こんな運命なんて僕はいらない




 案の定、シップステーションは封鎖されていた。ウェスレーの亜空間破壊についての原因の究明はまだ為されていないらしい。亜空間が破壊されるなどということは誰も予想しなかった上に、それが起こったのはウェスレーである。セントリストならあちこちに亜空間を管理するシステムがあるが、ウェスレーのような辺境の地においては、シップステーションに防犯カメラがあるというのが唯一のハイ・テクノロジィだった。
 シアンたちからして、シップ封鎖の事態についていえば罪悪感がないといえば嘘になる。だからといって何もせずに無法空間の解除を待っていては亜空間の中で塵芥になるのが目に見えていた。亜空間を破ったのはマルドゥークである、イーゼルの件も解明されていないのだから、おそらく今回も何が起きたのか特定することなど不可能に近い。
 正常に運行されている電車に乗って、ともかく一行はI.R.O.に向かうことにした。シップが使えない限り、ハディスとユーフォリアは歩いて帰るという暴挙を成し遂げない以上、スフレには戻れない。とにかくI.R.O.に戻って様子を見るのが賢明だった。
 セントリストの中心部ではないにしても、ウェスレーに比べると格段に人は多くなる。I.R.O.に向かうにつれて電車の中の人口密度は高くなり、車内は賑やかになっていった。
 しかし乗客の乗降を繰り返していたその電車は、突然I.R.O.のひとつ手前の駅で動く気配をみせなくなる。そしてしばらくすると、車内にアナウンスが流れた。
『乗客のみなさまにお知らせいたします。現在I.R.O.本部に警戒警報が発令されているため、この駅で緊急停車いたします。ご理解とご協力をお願いいたします。繰り返します……』
 そのアナウンスで車内はざわつき始めた。乗降口が開いたままになっている。それ以上の指示がないということは降りろということなのだろう。
 シートに身を沈めて眠っていたシアンは、アナウンスとざわつき加減で目を覚ました。その隣でヴェイルは口元に手を当てる。
「I.R.O.で何かあったってことかな……」
「…………厭な予感がする、」
 ぽつりとシアンは立ち上がりつつ呟いた。その声は小さいものの、何か重みをおびたように周囲に響く。
 アルスは通信機を取り出した。I.R.O.で何かが起こっているはずだというのに、何の連絡も入っていない。電車が入れないような事態になっているというのに警察が放置しているとは想えない。そうなれば連絡せずに片付く程度なのか、連絡できないのか、どちらかである。
 ぎゅっと通信機を握り締めてアルスはメッセイジの入らないその画面を見つめた。
「シアンのそういう予感は当たるからな……」
 低く唸るように呟かれた声は、まだ混乱のおさまらない乗客の声に紛れた。





 駅を出て一行は徒歩でI.R.O.へ向かった。I.R.O.に何かが起きたことは確かなようで、住民たちは混乱し、道路に溢れていた。その間をなんとかかいくぐって一行はI.R.O.へと近付く。
 するとしばらくして目の前にフェンスと軽く武装した人々の姿が現れた。天に向かって聳え立つ高層ビルの集まりであるI.R.O.本部はフェンスに囲まれ、静まり返っている。それはいつものI.R.O.本部の姿とはまったく違う。その建物は夕陽を遮断し、大きく影を背負っているように見えた。
 人々はその武装した集団に向かって口々に大声で何かを叫んでいる。見慣れない武装集団の中のひとりに近付いて声をかけると、アルスは警察手帳を見せた。
「I.R.O.警察本部の者です」
 それまで住民の声を次々に浴び、戸惑いと混乱を隠せなかった武装した人々は、警察手帳を見るなり顔色を変えた。魅入るようにI.R.O.警察本部のロゴを眺め、それからアルスの目の前にいた女性が口を開く。
「よかった、警察本部の方が外にいらっしゃるんですね」
 その声は随分と嬉しそうに聞こえる。
 どういうこった、とアルスの後ろでハディスが呟いた。今この状況下で一番信憑性を得られるアルスがそれを代弁する。
「警察本部の人間が、というよりも私が個人的に偶然外に出ていたにすぎませんが……何が起こっているのかご説明いただけませんか」
