こんな運命なんて僕はいらない




 ロビィを抜け、シャールを先頭に一行は足を進めていた。だだっ広いロビィの先から隣の棟へと移り、更に階段で地下へと向かう。緊張が建物全体に充ちていて、派手に響く足音すらもそれを裂くことはできなかった。
 地下は薄暗い。システムは復旧しているため普段の照明が消えているというわけではなかった。ただこの地下へ向かう階段は古びた倉庫へと繋がっている。普段から薄暗い場所なのだろうという推測がつくとともに、どこか不気味な感じがした。
 建物全体がかたい素材でつくられているI.R.O.の中では珍しい、分厚い木製の扉がシアンたちの目の前に現れる。そこには閉鎖倉庫と記されていた。その扉が少し開いている。シアンたちはゆっくりとそちらに向かって足を進めた。
 ふと、扉の少し前でシャールが立ち止まる。その後ろからヴェイルは扉の隙間の向こうに目を細めた。
「……誰かいる……」
 小声で呟かれた声に、全員がこっそりと隙間から倉庫の中を覗き見る。薄暗い照明の下に積み上げられた段ボールやコンテナの傍に二人の人影が見えた。その片方は確認してみるまでもなくクルラだった。そしてもうひとりも見間違うことのない人物である。弱い光を讃える黒髪といつもと同じ黒のロングコート、そして底知れぬ畏怖を感じさせる背中、それはアクセライに間違いなかった。
 扉が開いているからなのか木製の扉だからなのか、他に物音ひとつしない状況では倉庫の中の会話を耳を澄ませば聞きとることができる。シアンたちはそちらに意識を傾けた。
 倉庫の中では声が響いている。
「やっと来てくれたんやな」
「……どういうつもりだ、クルラ・エーヴェント。俺はこんなことをしろと言った憶えはない」
「そりゃそうやろうな。……どうせあんたのことや、うちにも盗聴器仕掛けて動向監視してるやろとは想てたし、止めにくるまでは好きにさしてもろたで」
 そう言いながらクルラはポケットから小さな機械、盗聴器を取り出してアクセライに放り投げた。それはもちろん元々そこにあったものではない。アクセライが仕掛けたものに気付いてクルラが利用していたのだろう。
 それを受け取ったアクセライは苦々しい表情を浮かべた。
「……なるほど。あの警察どもをおびき寄せようとしているように見えたが、奴らに情報を漏らすことで盗聴器越しに俺をおびき寄せていた、と……」
「まぁ、そういうことやな」
「随分なことをしてくれたものだな。イルブラッドとともにI.R.O.を封鎖し、キーストーンによって奴らをおびきよせて始末し、第二の覚醒を呼ぶ……本来はその手はずだったと想うが」
「契約違反、やろ? かまへんで、どうしてくれても」
 クルラは余裕の笑みを浮かべる。アクセライはすぐには行動をおこさなかった。そのかわりの小さくかぶりを振る。
「……なぜこんなことを、」
「うちの最初で最後の意志、……って言うたら恰好よすぎるな。依頼と報酬で成り立つ関係とは違うとこで、自分のやりたいことができたんや」
「それが俺を裏切るということか、」
 怒りに満ちた声でそう言うとアクセライは懐から銃を取り出し、その銃口をクルラに向けた。しかしその直後、アクセライの背後から銃声がする、そしてその途端、握っていた銃は砕け散っていた。
 はっとしてアクセライが背後を振り返る。そこには両手に銃を握り締めたアルスの姿があった。その後ろにヴェイルやオーヴィッドたちの姿もある。
 扉の隙間から様子を窺っていたシアンたちのうち、シアンとシャール、そしてライエは倉庫の中へと飛び出さなかった。ライエはその戦闘能力を考えれば妥当なことだが、シアンやシャールはそうではない。二人が留まることになったのは足を進めようとしたシャールの袖を、反射的にシアンが引いたからである。シアンの頭の中にはヴェイルがセラフィックから聞いた言葉が浮かんでいたのだが、シャールは先程シアンが倒れたためまた具合が悪いのかと想ったようで、扉の向こう側に残っていた。
