連鎖の留まるところ




 夜が明けようとしても、まだセントリストの様子は何も変わっていなかった。雨は小雨になっているものの、I.R.O.周囲には人の声が絶えない。復旧したテレヴィ放送ではどのチャンネルでもこの事件を取り上げていた。
 様々なことが起こる中で不安に包まれていても、身体は休息を欲する。早朝までそれぞれがソファや椅子とテーブルを利用して身体を休めていた。しかし深い眠りに誘われることもなく、眠い目をこすりながら早朝には全員が目を覚ましている。
 アルスは既にスーツに身を包んでいた。その腕には腕章がつけられている。
 ふと、リビングの奥にある扉が開く。ヴェイルたちがそちらを見遣ると、シアンがマイペースな、そして眠さを払拭できていない足取りでリビングへと入ってきた。
 目を擦りながら、シアンはぼんやりとした瞳でアルスを見つめる。
「……アルス、これから出勤?」
「あ、ああ……こちらの話がある程度整理できてからI.R.O.に向かうつもりだ」
 普段と変わらない会話を始めるシアンに、アルスも普段通りに返そうとする。しかしヴェイルは心配そうな表情を浮かべてシアンに歩み寄った。
「大丈夫なの、」
「少し眠いけど……べつになんとも」
「寝起きが悪いのはいつものことだろう」
 少し呆れたようにアルスは言う。そうかも、とシアンもあっさりとそれを肯定した。
 それからやっとシアンの視界はリビングにいるメンバーを捉える。セラフィックと目が合って、小さく首を傾げた。
「あれ……、セラ?」
 おはよう、とセラフィックは笑顔を浮かべる。そしてこの状況下でも術を使えば移動することができるため、オーヴィッドがカシアの護衛に行ったことを告げた。
 そのとき、再びリビングの奥の扉が開く。全員がそちらを向くと、扉に手をかけたシャールの姿があった。その顔色はまだ少し青白く、疲れが抜けきっていないように見える。
「頭ん中が疼きやがると想ったら……セラフィック<お前>か……、」
「ごめんね、聖の力……苦手だとは想ったんだけど」
「今まで普通に接触してただろうが。今更気にすんじゃねぇ」
 乱暴にそう言うとシャールは足を進め、空いている椅子に勢いよく腰かけた。しかし全員の視線が注がれてもシャールは何も言わない。
 何か話すことあるだろ、とハディスが言いかける。笑顔でセラフィックはそれを制した。そしてセラフィックはシャールの少し前に歩み寄る。セラフィックの和やかな、けれど決して相手を簡単には逃れさせない瞳がシャールを捉えた。
「キーストーンは殆ど集まったし、ティアマートも覚醒させた、……そろそろ全部話してくれてもいいんじゃない? ……シャール・ベルセルク」
 ベルセルク、という言葉に全員が反応する。ライエが口に手を当てた。
「……ベルセルクって、あの伝承の……?」
 その言葉にもシャールは反応しない。ただ黙ったまま不機嫌そうな瞳でセラフィックから少し視線を外す。それでも構わずセラフィックは続けた。
「君は伝承にあるベルセルクのリーダーで、生まれながらにして類い稀なる精神力を持っていた……それはティアマートという精神力の具現を生みだすことができるほどに強かった。そして君は惑星崩壊の際に何らかの手段によって生き延び、……クレアの召喚したマルドゥークと君の召喚したティアマートは一戦を交えた。その後、復活を遂げてクライテリアに姿を現し……そしてヴォイエントへとやってきた。……訂正箇所はある?」
「随分と当たり障りのねぇ推測だな。それで間違いようがねぇだろ」
 シャールはそう舌打ちする。それでもセラフィックは穏やかな表情を保っていた。
 目の前で平然と繰り広げられるその会話に、ヴェイルたちは驚きを隠せずにいる。ハディスは低く口の中で呟いた。
「……なんてこった。夢みてぇな話だが、そう考えりゃ全部筋が通っちまう。すげぇ精神力も、伝承や創造主について詳しいことも、ティアマートを召喚しやがったことも……」
