こんな運命なんて僕はいらない




 俺はベルセルクの思想を否定しようとは想わないな。
 ヴォイエントにあんな伝承を残した奴の気が知れない。あれは歪曲で、しかもベルセルクに対する侮辱だ。

 たしかに完全には否定できないけど、無辜の民の存在を考えると……あまり賛成できないな、僕は。




 非常用ゲートからI.R.O.に侵入し、システムの中枢部に向かう。外部からの連絡を遮断することができるのは中枢部だけだった。
 エレベータも動力を落とされており、結局階段で向かうしかない。その途中、突然シアンは足を止めた。ずっとシアンの様子を心配に想って見ていたヴェイルはすぐそれに気付いて声をかける。
「どうしたの、」
 その声に全員が足を止めた。はっとして、シアンは周囲の反応を見回す。そしてヴェイルに対して小さくかぶりを振った。
「声が……」
「……声?」
「うん、聞こえた気がしたんだけど……空耳かもしれない。ごめん、足止めさせちゃって」
 全員に向かってそう言うとシアンはゆっくりと足を進めはじめる。シアンが何を考えているのか周囲にはわからない。もしかしたら疲労が出ているのかもしれない。けれど本人が何も言わないかぎり、周囲はどうすることもできなかった。言葉は少ないものの、そこにある意志はとても強く映る。
 再び階段に足音を響かせ、一行は中枢部のある3階を目指した。I.R.O.内部は驚くほどに静かだった。何の音も聞こえない。外部から連絡が取れないのではなく、中に誰もいないのではないかと想うほどだった。
 その静けさに少なからず不気味なものを全員が感じている。3階まで階段をのぼりきったところでアルスが低く呟いた。
「……何かの罠かもしれないな」
「あるいは、そうかもしれん。我々を狙ったのか、無差別なのかはわからんがな……」
 オーヴィッドが小さく首肯した。
 目の前には大きな非常用扉がある。ここを開けば3階にある廊下の一角に出ることができるが、もし待ち伏せがあった場合はこの扉以外に逃げ場はない。迂闊に開くのは躊躇われた。
 アルスの背中を軽くハディスは後ろから叩く。
「罠だったとしても引き返すわけにはいかねぇだろうが。あの有志の人たちの希望なんだぜ、俺様たちは。とにかく罠があろうがなかろうが慎重に進む、それしかねぇだろ」
 自分より背の高いハディスがそう言うのをアルスは上目遣いに睨んだ。
「それは正論だが……、また希望であることが夢だとかロマンだとか言うんじゃないだろうな」
「おっ、わかってんじゃねぇか。さすがあー坊、俺様の大親友だな」
 大親友、という言葉に呆れてアルスは溜め息をつく。言い返す気もないのか、そのまま視線を外した。それでもハディスは楽しそうな表情を浮かべている。
 二人のやりとりを見ながらヴェイルはこの先のことについて考えをめぐらせていた。佳い状況でないことは確かである。それはもはや予感ではなく、事実だった。
「……本当にシアンの予感っていうのは当たるね」
 ヴェイルがそう呟いてシアンの方を見遣る。そのシアンはグレイの非常用扉の前に屈み込んでいた。その様子に驚いてヴェイルが目を丸くしていると、ライエはシアンの隣に屈んでその顔を覗き込む。
 どうしたの、とライエが問いかけると、シアンはライエの方を見遣った。そして小さく首を横に振って立ち上がる。その左手はゆるく握られていた。
 ふとヴェイルの視線は立ち上がったシアンの視線と絡まる。そのオッドアイはいつもの輝きではなかった。奇麗な煌めきを宿しているものの、それはどこか鈍さを有している。どきりとするほどに鋭い印象を相手に与える、そんな瞳だった。
 いつもと違うその様子にヴェイルが何か言おうとする前にシアンはアルスの背中に声をかける。どうした、とアルスが振り返れば、その蒼い瞳をまっすぐに見上げた。
「……覚悟は、した方がいいかもしれない」
 シアンの声はいつもの抑揚がないというだけのものではなく、どこか冷たい。さすがのアルスも一瞬息を呑んだ。
 射られそうなオッドアイに捕らえられたアルスに代わってユーフォリアが訊ねる。
「なんだよ、また厭な予感がするってやつか?」
「……確証がないけど、でも予感っていうレヴェルじゃない。ただの推測、ではあるけど……もっと蓋然性がありそう」
「わかったような……いや、やっぱわかんねぇ……」
