a narrow escape




 都市部の中をふたりは駆け抜けた。幸い、建物が入り組んでいるため路地を抜けてゆけば兵士に見つかる可能性は低い。それでも何度か兵士に出くわし、戦いを挑まれるとわかれば瞬時に片付けて先を目指した。
 街には死傷者が溢れていた。金メッキの鎧の兵と銀色の鎧の兵が交戦し、双方に被害が出ている。メネックの住民も瑕ついて地面にしゃがみこんだり、すでに事切れていたりと、わずかな時間で大きな被害が出ているのが見てとれた。
 南へ向かって路地を駆け抜け、メネックの南門に近付く。その路地の途中でふたりは自然と足を止めた。周囲にいる兵士の気配が薄くなっている。高層のレンガ造りの建物の間に身を隠しながら、警戒を怠らずに一度立ち止まったふたりはゆっくりと再び足を進める。
「一体どうなっているんだ……、ベルテーン軍が難民にあんな要請をするなんて……」
 ライフルの調子を確認しながらウルはそう呟く。その隣ではフェルは弾丸を補填していた。
「難民っていうよりは、フィラ、かもな……」
「そうか……、メネック<ここ>では難民街はフィラの非差別地域、だったな……」
 ウルは苦々しい表情を浮かべた。フェルからはそれ以上何の反応も返ってこない。そのまましばらく足を進めたところで、突然フェルは立ち止まった。
 それにつられるように立ち止まったウルに対して、フェルが口を開きかける。
「……さっき難民街で怒鳴り散らしてた兵だけどな、……」
 フェルがそこまで言ったところで、ふたりはまた背後に気配を察知して振り返った。
 そこにいたのは兵士ではない。ひとりの女性と、ひとりの少年だった。
 女性の方が少年の一歩前に出ている。肩まで伸ばした黒と紅が混ざり合ったような髪に、長い前髪の下で輝いている暗く蒼い瞳がふたりの目を引いた。腰に巻かれた透き通ったホワイトのショールが両腕に絡まり、白いロングスカートから黒いブーツが覗いている。すらりとした身体つきで、女性にしては背が高い。その腰の両側には大きさの違う黒革のホルダー、そしてその左側のホルダーは空でそこに納められるべきものは彼女の左手に握られている。
 その後ろにいる少年はただ布を繋ぎ合わせただけのようなボロボロの服を身に纏っていた。焦茶色の無造作な髪は乱れ、靴もなく裸足のままでいる。さほど背は高くないが、17歳前後であろうことは見てとれた。
 女性と同じく、反射的にウルもフェルも女性と少年に銃口を向けている。しかしすぐにトリガーを引くことはなかった。
 数秒間、睨み合いが続く。その後に女性の方が先に言葉を発しかけた。
「……そこを退け、さもないと……」
「臥せろッ、」
 女性の言葉を遮ってウルが叫ぶ。それと同時に女性と少年に大きな影が覆い被さった。ふたりが振り返ると、視界に五人分の銀色の甲冑が飛び込んでくる。金属製の武器が同時に容赦なく振り下ろされた。
 臥せろという言葉に身体が反応して身を屈めながらも、咄嗟に女性は銃で応戦しようとする。少年は力無く身体を縮めて目を閉じた。
 銃声が響く。振り下ろされた武器はふたりに当たる寸前のところで粉々になり、兵士は五人とも背後に倒れこんだ。
 甲冑が崩れ落ちる音に反応して女性と少年は背後を振り返る。そしてそこにある光景を呑み込んでから、ようやくウルとフェルを見遣った。少年は言葉こそ出てこないものの安堵の表情を浮かべている。しかし女性はそうではなかった。
「この弾痕……、……貴様等、死途<コーツ>かッ、」
 そう言うが早いか、再び女性はウルとフェルに対して銃口を向けた。今度は片方だけでなく、両手に銃が握られている。長い前髪の下では瞳が鋭く輝いていた。
 その女性の後ろで少年は再び警戒の色と見せながら訊ねる。
「……コーツ……、って、」
 少年の問いに対して女性が口を開く前に、ウルは銃口を地面に向けた。その動きに女性は顔をしかめる。ウルはかぶりを振った。
「……たしかに君の言う通りだけど。無差別攻撃はしない主義なんだ」
「なんだと……、」
 女性は低く尖った声を発する。まだ銃を構えたままの女性を前にして、フェルも銃口を女性からそらせた。
 それを確認して、ウルは続ける。
