こんな運命なんて僕はいらない




 廊下の奥には硝子の破片が飛び散っていた。おそらくクルラがイルブラッドを攻撃したときに弾丸が硝子に当たったのだろうと、今となってはあの大きな音の推測がつく。
 静かな廊下の最奥にある部屋に一行は足を踏み入れた。相変わらず人の気配はない。
 コンピュータがいくつも並び、複雑な回線が張り巡らされている。コンピュータの画面はどれも真っ暗で、部屋の電源も落とされていた。廊下と同じように申し訳程度に非常用電灯が光を放っている。
 人の気配や殺気はないものの、一応アルスとハディスに護られながらライエはコンピュータに近付いた。その中のひとつ、一番大きな画面をもつコンピュータのコンソールにそっと手を触れるが、反応はない。
 それを確認すると、ライエは次に部屋の隅へと足をすすめた。そしてそこにある壁に手を伸ばす。I.R.O.の外で作業を行ったときと同じように壁に触れると、また指紋認証がなされ、カヴァが外れてコンソールが出現した。
「……よかった……、非常用電源は生きています。これでI.R.O.の全機能を復旧に持ち込めます」
 そう言いながらライエはコンソールを器用に叩きはじめる。少しほっとしたような声に、ハディスやユーフォリアの表情も心なしか少し緩んだ。
 全員の注目がライエの集まる中、シャールはふらふらと足を進めて再び廊下へと戻った。それに気付いたシアンがシャールを見遣った小さく首を傾げる。
「……どうしたの、」
「いや、……あの無能野郎が少し気になってな。安心しろ、すぐ戻る」
 何かを秘めたような声を残し、シャールは中枢部を出て行った。シアンも特にそれを追おうとはしない。シャールがそうしたいのならそれでいい、それに危険感知はできるはずだ、という判断だった。ヴェイルたちも同じことを想っていたのか、それともあの性格のため引き止めても無駄だと想っていたのか、とにかく引き止めることはしない。
 シャールの足音が遠ざかる中、シアンはライエのいる処からは少し離れた壁際に移動すると、そこに腰を下ろした。そしてぼんやりとライエの様子を見つめる。ライエはコンソールを真剣な眼差しで叩いていた。
 ふと、小さく通信機の呼び出し音が鳴る。殆ど無音だった空間に、その音は異様な響きをみせた。アルスのものとは違うその音にヴェイルはすぐに反応する。そしてポケットからグレイの通信機を取り出した。
 画面を見ると、小さなウィンドウに発信元が示されている。そこにはカシアのいるノルンの教会のナンバーが表示されていた。受信ボタンを押して、そっと通信機を耳にあてる。その途端、ヴェイルさん、というカシアの声が聞こえてきた。
「……カシア、どうしたの?」
『あの、セラから伝言があるんです、』
「…………セラ、から?」
 突然やってきた想いもよらない状況をヴェイルは咄嗟には呑み込めていない。カシアやセラという言葉にシアンたちはヴェイルの反応をうかがっていた。
 どうしてカシアがセラフィックと接触しているのか、まったくわからない。カシアがどこにいるかはセラフィックには話していないはずである。カシアの居場所がアクセライに探り当てられたのではないかという不安も同時に胸を過った。
 ヴェイルにとってみれば訊きたいことはいろいろある。しかしカシアの口調はあまり悠長なものではなかった。
 通信機の向こうでカシアがセラフィックから受けた伝言を紡ぐ。それは言葉としてはたしかに伝わっても、ヴェイルはその意味が解釈できなかった。思わず率直な感想が洩れる。
「それ、どういうこと……?」
『私にもわかりません、ただ伝えてほしいって言われただけで……』
「セラはそこにいるの?」
 ヴェイルがそう問いかけると、通信機の向こうからノイズが聞こえてきた。
 起き上がっちゃ駄目よ、というカシアの声と、少しくらい大丈夫だよ、というセラフィックの声が微かに聞こえる。そしてまた少しのノイズがあった後、セラフィックの声がヴェイルの耳に届いた。
『急にごめんね、……でも、どうしても伝えないといけないと想ったから』
「いや……そんなことより……セラ、具合でも悪いの?」
 そのヴェイルの心配に対し、さらりとセラフィックは何ともないよと返す。そしてしっかりと言葉を紡ぐ。
『話せば永いんだ。……シップが封鎖されてるって聞いたけど、復旧したらすぐそっちに行くよ。……君しか頼れる人がいないんだ、』
 声を聞いているだけでも今セラフィックがどんな表情をしているのかヴェイルには何となくわかる。穏やかなあの瞳が真剣な眼差しをしているのだと容易に想像できた。
 ゆっくりとヴェイルは目を閉じる。
