君を呼ぶ声




 肩で息をしながらセラフィックは左手の袖口に手を添えた。硬く小さな武器がエネルギィを蓄積している。
 クリスタラインの暴走は一向におさまる気配がない。すでに不死者は周囲に広がり、クリスタラインからだけではなく、あらゆる方向から不死者が迫ってきている。不死者を殲滅するというよりも自分の身を護るために三人は戦い続けていた。
 随分と永く続いているクリスタラインの暴走に対処するため、すべての地方から警察がやってきている。普段一緒に仕事をすることがない別の地方の警察との連携がなかなかとれないためか、混乱に充ちた大きな声があちこちから聞こえた。しかしそれでも戦力としてはある程度成り立っている。それぞれの地方都市が誇る技術を駆使して、警察は不死者を大量に抹消してゆく。それでも出現する不死者は減る気配がなかった。何時間か前までこの周囲にいた報道陣の姿はもうすっかりなくなっている。
 不死者がどこまで広がっているのか、クリスタライン周辺にいる人間にはまったくわからなかった。この近辺に留まっているのか、ウェスレー中に広がっているのか、あるいは他の地方まで及んでいるのか、見当もつかない。ただ目の前に不死者がはびこり、それを薙ぎ倒しているにすぎなかった。長時間の戦闘に寄り、セラフィックたち三人も警察もすっかり疲弊している。それでも攻撃をやめないわけにはいかなかった。
 夜が深くなってゆく。闇はそこら中に充ちていた。
「警察がいつまで保つか……、この防衛ラインが崩れれば、不死者はヴォイエント中に氾濫するだろう、」
 オーヴィッドが額の汗を手の甲で拭った。数えきれないほどの不死者を倒し続けた義手がきしんでいる。
 背中合わせになって三人は迫り来る不死者を倒し続けた。三人と同じように、自警団のような警察ではない一般人の姿もちらほらと見受けられる。既に倒れて血を流し、動かなくなった警察や一般人の姿もあった。しかし誰もその人々に情けをかけている余裕などなかった。他のことに気を取られていては、あっという間に不死者の爪によって身体が引き裂かれてしまう。
 自分の身を護ることで精一杯なほど、不死者はクリスタラインから溢れている。頭上に充ちた闇までもが、ここにいるすべての人間を呑み込もうと押し寄せてきているようだった。
「この勢いで不死者が出現し続けたら……」
 カシアは荒い呼吸を繰り返しながら掠れた声を吐き出した。
 すっかりカラカラになってしまった喉を乾いた空気に刺激され、セラフィックは思わず咳き込む。それでもなんとか目の前の不死者をレーザーで貫いた。
「多分、もうクリスタラインは秩序を失ってる……。この暴走がいつおさまるか……、いや、おさまったとしても再暴走の可能性は消えやしない……」
 袖口に手を当てて、再度セラフィックはレーザーを発射する。そして次に迫っていた不死者を一撃で倒した。
 周囲は倒されてゆっくりと消えてゆく不死者と、迫ってくる不死者で埋め尽くされている。近くで戦っているはずの警察の姿もはっきりとは見えなくなっていた。
 ふと、身の丈が人間の三倍ほどある巨大な不死者が三人の目の前に出現する。人の形をしたその不死者が太く大きな腕を振り下ろし、三人は隊列を崩して咄嗟に跳躍し、それを躱した。しかしその巨大な不死者の背後から、今度は身の軽い四足動物の形をした不死者が何体も三人を襲撃する。不意のことに対応できず、カシアは身を硬くして悲鳴をあげた。セラフィックとオーヴィッドも臨戦態勢のまま息を呑む。
 そのとき、目の前に閃光が炸裂した。地響きが起こる。砂煙があがり、視界を遮った。
 ゆるりと砂煙が晴れてゆく。そのときにはもう、三人の周囲にいた不死者はすっかり消え失せていた。その代わりにクレーターのような穴が足元に派手にあいている。
