脆く解ける理




 セントリスト第6ステーションでスフレから来たハディスとシアンたちは合流した。ハディスがチャーターしてきたという、スフレ庁舎のロゴが目立ちすぎるほどにペイントされた小型シップの乗り込むと、すぐにイーゼル南ステーションに向かう。亜空間の中の移動は一瞬で、すぐにシップは目的地に到着した。
 イーゼル最南端のそのステーションはあまり大きくない。シップを停めておく場所も限られている。しかしスフレに一番近いステーションであるため、スフレ庁舎のシップがあっても目立つことはなさそうだった。
 まずハディスがシップから降りる。そして周囲の様子を探った。
「まぁ、こんな状況下だから夜にシップ使う人間なんて殆どいねぇだろうけど……。……よっし、誰もいないみてぇだし……、出てきても大丈夫だぜ」
 その声を聞いてシアンたちもシップから降りた。停めておくのに都合の佳いスフレ庁舎のシップではあるが、明らかにどう観てもスフレ庁舎の人間ではないシアンたちがそのシップから出てくるのは他の人間に見られると不都合だった。
 陽はもうすっかり暮れている。ステーション内部には電気がついており、ステーションの窓から外を見れば街灯の光があるのがわかった。しかしその街灯はぽつりぽつりとあるだけで、周囲を照らしきれてはいない。
 スフレ庁舎から直接ここまで来たハディスは背広姿だった。その上着を勢いよく脱ぐと、シップの中に放り込む。それからシップのドアにパスコードを利用して外部からロックをかける。背広を脱いでもまだ動きにくいのか、ハディスは更にカッターシャツのボタンを上から三個ほど外した。
「キーストーンの件はビンゴだったのか、」
 思いきり着崩しはじめているハディスの横でアルスは頷く。アルスもI.R.O.に行っていたため制服姿のままだったが、着崩す気配はない。このまま現場に行くことが常のことであるということと、そのために生地が工夫されていて動きやすいということで、制服姿で行動することに慣れていた。
「ああ、間違いなくクリスタラインにあるだろうな」
 シアンはゆっくり歩いて窓際に歩み寄る。そして硝子越しに外を見つめた。
 人の姿は殆どない。風景の変化も、ときどき風が吹いて木々を揺らすくらいだった。車の往来すら見られない。あまりに静かなその様子は、昨日から続けて起こった事件によってヴォイエント全体が不安に包まれていることを象徴しているようだった。
 外の様子をあるがままにシアンは瞳に映す。変化を待つわけでも、様子を探るわけでもなかった。
「今更だけど……、クリスタラインのことが隠されてきたのはそういうことだったのかもしれないね」
「そういうことってどういうことだよ」
 ユーフォリアは怪訝な顔でシアンの後ろ姿に目をやった。シアンは窓の外を見たままでいる。
 一度強い風が吹き、何事もなかったかのようにすぐおさまった。
「選定者、か……」
 溜め息とともにシャールが声を洩らす。シアンは背中にその声を受けて頷いた。ヴェイルたちが何も納得できていないという様子を背後に感じたためか、シアンは振り返りはしないものの言葉を補足した。
「継承の儀式の失敗を選定者は望んでいた……つまりヴォイエントが救われないように願っていた。キーストーンがひとつでも欠けていればクリスタラインを封印することはできないし、不死者がヴォイエントで生まれ続ける」
「クリスタラインそのものを隠すのではなく、そこにあるキーストーンの存在を隠すために、クリスタラインの情報を伏せていた……、ということか……」
 低く唸るようにアルスは言う。そしてその見解が合っているかを確認するためにシャールを見遣った。シャールは特に何も反応を見せなかったが、否定をする様子もない。
 やっとシアンは硝子越しの風景から視線を外した。そして今度はマイペィスに、ステーション出口に向かって歩きはじめる。
「クライテリアの人間ならヴォイエントの様子がわかってるし、ヴォイエントに来て研究者に圧力をかけることも難しくないと想う。……クライテリアが崩壊した今となっては選定者の行方もわからないし、推測でしかないけど……ね」