「もし君が攻撃してくるというのなら話は別だけどね……。出くわした途端に発砲してこないところを見ると、殺戮屋じゃないみたいだし」
「……何が狙いだ」
「何も。ここを通りたければ通ればいい。僕たちが相手にするのは僕たちを敵と見なして攻撃してくる奴だけだから」
 きわめて冷静にウルは言葉を並べる。それはあまりにも自然な口調であり、まっすぐな視線は女性からまったくそれることがなかった。
 しばらく間があってから、女性はようやく銃を下ろす。片方だけをホルダーに戻し、もう片方はロックをかけて左手に握り直した。
「……驚いたな。死途<コーツ>は無差別殺戮を繰り返す残虐な殺人鬼だというのが専らの噂だったが……」
 その女性の後ろから少年が再び質問を投げかける。
「なあ、エイン、だからコーツって何なんだよ、」
 エインと呼ばれた女性はちらりと少年の方を振り返り、それから少年に向かって言葉を発しながらウルを見遣った。
「知らないのか。まぁ難民街には新聞もないだろうから無理もないか……。残虐非道な二人組につけられた畏名……重火器のように爆発的な銃弾で一撃にして相手を即死させる、解放の死途<シーリー・コート>と……、」
 そこまで言ってからエインの視線はフェルへと移る。
「ひとりに対して何発もの弾丸を乱射し、蜂の巣状態にして痛楚の果てに死を与える、狂気の死途<アンシーリー・コート>……、このふたりを合わせて死途<コーツ>と人々は呼んでいる」
「……すっかり有名人だな……、でもそれは勝手につけられたイメィジでしかない。下手人であることは認めるけど、僕たちがやっているのは護身だよ」
 すっぱりとウルはそう言い切る。もはやライフルを構えようとすらしていない。
 それでもエインの鋭い瞳はまだ緩んではいなかった。
「護身……、だと。それでは我々を助けたことの説明がつかないが」
「……そのガキ、フィラだろ。この状況下でフィラが狙われりゃ、どんな仕打ちが待ってるかわかったもんじゃねぇからな」
 今度はフェルがそう答える。その口振りはウル以上にきっぱりとしたものだった。
 その言葉に少年は一瞬身を強張らせる。しかしフェルが危害を加えようとはせず、それどころか今言ったことを忘れたかのようにくるりと背を向け、ゆっくりと足を進めはじめたのを見て緊張を緩めた。
「……やっぱ、わかるよな。難民街の人間しかこんなナリしてねぇし……」
 少し沈んだ声で少年はそう言う。その隣でエインは歩きはじめたフェルに向かって声をかけた。
「待ってくれ、狂気の死途<アンシーリー・コート>……、貴様はフィラを助ける気があるのか、」
 呼びとめられてフェルは立ち止まる。あまり変化のないままのフェルの表情をちらりと見遣ってから、かわりにウルが口を開いた。
「……その少年を助けてほしい……とか、かな」
 首肯もせず、かぶりも振らず、エインはまっすぐにウルを見つめた。
「そこまで都合の佳いことは言わない。だが、見たところ貴様等は南門へ向かうのだろう。……私はメネックからベルテーン側へ脱出する途中で偶然この少年を助けたに過ぎないが、せめて生きのびさせてやりたい。だから南門まで行くのなら、我々も同行させてくれ」
 その瞳は真剣そのものだった。懇願するような瞳で少年もウルとフェルを交互に見つめている。
 ふっと少し柔らかい表情になって、ウルはエインに声をかけた。
「……同行するのは構わない、ただし、その呼び名をなんとかしてくれればね。……僕はファウル、そしてこっちが……」
「……フェリシン……、いや、フェルでいい、こいつもそう呼ぶから」
 本名を名乗ったファウルを横目で見ながらフェルことフェリシンはそう言う。ふたりの顔と名前を一致させるように二回しっかりと頷いてから、エインも名を名乗った。
「私はエインセル……、エインで構わない。……それから……、彼はウィルというらしい」
 ウィルと紹介された少年はこくりと頷く。互いの名前を確認し合って、一行は警戒を緩めずに南の方へ足を進めはじめた。
 しばらく路地が続き、その先に開けた場所がある。その手前まで足を進めて、先頭を歩いていたファウルはぴたりと足を止めた。フェリシンもそれに倣い、ふたりは路地の先の様子を確認する。
 開けた場所には黄金色の鎧を纏った兵士が何人か集まっていた。