「そうなんですか……、でも本当に警察の方がひとりでも外にいらしてよかったです。……実は、今I.R.O.の全システムがダウンしているんです。自然発生的なものではなくて、何者かがI.R.O.を乗っ取ったみたいで……I.R.O.の内部とは警察本部も含めてすべての部署と連絡が取れませんし、下手に近付くと防衛システムに攻撃されてしまって……」
「たしかに自然にシステムがダウンしたなら防衛機能も死んでいるはず……何者かの手によるものだということに違いはなさそうですね」
「ええ……。それで私たちが、あの、ただの有志なんですけど、取り敢えずI.R.O.を封鎖させていただいているんです」
 ただの有志だという言葉にシアンたちはすぐに納得がいった。慣れない武装と混乱に対するたどたどしい応じ方は、どこか組織だったものに属する人々でないということからくるのだろう。
 それでも、こうして人々がI.R.O.のために尽くしてくれているというのはアルスをはじめI.R.O.に関する全員にとって有り難いことだった。
「……ありがとうございます。我々がふがいないばかりに危険な目に遭わせてしまって申し訳ない」
「いえ、いいんです。私たちもセントリストを護りたいですし、それに先の一件では警察の方々に助けられましたから……」
 そう言う女性の隣にいる男性をシアンはふと見遣った。すると偶然その男性と視線が合う。目が合うと、はっとしたように男性は「君は……」と声を発した。
 そう言われてもシアンの頭の中はまだぼんやりとしている。そこに先の一件という言葉が聞こえ、シアンはやっとその男性を認識した。
 ヴェイルがシアンに向かって小さく首を傾げる。
「知り合いなの?」
「先の一件のとき、彼女に助けていただいたんですよ。……あのときは本当にありがとう、」
 返事が相変わらず遅いシアンにかわって、その男性が代わりにそう言った。そして微笑みをシアンに向けると、オッドアイは戸惑いをみせる。
「べつに……、たいしたことをしたわけじゃありませんから……」
 そっけない返事をするシアンを横目で見ながらヴェイルは慌てて男性に「すみません、彼女ちょっと恥ずかしがりやなんです」と説明を加えた。もちろん、その説明は正しくない。けれど細かいことを言わずに一番簡単に相手を納得させるのには適していた。
 アルスは女性の方を向き直る。
「取り敢えず、フェンスの中に我々を入れていただいて構いませんか。内部と連絡が取れないなら、外から何とかするしかないでしょう……とにかく、少し近付いて様子を見たいんです」
「わかりました。……こちらへ」
 一度しっかりと頷くと、女性は未だ混乱でごった返している人々の間をかきわけてフェンスに沿いながら移動してゆく。その女性を見失わないようにシアンたちもそれに続いた。
 人の中を進み、それから抜け道のような細い通路を抜けて、やがて一行はぐるりと張り巡らされたフェンスの一端に到着する。先程とは違い、ここは随分静かだった。フェンスのうちひとつを外し、女性は「こちらからどうぞ」と丁寧にそう告げる。アルスがありがとうと言うと、女性は頭を下げた。
「私たちにはこれくらいのことしかできません。どうかセントリストのために……お願いします」
 感情のこもった声でそう言って、女性はもと来た道を戻っていった。
 混乱の声はここまで届いている。しかしこの落ち着いた場所ではそれすらも冷静に聞くことができた。とにかく一旦落ち着くためには最適の場所に想える。
 遠くから聞こえてくる人々の声を耳にしながらハディスは腕を組んだ。
「しかし一体どうなってやがんだ、天下のI.R.O.がこんなことになるなんて……」
「セントリストはI.R.O.を中心として動いていますから、内部と連絡が取れないとなるとこれからもっと混乱が起きても不思議ではありません……、あの方たちは何者かがシステムをダウンさせたって仰ってましたけど……」
 ライエが語尾を濁すと、ユーフォリアはその意を汲み取って同意を示した。
「実際のところが全然わかんないよな、だってさ、I.R.O.警察ってヴォイエントでナンバーワンだって言うじゃん、侵入者があったって対応できると想うんだけどなぁ……」
 目の前にあるI.R.O.を見上げれば、視界は聳えるその建物に埋め尽くされる。すぐ近くで見るビルは不自然に静まり返っていて異様な迫力があった。あまりいい気分はしない、というよりもどこか不気味な感じさえした。