 その隣でユーフォリアも頷く。ライエも同意を示していた。
 ぺたんと床に座り込んで、シアンは膝を抱える。相変わらずの平然とした表情は驚いているのかどうかすらわからない。ただ低い位置からシャールの紅い瞳を覗き込む。
 オッドアイに見つめられて、シャールはそちらへと視線を移す。その瞳はいつものようにアグレッシヴなものではなかった。そっとシアンの声が空気を裂く。
「……ベルセルクってことは……、クレアのことを……私やヴェイルのことを怨んでる?」
「…………お前と逢うまでは、そうだったような気がするな」
「私と逢うまで?」
 小さくシアンは首を傾げる。そうだ、とシャールは頷いた。
 部屋の隅の方にある椅子に坐っているため、必然的に周囲の視線はシャールに集まりやすくなる。それを嫌うように周囲を睨んで牽制してから目を閉じた。
「本当は、……クライテリアとクレアの創りやがったヴォイエントを破壊してやるつもりだった」
「だからアクセライたちと面識があった、いや……手を組んでいた……?」
 少し鋭い表情でアルスが問いかける。目を閉じたままのシャールは無反応だった。無反応ってことは肯定ってことだよな、とシャールの反応にも少しずつ慣れてきているユーフォリアが呟く。そうみたいだな、とアルスも頷いた。
 そうなの、と一応ヴェイルはセラフィックに問う。セラフィックはシャールに代わって説明を加えた。
「しばらくシャールは僕たちと一緒に行動していたんだ。キーストーンをすべて集めて、その力で二つの世界を破壊する……それがアクセライの目的だった」
「でもシャールは君たちから離れた……、」
「意見が食い違ったんだ。アクセライはベルセルクの封印された残留思念を解放すると主張して、シャールはそれに反対した。もちろん、そのときはシャール本人以外シャールがベルセルクだなんて知らなかったし、シャールもそれを明かさなかった……」
「だけど、どうして……? ベルセルクならかつての仲間の思念が解放されるってことはべつに拒むべきことじゃないんじゃないの?」
「……莫迦野郎が、」
 二人の会話にシャールが割って入る。瞼を上げたシャールの紅い瞳がヴェイルを射るように睨んだ。そしてその視線を外すと、腕を組んで溜め息をつく。
「……腐った過去は解放するわけにはいかねぇんだよ。赦されねぇで封印され続けて伝承になった方が戒めになる……もう二度とあんなことを繰り返さねぇようにな」
「伝承ではベルセルクが惑星を自分のものにしようとして争いを起こしたってことになってるけど……、本当は何があったの?」
「……何故そんなことを訊く、出来損ない。貴様はクレアの手先だろうが。クレアの創った伝承を信じてやがんじゃねぇのか」
 今度は横目だけでシャールがヴェイルを見遣る。長い前髪でヴェイルからは殆どシャールの表情が見えない。鋭い眼光だけははっきりと認識できるが、睨まれていようがなかろうが、そんなことにヴェイルは構わなかった。
 小さくかぶりを振って、ヴェイルは近くで床に座っているシアンをちらりと見る。それから再びシャールに向かって口を開いた。
「たしかに君は利己的だし気難しいし怒りっぽい。でも惑星を自分のものにするために争いを起こすように僕には想えないんだ」
「出来損ないのくせに生意気なこと言うようになったじゃねぇか。喧嘩売ってんのか?」
「まぁまぁ、結果的には褒められてるんだし、いいんじゃない?」
 セラフィックが笑顔で割って入る。いいわけねぇだろうが、とシャールがセラフィックを睨むが、セラフィックは笑顔を崩さないままでいた。
 まだ何かシャールは言い返そうとしたが、シアンが視界に入って思いとどまる。シアンは何を言うこともなく、ただぼんやりとした瞳で話の続きを待っていた。その瞳に諌められるかのようにシャールは言い返すのを中断する。
