tense with a conspiracy




 翌朝、一行は宿のロビーで待ち合わせをした。
 ファウルとフェリシンがロビーに到着したときには、既に隅のベンチにはエインセルの姿がある。その手には今朝の新聞が握られていた。
 朝のロビーはこれから出発する人々でごった返している。宿自体が大きいため、宿泊客の数も多く、広いはずのロビーも狭く感じられるほどだった。
 エインセルに近寄って、ファウルが声をかける。
「やあ、おはよう。待たせたね」
「おはよう、有名人」
 シニカルにそう言いながらエインセルは二人に向かって読んでいた新聞を翳した。
 新聞の一面は昨日メネックで起こった事件で飾られている。ベルテーンで発行されている新聞であるためか、過激派のことについては触れられていない。争乱の発端は依然不明であるとの記述があった。そしてその記事の左下、決して小さくはないスペースに『死途<コーツ>出現』と書かれている。明らかに死途<コーツ>の手による殺戮だと想われる兵士の死体があった、とそこには記述されていた。更に、メネックでの一件との関連性があるかもしれないという文字さえ見られる。
「昨日の一件に俺たちが絡んでるなら苦労しねぇよ……まったく」
 さっと新聞の一面に目を通して、フェリシンは溜め息混じりに呟いた。そして死途<コーツ>についての記事を睨む。
「貪婪な好奇心は結構だけど無意味なことこの上ねぇな」
「……たしかに。無名の拐帯犯でも追っている方がマシだろうに」
 呆れた笑みを浮かべてエインセルも同意する。それから新聞を折り畳んで立ち上がると、それをラックへと戻した。
 ロビーにいる人の間を縫って三人は移動を始める。戦闘を歩くエインセルがちらりと後方を見遣った。
「そういえば、ウィルはどうした、」
「それが、疲れているんだろうけど、とにかく全然起きないから置いてきたんだ。宿<ここ>なら安全だろうし、書き置きもしておいたから大丈夫だと想う」
 歩みを止めないままファウルはそう答えた。そうか、と返事をしたきり、エインセルはそれ以上なにも訊ねようとはしない。そのまま三人は宿を出て、大通りへと移動した。
 大通りは夜に比べてずっと人が多かった。まだ朝早いというのに、様々な人の姿がある。学校へ行く子どもや店を開く準備をする商人、家の前を掃除する市民、そして黄金色の鎧を身に纏った警備兵の姿もある。
 朝から気温は上昇していた。まだ暑いというほどではないが、涼しさというものはまるでない。空には雲も殆どなく、これからじりじりと暑くなることを予感させる気候だった。
「……で、連れっていうのは、今どこに、」
 ファウルがエインセルの背中に声をかけると、彼女は足を止めて振り返る。
「街はずれの小さな宿にいるように言ってある。ここからならそう遠くはない」
 それだけ説明すると、エインセルは再び足を進めはじめた。ファウルとフェリシンはその後ろを歩く。大通りをしばらく進み、そこから建物の間にある細い道へと入っていった。そこを抜けると大通りで見られたような大きな建物ではなく、簡素な造りの小さな建物が並ぶ場所へと辿り着く。
 市街地の中心部に比べてそこはひっそりとしていた。市街地の喧騒も聞こえてこない。
 いくつか並ぶ木造の建物のうち、ひときわ濃い茶色をした建物の前でエインセルは足を止めた。宿であることを示す看板が控え目に掲げられている。これから出発する数人の旅行客とすれ違い、三人はエントランスへと足を踏み入れた。
 受付のカウンタにエインセルは歩み寄り、そこにいる主人と言葉をかわす。それから後ろを振り返って視線だけで二人についてくるよう促した。
 軋む階段を上がり、三階へと到着すると、廊下を歩いて二番目にある扉の前でエインセルは立ち止まる。そして左手で扉をノックした。
「……デリィ、私だ」
 その声に反応するように、扉の向こうからばたばたという音が聞こえる。慌ただしいその足音はあっという間に迫り、すぐに扉が開いた。
「エイン、おかえりなさいっ、」
 物凄い勢いで扉の向こうから飛び出してきた人影がエインセルに飛びかかる。エインセルはしっかりとその人物を受け止めた。
 飛び出してきたのはひとりの少女だった。白地に紅で模様が描かれた長いローブを身に纏い、頭には同じような柄のフードを被っている。黒い髪は前髪も含めてすべて後ろに流され、フードの下に隠れていた。背は低く、顔も幼い。どう見てもウィルよりも年下に見える。
 顔をあげて、ようやく少女は見慣れない人物がいることに気付いた。
「……エイン、この人たちは……、」
「いろいろあってな。話すと長くなる、取り敢えず部屋に入れてくれ」
「はぁい。……あ、30秒だけ待ってて、ぱぱっと片付けちゃうからっ、」
 嵐のように少女は部屋に舞い戻り、派手に物音をたてながら片付けを始める。
 小声でファウルが呟いた。
「なるほど……たしかに懐かれてるね」
