連鎖の留まるところ




 話が一段落したところで、シャールは椅子の背に身体を預けた。紅い瞳がゆっくりと閉じられる。
 大丈夫、とシアンが短く問えば、シャールは目を閉じたまま小さく頷いた。
「疲れがたまってるだけだ。……ティアマートさえ使わなきゃ問題ねぇ」
「……シアン、お前は人の心配をしている場合なのか、」
 静かにアルスが声を響かせる。床に座ったままシアンはアルスを見上げて首を傾げた。そのシアンの背にハディスが躊躇いがちに声をかける。
「お嬢ちゃん、その……、お嬢ちゃんの具合はどうなんだ、」
 アクセライの言葉があの場所にいた全員の頭の中をかすめる。返事に戸惑っている、というよりも返す言葉を捜しているために口を閉ざしているシアンをちらりと見遣って、セラフィックは口を開いた。
「そのことについて……いや、アクセライのことについて、話しておきたいことがあるんだ」
「怪我が完治していないのに急いでここに来たのは、そのため……ですか?」
 ライエが首を傾げる。セラフィックはゆっくりと首肯した。
 頭の中で情報を整理するようにユーフォリアは腕を組む。
「あいつの目的はマルドゥークとティアマートの力を手に入れて、その力で世界をブッ壊すことだろ?」
「そしてマルドゥークの力は既に手に入れてる。クルラが制御装置を開発してね、その装置でマルドゥークやティアマートの力を吸収してパターン化する……そうすればいくらでもその力が生み出せるようになるって計画だったんだ。マルドゥークの力はイーゼルでイルブラッドが採取してきたはずだよ」
 セラフィックの説明にシアンは頷いた。クレアを通して見ていたその光景を思い出す。I.R.O.でクルラに訊ねたときも、たしかにクルラはあの装置を自分がつくったと認めていた。
 そして、と少し低くセラフィックは続ける。
「シンシアの無法空間を打ち破ったときにシャールがティアマートの力をマルドゥークに分与して、そのときの波動がきっかけでアクセライはやっとティアマートの在り処に気付いた……」
「だからティアマートの力がアクセライに渡らないように君は僕に連絡してきた、」
 目を閉じたままのシャールを横目で見ながらヴェイルはそう確認した。
 その隣でアルスは低い声を発する。
「しかし……結局ティアマートの力は手に入らなかった。その上、聞くところによるとアクセライは平静な状態ではない……、次にティアマートの力を手に入れる契機を迎えるまで黙って待っているとは想えないが……」
 アルスの言うことはもっともで、この場にいる全員が共感できることだった。アクセライの今までの行動が思い出される。もしかしたらセントリストでの先の一件のようなことが繰り返される可能性も考えられた。具体的なことは考え浮かばなくとも、また多数の被害が出るようなことになるだろうとは予測できる。
 それぞれがこの先のことについて考え、部屋が静まった中、シアンは膝を抱えたままぽつりと呟いた。
「……それなら先手を打てばいい」
 空白の間を少し置いて、やっとシアンの言葉を呑み込んだかのうように、先手って、とヴェイルは目を丸くする。そのヴェイルを見上げながらシアンは平然とした、そして覇気のない表情のままで続けた。
「これまでは後手にまわってたけど、今は状況が違う……。アクセライの周囲にいた人たちは離脱して、キーストーンはもう殆どシャールが持ってる。セラがいないから多分レメディも使えない」
「レメディがないと、昨日の瑕が癒せない……」
 ひとりごとのようにライエが言う。シアンは小さく頷いた。
 ヴェイルとは違い、落ち着いた表情でセラフィックはシアンの言うべきことを代弁する。
「そして僕がいればアクセライの居場所はだいたい検討をつけられる」
 そういうこと、とシアンはセラフィックを見遣る。しかし落ち着いているのはこの二人と、椅子に深く腰掛けたままでいるシャールだけだった。
 顔をしかめながらユーフォリアはシアンを見つめる。
「お前さ、本気なのかよ?」
「冗談を言ってるつもりはないけど。……あ、べつに強制するわけじゃないから。危険なのはわかってるし、私ひとりでやってもいいと想ってる」
「……そのためにヴォイエントに来たから、か……」
「そうじゃなくて、……私がそうしたいから、そうするだけ」
 少し控えめに、視線を外しながらシアンはそう言った。
 その言葉に一瞬ユーフォリアはきょとんとした表情を浮かべる。そしてふっと緊張を緩ませると、次の瞬間には笑いだしていた。その隣でハディスも腕を組んで笑顔を浮かべる。
「お嬢ちゃんお決まりの科白だな」
「ほんと、全部それにつながってるよな、結局のところ」
 笑いながらユーフォリアは頷く。
 二人の反応にシアンが首を傾げていると、ハディスは右手で拳をつくってそれを左の掌に打ちつけた。