「……わかった。……君の言うことだからね、信じるよ」
『ありがとう。…………気をつけて』
 セラフィックのその言葉の余韻をヴェイルの耳に残して、通信は途絶えた。
 通信機をオフにしてポケットに戻すと、当然周囲は説明を待っている。興味津々にユーフォリアが訊ねた。
「カシアとかセラとか言ってたけど、何だったんだ?」
「うん、……カシアがセラから伝言を受けたって連絡してきたんだけど……」
「伝言……?」
 鸚鵡返しにユーフォリアが問いかける。ヴェイルは言うべきことをすぐに巧くまとめることができなかった。
「僕にもどういうことなのかよくわからないんだ、」
「よくわからないって……カシアちゃんはなんて言ってたんだ?」
 ハディスも答えを求める。コンソールに向かっていたライエも手を止め、シアンとアルス、そしてオーヴィッドは答えを急かしはしないものの視線をヴェイルへと注いでいた。
 それぞれの様子を見ながらヴェイルは答えを返す。
「……シャールを、アクセライと接触させちゃいけない……、って」
 その言葉が紡がれると、全員がヴェイルと同じ反応を示した。言葉の意味はわかるが、それの意図するところがわからないのである。それぞれが個人差はあれど、怪訝な表情を浮かべた。ヴェイルがよくわからないと言ったのにも納得がいく。
 シアンはちらりと廊下を見遣った。シャールはまだ戻ってきていない。今まで何度もアクセライと接触している、それだけではなく以前から面識があったシャールがどうして今になってアクセライと接触してはならないのか、まったくわからない。それでも、とシアンは呟いた。
「セラがカシアさんに頼んでまで伝えたかったってことは、余程重要なこと……だと想う。……ただ、」
「ただ、……どうしたんですか?」
 ライエが小さく首を傾げる。シアンは床に腰を下ろしたまま、少し離れた処にいるライエを見つめた。
「アクセライが私たちに接触をはかろうとしているから、急いで伝えないといけなかったのかな……って、」
「……ここへあいつが向かって来ているかもしれない……、ということか」
 低く唸るようにアルスが呟く。オーヴィッドは深く息を吐き出した。
「その可能性はあるだろうな……アクセライは仲間の波動を熟知している。我々がここにいると知らなくても、クルラが我々と接触しているとわかれば……」
「いや、あいつは依頼を受けて行動するのだろう、……おそらくあいつが俺たちと接触していることをアクセライは知っているはずだ」
 冷静にアルスはそう言う。その考えはもっともだった。
 そして、クルラという言葉からふと先程のできごとを思い出してアルスはシアンを見遣る。
「……シアン、そういえばクルラに逢う前に覚悟をしておけと言っていたな。……それはクルラがここにいることを知っていたから……か、」
 クルラという名前を口にするアルスの瞳は瑕ついていた。シアンは小さく頷く。そして少し視線を外した。
「扉の下に髪が落ちてて……、クルラの髪の色ってあまり見る色じゃないし、確証は持てないけど可能性は高いだろうなって想ったから……」
 そうか、と短くアルスは息を吐き出した。混乱はまだおさまっていない。頭の中を整理するつもりが、何とかしてクルラを擁護する要素を捜しているのかもしれなかった。それが自分の頭のどこかでもわかっているのだろう、自己嫌悪に陥りそうになる。それ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。
 少し間を置いて、ライエはまたコンソールを叩きはじめる。アクセライがまた絡んでくる可能性がある以上、システムの復旧に時間をとられていてはそこを襲撃されてしまうことも考えられた。ただそれだけではなく、アルスの様子を見ていて、とにかく雰囲気を変えたかったのかもしれない。
 それぞれがセラフィックの伝言のことを考えているのか、その場は静けさに満ちている。コンソールを叩く音とそれにシステムが反応する音だけが響いていた。
 しばらくして、非常用電灯が消え、天井に埋め込まれたライトが光を宿す。まったく動く気配すらみせなかったコンピュータに突然電源が入り、デスクトップが明るくなりはじめた。その変化にユーフォリアは思わず声をあげる。今までの暗さが嘘のように明るくなっていた。
 ふわりとアルスは一仕事を終えたライエに微笑みかける。
「流石だな」
「いえ、たまたま知っていただけです、仕事の関係で……、」
 謙遜しながらライエは頬を赤らめた。その反応は見慣れたものであるにも関わらず、相変わらず周囲にとっては微笑ましく映る。
