a narrow escape




 どのくらい物陰に潜んでいただろうか、突然に戦艦は一度大きく揺れると移動を始めた。最初のその震動は大きく、そのせいでいくつかの木箱の位置が若干ずれている。しかしすぐに戦艦は安定した揺れを取り戻した。
 倉庫のようなこの場所には窓など存在しない。ただひとつの扉があるだけだった。メネックでいくらか積荷が降ろされているためにスペィスには余裕があったが、荷物さえ積めればいいといったような簡素な造りになっている。
 なぁ、と揺れを感じながらウィルは切り出した。ずっと静まり返っていた空気が緩んでゆく。
「メネックで起きたこと、説明してほしいんだけど。何も知らないままじゃ、これからどうするかなんて決められないぜ、オレ」
「……我々と逢わなければ何も知らないままだったかもしれないが、ネメトンに行くという選択ができていたと想うがな」
 冷たくエインセルはそう返す。ウィルは不満そうに唇を尖らせた。
「しょうがねぇだろ。いろいろ聞いちまったのに知らなかったことにするなんて、俺にはできねぇんだから」
 まったく、とエインセルは溜め息をつく。それでもゆっくりと話しはじめた。
「あのときのエスリィルの言葉を信じるなら、事の発端はベルテーンの過激派がメネックに侵入したことだろう。メネックはインヴォルグ・ベルテーン両国の真ん中に位置する街であるがゆえに、両国間で不可侵条約が締結されていた。それをベルテーンが破り、そのことにインヴォルグが報復した……と考えられる、推測ではあるがな」
「その争いのために俺たちを徴兵しようとしたってことかよ、」
「……それに関しては本当に徴兵目的だったのかどうか疑問が残るな。なにしろインヴォルグ兵までもがフィラを徴兵しようとしていたというのが奇妙だ。第一、過激派がメネックに侵入した理由もわからない……。インヴォルグの報復は目に見えている上に、仮にメネックを占拠できたとしてもそれほどのメリットはない……ただリスクが大きいだけだ」
 一通りエインセルの話を聞いてから、ファウルは腕を組んだ。
「謎が多すぎるね。ただ、ベルテーン過激派が事の発端だとすれば、僕とフェルが目撃したのがウリシュクである可能性は非常に高くなる……、もしそうなら今回のことは酔狂じゃなく、何らかの明確な意図を持って行われたってことにもなる……」
「……たしかに……ウリシュクは三将官の中でも過激派だと言われているようだからな」
 低い声でエインセルが応じる。ファウルもエインセルも俯き加減で何かを考えるような仕草をしているものの、疑問は残されたままだった。
 がたんと戦艦が揺れる。急カーヴにさしかかっていることが揺れの感覚で把握できた。その揺れがおさまったときには、これまでの話題はもう途切れてしまっている。これ以上、議論の余地はなさそうだった。
 また静まり返った空気を、今度はエインセルが裂く。
「……先程からずっと俯いているようだが……具合でも悪いのか、」
 エインセルの言葉は、壁に背を預けたまま沈黙しているフェリシンに向けられたものだった。顔をあげて、フェリシンはかぶりを振る。
「あんまり乗り物は好きじゃねぇんだ。たまに酔うしさ、」
「なにが、たまに、だよ。メネックに到着したときに蒼白い顔をしていたのはどこの誰だ」
「あのときは民間人の荷馬車に乗ってたからな、キツかった……。ま、揺れの少ないこんな佳い戦艦だったら大丈夫だって」
「お前の大丈夫って言葉ほど信用できないものはないっていつも言ってるだろう……。とりあえず着くまで寝てろよ、また真っ青になられても困るから」
 次々とフェリシンの反論を潰し、ファウルはそう言い切った。わかったわかった、とおざなりに返事をしながらフェリシンはエインセルを見遣る。
「……そういうわけでさ。心配サンキュな」
 特別に笑みを浮かべるわけでもなく、しかし無愛想なわけでもなく、フェリシンはさらりとそう言うと再び目を閉じた。