「ベルテーン兵か……、強行突破してもいいが……できるだけ騒ぎは起こしたくないからな……」
 口の中でファウルが呟くと、その後ろから様子を窺ったウィルが苛立った声を発した。
「あれがベルテーンの……。ふざけんなよ、徴兵なんかしやがって、」
「徴兵をしようとしたのはインヴォルグも同じだ。こんなときに余計な感情を持つな」
 ぴしゃりとエインセルはウィルを諌める。厳しい言葉を受けて不満そうに口を尖らせながらも、ウィルはそれ以上何も言わなかった。
 耳をすませば兵士たちの声がわずかに聞こえてくる。その様子はとても慌ただしいように見えた。訓練されているはずの兵士の統率がとれておらず、その場はざわついている。
 しかしその様子はすぐ後に一転した。南門の方から、ひとりの兵が近付いてくる。周囲にいる兵とは違い、その兵はとても背が低い。そしてその人物が集まっている兵士の真ん中に来た途端、兵士のざわつきが一瞬にして静まった。
 背が低いため他の兵士にまぎれてしまっているが、一行のいるところからでも集まる兵士の隙間から、その中心にいる兵の様子を伺うことができる。その兵は周囲を見回してから兜を外した。
 その兵は女性だった。鎧を着ていても華奢なように見えたが、兜を外すと更に背が低く見える。前髪と肩くらいまでの長さの髪をすべて後ろでひとつにまとめ、するどい目つきをしていた。威厳を漂わせているものの、その背丈は150cmほどしかなさそうである。
 その女性兵士を観てエインセルは低い声で呟いた。
「エスリィルか、……運が悪いな」
 彼女の視線を辿ってウィルも小柄な女性兵士を見つめる。
「あの背の低い女の人か、」
「ベルテーン軍の誇る三将官のうちのひとりだ。あとの二人……ウリシュクとパドルの姿は見えないようだが……。しかし有名なだけあってその能力は並大抵のものではない。三人揃っていないとはいえ、厄介だな……」
 エインセルの呟きを聞きながら、フェリシンは少し身を引いて先の様子を窺うのを中断した。路地の影に完全に身体を隠して、腕を組む。
 それに気付いてファウルはフェリシンの方を見遣った。
「……どうした、」
「……さっき言いかけてたことだけどな、」
「難民街にいた兵のことか、」
「そう、拡声器持ってた奴。……あれさ、ウリシュクじゃねぇか、」
 驚いたようにファウルはフェリシンをまじまじと見つめた。それから視線をそらせて、先程のことを思い出す。
「ウリシュクといえば三将官の最年長で、鋼のような肉体を誇る……って噂だろう。たしかに……あの身体つきの良さはそうあるものじゃなかったな……」
「だろ。まぁ……三将官が来てるかも知れねぇって可能性を考えに入れとくつもりだったんだが……エスリィルがいるんじゃ可能性じゃなく事実だな」
 溜め息まじりにフェリシンはそう言うと、再び先の様子を覗き見た。
 エスリィルのはっきりとした声が路地の影まで届く。
「メネックでの戦闘行為を中止するよう、全軍に伝えろ。これはグーラゲズ陛下からの命令だ、」
 その言葉に四人は顔を見合わせた。その後にもエスリィルは何かを命令しているように見えたが、兵士が動き出したことによって金属音が響き、声がかき消されてしまってよく聞こえない。
 じっとまだ様子を伺っているエインセルにウィルは小声で訊ねる。
「グーラゲズ陛下って、」
「……グーラゲズ・ドルイド・ベルテーン。国王だ、ベルテーンのな」
「わけわかんねぇな……メネックに攻めてきたくせに戦闘するな、なんて」
「何かあるのかもしれん。何しろ、先程から見ているかぎりでは、ベルテーンの統率がとれていないようだからな……」
 冷静にエインセルは状況を判断する。そうらしいね、とファウルも小声で同意を示した。
 丁度そのとき、四人の背後から金属音が聞こえてきた。甲冑が揺れるその独特の音は躊躇うことなくこちらへ迫ってきている。
 物陰の向こうにはまだエスリィルを中心として大勢のベルテーン兵がいた。戦闘行為をやめるようにとの命令がその場にいる全員に受け入れられているのかどうかファウルたちには判断のしようがないまま、すぐそこにまで金属音が迫る。
 小さく舌打ちすると、ファウルは低く声を発した。
「合図したらまっすぐ前に走るんだ、」
「前……って、」