 だろう、とエインセルは溜め息をつく。そうこうしている間に、少女が再びひょっこりと顔を出した。
「片付け完了っ、どぞどぞー」
 明るい声でそう言うと、少女は部屋へ三人を招き入れる。
 小さな宿だけあって、部屋の内装も質素なものだった。ベッドがふたつ並び、あとは隅に小さなテーブルと椅子、そして簡素な棚があるだけでしかない。少女とエインセルは同じベッドに腰かけ、ファウルは勧められるままに椅子に座った。その傍でフェリシンは壁に背を預けて立っている。
 まずはファウルとフェリシンが少女に向けて名を名乗った。二人の顔と名前を一致させて少女はしっかりと頷く。
「ウルくんと、フェルくんね。……あたしはフォノデリー。デリィって呼んでね、よろしくー」
 軽い調子でフォノデリーは言う。その隣でエインセルはひとつ間をおいてから声を発した。
「……デリィ、お前は気骨だろうからな、すべて話すつもりだが……あまり驚かずに聞いてくれ。……この二人は死途<コーツ>だ」
 きょとんとした瞳でフォノデリーはエインセルを見つめる。それから無言のままファウルとフェリシンに視線を移した。二人をそれぞれ凝視して、ようやく口を開く。
「狂気の死途<アンシーリー・コート>ってどっちの人、」
「…………え、……あぁ、俺だけど」
「……へぇ……なんか想像と違うなぁ。噂聞いてたらさ、もっと見た目も凶暴な人なのかなぁって想ってたけど。長身痩躯ってかんじだもんね」
「あんま背は高くねぇけどな」
 フォノデリーに釣られるわけではなく、あくまで自分のペースでフェリシンは言葉を返す。その様子を見ながらファウルは表情に驚きを浮かべた。
「……君は怖がらないのかい、僕たちが死途<コーツ>だって知っても……」
 その問いに、フォノデリーはファウルの方を見遣って首を傾げた。
「びっくりはしたけど、べつに怖くはないかな。エインの知り合いだし、べつに死途<コーツ>が悪者だとかアタシは想ってないから。……だって戦争中でしょ、死途<コーツ>じゃなくたって、そのへんの兵士だって人殺しやってんだもん。エインが銃持ってるのだって知ってるしさ」
 さらりとフォノデリーはそう答えた。
 別の驚きが沸き上がるファウルに対して、エインセルは言う。
「こういう奴なんだ。変わっているが、いい奴だろう」
 素直にファウルは頷いて同意を示した。
 見た目は幼いものの、フォノデリーの少し橙がかった瞳は、彼女の芯の強さを表すように輝いている。
「……それで、だ。この二人がお前と話がしたいらしい」
 エインセルが話を戻す。首を傾げるフォノデリーに、エインセルは昨日バーで聞いた話をほぼそのまま伝えた。ファウルやフェリシンが訂正する必要もないほど、エインセルは正確になにもかもを憶えている。
 話を聞き終えたフォノデリーは、少し考えをめぐらせながら視線を落とした。
「うーん……アタシはあんまりわかんないんだ、アルモリカのこと……。断片的な知識があるだけ。アタシがアルモリカに行きたいってエインに言ったのはさ、パパとママが死ぬ間際に言い残したからなんだよ。我々の故郷アルモリカに……って、」
「そう……だったのか、」
 声のトーンを落としてエインセルはフォノデリーを見つめる。視線を受けて、フォノデリーはすぐに先程までの明るさを取り戻した。
「だけどさ、ウルくんの言う通りならアルモリカが浮上したらこの戦争が終わるかもなんでしょ。戦争終わらせたいのはアタシも同じだし、アタシにわかることなら答えるよ」
 床についていない足をフォノデリーはぴょこぴょこと動かす。ローブの下から覗く小さな足は、薄手の足袋に包まれていた。
 ファウルはちらりとフェリシンを見遣る。その視線には薄い反応を示したものの、フェリシンは壁にもたれて腕を組んだままで、何か行動を起こそうとはしない。
 フォノデリーの方を向き直って、ファウルは口を開いた。
「……言いたくないなら話さなくていいんだけどさ……、君のご両親はアルモリカのことを詳しく知っていたのかな……、」
「うーん、わかんない。パパとママが死んじゃったのはアタシが6歳のときだから、アタシ物心ついてなくて、難しい話題とか理解できなかったし。誰かに追われてさ、アタシだけ逃がして……って記憶はあるんだけど、子どもすぎて状況なんか全然わかんなかった」
「…………そう、か……。ごめんね、厭なこと訊いて」
 できるだけやさしい声でファウルがそう言うと、フォノデリーはかぶりを振る。
「全然。……アタシね、逃げた先でインヴォルグの孤児院に拾ってもらってそこで生活してたんだ。そこにいるみんながそれぞれ辛い想いしてたし、アタシなんかよりもっと最悪な目に遭ってる子とかもいてさ。だから……あんまり自分ばっかり哀しいとか不幸だとか、想えないんだよね」
 落ち着いた口調でフォノデリーは言葉を紡ぐ。その言葉が途切れると、静かな空気が部屋中を充たした。
