tense with a conspiracy




 一旦宿に戻り、ファウルとフェリシンはウィルを迎えに行った。昼前になっているというのに、ウィルはようやく目を覚ましたところのようで、着替えもせずベッドの上でぼんやりとしている。なんとか出発の準備をさせてチェックアウトし、ロビーへ降りると、そこではエインセルとフォノデリーが並んで三人を待っていた。
「さて……、と」
 集まって小さな輪になった全員を見回して、ファウルは言う。
「僕とフェルはずっとここにいるわけにもいかないからタラニスを出るけど……、みんなはどうする、」
 その問いにすぐに返事はなかった。エインセルは俯き加減に口を紡ぎ、フォノデリーはその様子を見上げている。ウィルも口を開こうとはしなかった。
 しばらくしてから、エインセルが顔をあげる。
「…………私も同行したいと言っては……応諾してもらえないだろうか」
 蒼い瞳は力強く輝いている。
 ファウルは躊躇いがちに口を開いた。
「……僕たちについている二つ名は世間の人たちがつけたものだけど、そんな異名をつけられるに至ったのは、僕たちが危険を冒して行動しているからだ。……昨日のメネックなんかより、もっと危険なことだってザラにある」
「…………それは承知の上だ」
「あ、アタシも……っ、」
 タイミングを逃すまいとフォノデリーが割って入る。厳しい眼でエインセルはフォノデリーを見下ろした。ファウルの表情も曇っている。
 次に誰かが言葉を発する前に、フォノデリーは早口で続けた。
「危険なのはわかってる、アタシが戦力外なのもわかってる、でもアタシやっぱりアルモリカに行きたいの。ワガママも言わないし危険なとこに行くときは置いてってくれてもいいから……お願いっ、」
 一気にそこまで滔々と言い切ると、その勢いのままフォノデリーは深々と頭を下げた。
 慌ててファウルは右手を伸ばすと、フォノデリーの背中を軽く叩いて顔を上げさせる。フードの下にある幼い顔は、宿で話をしていたときとは違い、陽気さが消え失せ、真剣そのものだった。
 ファウルはフェリシンの方を振り向く。どうする、と小さく呟けば、フェリシンからは溜め息が返ってきた。
「……べつにさ、俺たち適当に行動してるだけで軍隊とかじゃねぇし、好きにすりゃいいんじゃねぇのか、」
「フェル……」
 縋るような瞳でエインセルはフェリシンを見つめる。隣ではフォノデリーも同じようにフェリシンを見上げていた。
 懇願する二人を前にしても、いつもとまったく変わらない口振りでフェリシンは続ける。
「同行したいなら勝手について来りゃいいし、厭になったらフラっと去ればいい。……そのかわり、もし死んでも恨むなよ」
 フォノデリーの表情がぱっと明るくなる。そうかと想えば、目の前にいるフェリシンに突然とびついた。
「フェルくん、ありがとっ、」
「あぁもうわかったから離れろ。ただでさえ暑いってのに、」
 無理矢理フォノデリーを引き剥がして、フェリシンは一歩後ろに下がった。決して邪険にする風ではないフェリシンのその素振りに、フォノデリーはおとなしく引き下がる。それでも嬉しそうな表情は消えていなかった。
 あまり表情の変化がないエインセルにも、先程よりも随分と明るさが宿っている。
「……ありがとう、フェル、感謝する。…………ファウルは、いいのか、」
 エインセルが視線をファウルへと戻す。右手で前髪を一度かきあげて、ファウルは息を吐き出した。
「まぁ、フェルの言う通りだからね。君たちの意志が固いなら僕には止められないだろうし。危険であるってことだけ覚悟しておいてもらいたいけど」
「無論だ」
 すぐにエインセルは頷いてみせる。フォノデリーは何度も首肯を繰り返した。
 話が落ち着いたところで、ファウルは視線をウィルへと移す。オレは、とウィルは口の中で呟いた。
「…………やっぱ、メネックのみんなと逢いたいんだ。どこにいるのかわかんねぇけど、まだこの近くにいるかもしれないし……。どうすれば逢えるのかなんてわからないくせにって自分でも想うんだけどさ……」
 俯き加減になって、ウィルは言葉を止めた。前髪が表情に影をおとす。