 シアンの身体を案じるシャールとライエと一緒に、シアンは再び扉の隙間から倉庫の中を見ている。ヴェイルたちが入ったことで扉の開きが大きくなり、中が見やすくなっていた。
 倉庫に入ってきた一同を見て、クルラは声をあげる。
「アルちゃん、来たらアカン……逃げるんや!」
 対峙していたクルラと、背後からやってきたヴェイルたちに挟まれた状態でアクセライは冷静にアルスを見遣った。そして、そういうことか、と低く笑いを漏らす。
「貴様ほどの女が男に惑わされるとはな……、しかも一度殺しかけた男に」
 その言葉に一番驚いたのは他の誰でもなくアルスだった。一度殺しかけた男、という言葉に該当するのはもちろんアルスしかいない。
 しかしクルラは平然とアクセライに答えた。
「まぁ、それもあるな。せやけどそれ以外にも理由はあんねん。好きになったかて、うちの過去なんか血みどろや、そんな女が好かれるわけないやろ?」
「それ以外の理由……?」
「……最初はちゃんと依頼を果たすつもりやったんや。でもシアンちゃんたちを見てたらそんなことできんようになってきたんや。涙を呑んでアルちゃんに離脱してもらおう想たけど心のどっかでその気持ちが働いたんやろうなぁ、無意識のうちに加減してたんかもしれへん」
「……クルラ、お前……」
 アルスの声は震えている。対峙しているアクセライの向こうにアルスを見つめて、クルラは続けた。
「ボロボロになっても諦めへん、みんな本気でヴォイエント<この世界>のこと考えてる。……知ってんねんで、アルちゃんたちがディシップでアクセサリを制御する練習してんのも」
 そこまでクルラの発言を聞き終えると、アクセライは突然嘲笑するかのように笑った。ヴェイルたちがその反応に警戒をみせる前にアクセライは精神集中を始める。
 精神集中を妨害しようとアルスとクルラはアクセライに向けて発砲した。しかしアクセライはそれを予期していたかのようにひらりと舞い上がり、銃弾を回避する。そして積み上げられたコンテナの上に着地した。
「くだらない話だ。この警察に加担したところで、頼みの綱の少女はもうあと僅かの命だというのに」
 その言葉に、アルスの思考は停止した。アルスだけではない、ハディスもオーヴィッドも、そして扉の向こうにいるライエも驚きを示す。そしてそれぞれの頭の中には、あの少女と表現されたシアンの姿が浮かんでいた。
 驚いたライエの視線を浴びながらもシアンは扉の向こうを見つめている。途端、恢復しきっていなかった疲れが襲い、目眩を憶えてシャールに凭れ掛かった。その身体をシャールにやさしく支えられながら、シアンはただヴェイルたちから目を離さないでいる。
 そして次の瞬間、思考が停止したままでいるアルスにアクセライが手を翳した。
「堕したる者を断罪せし閃光を喚べ 天地神明に誓約す、」
「アルちゃん!」
 咄嗟にクルラは床を蹴った。そしてそのままアルスに覆い被さる。
 誰が声を発する間もなくクルラはその身体に放たれた術を受け、朱が周囲に飛び散った。
 アルスの瞳が揺れる。
 目の前にある表情は、今までみたこともないほど苦痛に満ちて歪んでいた。
 それでも、彼女は笑っている。
 ごめんな、とその唇が紡いだ。
 どさりと音を立ててクルラの身体は床に崩れ落ちる。アクセライがいることも忘れて、無警戒のままアルスはその身体を抱き起こした。
「……クル…ラ、」
「……大、丈夫や……、まだ……くたばるわけにはいかへん、」