 考えの片鱗が浮かんでくるような喋り方のシアンに対して、ユーフォリアは首を捻った。シャールですらシアンの考えていることに心当たりがないのか、何も言わない。
 周囲のそんな反応をよそに、シアンは非常用扉に手をかけた。ギイ、と鈍い音がする。その場に緊張が走った。
 扉が少し開いても何かが迫ってくるような気配はない。扉のすぐ向こうで待ち伏せがあるようにも感じられない。できるだけ音を響かせないように、ゆっくりとシアンは扉を押した。すると分厚いその扉の向こうから人の声が聞こえてくる。全員がその声に集中した。
『……から…………言って……、俺だって…………、一体……いつお前に……』
 途切れ途切れに聞こえてくる声は初めて聞く声ではなかった。不機嫌そうなその口調と落ち着きのないトーンは全員に同じ人物を思い起こさせる。
 ヴェイルが怪訝な表情を浮かべた。
「……この声……、もしかして……」
「単純思考の能無し腰抜け野郎か」
「シャール、なんだかとんでもない形容がまた増えてるね……」
 喉の奥で呟かれたシャールの言葉にヴェイルは苦笑する。案の定、黙れ出来損ない、とシャールの鋭い視線が返ってきた。
 再び耳を澄ませると、今度はガシャンと何かが派手に壊れる音がする。そのすぐ後に銃声が数発聞こえた。それらはシアンたちを狙っているわけではない。扉よりももっと奥でそれらの音は響いていた。
 シアンはそっと扉の向こうを覗く。そこに人の姿はない。声はもっと奥から聞こえているようだった。用心しながら扉を開き、3階の廊下へとそっと足を踏み入れる。ヴェイルたちもそれに倣った。
 廊下に出ると声はもう少し鮮明に聞こえてくる。けれど相変わらず聞こえるのはひとり分の声だけだった。ハディスが思わず顔を歪める。
「あの赤毛野郎だろ、この声。なにひとりで叫んでやがんだか……」
 ハディスがそう言い終えた瞬間、もう一度ガシャンという大きな声がして、硝子の破片が廊下の突き当たりに飛び散るのが見えた。それとほぼ同時に人影が突然出現する。それは先程から聞こえていた声の主、相変わらず紅いボサボサの髪を靡かせるイルブラッドだった。
 当然、今まで声を聞いていたシアンたちに驚きは一切ない。驚愕の表情を浮かべたのはイルブラッドの方だった。
「なっ……テメェら……!」
「イルブラッド……I.R.O.を封鎖してどういうつもりだ。これもアクセライの命だと言うのか、」
 冷静にオーヴィッドが問いかける。しかしイルブラッドは返事をしなかった。
 イルブラッドの様子は今まで見た彼の様子とは異なっている。シアンたちと一緒にオーヴィッドが行動しているということよりも、シアンたちがここにいるということよりも、もっと別のことに気を取られているような気がする。顔は真っ青で、額に汗が滲んでいた。目が異様に充血している。
 アルスがライエの一歩前に立つ。
「……様子が変だ……。ライエ、下がっていろ」
 そう言われてライエは数歩後ずさった。
 どうしたんですか、と抑揚のない声でシアンが訊ねてもイルブラッドは何の反応も示さない。唇を震わせながら、やっとのことで声を発する。
「ふ…ざけんな、俺は……俺はこんな処で死ぬわけにはいかねぇんだよ!」
 慌てたその声は虚しく響く。何かに怯えているような表情は演技でもなんでもなく、どう見ても本心からのものに見える。
 刹那、三発の銃声が響く。
 イルブラッドの顔が青ざめ、その唇の端から紅い筋がのびる。
 力を失った身体はぐらりと大きく傾き、音をたてて前のめりに倒れた。その背中の三箇所に惨いほどはっきりとわかる銃痕がある。
 口元を両手で覆い、ライエはぺたんとその場に座り込んだ。ヴェイルたちも苦々しい表情を浮かべている。しかし今注意をとられるべきなのはそこではない。イルブラッドを撃った人物がどこかにいるはずだった。もしかしたらI.R.O.の人間も巻き込まれてしまっているかもしれない。
 意識を気配に集中すれば、廊下の奥からゆらりと人影が現れる。ライエ以外の全員が身構えた。
 窓の外の陽は沈み、非常用の電灯だけが橙色の光を放つこの廊下は薄暗い。遠くまで視界はクリアになってくれない。廊下の両端にはI.R.O.の部署が並んでいるものの、そこに人の気配はなかった。
 なんとか目をこらすと、段々その人物がはっきりと見えてくる。コツコツと響く足音が緊張感を高まらせた。