 靴音が静かなステーションに響く。規則正しいその音に促されるように、ヴェイルたちも出口に向かって足を進めはじめた。










 ステーションの外へ出てからは、いつものようにライエのナビゲートに従って一行は進んだ。ライエの手の中にある、もうすっかり見慣れた小型の機械の画面には光が溢れている。表示されている詳細な地図が、暗い中でもよく見えた。
 ライエがナビゲートをしている隣で、アルスとハディスは周囲を警戒していた。ぱっと見たところ人の姿はないものの、陽が暮れてから市街地とは逆方向にある廃工場に大勢で向かって目立たないはずがない。いつ人の姿が現れるかわからない、と二人は神経を研ぎ澄ましていた。
 歩いている間に会話は殆どない。そのまま一行は市街地からどんどん離れてゆく。人の息吹が感じられるような建物はもはや見受けられなかった。使われていない建物や空き地が続いている。
 もはや人が通ることなど稀であろうと想われるような煤けた暗いトンネルを抜けると、鋪装されていない道路の両脇にフェンスが広がっていた。そのフェンスはすっかり錆びきっている。こんな処でもかろうじて街灯だけはちらほらと設置されており、弱い光が気休めのように灯っていた。
「……なぁ、なんで選定者は継承の儀式を失敗させようとしたんだろうな」
 できるだけ声を抑えて突然ユーフォリアは声を発する。ここへ来るまでの間に歩きながらずっと考えていたのか、あまりに唐突な問いだった。知るか、と吐き捨てるようにシャールは言う。考えようともしないその態度と冷たい言葉に、ユーフォリアは口を尖らせた。
 その会話を聞いているのかいないのかわからないほど、シアンはただ今までと同じように足を進めている。そして少し時間をおいてから、誰に言うともなくぽつりと呟いた。
「今の世界が創造主に創られた世界だから……、かもしれない」
 その声は小さかったが、一同も周囲も静かであるためにはっきりと全員の耳に届いた。言葉が紡がれ終えてしまうと、砂利を踏む足音だけが絶え間なく続いている。
 誰もすぐにはシアンの言葉に反応することができなかった。けれどシアンは何も言わずに歩き続けている。しばらく移動してから、やっとヴェイルが声を発した。
「……創られたものだと知っているから、一度壊してまた創り直されることを求めた……、」
「まさか……、そんなことをしたらたくさんの犠牲が出るのに、どうして……」
 ナビゲート用の小型機械から目を離してライエはヴェイルを見遣った。
 シアンは相変わらず何も言う気配がない。訂正しないところを観て、大幅に間違ってはいないだろうとヴェイルは推測した。
「選定者は選定者なりにこの世界を救おうとしたのかもしれない。ただし、創造主の力を継承した人間がヴォイエントへ行くというやり方ではなく、ヴォイエントを一旦破壊して再び創造主が世界を創造するというやり方で……」
 足音がバラバラに響いている。誰も足を止めることはない。しかしただ目的地に向かって歩いているわけではなく、それぞれの頭の中で考えが巡らされていた。
 シャールは深く息を吐き出した。なるほどな、と低く唸るように言う。シアンの方を観ても、シアンは涼しい顔をして足を進めているだけだった。それでもシアンからシャールは視線を外さないままで口を開く。
「たしかに継承の儀式が成功したとしても、世界が救われる可能性は高いわけじゃねぇと言われてたからな。……選定者がそう考えたとしても不思議じゃねぇ」
「……それもやっぱり推測でしかないことだけど、ね」
 視線だけでちらりとシャールを見上げて、またすぐにシアンは前を向いた。
 会話が途切れ、また誰も声を発さなくなる。互いに何を考えているかわからない、けれどたしかに何かを考えている、そんな状況のまま移動距離だけが増していた。
 ときどきナビゲートを行うライエの声だけが響く。小型機械も画面はしっかりと表示されているが、ほとんど音をたてなかった。










 誰にも見つかることなく、一行はある建物の前に到着した。