「お前なぁ、加減しろってヴェイルが言ったの聞いてなかったのかよっ、」
 呆れと高揚感が入り交じったようなユーフォリアの声が響く。その半分ほどの大きさの冷たい声がゆっくりとセラフィックたちに迫ってきた。
「三人には当たらないようにちゃんと考えたから」
 相変わらず抑揚のない口調のシアンの声がした方をセラフィックたち三人は振り返る。不死者が消え去ったそこには、シアンたち全員の姿があった。視線が絡まっても、すぐに声は出てこない。それぞれが言葉を捜していた。
 セラフィックたちの向こうでクリスタラインが渦巻いている。一時的に不死者を排除したとはいえ、消え去らない圧迫感と奇妙なうねりは、すぐにまた不死者を生むことを予告しているかのようだった。
 黙ったままシアンはクリスタラインを瞳に映す。肌を刺すような圧迫感を受けても、以前のような気分の悪さはなかった。
 セラフィックが目の前にいるヴェイルに数歩近寄る。そして視線を外したままそっと声を発した。
「……その様子だと、アクセライは……」
「…………ごめん、」
 ヴェイルはそっとかぶりを振る。
 数秒の沈黙の後、セラフィックは明るい声を発してみせた。
「君が謝ることじゃない、……覚悟はしてたし……。それに、彼のやってきたこともよくわかってる、」
 小さな声で、セラ、とカシアが呟く。オーヴィッドも険しい表情を浮かべていた。
 表情に陰がおちてしまったヴェイルの肩に、セラフィックはそっと手を置いた。それに反応してヴェイルがそちらを見遣ると、そこにはセラフィックの笑顔がある。無理矢理につくった表情ではなく、何かから解放されたような、そんな穏やかさがそこにはあった。
 似た背格好の二人の視線が絡まる。ゆっくりとセラフィックは口を開いた。
「……ありがとう」
 返すべき言葉をヴェイルは探しだすことができなかった。それでも、なんとか表情に明るさを取り戻してみせる。セラフィックよりも落ち込んだ表情を浮かべているわけにはいかなかった。
 言葉なくシアンはクリスタラインにゆっくりと足を進める。クリスタラインからはまた不死者が溢れてきていた。シアンの後ろからシャールが術を放ち、生まれたばかりの不死者を一掃する。漆黒の波動に呑まれた不死者は跡形もなく消え去った。
 少し離れたところからクリスタラインを眺め、ライエは口元に手を当てる。
「ここを封印……するんですよね。具体的にはどうするんでしょう……」
 それを受けてシアンは答えを求めるようにシャールを見上げた。睨むようにクリスタラインを見つめながらシャールは腕を組む。
「……この中に入って直接浄化するのが一番確実だろうな。クリスタラインがどれほどの規模なのかもわからねぇ、その上この中にあるキーストーンも無力化しねぇとならねぇとなると……」
「徹底的に禁忌を行き渡らせないと駄目ってことか……。でも中に入って禁忌を放つことなんてできるの、中がどうなってるか私にはわからないけど……」
「心配しなくていい。……俺はクリスタラインに精神体として存在していたときに創造主によってこの身体を創られ、しばらくそのままクリスタライン内部に留まっていた、」
「……つまり、不死者や精神体じゃなくてもクリスタラインの中に存在できるってこと……、」
 シアンがそう呟くと、そういうことだ、とシャールは低く頷き返した。
 並んでクリスタラインを見つめるその二人の後ろから、ヴェイルたちもおどろおどろしく渦巻く不死者の根源に視線を集中する。