 もう一度溜め息をついてシャールは脱線した話を戻した。
「……あのときの世界は腐っていた。くだらねぇ紛争は止まねぇ、死ぬのは力ねぇ女子どもだとか義勇軍に狩り出された何も知らねぇガキばっかりだ。その上、国同士の和平条約は簡単に欺かれる、謳われる平和は虚偽でしかない……。だから国も秩序も世界も何もかもブッ壊してやろうと想った、……それだけだ」
 そこまで一気に言ってしまうとシャールは一旦口を閉ざす。そして突然嘲るように笑いだした。
「実際に世界をブッ壊そうとしたらあれだけくだらねぇ紛争を続ける国家が防衛軍だとか称して共同戦線を組みやがった。だがそんなものが巧くいくはずもねぇ、いがみ合ったまま協力なんざできるわけねぇからな」
「それでその争いの中、大地が荒廃して惑星が崩壊した……?」
 シアンがそっとそう呟くと、シャールは頷いてみせる。それから、信じたくなけりゃ無理に信じろとは言わねぇがな、と付け加えた。
 明るい声でユーフォリアが言う。
「オレは信じるな。だってお前さ、口は悪いけど今まで嘘言ったことねぇじゃん」
「たしかにそうだな。機嫌損ねたら、なかなか情報提供してくれなかったけどよ」
 隣でハディスも同意する。その言い方にシャールが不快感を露にすると二人は揃って笑った。
 その隣で躊躇いがちにライエは口を開く。
「惑星が崩壊したのに、どうしてシャールさんは無事だったんですか?」
 その答えを、シャールを見上げながらシアンも求めている。それに気がついてシャールは口を開こうとしたが、その前にアルスの声が耳に届いた。
「……キーストーンの力、か」
「……なんだ、わかってんじゃねぇか、警察」
「伝承を辿るかぎり、それほどの力を持つものはキーストーン以外に思い当たらないからな」
 淡々とアルスはそう返す。きちんとスーツに身を包んでいることもあってか、その姿は凛々しい。
 ぼんやりと過去を思い出すようにシャールは虚空を見つめた。
「無事っつっても身体が残ってたわけじゃねぇ。意識がキーストーンの内に凍結されてただけだ」
「それが、クレアが世界を創造するときに解放された……? クレアはキーストーンを使ってベルセルクの残留思念を封印したわけだから……」
 自分の中で考えを巡らせながらヴェイルはそう呟く。誰もが頭の中に伝承を巡らせていた。それはヴォイエントに伝えられているものではなく、シャールが語ったクライテリアに残る伝承である。そこにはティアマートの存在がたしかにあった。
 少し苛立った口調でシャールは独り言のように言う。
「クレアがキーストーンを使おうとしやがった所為で俺の精神は目醒め……、あんな愚かな人間どもをもう一度創造しようとしやがった甘っちょろいクレアに抵抗した。だが……永らく封印されてた意識がクレアみたいな存在に勝てるわけがねぇ……、しかもその甘っちょろい創造主とやらは俺の意識を自分の創造物の中に封じ込めやがった。ティアマートの力を抑え、その召喚によって疲弊するような脆い身体の中にな」
「……もともと生きていないって言ってたのは……そういう理由があったから、」
 小さな声でシアンは呟く。そうだ、とシャールはすぐにそれを肯定した。
 なるほどね、と小さく言ってセラフィックは息を吐きだす。それから頭の中で情報を整理するように少し沈黙を保ってから口を開いた。
「クレアを怨んで然るべき……、といったところだね。……でも怨んでいたのはシアンと逢うまで……っていうのは、どうして?」
 その問いにシアンも首を傾げた。もちろんシアンだけではなく、ヴェイルたちもその疑問は持っている。シアンにだけ穏やかな態度をとるシャールの様子はよく目にしているものの、誰もその理由を聞いたことはなかった。
 セラフィックでもヴェイルたちでもなく、当然のようにシアンの方を見てシャールは答える。