 かなり間があってから、ファウルが思い出したように訊ねる。
「インヴォルグの孤児院にいたのに、君は今どうしてベルテーンに……、インヴォルグ・ベルテーン間の国交は途絶えてて、両国間の往来は禁止になってると想うけど」
「どうやら、その孤児院が襲撃されたらしい」
 フォノデリーに代わってエインセルが答えを返す。
 襲撃、と鸚鵡返しにファウルが口の中で呟くと、エインセルは一度ゆっくりと首肯した。
「インヴォルグに潜入したベルテーンの人間によって……な。おそらくベルテーン国家は無関係の、民間人による犯行だろうが……。孤児院の子どもたちを捉えて、ベルテーンで奴隷として売り捌くつもりだったらしい」
「……で、ベルテーンに連れて来られたけどさ、売られるのなんかゴメンだから脱走してさ。追っかけられてたらエインが助けてくれたんだ」
 満面の笑みを浮かべて、フォノデリーは隣に坐っているエインセルの右腕をぎゅっと掴んだ。瞳を輝かせて、エインセルを見上げる。当惑したような表情をエインセルは浮かべ、それを見ていたファウルは相好を崩した。
 嬉しそうな表情をしたフォノデリーの口から言葉が洩れる。
「ハキュム オスォユ クナフト」
 聞き慣れないその言葉に、ファウルは目を瞬かせた。それからエインセルをまっすぐに見つめる。
「…………今のが君の言ってた……」
「そう、私には理解できない言葉、だ」
 答えながらエインセルはフォノデリーを引き剥がす。口を尖らせて、仕方なくフォノデリーはしがみつくのをやめ、また浮いている足を動かしはじめた。
「今のはね、すっごくすっごくありがとうありがとう、って感じの言葉……かなぁ。他にぴったりの表現がみつかんないんだよねー」
「……一体、それはどこの言葉なのかな、」
 少し躊躇いがちにファウルが訊ねる。ファウルだけではなくエインセルもフォノデリーに視線を注いだ。
 ゆっくりとフォノデリーはかぶりを振る。
「わかんない。パパとママはさっきみたいな言葉で喋ってたよ。さっきも言ったけど、アタシ物心つく前だったから、そのときにいた地名とか国とかはわかんない。でも孤児院に行ってからは誰もそんな言葉知らないみたいで全然通じなくて。……今の言葉を孤児院で教えてもらってみんなと喋れるようになったんだけど……、でもやっぱり咄嗟に昔の言葉遣っちゃったりとか、するんだ」
 そこまでフォノデリーが話し終わるのを待って、エインセルが冷静に言葉を挟む。
「……ではあの唄は……、」
「うん、アタシが小さいころ、ママが唄ってたんだ」
 やさしい瞳をしてフォノデリーが頷く。ふたりだけの間で完結しそうになった話に、ファウルが割って入った。
「唄……って、」
 そう問われてエインセルとフォノデリーはそちらを見遣る。
 先に口を開いたのはエインセルだった。
「こいつはある唄が好きらしくてな。暇になればよく唄っているのだが……私にはまったく歌詞が理解できなかった」
「残念だなぁ、いい唄なのに」
 横からフォノデリーが口を挟む。そしてふわりと目を閉じると、澄んだ歌声を響かせはじめた。
「マァルレット テムレアク スェド ティヴァエルク オイピックニルプニ」
 その旋律は神秘的であり、かつ哀愁を帯びている。ゆっくりとしたテンポがその印象を更に強めていた。フォノデリーの声は透き通るように淀みなく、しっかりと音程を捉えつつもごく自然に発されている。
「クゥスル トセ アットカフテ クゥスル タイフ スェド エゥクティズィド……」
 そこまで歌ったところで、声はぷつりと途切れた。メロディからすれば、あまりに不自然な途切れ方をしている。
 ファウルはフォノデリーの表情を覗き見た。
「……どうしたの、」
「続き、わかんないんだ。ここまでしか憶えてなくて。だからいっつもここまでなの」
 目を開けて、先程までの調子に戻ったフォノデリーが苦笑する。それでも好きなんだよね、と口の中で呟いて、今度は微笑んでみせる。
 そのとき、部屋の隅で壁に凭れて腕を組み、ずっと沈黙を貫いていたフェリシンが低く声を響かせて、デリィ、と呼んだ。フォノデリーだけではなくファウルとエインセルもそちらへ視線を移す。あまり気乗りしないような口調で、ゆっくりとフェリシンは言った。
「……その言葉、エインや俺たちの前では構わねぇが、不特定多数の人間がいる処では言わない方がいい」
「どうして、」
「言葉がお前の出身地を示すなら……その地に反感を持つ奴が、その言葉を聞いたがためにお前を襲ってくるかもしれねぇだろ。珍しい言葉だから尚更目立つだろうし……な」
「…………そっか、……うん、そだよね。ありがと」
 一度元気のない声を発しかけたものの、フォノデリーはすぐに明るさを取り戻した。フェリシンに承諾の笑顔を返し、再び先程のメロディを頭から、今度は小声で唄いはじめる。
 ゆるやかに流れるその旋律は、また同じところでぷつりと途切れた。