脆く解ける理




 資料の山が積み上げられたティブルの隣で、スクリィンが大量の文字列を表示する。一定の文字列を細い枠のウィンドウが囲み、忙しそうに消えたり出現したりを繰り返していた。
 アルスの家の地下にあるコンピュータルームにハディスを覗く全員が集まっている。中央にあるコンソールを叩きながらライエは目の前のスクリィンを見上げ、アルスは山積みの書類の中から目的のものを選び出しては食い入るようにそれをチェックしていた。そしてシアンたちはその作業の邪魔にならないようにしながら、次々と展開するスクリィンを眺めている。
 手を休めることなくウインドゥを次々と画面に展開させながら、ライエは説明を始めた。
「今手元にある、以前シアンさんが行った不死者の波動観測結果を詳細に分析したものがこちらです。そして、この文字列の中で紅く表示されているところが、キーストーンの波動を分析したものとの共通点だと考えられます」
 何例かある波動観測の結果が代わる代わる表示されてゆく。シアンたちがそれを見つめていると、ライエの横からアルスがコンソールに近寄った。そして手にした書類を観ながらコンソールを叩く。無機質な音がしばらく規則的に響き、その後にやっと画面が展開した。
「そしてこれが……、まだ推定段階のものではあるが、今朝の件でクリスタラインから観測された解析結果だ」
 そう言うアルスの手の中にある書類にはI.R.O.警察のロゴが入っている。機密書類であろうことは誰にでも推測がついた。
 先程表示されていたデータと、アルスが表示させたデータが自動的に照合される。それを観てセラフィックは声をあげた。
「まさか、これは……」
 紅い文字の部分と新しく加わったデータが更に一致を示している。なかなか文字列の解釈ができないながらも、ユーフォリアは食い入るようにスクリィンに集中した。必死に頭を回転させながら文字列を読み取る。
「ビンゴ……ってことか、」
「クリスタラインから生まれるとされる不死者と、キーストーン……そしてクリスタラインの波動、それらすべてに一致している点がある。……そういうことになるね。こんなことは偶然に起こるなんて考えられない」
 同じく画面を見つめたままのヴェイルが状況を整理する。
 その二人の後ろでシアンとシャールは冷静にスクリィンを眺めていた。ちらちらと文字列が現れたり消えたりするウインドウをぼんやりと観ていたシアンはふと視線を外す。そして隣にいるシャールを見上げた。
「想った通りだったね」
 小さく呟かれた言葉にシャールは頷いた。腕を組んで、壁に背を預けると目を閉じる。
「これではっきりしたな。最後のキーストーンはクリスタラインにある。……いずれにせよ封印のためにはクリスタラインに行かなきゃならねぇ、回収の手間が省けたってことだ」
 シャールの声を耳にしながらアルスはコンソールから離れた。そして崩れかけた書類の山を整理しはじめる。その書類のどれもがI.R.O.のロゴの入った、機密文書かそれに準ずるものであると示されるものだった。
 書類をファイリングする動作を止めないままでアルスは口を開く。
「クリスタライン暴走時の波動解析からすると、あのとき使用されたキーストーンは1個だけだろう。俺の読み取りが正しければの話だが、不安なら解析結果を観てくれてもいい」
「……多分、アルスさんの言う通りだと想いますよ」
 スクリィンから視線を外したセラフィックは落ち着いて言った。
「複数のキーストーンでクリスタラインを暴走させたなら、クリスタラインはもう少し安定性のある活性化をしていたでしょうから。……つまり、アクセライはまだ最後のキーストーンがある場所を知らないことになる」
 アクセライの名を口にするとき、セラフィックの瞳は心なしか曇っていた。声は穏やかさを持ち合わせているものの、いつもは含まれていない重さがこめられている。
 対照的に、ユーフォリアはまったく曇りのない声を響かせた。
「よっしゃ、じゃあ早いとこアクセライからキーストーンをゲットしようぜ」
 無邪気な声と悪気のない言葉にシアンとアルスは曖昧に頷く。ヴェイルがセラフィックを見遣ると、セラフィックはできるかぎりの明るい表情を浮かべてそっと首肯した。
 静かな間がその場に生まれてしまったところで、ライエが控えめに声を発する。