 笑顔をたたえたままクルラはアルスが止めるのもきかずに身体を起こす。そこに襲いかかろうとしたアクセライをハディスとオーヴィッドが力任せに食い止めた。
 物理攻撃を断念してアクセライは再び精神集中を始める。すぐにそれを完了すると、再びアルスに向かって術を放った。
 すかさずアクセサリを装着したヴェイルが護法陣と叫びシールドを生み出す。アクセライのアサルトにヴェイルがレジストで対抗している間に、ポケットから取り出した指輪をはめたユーフォリアがアクセライに向かって術を放つ。
「この地に眠る灼熱の息吹よ我が前に 眼前の総てを焼き尽くせっ!」
 レジストとは別の方向から飛翔したアサルトにアクセライは術を放つのを中断した。そして大きく跳躍するとユーフォリアの術を躱す。リングによって強化された術は中途半端なレジストで防ぐことはできず、レジストではなく回避させることでアクセライの攻撃を中断させるのには充分な威力だった。
 アルスの腕の中でクルラはゆっくりと身体を起こす。そしてアクセライを睨みつけた。
「……覚悟するんやな、……うちが何の目的もなくこんな処にアンタをおびき寄せたと想うか?」
 瑕の痛みを頭の隅に押しやってクルラはアルスの腕を弾いた。それは決して乱暴なものではなくどこか名残を惜しむようで、そしてその手は決意めいた温度を秘めていた。
 立ち上がって銃を握りしめると、振り返ることなくクルラは透き通った声を発する。
「アルちゃん、うちらの出逢ったセントリストを……この世界を護ってや」
 その背中をアルスが制する間もなく、クルラは床を蹴るとアクセライにつめ寄った。そしてその周囲にあるコンテナに向かって躊躇いなく発砲する。
 途端、そのコンテナは勢いよく爆発した。爆風がヴェイルやアルスたちの身体を吹き飛ばす。巻き起こった炎と煙にクルラとアクセライの姿は見えなくなった。
 アルスの顔が蒼ざめる。
「クルラ!」
「あー坊、近付くんじゃねぇ!」
 反射的に爆発の中心部に向かおうとするアルスの腕をハディスは慌てて引いた。
 まだ連鎖的に爆発が起こり、建物全体が揺れている。熱風はおさまることなく周囲にいる者を弾き飛ばそうとしていた。そしてそれはすべてが爆発によるものではない。煙の中から強力な精神力が感知できた。
 はっとしてヴェイルが叫ぶ。
「このままじゃまずい、アクセライが術で爆発に対抗しようとしてる、それに……多分このコンテナ全部火薬だ……!」
「マジかよ……! これが全部爆発して、それに対して術で反作用なんか起こし続けたら……こんな倉庫簡単に吹っ飛んじまう!」
 ユーフォリアが焦りを露にする。その言葉にハディスとオーヴィッドも険しい表情を浮かべた。
 その背後で乱暴な音をたてて扉が開く。その向こうからシャールの怒鳴り声が響いた。
「莫迦野郎どもが、何やってやがる! ボサっとしてねぇでさっさと逃げやがれ、心中してぇのか!」
 その声が聞こえてもアルスの身体は動かない。思考が巡ることを放棄する。
 煙と熱の向こうに手を伸ばそうとしながら、それでも危険だということはわかっている、そして腕の中にあったクルラの温度もありありと残っていた。
 熱と膨大な精神エネルギィは煙を巻き込んでどんどん広がってゆく。
「俺様たちまで巻き込まれちまったら意味ねぇだろっ!」
 再度ハディスはアルスの腕を力強く引いた。熱はすぐそこまで迫っている。
 逃げるんや、と煙の向こうからアルスの耳に声が聞こえた気がした。
 冷静な判断などできるはずがない。真っ白になった頭の中に響いたその声に従ってアルスは床を蹴った。
 下唇を噛み締める。声にならない声が漏れた。
 熱も精神力の波動もとどまるところを知らずに膨張を続ける。扉の外へ出ても、薄い扉一枚をはさんだところで何も回避できそうにはない。アルスとハディスが出てくるのを待っていたシアンは自身の左手を見つめた。