 ここです、とライエの声がして全員の足がぴたりと止まる。手入れがされていない雑木林の中にあるその建物は、どんよりとした不気味さに包まれていた。ぱっと観ただけでも随分と大きな建物ではあるが、暗いために全体がどれほどのものなのかはよく見えない。二階だと想われる処に位置するガラス窓から薄暗い光が漏れているのがわかる。近寄って観てみれば、その壁はボロボロで鉄は錆びきっていた。もうかなりの間にわたって放置されていたのだろうということは誰にでも推測がつく。
 入り口のシャッタァが半分開いており、それは闇があんぐりと口を開いて街構えているようだった。おどろおどろしい雰囲気が充ちている。風が吹けば周囲の木々と窓ガラス、そして屋根のトタンが同時に派手な音をたてた。
「……ついに来ちまったって感じだな」
 建物をまじまじと見つめてユーフォリアは呟いた。シャッタァの奥は何も見えず、ただ真っ暗な闇がそこにある。
 ハディスが指の関節を鳴らした。
「勢いで来ちまって佳かったぜ。もし考え直しなんてしてたらビビっちまってたかもしれねぇ」
 そう言うハディスをユーフォリアは肘でつついた。ハディスが反応を示すと、いたずらっぽく瞳を巡らせてみせる。
「もうビビってんじゃねぇの、オッサン」
「莫ッ迦、そんなわけねぇだろ。俺様にはこの件を片付けてカメリアに報告するって仕事が残ってんだよ」
 堂々とそう言いながらハディスはユーフォリアの頭を軽く叩いた。
 二人のやりとりを耳にしながら、アルスは小さく頷く。
「……俺もティラーに無事な姿を見せてやらなきゃいけないからな」
 誰にも聞こえないほどに小さな声で呟く。そして意を決したように廃工場の中へと足を踏み出した。それに合わせてシアンたちもシャッタァをくぐる。
 緊張が充ちていた。言葉はない。張りつめた空気の中、足音だけがその場を支配していた。
 砂利を踏む音を生んでいた足音は、廃工場に踏み入れると無機質で硬いものに変化する。全員がフェンスをくぐり抜け、数歩進んだ処で足を止めて周囲を見回した。外からは闇しか見えなかったものの、橙色の灯りが薄ぼんやりと光を放っている。
 ライエは再び小型機械を操作しはじめた。画面に情報が膨大な量となって表示される。その内容をライエは瞬時に解釈した。
「非常用電源がすべてオンになっているようです。予備バッテリィ残量からすると随分使われているようですが、まだしばらくは保つでしょう。……セキュリティ系統はかなり甘いようです。ここから遠隔操作で反動信号を送れば解除可能だと想われます」
 説明を聴きながらヴェイルは周囲の観察を続けていた。向こうの方に階段が見える。搬送用だと想われる大きなエレヴェータもあるが、見るからに錆びていて使い物になりそうにない。天井は高く、床にもその天井にも、あちこちに配線が巡らされていた。
 全体的には複雑なシステムの跡が見受けられる。しかし、ヴェイルが観た限りでは扉がいくつもあるだとか、通路が入り組んでいるだとかいうことはなさそうだった。
「向こうもセキュリティで僕たちを始末しようなんて想ってないんだろうね。……それが何を意味するのかはわからないけど」
「……ええ……、旧エクセライズ社のときとは比較にならないほど簡易なものですし……。取り敢えず、解除だけはしておきますね」
 ヴェイルがそれに対して頷くと、ライエは手中にある機械を操作した。いろいろと複雑にキィを叩くと、永いアラームが控えめに鳴る。ライエは顔を上げて一度頷き、セキュリティ解除が完了したことを示した。
 再びライエは機械を操作する。すると今度はその機械の画面に廃工場の図が表示された。更にキィを叩いて何かを入力すると、検索中と表示された後、図の一部が紅く染まる。
「人間の体温をベィスにして、私たちが今いるこの場所を除いて検索を実行しました」
 図が表示されているその機械を、ライエはアルスに手渡した。
 受け取った機械の画面をアルスが見つめると、その後ろからハディスもその画面を覗き込む。今いる場所と階段やエレヴェータの位置、そして画面に表示されている図をしっかりと見比べて、アルスは小さく頷いた。
「三階の奥……、か」
 もう一度画面を見て確認をしてから、アルスは機械をライエに返す。
 その後ろでシアンはただ目を閉じていた。やっとぼんやりと目を開けて、少し苦々しい表情を浮かべる。その表情にすぐ反応したのはシャールだった。
「アリアンロッド、……お前も気付いたか」