「あの……それで、アクセライさんの居場所というのは……」
「特定できてるよ。……セラが突き止めてくれた」
 セラフィックの様子をちらりと伺ってから、ヴェイルはライエの方を向いた。
 ある程度ファイリングができた書類の山からアルスは手を離す。ネクタイを緩めて少し着崩しているカッターシャツの襟を申し訳程度に整えた。
「イーゼルとスフレの境に位置する廃工場だそうだ。それで今あいつが……」
 途端、アルスの言葉を遮ってアラームが鳴り響いた。コンソールの一部が世話しなく点滅している。
 アルスに視線で確認をとってからライエはそっと点滅しているパネルに触れた。すると今まで細かい文字が表示されていた画面が切り替わり、スクリィンにハディスの姿が映し出される。
 相変わらずの明るい表情を浮かべながらハディスは軽く右手をあげた。
『よう、あー坊。こっちは万事巧くいったぜ』
 落ち着いたこの地下室とはまったく違う陽気な雰囲気がスクリィンの向こうから流れ込んでくる。あまりにも温度の違う画面の向こうの様子に、スクリィンをちらりと見遣ったシャールが溜め息をついた。
「画面を消せ、暑苦しい」
『おい、第一声がそれかよっ! もうちょっと俺様を労れっ』
 割れんばかりの声が室内に響く。うるさい、と不機嫌そうにシャールは舌打ちしながらそっぽを向いた。
 これ以上このやりとりが続かないうちにと、一瞬会話が途切れたその隙に、すかさずヴェイルはハディスに問いかける。
「万事巧くいったって、どういうこと、」
『小型シップのチャーターをあー坊に頼まれてな、いやぁ大変だったぜ』
 大変と表現する割には、ハディスは爽快な笑みを浮かべている。
 無表情のままのシアンは冷静にアルスを見遣った。
「公共のシップは今止まってるから使えないし……ってこと、」
「ああ。それにあいつならスフレ庁舎のものを拝借できそうだったんでな」
 さらりとアルスはそう答える。
 庁舎のものを拝借したというのに、依頼者も実行者もいつもと変わらず堂々としていた。二人の性格はわかっているつもりだったが、思わずヴェイルは呆れたようにかぶりを振る。しかしアルスもハディスも、それすら気にしていないようだった。
『で、行動開始はいつにするんだ、』
 少しトーンを落としたシリアスな声でハディスがスクリィン越しに言う。腕を組んで少し考えてから、室内だけに聞こえるくらいの声で低く呟いた。
「……5時間後、」
 その言葉を発してアルスは部屋の中にいる全員と順番に視線を合わせる。それぞれが頷いたり、肯定の言葉を口にしたりしてそれに賛同した。
 最後にアルスはシアンと目を合わせる。シアンは何も言わずにただ頷いた。オッドアイには何の迷いもない。それどころか、不安なのか決意めいているのかさえ読み取れないような、静かな輝きを宿しているだけだった。
 全員の意思を確認し終えて、アルスはスクリィンの向こうのハディスと、部屋にいるメンバー全員に向かって改めて提案する。
「5時間後にセントリスト第6ステーションからイーゼル南ステーションへ向かう。その頃には陽も暮れている、人目につかないよう行動しても30分後には廃工場へ突入できる計算だ」
『……よっしゃ、了解。俺様は直接第6ステーションに向かうことにする』
「わかった。……済まないな、面倒なことを頼んでしまって」
『何言ってんだ、俺様とあー坊の仲だろ。そんな水くさいこと言うなよ』
 にっこりとハディスは微笑む。そして、じゃあな、と明るい声が聞こえたかと想うと、すぐに通信が切れた。ハディスを映していたスクリィンは先程と同じようにまた文字列を表示している。
 すると今度は、通信が切れるのを待っていたかのように、ヴェイルのポケットの中で通信機が鳴った。ヴェイルが取り出したそれについている小さな画面には回線ナンバーと登録されている名前が表示されている。
「……カシアからだ、」
 そう呟いてヴェイルは応答スイッチを押し、通信機を耳にあてた。回線状況があまり佳くないためか、細かいノイズが走っている。そのノイズの間を縫ってカシアの声が聞こえてきた。
『ヴェイルさん、クリスタラインが暴走したって本当なんですか、』
 少し取り乱したような口調がヴェイルの耳に届く。部屋が静かだったため、その声はヴェイルだけではなくシアンたちにも充分聴き取れるほどに、はっきりと洩れ聞こえていた。