 ある程度までその人物が近付いてきたとき、アルスは目を丸くした。
 紅とピンクの混ざったような短い髪と、すらりとした身体つきが少し遠くからでもよくわかる。意識が遠くなるような感覚を憶える。
 アルスの喉の奥から声が洩れる。
「…………クル、ラ……?」
「アルス、伏せてッ!」
 シアンが咄嗟に叫んだ。
 床を蹴るとアルスの身体を押し倒すように覆い被さる。そのシアンの左肩をレーザーが掠めた。
 大きな音を立てて二人は床に倒れ込む。一瞬のうちに何が起こったのかわからないまま、ハディスとユーフォリアは目を丸くしていた。
 傷口を押さえてシアンはゆっくりと立ち上がる。その視線の先にあるクルラの右手には銃が握られていた。遅れて身体を起こしたアルスも、一瞬事態が呑み込めていなかったヴェイルたちも、驚愕の表情を浮かべてクルラを見つめた。
「クルラ、お前……、これは何のつもりだ!」
 信じたくない、という気持ちが滲んだアルスの声は震えている。しかしその背後でシャールはあっさりと言葉を吐いた。
「何を驚いていやがる、警察。こいつは殺し屋だろうが」
「……な…ん、だって……」
 思考が硬直する。それはアルスだけではない、ヴェイルたちにとっても同じことだった。
 ただひとり冷静なシアンがシャールを見上げる。混乱して次の行動がとれないヴェイルに一度舌打ちして、シャールはシアンの左腕を引き寄せた。そしてポケットに入っていた応急処理用の包帯で止血する。
 ありがとう、と小さく呟いて、クルラに対する警戒を解かずにシアンはシャールに問いかけた。
「クルラのこと、知ってるの?」
「ああ……一応、アクセライの野郎の周囲にいる奴とは大概面識があるからな……。俺にしてみればお前らがあの女を知っていたことの方が驚いたが」
「アルスの、……仲間、ってことだったから。たまにアルスの家にも出入りしてたし……。スフレでの一件のときも、ホテルに来てくれてたよ」
「……なるほど。巧く俺に接触しないように動いてたってわけか」
 シャールは不敵な笑みを浮かべる。その視線の先でクルラは小さく笑った。
 冷静でいるシアンを見つめると、クルラはゆっくりと口を開く。
「シアンちゃんは相変わらず冷静やなぁ。もうちょっと驚いてもらえると想っててんけど、刺激が足りんかった?」
 その言葉に衝撃を受けたのは、シアンではなくアルスだった。そんな言葉がクルラの口から出るとは予想もしなかった、否、想いたくなかった。
 頭の中がかき乱される。目の前にいるのはクルラであることに間違いはない。そしてそのクルラはシャールの言葉を否定しない。右手に握られている銃はイルブラッドの背中を貫き、シアンに怪我を負わせたものだ。その事実が頭の中で錯綜する。
 まったく動じることもなくシアンは小さくかぶりを振った。
「……ごめんなさい……私は前々からなんとなく変だと想ってたから」
「ちょっとシアン、それ……どういうこと?」
 震えた声でヴェイルがシアンの背中に声をかける。ヴェイルだけではない、他のメンバーも、目の前にいるクルラもその答えを求めていた。
 ヴェイルに、ではなく、クルラに向かってシアンは答える。
「私を捕えたとき、アクセライはこう言ってた……"彼女"の報告通りだ、って。最初は誰のことかわからなかった……でもアクセライの動機や目的を知って、あの人が欲するのはある程度の戦闘能力のある人間だってわかったから。……私が関わったヴォイエントの女性の中から戦闘能力を持たない人間を除外したとき、残ったのはその能力があるかどうかわからないクルラだけだった、」
「なるほどなぁ、やっぱり鋭いわ、シアンちゃんは。アクセライも失言するし……やっぱりあの人はこういうこと向いてへんのちゃうかと想うねんけどな」
 あっさりとシアンの発言を認め、クルラは余裕に満ちた笑みすら浮かべる。その笑みに向かってシアンは再び口を開いた。
「あと、これは推測にしかすぎないけど……カシアさんをあんな風にしたのも、イルブラッドが使ったクレアの力を吸収する機械も、セントリストで例の爆発を引き起こしたのもクルラなんじゃない?」
 空気が凍りつく。
 今までショックを受けながらもなんとか平静を保とうとしていたアルスの瞳が不自然に揺れた。その瞳をクルラの視線が捉える。今この場に来て初めて絡まった視線は、残酷なほどに真っ直ぐだった。