 ぽん、とファウルはやさしくウィルの頭に手をのせた。
「たしかに、難しいことかもしれない。だけど逢いたいって気持ちが大事だと想うよ」
 穏やかな口調でそう告げられて、ウィルは顔をあげた。手を離して、少し身体を屈めて視線をできるだけウィルに合わせ、ファウルは続ける。
「一緒に捜してあげることはできないけど……とりあえず、孤児院とかをあたってみたらどうかな。もしそこで仲間に逢えなくても、君自身の居場所を見つけられれば、そこを拠点に情報収集もできるだろうから」
「…………孤児院って、オレでも受け入れてもらえるのかな、」
「大丈夫だと想うよ。困ってる子どもを受け入れない処は孤児院じゃないしね。タラニスには数も多いみたいだから……」
 右手をポケットに入れると、ファウルはそこから簡略化された地図を取り出す。タラニスの市街地とその周辺のマップが描かれたその地図を、ファウルはウィルに差し出した。
「地図を見ればどこに孤児院があるかはわかると想うよ。……もしわからなさそうなら僕たちが送って行ってもいいけど……」
 ファウルのやさしい言葉に対して、ウィルは力強く首を横に振る。
「ううん、ひとりで行くよ。……なんか、ほら、別れ辛くなりそうだし」
「……そっか。わかった、気をつけて」
 地図をぎゅっと握るウィルを見つめて、ファウルはそう告げる。今度はウィルの首が縦に振られた。
 それからウィルはエインセルの前へと歩み寄る。
「……ありがとう、助けてくれて。あんたがいなきゃ、オレは……」
「気にすることはない。それより、メネックの人々に逢えることを願っている」
 淡々とエインセルはそう返す。エインセルに対しても、ウィルはしっかりと頷いた。
 ファウルたちのつくる輪からウィルは一歩外に出ると、じゃあ、と声を発する。全員の顔を一度見回してから、くるりと踵を返した。そして、振り返ることもなく駆けだし、ロビーから宿の外へと消えてゆく。
 走り去るウィルの姿が見えなくなるまで、全員がその背中を目で追っていた。日中の眩しい陽射しの中に、少年の後ろ姿は溶けるように飛び込む。そのシルエットが完全に消えてしまうまで、そう時間はかからなかった。
 様々な宿泊客で賑わう宿のロビーの中、ファウルたちの周囲にだけ静かな空気が漂う。それを破るようにファウルは明るい声を響かせた。
「僕たちも行こうか、」
「行くって……どこに、」
 健気な瞳でフォノデリーがファウルを見上げる。ひとまずロビーから外へ出るよう、ファウルは視線だけで促した。
 見知らぬ人に紛れて、一行は宿を後にする。陽が高々と昇っている大通りを、なるべく日陰を撰んで歩いた。背の高い建物はそこそこ見受けられるものの、太陽が真上にあってはあまり影もない。この土地に不馴れな者は歩くだけで体力を奪われそうな気候だった。
「とりあえず、列車でベレノスへ行こうと想う」
 視線だけで後ろを歩くフォノデリーを振り返って、ファウルは先程の話の続きを始める。
 燦々と降り注ぐ日光に目を細めて、フォノデリーは訊ねた。
「ベレノス……っていうと、ベルテーンの首都、だよね、」
「そう。昨日の一件のこともあるし、僕たちの目的のための情報収集だけじゃなくて、各国の情勢把握もしておきたいんだ。そうなると、やっぱり首都に行くのが手っ取り早い。……メネックでの軍事行為は過激派の独断だったみたいだから、王宮付近は緊張状態かもしれないし……注意して行動しないといけないだろうね」
 ファウルにそう言われ、歩きながらフォノデリーは頷いた。
 大通りをまっすぐ歩くと、やがて黒く塗られた鉄のゲートが見えてくる。どっしりとしたアーチ状の大きなゲートは市街地の中でもひときわ目立っていた。ゲートの前には小さなテントがあり、そこに人が並んでいる。
 三人をテントの近くに待たせて、ファウルは列の最後尾に並んだ。ひとり分ずつ前へ進み、しばらくしてようやく自分の番がまわってくると、テントにいる女性にコインを渡してチケットを買い求める。人数分のチケットを手に、ファウルはフェリシンたちの処へと戻った。