 ライエが口元に手を当てる。
「ノルンにも今朝のウェスレーでのニュースが届いたということでしょうか……、情報網は今のところ完全には機能していませんが、時間も経っていますし……」
 そうだろうな、とアルスは低く同意した。
 慌てているような雰囲気が通信機越しにも感じられるカシアを落ち着かせようと、ヴェイルは安堵感を誘う穏やかな声で答える。
「クリスタラインが暴走したのは今朝のことだけど……、何か問題でもあるの、」
『ええ、それが……。オーヴィッドさんの話だと、一度暴走したクリスタラインは不安定になってしまって、外部から何の力を受けなくても再暴走する可能性が高いらしいんです』
「それ……どういうこと、」
 ヴェイルは目を丸くした。漏れている声を聞いている他のメンバーも、殆ど無表情なシアンとシャールを除いて、驚きを示している。
 通信機の向こうから、今度ははっきりとしたノイズが聞こえた。それはしばらくしてから途切れ、更に少し間を置いてからオーヴィッドの声がヴェイルに届く。
『私がアクセライの下にいたころ、彼がクリスタラインの研究をしている資料を目にしたことがある。クリスタラインを暴走させたのはおそらくアクセライだろう』
「多分そうだと想う……、シャールもそう言ってたし……」
『私の記憶とあのとき観た書類が正しければ、キーストーンで無理矢理に暴走させると、理論上クリスタラインの波動は秩序を失う。このままではまた暴走するかもしれん』
 聞こえてくる声を耳にしつつ、シアンはシャールを見上げた。その視線に気付いてシャールは腕を組んだまま少し考えをめぐらせる。そして唸るように低く言葉を吐き出した。
「……考えられねぇ話じゃねぇな」
 渋い表情が長い前髪の下から覘いている。言葉は途切れたものの、尚もまだ何かを考えているようだった。
 シャールの答えを受けて、シアンはヴェイルの方を見遣る。そして小さく首を傾げた。
「再暴走の周期なんてのはないのかな、」
 訊いてみるね、とヴェイルは小さくシアンに返す。そしてそれをオーヴィッドに問いかけた。すると浅いノイズに混じってオーヴィッドの少し沈んだ声が返ってくる。
『そこまで詳細なことは私にもわからない。何しろ、クリスタライン自体が地上に出現して観測可能になったのが昨日のことだ。それまでに考えられていたことはすべて理論上の話でしかない』
 そこまで言いきってから、私もわかればいいと想うのだがな、とオーヴィッドは付け加える。
 また通信機にノイズが走る。はっきりとは聞き取れないものの、カシアとオーヴィッドが短く言葉をかわしているのがわかった。それからまたカシアの声がヴェイルに向けられる。
『私とオーヴィッドさんでこれからウェスレーに向かおうと想います。もし再暴走が起きてまた不死者が溢れ返ったときに、少しでも応戦できるでしょうから』
「そんな……、危険だよ」
『危険なのは承知しています。でも何もしないでいるわけにはいかないんです……、私たちが今までしてきたことを考えると……』
「カシア……」
『それにみなさんはあの人を止めに行くんでしょう、……それだって危険だわ』
 揺るぎない声はまっすぐにヴェイルに届く。今までに聞いたカシアの声の中で、これほどまでに強くて迷いない声はなかった。真剣な眼差しのカシアが想像できる。
 しばらく沈黙が流れる。張りつめた間が部屋中に充ちた。
 やっと、ヴェイルは深く息を吐き出す。
「……わかった。くれぐれも気をつけて、……無理だけはしないでね」
『ありがとう』
 やわらかいカシアの声がする。ヴェイルさんたちも、という言葉を残してカシアからの通信は途切れた。
 通信機をゆっくりとした動作でヴェイルはポケットに戻す。その動作が完了するのを待ってから、ユーフォリアはヴェイルに声をかけた。
「行かせちまって大丈夫なのかよ」
 府に落ちない、というようなユーフォリアにヴェイルは曖昧に頷く。
「決意めいた声だったからね……、多分僕が止めても無駄だと想う」
「それに……二人とも意志の強い人だから」
 誰に向かって言うともなく、シアンはぽつりと補足する。事の展開を知っても相変わらずシアンは落ち着いていた。シアンの冷静な、そして的確な意見に、そうかもしれませんね、とライエは首肯する。
