも頽れそうなフェリシンの細い身体をエインセルはそっと支えた。
 その隣でフォノデリーが声をあげる。
「あっ、ウルくん、」
 フォノデリーの言葉に反応してエインセルが顔をあげると、ファウルが脇道から戻ってくるのが目に入る。最初はゆっくりとした歩調だったファウルだが、二人と視線が合うと早足になって戻ってきた。
「ファウル、フェルが……、」
 瞳を揺らしてエインセルはファウルを見上げる。ファウルは小さく頷くと、落ち着いた様子で手を伸ばし、フェリシンの身体をしっかりと支えた。
「……随分と辛そうだな、」
 耳元でファウルがそう呟くと、フェリシンは何度か咳き込んだ後に、左手を口元から外した。
「…………ここしばらく、平気だと想ってたら……、きっついのが来やがった……、」
 空いた左手で今度は胸元をぎゅっと握って、フェリシンは苦笑する。咳はまだ止まりそうもなかった。
 フェリシンの脇の下にファウルは自らの身体をすべりこませ、ふらついている身体をしっかりと支える。
「先に宿を取ろう。……少し歩けるか、」
「ん……あぁ、……済まねぇな、いつも……」
 ファウルに向かってそう言ってから、フェリシンはエインセルに視線を移す。口を開きかけてまた数回咳き込み、その後にようやく声を発した。
「……悪ぃ、驚かせちまって……。……ただの発作だからさ、大丈夫、……ッ」
 無理矢理に笑顔を浮かべてそこまで言い切ると、フェリシンは再び視線を外して俯き、何度か咳を続ける。それが一旦おさまるのを待ってから、ファウルは足をゆっくりと進めはじめた。
「幸い、地図も憶えたところだし、ホテルも近くにある。少しの間だけ我慢してくれ」
 耳元で聞こえるファウルのその言葉に、フェリシンは頷いて了承を示す。そして時折咳き込みながらも、一定のペースで歩き続けた。
 前方へ進み、次の十字路を左折すると、アーケードが見えてくる。きらびやかな装飾が施されたアーケードの下を進んでゆくと、高層の建物の間にクリーム色の外壁をしたホテルがあった。
 硝子でできた扉を押して、ファウルたちはその建物に足を踏み入れる。床には灰色の絨毯が敷かれ、ロビーは広々としていた。あちこちに細かい装飾がみられ、壁には絵画が掛けられている。タラニスの宿に比べれば随分高貴な雰囲気を漂わせているものの、ロビーや廊下にいる人々の姿を見るかぎりでは一般市民層が多い。特別に豪奢な人の姿はなかった。
 フェリシンの身体を支えているファウルに代わって、エインセルが受付でチェックインを済ませる。受付で鍵を受け取ると、一行は鍵に書かれた部屋番号のある五階へとエレヴェータで移動した。
 鍵はエインセルの手にふたつ握られており、連番になっている。そのうちの片方と同じ番号が記された部屋の前まで来ると、エインセルは部屋の鍵を開けた。中には大きめのベッドがふたつ並び、突き当たりには大きな窓とそれを覆う薄いカーテンがある。クローゼットや円形のしっかりしたテーブル、鏡台も揃っており、小さな流し台も完備されていた。全体的に、広めに空間がとられている。
 手前にあるベッドまで移動すると、ファウルはそこにフェリシンを横たえた。そしてフェリシンの持っていたコートと、その下に巧く隠してあったライフルをベッドサイドにそっと置くと、ベッドから一歩遠ざかる。
「悪いけど、少しの間だけ看ててもらっても構わないかな、」
 エインセルとフォノデリーをファウルは交互に見遣る。二人が了承を示すと、すぐ戻るから、と言い残して部屋を後にした。
 二人に半分背を向ける体勢でフェリシンはベッドに身を沈めている。荒い息づかいはおさまらず、間をおいて激しく咳き込むこともあった。
 外は暑いものの、部屋の中は冷房が効いている。エインセルはやさしい手つきで、フェリシンの胸元あたりまでそっと布団を被せた。それに反応して、フェリシンはエインセルの方を振り返る。
「……ありがとう……、……普段は、こんな風にはならねぇんだけど……な」