 シャールのひとことに全員が一番後ろにいたシアンとシャールの方を振り返った。
 ゆっくりとシアンは小さく頷く。
「キーストーンの波動が……歪んでる」
「……歪んでる、……って、」
 鸚鵡返しにユーフォリアが問いかける。しかしその言葉は突然にやってきた強烈な圧迫感によって遮られた。
 誰もが普通の圧迫感ではないとわかるその感覚は、いつもの不死者のものではない。それが呼び起こすのはクリスタラインを目の前にしたときの感覚だった。廃工場の奥からその圧迫感は容赦なく迫ってきている。
 全員が奥の方に集中し、ライエは数歩後ずさった。ライエを庇うようにアルスは慎重に彼女の前へと移動する。
 不死者の黒い陰が迫った。薄い光を受けてやっと認識できる距離まで来たその不死者の群れは、これまでに観たものとは違っている。不死者の形は人でも動物でもなく、両者が融合したようなフォルムだった。その異様な光景に全員が目を奪われる。不死者がずらりと並ぶ姿を睨みながらシャールは舌打ちした。
「あの莫迦野郎……、クリスタラインを暴走させたときに、クリスタラインの波動をキーストーンの取込みやがった、」
「それで残留思念が入り交じって具現してしまってる……、」
 シアンがそう呟くと、シャールはしっかりと頷いた。
 不死者の数は半端なものではなかった。暗いために奥の方の様子は伺えないが、今見えているだけでも簡単には片付きそうにない。そして容赦なく肌を刺すような圧迫感からしても生半可な数ではなさそうだった。
 腰のホルダーから銃を取り出してアルスは両手にそれを握る。ハディスとユーフォリアもほぼ同時に身構えた。目の前に群がる不死者と対峙する。
 そして突然、ぷつりと緊張の糸が切れたように不死者の並がシアンたちに押し寄せた。それぞれに元いた場所から不死者の攻撃を躱し、散らばって応戦を開始する。
 薙ぎ払われる不死者の腕を躱して、アルスは一体の不死者に向けて発砲した。左右両方の銃から放たれた弾丸が連続して不死者に命中する。いつもならそれで不死者は倒れてしまうはずが、目の前の不死者は弱ってはいるものの、まだ殺気を滾らせてその場に立っていた。そして怯むことなく再び腕が薙ぎ払われる。アルスは跳躍してそれを躱した。
 ハディスも力の加減なく向かい来る不死者を殴り続けているが、いつものペィスでは不死者を倒せていない。とにかく視界に入った不死者に攻撃を加えるが、それでも倒せた不死者は少なかった。
 アルスとハディスの攻撃によって弱った不死者が大量になったところで、リングをはめたユーフォリアの声が響く。
「この地に眠る灼熱の息吹よ我が前に 眼前の総てを焼き尽くせッ!」
 放たれた炎が不死者を焼き尽くす。どさりと倒れた不死者はゆっくりと消滅していった。
 それでもまだ立っている不死者も何体か残っている。今度はヴェイルのレイピアがその不死者を裂き、やっと最初に向かって来た第一波が片付いた。
 手の甲でハディスは汗を拭う。
「……なんかタフじゃねぇか、こいつら……」
「それだけじゃない。動きや腕力も並じゃなさそうだ」
 低く呟きながらアルスは横にある壁を見遣った。アルスが躱したために空振りして壁に激突した不死者の腕の跡が、壁にくっきりと残っている。
 まだ奥から不死者は次々と現れる。次に出てきた不死者がまだ一箇所にかたまっているところで、シアンとシャールが同時に術を放った。
「凍てつく惨禍を我が前に喚べ 彼の者に昏睡を!」
「桎梏の幽玄渦中より出で来るその翼 制裁を我に仇成す総てに……!」
 放たれた後に二種類の術が絡み合い、シンセサイズを形成する。冷気を帯びた漆黒の衝撃波が不死者の群れに衝突し、そこにいた不死者を容赦なく殲滅した。不死者は倒れるというよりも木っ端微塵にされて消えてゆく。
 それでもまだ圧迫感は消えなかった。奥からどんどん不死者がやってくるのが見える。こちらへ迫る動きは非常にゆっくりではあったものの、膨大な数の不死者が次々と姿を現した。
 ヴェイルが思わず下唇を噛む。
「……なるほどね。セキュリティなんかじゃなく、こういう方法で足止めしようってことか……」
 異様なフォルムの不死者の姿がまたはっきりと見えてくる。それを睨むようにアルスは見つめた。