「……お前が創造主とは違う存在のように想えたからだ」
「創造主とは違う存在? ……シャールは私に逢ったときに、私がクレアの力を持ってるってわかったの?」
「お前だけじゃない、そこの出来損ないのことも逢ってすぐわかった。昔にクレアと対峙したときの感覚を忘れてはいなかったからな。聖の力にしても、もともとはクレアが有していた力だ。セラフィックに逢ったときにも聖の力の保持者だとわかった……、頭のどっかが厭に疼きやがったからな。だが……」
 だが、とシアンが鸚鵡返しに問いかける。
 まだ気分が悪いのかシャールは一瞬顔をしかめた。それから再びシアンにできるだけ穏やかな表情で続ける。
「お前はクレアの陰陽どちらの人格でもなかった。陽の力を継いでるわけじゃねぇから陽の人格でないのは当然だが、陰の人格みたいに破壊魔ってわけでもねぇ。だから……唯一クレアの力を引き継いだ奴がどう行動するのか、賭けてみようと想った、」
「賭ける? ……私、に?」
「……俺を解放するかどうかを、な」
「だからアリアンロッド、というわけか……」
 突然納得したようにセラフィックは呟く。聞き慣れたその言葉の意味をヴェイルたちは誰も知らない。そしてその言葉はシアンを指す言葉として当たり前のように定着していて、その意味を問うことすら忘れていた。
 納得を示すセラフィックの名前をライエはそっと口にする。そしてセラフィックがそちらを向くとおずおずと声を発した。
「それは……どういうことなんですか?」
「シャールがベルセルクだってわかってから、ベルセルクの時代のことを調べたんだ。そうしたら遺された数少ない古文書の中にアリアンロッドっていう言葉があった……」
 ゆっくりとセラフィックはそう言って、一度言葉を切った。間違ってはいないのだろう、シャールは何も言わない。それを確認してからセラフィックは短く説明を加えた。
「アリアンロッド……、その意味は『我を導く者』……」
 しん、と部屋が静まり返る。外の喧騒はまだ続いているが、それよりもセラフィックの言葉に全員が集中していた。
 ゆっくりと意味を解しながらヴェイルはシャールを見遣る。
「クレアの創った身体から君の精神を解放するのかどうか、シアンに賭けようとした、……そういうこと?」
「それだけじゃねぇ、ヴォイエント<この世界>の末路についても、だ。陰の人格ならこんな世界、見捨てるはずだからな。もっとも……陽の人格ならあのアクセライの野郎どもも赦そうとしやがるだろう、それはもっと気に喰わねぇ。……まぁ、あのとき対峙したのがアリアンロッドでなくお前だったら、確実に即刻捻り潰してただろうがな」
 相変わらず厭味に満ちた口調でシャールは言い放つ。何の話をしても結局はこの物言いに落ち着いてしまう様子に、ハディスは思わず溜め息をついた。
 少し緩んだ空気の中、シアンはぽつりと呟く。
「でも私……シャールをどうやって解放すればいいのかわからない」
 シャールを見上げるその瞳は表情を失っている。申し訳ないだとか、自分が無力に想えるだとか、そういった感情も通り越して無表情なレンズと化していた。
 その瞳に向かってシャールは可能な限りのやさしい表情を浮かべてみせる。
「お前が気に病むことじゃねぇ。それに……お前といるうちに、お前が為すことを見届けたくなった。解放のことはこの一件が終わってから考えることにした……だから今はどっちでもいい」
「うわっ、シャールの笑顔ってなんか不気味だな、」
「黙れクソガキ。叩き潰すぞこの野郎」
 横から口出しをするユーフォリアをシャールは本気になって思いきり睨みつける。しかしそれはハディスやユーフォリアの笑い声にかき消された。それが面白くないのか、シャールは舌打ちするとユーフォリアから目をそらせる。その先では余波を受けてセラフィックが穏やかな表情を浮かべていたため、シャールは大きく溜め息をついた。