 自分でも顔が紅くなっているのがわかるのか、ライエはくるりと後ろを向くとコンソールを再び壁の中へと戻した。元通りにしてしまえば、どこにコンソールがあったのか他の人間にはわからなくなる。ライエがその操作を完了したところで、ヴェイルはゆっくりと口を開いた。
「……セラが何を意図しているのかわからないけど、とにかくセラの言うことを信じてみようと想う」
 その言葉にシアンたちは首肯して同意を示す。
 ありがとう、というセラフィックのやさしい、けれどその奥に重いものを秘めた声がヴェイルの頭の中にはっきりと残っていた。










 古い電話の受話器を置いて、セラフィックはその場にがくりと膝をついた。慌てて駆け寄ったカシアがその身体を支える。
 ここは先程までセラフィックが休んでいた寝室ではなかった。機械文明が進んでいないノルンでは通信機の電波も殆ど入らなければコードレスの電話などという便利なものもない。ヴェイルの通信機に連絡を入れるのにも電話のある場所まで移動しなくてはならなかった。
 大丈夫だよ、とカシアの手を離させて、壁に半分体重を預けながらゆっくりとセラフィックは寝室に戻る。そしてベッドの上にそっと腰を下ろした。
「……情けないな……、レメディがちゃんと使えればいいんだけど……」
 俯き加減に苦笑するセラフィックにカシアは思わず溜め息をつく。
「もう……休んでないと駄目って言ったのに……」
「ごめんね。……どうしても、気になっちゃって」
「気持ちはわからないでもないけど、あまり無理をするとシアンさんたちが哀しむわ」
 もちろん私も、とカシアは小声で付け足すとセラフィックに微笑みを向けた。
 まだセラフィックの身体はあちこちが悲鳴をあげている。全体的に身体が熱を帯びていた。少しでも楽な姿勢を求めて、それでもカシアには失礼のないようにと気を遣いながら、セラフィックはベッドの向こうにある壁に背中を預ける。
 ベッドサイドに置いたままになっていたタオルをカシアは用意してある氷水に浸した。さっきまでセラフィックの熱を吸収していたそれは生温くなっている。
「……シャールさんって、あの銀髪の……ちょっと、怖い人……よね」
「そう、銀髪の……、あはは、怖そうに見える? 結構可愛らしいところあるんだよ、ああ見えて」
 楽しそうにセラフィックはくすくすと笑った。カシアの頭の中ではシャールと可愛いという表現がどうしても結びつかない。そのイメィジをどうにか一致させようとしていたが、本題に軌道を修正した。
「……それにしても、あの人が……」
 何かを考えながら言うカシアの言葉の続きをセラフィックは悟る。そして小さく頷いた。
「僕も驚いたよ。シャールのことはクライテリアにいたときからずっと知っていたけど、そんなこと想像もしなかった」
 セラフィックはぼんやりと天井を見上げる。僅かな動きでも瑕が痛んだ。頭がなかなかクリアになってくれない。熱っぽい状態は視界を時折歪ませた。
 少し間を置いて、再びカシアを見遣ってはっきりと言葉を紡ぐ。
「ヴェイルにも言ったけど、シップが復旧したらセントリストに向かうよ」
 しっかりと伝えられたその言葉は真剣な重みに満ちている。それは他の何によっても崩されることのない強さを持っているように感じられた。そのことはカシアにもしっかりと伝わっている。
 あなたがそう決めたのなら止めないわ、とやさしく告げると、タオルを氷水から引き上げた。
「そのためにもシップが復旧するまでちゃんと休んで、少しでも体力を恢復しないと」
 カシアのその笑みは、今までセラフィックが見たこともないような、やさしくて穏やかで、相手を包み込むようなあたたかさを持っていた。










 電源の入ったコンピュータを前にライエは急ピッチでコンソールを叩いていた。画面にはI.R.O.全体図がグラフィックで表示されている。
 足音が響き、シャールが中枢部へと戻ってきた。おかえり、と無表情にシアンは言う。そして続いて問いかけた。
「気になることって何だったの?」
 その問いに対してシャールは握っていた右手を開いてみせた。そこにはエメラルドグリーンの輝きを放つキーストーンがある。その輝きにハディスはすぐに反応を示した。
「それ……スフレの件のときのキーストーンじゃねぇか、スフレの庁舎に保管されてたはずじゃ……」
 ハディスの言う通り、それはスフレで初めてキーストーンというものを見たときのものに相違ない。そしてスフレの庁舎で厳重に保管されているということも以前ハディスが口にしていた。
 そのハディスの言葉に全員がキーストーンに注目する。キーストーンを見つめていたシアンはシャールに対して小さく首を傾げた。