 ゆっくりとシアンは足を進めはじめた。足音は土に呑まれる。目を閉じて耳を澄ませば、不死者の叫び声が聞こえてきそうな気がした。再び大量の不死者が生まれてくる。それらが形を形成しおわる前に、シアンは足を止めて術を放ち、不死者を跡形なく消し去った。
 振り返ることなく、声だけでシアンはシャールに問いかける。
「私たちみたいな特殊な人間じゃなくてもクリスタラインに入って大丈夫、」
 そのひとことに、黙ってシアンの様子を見ていたハディスとユーフォリアの顔がぱっと明るくなった。アルスの表情も心なしか緩んでいる。
 弾かれたように走り寄って、ユーフォリアはシアンの背中を軽く叩いた。くるりとシアンの前に回り込んで笑顔を覗かせる。
「今更ひとりで行くなんて言われたらどうしようかと想ったけど……、やっぱお前いい奴だな、」
「ひとりで行くって言ってもついてきそうだから」
 さらりとシアンにそう言われて、なんだよそれ、とユーフォリアは唇を尖らせた。ユーフォリアを宥めるように、その蒼い髪の上にハディスは大きな手のひらをのせる。
「こら、今から無駄に体力消耗すんじゃねぇよ」
 宥め役をハディスに任せて、シアンはシャールを見上げた。無垢な瞳に見つめられて、シャールはふっと息を吐き出す。そしてシアンの言う特殊な人間ではないメンバァをゆっくりと見回した。
 しょうがねぇな、と呟いてシャールは腕を組む。
「俺がいたときの状況からして、クリスタライン内部に不死者が氾濫してるとは考えにくい。いたとしても俺の術で一掃できる程度だろう……内部からはそれほど圧迫感を感じねぇからな。……特殊な環境下だ、長時間は無理だろうが……少しくらいなら問題ねぇだろう。ただし何があっても保証しねぇがな」
「保証がないと行かないような中途半端な覚悟で、ここまで来てはいない」
 低い声でアルスがゆっくりと言葉を紡ぐ。その隣で戦闘能力を持たないライエも小さく頷いた。
 再び精神集中を開始しながらシャールは言葉だけを周囲に向ける。
「次に不死者が生み出された瞬間に俺がそいつらを殲滅する。それと同時にクリスタラインに飛び込め、……遅れた奴は放って行くからな」
 その説明を聞きながら、ヴェイルはセラフィックを見遣った。言葉は互いに出てこない。視線がすべてを物語るように、ずしりと重みを帯びていた。
 二人の様子を見ていたカシアとオーヴィッドは顔を見合わせ、それからセラフィックに歩み寄る。そっと手を伸ばして、カシアはセラフィックの背中をぽんと軽く叩いた。目を丸くしてセラフィックがカシアを振り返る。にっこりとカシアは微笑んだ。
「ここは私とオーヴィッドさんに任せて……、あなたも行けばいいわ」
「……カシア……、」
 掠れた声でセラフィックが呟くと、カシアの後ろでオーヴィッドが頷いた。
「行きたいのだろう、……すべてを見届けるために」
 二人の言葉も態度も真っ直ぐなものだった。セラフィックに安堵感を与えるようでいながら、そこには自分の意志を犠牲にしたような無理のある感じはない。
 ゆるやかにセラフィックの表情が明るくなる。
「……ありがとう、…………行ってくるよ」
 決意めいた言葉に、カシアもオーヴィッドもしっかりと頷いた。
 不死者が再びクリスタラインから生み出される。まだ周囲では生み出された不死者と警察との戦いが続いていた。
 シャールが精神集中を完了する。鋭い精神力が周囲に充ちた。クリスタラインからぼんやりと不死者が形成されはじめる。すかさずシャールはそちらに向かって手を翳した。
「片鱗数多集いてその陰の力を放て……ッ!」
 漆黒の刃が飛翔する。その刃が不死者を切り裂いた瞬間、一行は地面を蹴っていた。そして迷うことなくクリスタラインの中へと身を投げる。
 圧迫感の渦巻く未知の空間へ、シアンたちの身体はあっという間に呑み込まれた。