「無理に喋らなくていい、」
 エインセルが静かにそう告げる。隣で、無言のままフォノデリーは頷いた。
 しばらくして、申し訳程度のノックの後に部屋の扉が開く。早足で部屋に戻ってきたファウルは、手に布の袋を携えていた。その袋を持ったまま、流し台へと向かうと、袋から硝子製の器具をいくつか取り出した。
 ファウルの様子を見に、フォノデリーは小走りに流し台へと駆け寄る。
「なにしてるの、」
「調合器具を借りてきたんだ。原料は買って持ち歩けるけど、器具まで持ち歩いて旅をするわけにもいかないから、いつも大きな宿とか薬局とかで借りるんだよ」
 説明をしながらファウルは腰にある小さなポーチからいくつか白い包みを取り出した。そしてそれぞれを異なる器に入れ、そのうちのひとつに水を容器の半分ほどまで加えると、ガラス棒でかき混ぜる。
 手慣れた作業を、フォノデリーは感心した様子で眺めた。
「こういう器具って貸してくれるものなんだね、」
「ダユーが普及してるところなら簡単に借りられるよ」
「……ダユー……、って、麻薬じゃないの、」
「麻薬として使う人もいるだろうね。でも本来は、一時的に身体能力を増強させる薬なんだ……僕は使ったことがないからどの程度まで身体能力が上昇するのかはわからないけどね。兵士とか一般市民の兵士志願者とかが、試験や鍛錬のときに使うことが多いらしい。だけど過剰摂取すればトランスしてしまう……だからダユーの成分を何倍にも強めたものが麻薬として出回っているんだ」
 詳しい話をしながら、ファウルは手を動かし続けていた。それぞれの容器に異なる分量の水を入れて充分にかき混ぜ、最後にそれをひとつの容器にまとめて、更にガラス棒で混ぜる。そうして薄い檸檬色をした液体ができあがると、ファウルはそれをテーブルの上に備え付けてあったカップに移した。
 カップを手に、ファウルはベッドへと歩み寄ると、片手でフェリシンの身体を起こす。カップを差し出すと、フェリシンはそれを左手で受け取って、一気に飲み干した。
 空になったカップを受け取るファウルに、フォノデリーが訊ねる。
「今つくったのは……なにかの薬、」
「そう。咳を落ち着けて、呼吸を正常に戻すように促す作用があるんだ」
「へぇ……ウルくんってすごいね、薬を調合できるなんて」
 巧言令色ではなく、本心からの感嘆の声でフォノデリーは言う。ファウルはかぶりを振った。
「薬学を勉強していたことがあってね、ちょっと知識があるだけだよ」
 再び流し台に戻ると、ファウルは空のカップと使用した器具を水で濯ぐ。手を休めないまま、ベッドに再び沈んだフェリシンに向かって声をかけた。
「しばらく休んでな。街の様子は僕が見てくるから」
 すべて濯ぎ終えて備え付けのタオルで手を拭くと、ファウルはベッドに近付いてフェリシンの表情を伺う。まだ息が荒れ、小さな咳を何度も繰り返しているものの、顔色は少し佳くなっていた。
 仰向けになったままフェリシンはファウルを見上げる。
「……あんま無茶すんなよ、」
「ああ……わかってる」
 低くそう返すと、ファウルはくるりとベッドに背を向ける。その直後にエインセルがファウルの背中に声をかけた。
「私も行こう、」
 エインセルの方をファウルはすぐに振り向き、頷く。同意を得たエインセルは、次にフォノデリーの方を向いた。
 いつの間にかフォノデリーは空いているベッドに腰かけている。
「アタシ、ここでフェルくんを看てるね。なんか外は物騒な感じだし、ウルくんやエインと違って、アタシは自分で身を護ったりできないし……」
 そうか、とエインセルはひとことだけを返す。それに続いてファウルが笑顔を向けた。
「看ててもらえて有り難いよ。いつもは眠ってれば治るみたいだから、特別に気を遣わなくても大丈夫だとは想う」
「りょーかいっ。二人とも気をつけてね」
 明るい声でフォノデリーは二人を見送る。その視線の先で踵を返すと、ファウルとエインセルは並んで部屋を出て行った。