「これをイルブラッドが……?」
「ああ……、ただ完全に無力化されていて使い物にはならねぇ。だから殆どキーストーンの波動をあの野郎から感じなかったってわけだ。気になって探ってみりゃ案の定持ってやがったがな」
「でもまだキーストーンの気配は……」
 掌でキーストーンを弄ぶシャールはシアンのその言葉に対して頷いた。キーストーンの気配はまだちゃんとシアンにも感じられる。
 ヴェイルが口元に手を当てた。
「仮にイルブラッドがスフレからそのキーストーンを奪ってきたとして……何を目的にそんなことをしたんだろう」
 その問いにシャールは何も言わない。ただ何かを含んだような瞳でキーストーンを見つめると、それを懐に仕舞いこんだ。
 そのとき突然コンピュータの機械音が鳴る。今度は全員がそちらへと集中した。画面には処理が完了したという表示と、エラーの文字が浮かび上がっている。ライエは小さくかぶりを振った。
「人間の熱を対象としてI.R.O.全体に検索をかけてみたんですが、どこにも……。もし反応があれば、そこにI.R.O.の方々がいるってわかるんですけど……」
 溜め息にも似たその声を洩らすとともにライエはコンソールのボタンを押して画面を閉じた。
 人の気配はどこにもない。ヴェイルは腕を組んだ。
「術で隠されているのかもしれない。物理的にじゃなかったとしても、熱をカムフラァジュするとか、検索機能に妨害を加えるとか……できないわけじゃないからね」
 まだ中枢部は静かでシアンたち以外の気配は感じられない。今すぐに襲われるということはなさそうだった。しかしだからといってこのままでは何も解決しない。シアンはそっと目を閉じた。
「……キーストーンの波動、」
「ああ、何の目的でここにキーストーンを持ってきやがったのかは不明だが、とにかくそいつを無効化しねぇと事は片付かねぇだろう」
 シアンの隣でシャールは頷く。そして小さく舌打ちした。
「……さっきは無能野郎がキーストーンを持っていやがった所為ではっきりとは認識できなかったが……あの女が持っているのかもしれねぇな」
「あの女……、……クルラ、か」
 低くオーヴィッドが言う。その言葉を聞くまでもなく、全員の頭の中にクルラの姿が浮かんでいた。
 身体の両サイドにあるハンドガンをアルスは手に取る。そして使い慣れたその銃の感触を確かめ、弾丸を最大まで充填した。心なしか手が汗をかいている。はじめて銃を手にしたときのように、それが巧く扱えるのか不安になっていた。
 ユーフォリアが口を尖らせる。
「でもさ、罠かもしれないぜ? キーストーンの波動くらいしかこっちには情報源がないんだろ、だったらオレたちをおびきよせて始末しようって考えてるのかもしれないじゃんか。……クルラがそんな奴だなんて本当は考えたくないけど、イルブラッドが殺されたとこだって見たし……」
 だんだんとトーンを落とすユーフォリアの声に、周囲の空気も重くなってゆく。それはユーフォリアだけの意見ではなく、ライエやハディスも同じことを考えていたのかもしれない。
 銃をサイドに戻してアルスは拳を握り締めた。
「……罠だとしても構わない。いずれにせよ、キーストーンを無効化しなければI.R.O.の人間を発見したとしても危険なだけだ。それに俺は……あいつの真意を確かめないわけにはいかない」
 警視正、とライエは小さな声を発する。アルスの声はまっすぐな迷いないものだった。
「あの眼は普段のあいつの眼じゃなかった……何か隠している、そんな眼だ」
「…………くだらねぇ、甘ぇことばっかり抜かしやがって」
 吐き捨てるようにそう言うとシャールは中枢部を出ていこうと足を進めはじめる。
「俺はそんなことにつきあうつもりはねぇ。もし罠だったときはテメェが責任もってどうにかするんだな」
 振り返ることなくアルスに言葉を残すと、そのままシャールは廊下へと出ていった。その背中を見つめながら、もちろんそのつもりだ、とアルスは口の中で呟く。
 じわりとのしかかるような重い空気の中、ヴェイルはできるだけ穏やかな声を発した。
「遅れないように僕たちも行こう。いずれにせよ、はやく解決するに越したことはないし、ね」
 コンピュータの前に坐っていたライエが立ち上がり、ハディスとユーフォリアも廊下へと歩きだす。オーヴィッドはライエを護るようにそのすぐ近くを歩いた。
 続いて足をすすめようとするアルスとシアンの視線が絡まる。シアンは何も言わなかった。ただその瞳だけが心配そうな眼差しを向けている。大丈夫だ、というようにアルスは最大限やわらかな視線を返してみせた。