「よっしゃ! お嬢ちゃん、俺様も心意気は一緒だ。アクセライの野郎、止めに行こうぜ」
「これ以上不死者が生み出される世界が続いてたまるかってんだ」
 意気込んでユーフォリアもはっきりとそう言う。
 それに続いて、そうだな、とアルスが頷いた。そこにライエも少し慌てて言葉を挟む。
「私も、……あの、情報収集しかできませんけど……」
 四人のその反応を見て、ヴェイルは目を瞬かせた。危険なことだとはっきりしているというのに、決断までには少しも時間がかかっていない。それは楽観視をしているためではなく、クライテリアから来た人間たちの為すことに加わることをはっきりと決めているためのように見えた。
「……本当に、いいの? これは本来、僕たちがどうにかしなきゃいけない問題なのに」
 ヴェイルがそう問いかけると、アルスは小さくかぶりを振る。
「お前がヴォイエントに来たことと俺たちの存在は直接関係のないことなのかもしれない。だがお前は使命を果たすべく、俺たちは俺たちの世界を護るべく戦う……、行き着くところは同じだ。だからお前は使命を果たすのにヴォイエントの人間の力を借りているなんて想わなくていい。……シアンじゃないが、俺たちもそうしたいからするだけだ」
「……何が正しいかわからないから、自分が信じた道を選ぶ、」
 ぽつりとセラフィックがそう呟く。それに対して、そういうことだと言うようにハディスは大袈裟なほどにはっきりと首肯した。
 その反応を見てセラフィックは一度目を閉じる。それからすぐにふわりと瞳を開いた。
「アクセライのこと、話しておきたいんだ。……聞いてもらえるかな」
 静かに紡がれたその願いを拒否する者は誰もいなかった。



「クライテリアの治安を維持する存在としてアクセライは創造された。だからすごく正義感も強かったし、真面目な性格だった。知り合って親しくなってからは、僕が創造主の器になることを期待してくれてたし、ヴォイエントが救われることを心待ちにしていたんだ。だから選定者の裏工作を知ったときはすごく怒ってた……聖の力のこともアクセライは知ってたし。だけどそのときに怨んでいたのは選定者だけだった。選定者の決定をどうにかしようとはしていたけど……それはただ選定者に対して怒りを向けていただけで、ヴォイエントに危害を加えることなんて考えていなかったんじゃないかと想う。
 ……だけど、例の事故でその怒りは舵を失ってしまった。もちろんヴェイルが悪いんじゃないってことはアクセライだってわかっていたはずなんだ、でも……。……あのとき、暴走したクレアの力によって命を奪われた人の中に、アクセライの恋人、アリィがいて、……もうアクセライは冷静じゃいられなくなってしまった……。
 アリィを失ったことで絶望と怒りに満たされたアクセライは、クライテリアとヴォイエントを滅ぼす計画をたてはじめた。アリィのいない世界なんていらないって言い出してね……すべてを無に還す、なんていう理想を抱くようになった。まずクライテリアにある古文書を集めてキーストーンの在り処を探し出す……そしてヴォイエントで11 個のキーストーンと戦力を捜し集めたんだ。クルラのように雇った人もいれば、意見が一時的にでも合致したオーヴィッドや、無理矢理引き入れたカシアのような人もいる。でもとにかくみんなが戦闘能力を持っていた。
 キーストーンを使って不死者を生み、ヴォイエントを混乱させようとアクセライは目論んでいた。そして更にさっきシャールが言ってた通り、ベルセルクの残留思念を解放し、圧倒的な力を持つベルセルクの力を継ぐ不死者をヴォイエントに放とうとした。だけどそこでそれまで一緒に行動していたシャールと意見が食い違った。ベルセルクの力を解放するには12個すべてのキーストーンが必要で、アクセライは11個しか持っていなかった……だから残りのひとつをアクセライは捜した。だけど捜している間にギムナジウムでの一件でベルセルク解放に反対するシャールにキーストーンを奪われてしまったんだ。
 その後も更にキーストーンをシャールに奪われたアクセライは作戦を変更した。引き続きキーストーンで不死者を生みながらクレアとティアマートの力で両方の世界を滅ぼそうとした……、ベルセルクのような圧倒的な力を欲しているように僕には見えたよ。そこで先にシアンの存在を知っていたアクセライはシアンを捕らえるなんてことをしたんだ。
 何をするときもアクセライの頭の中はアリィのことでいっぱいだった。アリィは誰にでもやさしくて、真面目なアクセライの善き相談相手であり心の支えだったんだ……僕のことも本当の弟のようにかわいがってくれたし。そのやさしいアリィの仇を討つために行動を起こしたアクセライは段々冷酷になっていったんだ。次第には人を殺すことも躊躇わなくなった……もう今のアクセライの感情は復讐から破壊へと変化している。必要なものはどんな手を使ってでも手に入れようとする……、でも……シアンというクレアの器を破壊してまでクレアの力を手に入れることだけはできなかった」