 ウィルは目を丸くする。エインセルは曖昧なまま頷いた。
 ファウルはフェリシンと目を合わせ、それからエインセルとウィルの軽く背中を叩く。その合図と同時にエインセルもウィルも地面を蹴った。それとほぼ同時にファウルとフェリシンも同じ方向に向かって飛び出す。
 突然現れた四人の人物に当然ながらベルテーン兵は反応した。反射的に兵士が武器を構えようとしたその途端、今度は四人の後ろから迫る、銀色の甲冑を身に纏う兵士が現れる。インヴォルグ兵だ、という叫びが巻き起こった。
 刹那、数発の爆音が連続的に鳴り響く。その直後、四人の周囲に閃光と煙が炸裂した。背後で起こる混乱を振り切るように四人はただ全速力でその場を駆け抜ける。
 その喧騒を聞きつけて次々と兵士が集まってくる音が聞こえた。しかし煙は未だおさまらず、一行の姿は捉えられていない。それでも両軍の兵は四方八方から集まってくる。やがて二人の前にも、混乱が起きている場所へ向かおうとする銀色の鎧を身に纏う兵が数人現れた。
 武器を構える兵の前に先を走っていたファウルとフェリシンは足を止める。曲者が、と兵士のひとりが叫んだ。その途端に数人の兵の武器が一気に二人に迫る。ファウルは冷静に動きを読んで、フェリシンは俊敏な動きで、その攻撃をひらりと躱した。
 そのすぐ後ろにいたエインセルが左右両方のホルダーから銃を抜く。そして標的に銃口を向けて引き金を引いた。銃声が轟き、その直後にひとりの兵がどさりと音をたててその場に倒れる。鋭く蒼い瞳は確実にターゲットを射抜き、流れるような動きで迫りくる武器を躱す。そのすぐ後にはファウルとフェリシンがライフルのトリガーを引き、銃声が何発か響いたときには、先程まで目の前にいた兵士全員が地面に倒れていた。
 それを後ろで見ていたウィルはしばらく呆然としている。銃をホルダーに戻したエインセルはウィルの右手を咄嗟に掴んだ。ぼうっとしているウィルの背中を軽く叩くと、半ば無理矢理その手を引いて再び前に向かって駆けだす。
 混乱の声が煙の向こうから聞こえるものの、しばらくは金属音が迫ることもなく、まっすぐ走り続ける四人の視界が大きな門を捉えた。鉄の門は近付けば威圧感を感じるほどに大きく、重々しい。あれが南門だ、とエインセルがウィルを励ますように言った。
 やっと出られる、とウィルの表情が緩む。そのとき、目の前にひとりの人影が現れた。
 そこにいる人物は路地の影から観ていた人物、エスリィルだった。鎧を身に纏っているが、兜は外されたままでいる。
 相手を厳しい瞳で見つめながら、ファウルとフェリシンはコートでライフルを隠し、エインセルは両腕に巻いたショールで銃のホルダーを覆った。
 ウィルはただエスリィルを睨みつけている。エスリィルは背の低い女性であるものの、相手を射るような厳格な瞳と剛の者の雰囲気を併せ持っていた。
「……メネックの方ですか、」
 先に口を開いたのはエスリィルの方だった。ウィルは反射的に頷き、他の三人は曖昧な態度を示す。
 ファウルたちに慇懃な視線を順番に送り、エスリィルは続けた。
「私はベルテーン国の将官、エスリィルと申す者です。……我が軍の狼藉をお赦しください」
「……インヴォルグ軍と同じくベルテーン軍はメネックに徴兵に来たのではないのですか、」
 牽制するように、今までとは違う口調でエインセルが訊ねる。エスリィルはかぶりを振った。
「インヴォルグのことは存じませんが、我が軍の戦闘行為は一部の過激派の手によるものです。国王命令ではありません。今からメネックでの我が軍の一切の戦闘行為を中止させます」
「敵軍がいるのに、そんなことができるんですか、」
「……仰る通り、おそらく簡単にはいかないでしょう。ですからあなた方はメネックから脱出してください。残っているメネックの住民は必ず避難させます」
 エスリィルの言葉は切実に紡がれている。黙ったまま四人は顔を見合わせ、ウィルは小さく頷いた。そして一行は南門の方へと足を進める。
 その背中に、エスリィルの声が届く。
「あなた方の居場所を奪ってしまって、本当に申し訳ありません。困ったことがあれば首都ベレノスの避難施設へ……私の名を出せば入れてくれるはずですから」
 そう言うとエスリィルは門に背を向け、街の方へと向かって行った。