 話が一段落したところで、ライエは再びスクリィンに向き直った。そしてコンソールを叩きはじめる。ウインドウがややこしい文字列を囲い、それがいくつもごちゃごちゃと散らかっていた画面が整理されてゆく。アルスと相談しながらひとつずつライエはデータを片付けていっていた。
 その作業を物珍しそうに観ていたユーフォリアが、突然思い出したように口を開く。
「……それで、その廃工場に行くメンバーってのはどうなるんだ、……もちろん、オッサンが行くのにオレが留守番ってのはごめんだけどな」
 その問いに、互いが互いを見つめる。それは無言の意思確認だった。まずアルスが最初に意思を言葉にする。
「クルラの想いを汲まないわけにはいかないからな。当然行くさ」
「僕も……、いろんなことに決着つけなきゃならないしね」
 しっかりとヴェイルが頷く。
 ぼうっとした瞳をシアンはそっと伏せた。左手で服の上から右腕に触れる。布地の下にある瑕を包み込むようにその手を添えたまま、ゆっくりと目を開く。そして焦ることなく焦点を定めた。
「……もちろん、私も」
 短いその言葉はずしりと響く。シアンの体力や具合を知っていても、誰も止めることができないような重々しさがそこにはあった。
 隣にいるシアンの髪にシャールは指を絡める。それを観たヴェイルがむっとした表情を浮かべたが、そんなことにシャールは構いもしない。髪に触れられたことに反応してシャールを見上げたシアンを、やさしく紅い瞳で眺めた。
「あの莫迦野郎を阻止しねぇとな。一発殴れば目が覚めるだろ」
「シャール、身体は大丈夫なの、」
「普通に戦う分には問題ねぇ。ティアマートは使えねぇが、寧ろ好都合だ。……あの野郎の目的が果たせねぇってことだからな」
 自信に充ちてシャールは言う。I.R.O.から帰還したときの蒼白い顔からはもう完全に復活しているように見えた。
 アルスはコンソールを叩く手を止めているライエを見遣る。するとライエは少し戸惑うような表情を浮かべた。しかしアルスに何か言われる前に意を決したように声を発する。
「廃工場ってことはセキュリティが生きている可能性がありますよね」
 予想しなかった積極的な言葉にアルスは思わず驚きを露にした。アルスだけではなく、ヴェイルたちも目を丸くしている。
「ライエ、……お前まさか……、」
 咄嗟に言葉がしっかりと出てこないアルスを、ライエはエメラルドグリーンの無垢な瞳で見上げた。穏やかで繊細だとばかり想っていたその色は、力強く輝いている。
「私は戦えませんし、足手まといだということはわかっています。でも……最後まで見届けたいんです……、姉のためにも。だからお願いします、私も一緒に行かせてください」
 切実な声は部屋中に鋭く響く。真剣な眼差しはストレートに受け取る者の心に重みを与えた。
 充分な間を置いてアルスは息を吐き出す。そして表情を緩めた。それでもまだまっすぐにアルスを見上げているライエに対して、あらゆるものを許容するような笑顔を見せる。
「……俺の傍から離れるなよ」
「あ、……ありがとうございます、」
 全身に張りつめていたものが解けたようにライエから力が抜けた。一度大きく呼吸をすると、安堵と喜びが入り交じったような表情を浮かべる。
 その様子を眩しそうにセラフィックは見つめていた。思い詰めたように下唇を噛む。そして、僕は、と低く声に出しかけると、隣からそれを遮るようにヴェイルが言葉を発した。
「……セラはやめた方がいいと想う。行動開始が5時間後だし……、一応瑕はレメディで治したけど、失われた血液とか体力とかは戻ってないから」
 俯き加減にセラフィックは視線だけでヴェイルを見遣る。ちらりと視線を合わせながら、ヴェイルは堂々と言葉を並べていた。
 そのセラフィックの顔を別方向からユーフォリアが覗き込む。
「たしかに顔色あんまり佳くないもんな、いつものセラと違う感じするし」
 ユーフォリアの心配そうな眼差しを受けて、セラフィックは言葉を捜しているようだった。できるだけ苦しくなさそうな表情を浮かべるのに精一杯で、さらりとユーフォリアを安心させる言葉が出てこない。
 元気のないセラフィックの背中をぽん、とヴェイルは軽く一度叩いた。セラフィックが顔をあげると、ヴェイルは笑顔を向ける。