 クルラはいつものように笑みを浮かべている。それが余計にアルスにとっては辛かった。シアンの推測に、本当なのか、と言うことすらできない。
 右手に持つ銃にクルラはそっと左手を添えた。
「……アルちゃん……ほんまか、って訊きたいんやろ? シアンちゃんの推測は間違ってへんよ」
「…………クルラ……、」
「そんな顔せんといて。……こういう日がくるってわかってたし、そうなる前にアルちゃんは苦しまずに離脱してもらおうと想たんや。でも巧いこといかへんかった……アルちゃんだけは苦しめたくないと想ててんけどな……」
 いつもの表情のままそう言うクルラにハディスは声を荒げた。
「お前さん、あんなにあー坊と仲良かったじゃねぇかよ! なのになんでそんなことができんだ! あー坊が哀しむと想わねぇのかよっ、」
 それでもクルラは少し嘲笑的に笑うだけで態度を崩さない。クルラのその表情にハディスはむっとした表情を浮かべた。
 構わずクルラは続ける。
「あのなぁ、うちはその道では結構有名なんやで? 依頼があったらそれを受ける、手段は選ぶとしてもそこにそれ以上の私情は関係ないねん」
 そう言うとクルラは天井に銃口を向けた。大きな音が響き渡る。
 発砲されたのは弾丸ではなく煙幕だった。先程銃に触れた際に中身をすり変えていたのだろう。
 一帯に煙が満ち、視界が奪われる。喉を刺激する煙に全員が咳き込んだ。その中、クルラの気配が消えてゆくのがわかる。それでも煙に呑まれてそれを追うことは適わなかった。
 ゆっくりと煙が消え、全員が顔をあげる。激しく咳き込んだため呼吸が乱れていた。
 まだ咳が止まらないライエが、それでもアルスに声をかける。
「……警視正、……」
「…………大丈夫だ、」
 少し震えた声でアルスはそう返す。その声はどう考えても大丈夫ではなかった。動揺しているのはアルスだけではない。ヴェイルたちにとってもそれは同じことだった。
 右手の拳でユーフォリアは壁を思いきり殴りつける。
「それにしても何だよあいつ! 俺たちの味方じゃなかったのかよ……アクセライのこっちの情報流してただけじゃねぇか!」
「よせ、ユーフォリア」
 先程とは違って少し鋭い声でアルスは制する。しんとその場が静まり返った。
 自分を落ち着かせるように少し間を取って、そっとアルスは口を開く。
「あいつ……俺を挑発しているな……」
 必死に冷静になろうとアルスはつとめていた。気を抜けば感情に溺れてしまいそうになる。動くのもやっとだった。目眩がする。
 ひとつ深く深呼吸をすれば、何かがすとんと落ち着くような気がした。無理矢理でも構わない、とにかく今のこの混乱をどうにかしたくて仕方がない。身体の奥ですべてが口を開いて待っていた。涙も、叫びも、怒りも、すべてが外へ出ようと暴れている。
 オーヴィッドが「どういうことだ」と冷静に声をかける。オーヴィッドもシャールと同じくクルラの存在を知っていたのだろう、動揺はみられない。
 そっとアルスは目を閉じた。
「……プロの殺し屋なんだろう、あいつは。本人も言っていたし、イルブラッドの殺り方を見ても鮮やかだ。そしてアクセライの所為でシアンに勘付かれたのを別にすれば、俺たちの味方に成り済まし、アクセライに情報を流し、それでも俺たちに気付かれることなく巧くやってきた……、それにしてはさっきは重要なことを喋りすぎたんじゃないか?」
「同感だな。いつものあいつならそんなことはしねぇだろう。姿を消しやがった理由はわからねぇが、何か企んでやがるのかもしれねぇな」
 シャールが腕を組む。その瞳は鋭く輝いていた。
 倒れているイルブラッドを見ないようにしながらライエは立ち上がる。明らかにイルブラッドは即死だった。思い出したくはない。
「あの……、先にI.R.O.全体のシステムを復旧させませんか? このままじゃ非常用電灯しかつきませんから、視界も悪いですし……」
「それはその方がいいかもしれないけど……、無理しなくていいんだよ」
「ありがとう、ヴェイルさん。でも大丈夫。私はそのために来たんだから。ここで何もしなければ、ただの足手まといだわ」
 心配するヴェイルに向かってライエは自分を奮い立たせるようにそう言った。
 廊下の先に向かって、一行の足音が移動してゆく。ただひとり、その場に突っ伏したままもう動くことのないイルブラッドが、掠れた光を浴び続けていた。