 再び大きな揺れが訪れる。今度は先程とは逆のカーヴを走行しているようだった。その揺れが去ってしまうと、戦艦は安定を完全に取り戻す。そしてそのまましばらく走行を続けた。
 やがて戦艦は速度を落とす。そしてゆるやかに一旦動きを止めた。それから数秒後にまたエンジンがかかる音がする。再びゆっくりとほとんど揺れもないまま前へと動き、しばらくして停止した。
 木箱の影から勢いよく飛び出すと、ファウルは素早く扉のロックを外す。
「見つからないうちにここから出よう、」
 ギィ、と重い音がして扉が開く。ファウルに促されてエインセルとウィルは戦艦の外に出た。いつの間にか目を覚まして起き上がっていたフェリシンが殿となって全員が戦艦を後にする。
「……こっちだ、急いで、」
 戦艦からおりると、ファウルは光の見える方を目指して駆けだした。三人もそれを追う。
 戦艦が停泊しているところは天井がドーム状になった建物で、その出入り口から光が差し込んできていた。しかし既にゆっくりと出入り口のシャッターが下降しはじめている。四人は走って下りてくるシャッターをくぐり、外へと飛び出した。
 それから更にこの場を離れるため、ファウルは先頭になって残りのメンバーを誘導した。灯りの見える方へと駆けてゆくと、ちらほら人の姿が見えはじめる。更に近付くとそこは市街地で、陽が暮れて間もないこの時間にはまだ人の姿が多く見受けられた。
 木造のロッジのような建物が並び、その窓から屋内の灯りが漏れている。地面はこまかい砂であるもののしっかりと鋪装されており、建物もきちんとした並びで街全体が整っていた。陽が暮れていても暑さは和らいでおらず、大通りを歩く人々はみんな薄着のままでいる。街灯やチカチカ光る簡素な造りのネオンが目立って煌めいていた。
 周囲の看板や街の様子をフェリシンは一通り見回した。
「ラッキィだな、途中の補給施設あたりまで行くのかと想ってたが……タラニスまで直行してくれたみてぇだ」
「……ここがタラニスかぁ……メネックと全然違うんだな……」
 ぽかんと口を開けたまま、あらゆるものを物珍しそうにウィルは眺める。メネックにあったようながっしりとした城壁も、放置されて荒れ果てている道路も、ここにはない。
 様々な人の姿がそこにはあった。軽装で歩いている地元民や、大きなバックパックを担いだ旅人、これからどこかへ出かけるためにきらびやかに着飾った貴婦人たち、といったように人々にはあまり統一感がない。あきらかにこの地では不要であろうコートを手にしているファウルやフェリシンも、この街ではまったく目立たなかった。
 街の様子を見ながら大通りをゆっくりと歩き、市街地の中心部へと四人は向かう。足を進めながらふと思い出したようにファウルは口を開いた。
「そういえばエインはここで連れと落ち合うって言ってたね」
「ああ……しかし連れには陽が暮れてからは危険だから出歩くなと言ってある。今晩のところは宿をとって合流は明日にするつもりだ」
「……じゃあ取り敢えず宿に行こうか。どうせ僕たちもそうするつもりだし、ウィルもこれからどうするかまだ決まってないことだし……」
「そうだな。……今はまだこの街は落ち着いているようだが、ベルテーン軍過激派の影響がここまで及ぶ可能性もある……いつまでもうろついているのは危険だろう」
 意見が一致したところで、一行は宿に向かった。高々と看板が掲げられているため、何軒かの宿があるのがよくわかる。近くにある宿から順に空き部屋があるかを訊ねてまわり、三軒目に訪問した、街の中でも大きな部類に入る宿にようやく部屋をとることができた。
 部屋に入るなりウィルはベッドへと一直線に向かう。そしてあっという間に眠ってしまった。
「……疲れてたんだろうな……、無理もないか……」
 ひとりごとのようにファウルは呟いた。
 もはやウィルの全身からはあらゆる力が抜けてしまっている。その寝顔はあまりにも無防備だった。