「とりあえず今はここに残って休んで。もし僕たちがいない間に恢復して、じっとしていられなかったら……そのときはカシアとオーヴィッドを助太刀に行ってくれればいい。それだってこの世界を護るのに不可欠なことなんだから」
 自分と似た背格好のヴェイルからやさしい言葉が紡がれるのを、セラフィックは黙って聞いていた。そしてゆっくりと静かに首肯する。
「……ごめん、力になれなくて」
 沈んだ声を吐き出すのがやっとというように、セラフィックの口は重々しく動く。ぐったりとした空気が充ちるのが誰にでもわかった。
 その空気を裂いたのは、セラフィックを気遣おうとするアルスやライエではなく、シャールだった。
「気にすることはねぇ。今までテメェはそこの出来損ないなんかより何十倍も役に立ってんだ」
「悪かったね、役に立たなくて」
「今更開き直るんじゃねぇ、これまで散々くだらねぇことでグチグチ落ち込んでやがったくせに」
 強気に言い返すヴェイルと更に言葉の応戦を重ねるシャールにアルスは溜め息をついた。データ整理が完了したスクリィンを観て片手でコンソールを叩く。スクリィンにシステムのシャットダウンを開始するメッセィジが表示された。
 その作業を行いながらアルスは二人に割って入る。
「仲が佳いのはわかるが、そろそろリビングに戻るぞ」
「こんな奴と仲がいいわけあるか、」
 吐き捨てるように言うとシャールはくるりと一同に背を向けた。そしてすぐにつかつかと部屋を出て階段をのぼってリビングに向かう。その態度にまたアルスは溜め息をつかずにはいられなかった。仕方ないな、というようにヴェイルとセラフィックも顔を見合わせて苦笑する。
 シャットダウンが完了するメッセィジが表示され、しばらくしてスクリィンは光を失って真っ黒になった。今まで光っていたコンソールのパネルも点灯をやめている。それを確認してアルスも部屋を出てゆくと、シアンたちもそれに従った。
 部屋にヴェイルとセラフィックが残り、ヴェイルは消灯のために部屋の出入り口にあるスイッチに向かおうとする。するとその背中に向かってセラフィックが声をかけた。
「……さっきはありがとう。気を遣ってくれて」
 振り返ってヴェイルはかぶりを振る。そして安定して穏やかな表情のままでセラフィックに答えた。
「気にしないで。もし僕が君の立場だったとしてもアクセライと対峙するなんてできないよ。……頼りないかもしれないけど、アクセライのことは僕に任せて。みんなも一緒だから」
 小さくセラフィックは頷く。いつもと変わらないヴェイルの様子が痛々しいほど眩しいように見えて、セラフィックは視線を外した。そのまま俯いて足元を見つめる。
「結局僕は彼に何もしてあげられないんだな……。今対峙したら情に流されることは目に見えてるし、だからといって擁護することもできない。……止めることも、傍にいることも放棄してしまった」
 茶色をベィスにして難色かの色が混ざった髪がぱさりと前方に傾く。細い質の髪がブラインドになって表情が隠れた。それは普段のセラフィックからは想像もできないような姿だった。
 細い肩と頼りない背中にヴェイルは背を向けた。そして明るい声を発してみせる。
「だけど、信じることはできる」
 はっきりとそう言ってヴェイルが振り返ると、セラフィックはヴェイルの声に顔をあげていた。互いに振り返ったためにまた視線が絡まる。強く輝きを宿した瞳でヴェイルは微笑む。
「それは君にしかできないことだよ」
「…………そう、だね」
 セラフィックは目を閉じた。全身に散らばった想いをひとつに集めて整理する。ヴェイルは黙ったままセラフィックの気持ちがまとまるのを待っていた。
 充分に時間をおいてからセラフィックは目を開ける。その表情はいつものセラフィックと同じ、穏やかなものだった。アクセライのことが頭の中で渦巻いて整理できずに迷っていた先程とは、まったく違う表情をしている。今のセラフィックはただ自然体でそこにいた。
 ふわりとセラフィックは微笑む。しかしその瞳はただやさしさを持っているだけでなく、強い決意を含んでいた。
「……ウェスレーに行くよ」
 信頼に充ちた瞳でヴェイルは頷いた。二人は視線でしっかりと意思を確認し合う。それから二人はやっとリビングへと向かいはじめた。
 出入り口にあるスイッチを押してヴェイルは部屋のライトを消す。闇と静けさに部屋全体が包まれた。