「普通の術じゃ対抗できそうにないし……せめてもう一度マルドゥークを喚べたら……、」
 相殺できるかもしれないのに、とシアンが続けようとするのをシャールは遮った。
「それ以上無理すんじゃねぇ。俺がなんとかしてやる」
 一同の一歩前にシャールは足を進めた。下がっていろ、と呟くと精神集中を始める。
 シアンが首を傾げた。
「熱とエネルギィを相殺するつもり、」
「その通りだ。……マルドゥークでなくともそれくらいのことはできる」
 言葉を紡ぎながらもシャールは力を高めてゆく。その精神力の高まりは尋常ではなかった。普段でもシャールの精神力は桁外れの威力を誇る。しかし今はその比ではない。他の者を圧倒するような精神力はやがて黒い波動となりシャールの身体を包んだ。
 周囲の人間はシャールを見つめている、否、それ以外の行動ができないほどにシャールの力は戦慄を畏怖の念を周囲に植え付けている。圧倒的なまでの力だった。
 鋭い瞳を妖しく輝かせ、シャールは低い声を響かせる。
「我は示さん 終焉と絶望の道標、愚昧な存在総ての永久なる冥葬を」
 その言葉にシアンは息を呑んだ。無法空間の中でマルドゥークを召喚したとき、轟音にかき消される中でシャールが呟いていた言葉に間違いない。
 シャールが再び口を開く。
「……その姿を今一度ここに……、ティアマート……!」
 漆黒の波動が形を成す。そしてそれはマルドゥークに酷似した姿となった。それに誰もが驚きを示す、しかし声を発することなどできないほどに畏怖の念が植え付けられている。
 黒い鳥のような姿となった波動は熱とそれに反するエネルギィを包み込むように広がった。それに従い、徐々に襲いくる熱もエネルギィも力を失ってゆく。そしてそれはシャールの手を離れ、意志を持っているかのように熱とエネルギィを相殺しにかかった。
 ゆっくりとシャールは数歩後ずさる。そしてふらりと体勢を崩して床に膝をつく。シアンがそっとその表情を覗き込むと、シャールは小さくかぶりを振った。
「……無理矢理相殺させてるだけだ、永くはもたねぇ……はやく逃げろ、」
 その顔色は真っ青で、声は枯れている。シアンが視線で助けを求めると、ハディスが歩み寄ってシャールに肩に手をかけた。案の定、シャールはその手を払いのける。しかしその力もいつもとは違い、弱々しいものだった。
 溜め息まじりにハディスはシャールのその手を掴む。
「そんなに厭がらなくても逃げきったらちゃんと放してやるって。俺様だってどうせなら美人な子に肩貸してやりてぇんだからよ」
 そう言うとハディスはシャールの腕を自分の肩にまわし、ゆっくりと立たせる。そして倉庫から遠ざかるように足を進めた。
 ライエやユーフォリア、そしてオーヴィッドもハディスの後を追う。それに続こうとして、ヴェイルはアルスがそこに立ちすくんだままでいることに気付いた。歩み寄って、そっと声をかける。
「……アルス、こんな処にいたら巻き添えだよ、……クルラは僕たちを……アルスを助けようとしたんだ、」
「…………この世界を護るために、か……」
「それだけじゃないよ、きっと」
「…………ッ、莫迦なことを、」
 震えた声でそう呟くと、シアンとヴェイルとともにアルスは倉庫に背を向けて走り出した。
 しばらく走ったところで、アルスの耳にふと声が届く。もう既に熱が届かない処、倉庫からはずっと遠い処に届いたその声にアルスは足を止めて振り返った。

 アルちゃん、大好きやで。
 愛してた。世界中の誰にも負けへんぐらい、愛してた。
 ありがとう。ありがとう。……ありがとう。

 直後、倉庫は轟音をたてて爆発した。