 どうして、とシアンは呟く。アクセライに捕らえられたときに、口調は冷たかったアクセライが穏やかな手つきで自分を扱ったことが思い出された。
 セラフィックはそっとシアンを見遣る。そしてゆっくりと口を開いた。
「……アリィは茶色くて永い髪の女性だったんだ。そしてはっきりと左右で色の違う紅と蒼のオッドアイだった……」
「おいおい……ちょっと待てよ、」
 思わずハディスが割って入った。ハディスだけではない、ヴェイルやアルスも、その場にいる事情を知らない全員が目を丸くしている。
 しっかりと一度頷くと、セラフィックは言葉を繋げた。
「そう……外見はかなり幼くなっているけど、シアンはアリィそっくりなんだ」
 何も言わずにシアンはただセラフィックの顔を見つめた。誰も何も言わない。すっかり静まり返ってしまった中で、シアンはやがてそっとかぶりを振った。
「私……アリィさんなんて知らない、」
「そうだろうね。だけど……いや、これは僕の勝手な推測にすぎないけど、君はアリィの想いが具現した存在なんじゃないかなって」
「具現……、」
「ヴェイルがどれだけ捜しても君を知る人を見つけることはできなかった、そして君があの事故のときに創造主に生み出されたとは考えられない……あのとき創造主はその能力を封印していたからね。アリィは……クライテリアやヴォイエントを護りたかったのかもしれないって……都合のいい解釈だけど、想えてしまうんだ」
 静かに、しみじみとセラフィックはそう言葉を紡いだ。
 それに対して何か言おうとシアンは口を開こうとする。しかしその前に宿舎に警報が響き、その直後に放送が流れてきた。
『ウェスレーに厳戒警報発令、ウェスレーに厳戒警報発令、状況の確認と警戒に当たれ。繰り返す……』
 その放送を聞くや否や、ハディスは反射的にテレヴィのスイッチを入れた。その画面には用意されていたかのようにウェスレーからの中継が映る。そしてその映像は夥しい数の不死者と人々の混乱に充ちていた。最初は言葉でこの状況を報告しようとしていた現地にいるリポーターは、押し寄せる不死者にマイクを捨てて逃げ出す。そして留まるところを知らない不死者はカメラにも襲いかかり、カメラマンと想われる人の悲鳴とともに画面にノイズが走った。
 生々しいその映像を目にしてユーフォリアは思わず立ち上がる。その瞳はすっかり画面に釘付けになっていた。
「今の……普通じゃなかったぞ、不死者の数……」
 同じく画面をじっと見つめているライエは怯えているように見える。ノイズの走った画面は、何を映してもいないのにウェスレーの悲惨さを物語っていた。
 ふと目を開いてシャールはしばらくノイズの走った画面を見つめる。そして苛立ちを表情に露にすると舌打ちをした。
「あの莫迦野郎、やりやがったな」
「どういうことだ」
 険しい表情でアルスは問いかける。それに合わせるようにシアンやヴェイルたちもシャールを見遣って答えを求めていた。
 相変わらずシアンの方を見ながらシャールは答えを返す。
「アクセライの野郎、クリスタラインを強制稼働させやがった」
 クリスタライン、強制稼働、という言葉がそれぞれの頭の中でめぐる。そしてすぐにヴェイルが少し慌てた口調で言った。
「それってまずいんじゃないの? 今までもクリスタラインは不死者を生んでいたのに、それを強制稼働なんてさせたら……これまでとは比較にならない勢いで不死者が生み出されるんじゃ……」
「五月蝿い、落ち着け出来損ない。どうせ僅かな数のキーストーンで無理矢理稼働させてるだけだ……そんな中途半端な状況で生み出された不死者なんざ形を長時間保つことすらままならねぇ。すぐこんな混乱はおさまるのが目に見えている」
「……そこまで焦ってる、ってことか」
 重々しくセラフィックは呟いた。溜め息に乗せて放たれたその言葉は聞く者にずしりとした印象を与える。
 アルスは腕章を整えると出入り口に向かって足を進めた。
「とにかく俺は行ってくる。いつまでも休ませてもらうわけにもいかないからな」
 歩きはじめたアルスを見てライエも立ち上がった。そしてひとつ間を置いてからアルスに声をかける。
「私もI.R.O.まで行きます。いずれにしても、状況把握が必要ならそのうちシステム管理課にも臨時召集がかかると想いますし」
 ライエの奇麗な、しかしどこか陰った瞳を見つめて、アルスは頷いた。いつもより少し険しい表情をしているアルスの少し後ろをライエが歩き、二人は家を出て行く。
 なんとか復旧しはじめたテレヴィがノイズとライヴを交互に映していた。