 手にしているチケットを一枚ずつファウルは手渡す。チケットを受け取ったエインセルが懐からコインを出して渡そうとすると、ファウルはそれを制した。
「いいよ、これくらい。気にしなくて」
「……しかし……、」
「幸甚なことに、あんまり資金には困らないんだ」
「そう……なのか、」
「まぁ、豪奢な生活ができるほどじゃないけどね」
 さらりとそう言いながらファウルは足を進めはじめる。三人もそれに続いた。
 ゲートをくぐり、広い通路を進んでゆく。足音を響かせてしばらく奥へ行ったところに、紺色の制服を着た人の姿が数人見受けられる。ファウルたちはそれぞれチケットを渡し、半券を受け取ると更に奥に進んだ。
 開けた処に出ると、丁度ホームに列車がすべりこんでくるところだった。乗客の数は多く、既に列をつくって列車を待っている。真っ黒のボディを持つ列車は六両編成で、その真ん中あたりにファウルたちは乗車した。
 列をつくって待っていた人々は空いた椅子に坐ることができたが、ほぼ最後尾で乗車した一行は列車の入り口付近で立ったまま列車が動きだすのを待っている。やがて短い警告音とともにドアが閉まり、蠕動の後に、はっきりとした震動を伝えながら列車は走りはじめた。
 車内はがやがやと騒がしい。タラニスの大通りと同じように、様々な身なりの人々が見受けられる。
 列車が動きはじめて間もなく、壁に背を預けていたフェリシンは立っているのを諦めて床に座り込んだ。その様子を見ていたファウルがフェリシンに声をかける。
「酔い止め、調合しとけばよかったな……、」
「いや……ベレノスは最寄り駅だろ、寝てりゃ大丈夫だって」
「そっか。ちゃんと起こしてやるから何もかも忘れて寝てろよ」
 その会話を聞きながら首を傾げたフォノデリーに、エインセルが簡潔に説明を加える。乗り物酔いかぁ、とフォノデリーは頑是無い声を発した。
 話が止んでしまうと、一行は周囲の喧噪に呑まれる。しばらくその状態が続いた後、エインセルがぽつりと訊ねた。
「……死途<お前たち>はどのくらい旅をしているのだ。たしか死途<異名>が有名になったのは2年ほど前からだったと想うが……」
「5年くらいじゃないかな……正確には憶えてないけど」
 ゆっくりとした口調でファウルは低い声を響かせる。
「旅に出ようとしたのはもっと前だけど、準備にいろいろ時間もかかったしね。……君も旅は長いように見えるけど、」
 ファウルにそう謂われて、エインセルは頷いた。
「そうだな。……お前たちほどではないが、4年は経っていると想う」
「やっぱりね。いろいろと慣れている感じだったから」
 そうか、とエインセルは短くファウルに返す。そこでまた話はぷつりと途切れた。
 様々な人の声が耳に届く。国内情勢を危惧するような話題もあれば、詳しい内容はわからないが侃々諤々とエスカレートする会話も聞こえてきた。死途の噂は俚耳に入りやすいらしく、この周辺に死途がいるのではないかと不安を口にする若い女性もいる。しかしその話題が聞こえても、ファウルはまったく平然としていた。
 時折、列車はガタンと大きく揺れる。ファウルたちのいる場所からは窓の外が見えないため、列車がどこを走っているのかはまったくわからない。空調管路された車内は快適な温度に保たれているため、乗客は車内で快適に時間を過ごすことができていた。
 ひときわ大きく列車が揺れる。その直後に、まもなくベレノスに到着するというアナウンスが鳴り響いた。併せて、列車は減速を始める。
 ファウルはフェリシンの身体を揺すり起こした。しばらくぼんやりとしていたものの、癖のある髪に左手の指を通しながらフェリシンはゆっくりと立ち上がる。おはよう、と無邪気に微笑むフォノデリーに対して、おはよう、といつもの調子で応じた。
 降車する乗客がドア付近に集まってくる。その先頭となってファウルたちは列車がホームに到着するのを待った。やがて大きな揺れが数回続き、その後にぴたりと列車が停止する。数秒の間があってから、短い警告音とともにドアが開いた。
 大勢の乗客に押されるようにして一行はホームへと降り立つ。そして人の流れに従って進み、タラニスで見かけたものと同じ制服を身に纏った駅員に半券を渡して外へ出た。