「足止しようとしているということは、クリスタラインが再暴走するという話が本当だということだろうな……」
「クリスタラインが再暴走して、ヴォイエントが不死者で溢れかえるまでの時間稼ぎ……ってことか」
 ユーフォリアが悔しさを露にする。それでもできるだけしっかりと精神集中をしようとつとめた。
 不死者はひたひたと迫ってくる。その中から先走って飛びかかってきた数体をアルスとハディスが迎撃し、弱ったところにヴェイルがレイピアで太刀を加えた。
 途切れることない不死者と目の前で戦闘を繰り広げるシアンたちを後ろで観ながら、ライエは震えた声を吐きだす。
「……このままじゃキリがなさそうですね……」
「そうだな……、数が多すぎる」
 アルスは一旦呼吸を整えた。
 更にまたバラバラに数体の不死者が襲ってくるのを、今度はユーフォリアの術が迎え撃つ。術だけでは倒しきれなかった不死者に向かってアルスは銃弾を撃ち込んだ。
 銃弾を受けてどさりと倒れた不死者が消えてゆきはじめたのを確認して、よっし、とハディスは声をあげる。そして右手の拳を左手の手のひらを打ち付けた。
「……クライテリア組、先に行けよ」
 不死者の方を向いたまま放たれたその言葉に、ハディスの後ろにいたシアンとシャールはハディスの大きな背中を見つめる。隣にいたヴェイルもハディスを見上げた。
 銃に素早く弾丸を補充しながら、アルスは不死者の行動を警戒している。その状態のまましっかりと銃を握り直した。
「戦力的に考えて、それが妥当だろうな。俺たちではこの不死者はなんとかできても、アクセライと互角にやり合えるとは想えない……、悔しい話だがな」
 アルスの言葉を受けてヴェイルはシアンを見遣る。視線を合わせて、シアンは小さく頷いた。
 溜め息をつきながらシャールは前の方へ歩み出る。そして前線で戦っていたアルスやハディスの前まで行ったところで足を止めた。
「足引っ張んじゃねぇぞ、出来損ない」
「……君も見境なくあちこち破壊しないようにね。この建物かなり脆そうだから」
「……生意気言いやがって……」
 振り返ってシャールはヴェイルを睨んだ。少し前なら睨めばすぐに怖じ気づいていたというのに、今のヴェイルは自信に充ちた表情をしている。
 ゆっくりとシアンも前に足を進めた。そしてシャールよりも少し後ろで一度立ち止まる。誰を見遣るわけでもなく、何をするわけでもなく、ただひとことだけを呟いた。
「……無理は、しないで」
 静かに声が響く。果敢ない声に、アルスたちはシアンを見つめた。シアンの目は、ただ正面にいる不死者を映している。
 僅かに間を置いて、つかつかとユーフォリアはシアンに歩み寄った。僅かに背の低いシアンがユーフォリアの方に少し顔を向ける。そのオッドアイをユーフォリアはしっかりと覗き込んだ。
「それはこっちの科白だっての。今まで散々無理したくせに。……オレたちもすぐ行くからさ、無茶すんなよ」
 シアンはしばらく返答できずにいた。一度視線を外す。そしてようやく心が定まったかのように、ユーフォリアを再び視線を合わせた。
「…………ありがとう」
 その瞳はどきりとするほどに奇麗だった。紅はすべてを包む込むようなあたたかさを醸し出し、蒼はあらゆる人を癒すように澄んでいる。
 再びシアンは足を進めはじめた。足音が控えめに響く。シャールの隣まできたところで、その足はぴたりと止まった。
 既にシャールは精神集中を始めている。高まった精神力がその場に充ち、シャールの身体を包んでいた。
「……さて、ひと暴れしてやるぜ」
 自信を讃えた表情でシャールは口の端を吊り上げる。そして前方へと手を翳し、低い声で詠唱した。
 漆黒の刃が乱れ飛ぶ。それは一直線に不死者を襲った。刃に引き裂かれた不死者が次々と倒れてゆく。
 残りの不死者が一度に襲来する。それと同時にシアンとヴェイル、そしてシャールは床を蹴った。襲来する不死者をシアンたちの後ろからアルスが撃ち落とす。その援護を受けながら正面から向かってくる不死者をシアンは二本の短刀を握って切り裂いた。
 目の前に立ち塞がる不死者だけを薙ぎ倒す。そして三人は最短距離で真っ直ぐに階段の方へと向かった。