 そのI.R.O.を見ながら、シアンはシャールの袖を軽く引っ張る。それに反応してシアンの方に視線を移したシャールは小さく頷いた。
「……お前も気付いたか」
 低く呟かれた声に全員がシアンとシャールのいる方を見遣る。周囲が答えを求めていると知ってか、それともただ自分で納得するためなのかはわからないが、ぼうっとしたままシアンは言葉を紡いだ。
「キーストーンの気配がする……」
 シャールはI.R.O.に向かって数歩足を進めた。気配を確認するように意識を研ぎ澄ます。特に反応を見せないことを考えると、キーストーンの気配があることに違いはなさそうだった。
 しばらく気配を察し、それからシャールはアルスの方を振り返る。
「外からどうにかするんだろう、警察。やるなら早くしろ」
 キーストーンが絡むと俄然やる気になるシャールの態度にやれやれと想いつつも、アルスは冷静に全員に向けて言葉を発した。
「おそらくかなりの危険は覚悟しなければならないだろう、疲労が激しいようならここに残ってくれても構わない」
 そう言っても、ここに残るという人間は誰ひとりとしていない。シアンが残ると言うとは想っていなかったものの、実際これからまたシアンが消耗を続けることになると想うとヴェイルとユーフォリアの心境は複雑だった。たしかにシアンの戦闘能力は秀でている、何かあったときに力を発揮することは間違いないだろう。そしてここに留まることはシアンの意志に反している。それでもこれ以上の疲労を黙って見ているというのも酷なものだった。
 アルスはまずオーヴィッドに本当にいいのかと確認をとり、それからライエに視線を移す。アルスの心配そうな眼差しにライエは少し顔を赤らめつつ、言葉で訊ねられる前に自ら口を開いた。
「私も行かせてください。これでも一応I.R.O.システム管理課の人間ですから……少しはお役に立てると想います」
「……いつも巻き込んですまないな。戦闘中は俺が護ると約束しよう」
 アルスの蒼く深い瞳に見つめられて、ライエはかろうじてありがとうございます、と早口で言う。それを見ていたハディスが含み笑いを浮かべた。
「いいねぇ、警視正様。そういう科白、やっぱ男前には似合うよなぁ」
「茶化すな、莫迦なことを言ってないでお前もライエを護ってやれ」
 アルスはすっぱりとハディスの言葉をはねのけた。はいはい、とまだ何かを楽しんでいるかのようにハディスは返事をする。
 オーヴィッドはI.R.O.を改めて見上げた。威嚇射撃をしそうな機械やアラームのようなものが見える。内部コントロールを失い、ただ防衛機能だけが働いているその建物は、厳重なシステムを搭載した巨大な兵器のようだった。
「しかし……外からどうにかすると言ってもどうするつもりだ、迂闊に近付けば防衛システムに攻撃されてしまうのだろう」
 そのオーヴィッドの問いを受けて、アルスはライエを見遣る。そして確認するような口調で問いかけた。
「防衛機能は外部から解除できると聞いたことがあるが……間違いないか、」
「はい、システム管理課のパスコードと操作手順を把握していれば解除できます」
「……その言い方だと、お前はできそうだな」
 やさしく、信頼のこもった目でアルスはライエを見つめる。それに対してライエは小さく頷いた。
 その話を聞きながらヴェイルは少し考える仕草をみせる。
「じゃあ僕たちでレジストを張って防衛システムの攻撃を防いで、その間にライエに解除してもらうっていうことになるのかな」
 そうですね、とライエはヴェイルの意見に同意した。
 ポケットから機械を取り出してライエは外部にある操作パネルの場所を確認する。普段は隠されているため、余程近付かないとどこにあるのかわからないようになっている。しかし威嚇射撃を受けながらそれを捜すわけにもいかない。機械を操作して、そのパネルの場所を把握すると、ライエは自分自身を奮い立たせるようにしっかりと頷いた。
 開かれたフェンスの向こうにシアンたちは足を踏み入れる。ここから操作パネルまでライエが到達できるような道を確保するようにレジストを張る、その作戦で全員が一致した。術の満足に使えないハディスは万一に備えてライエとともにそのパネルのある場所まで同行することになっている。
 ある一定のところまでアルスが足を進めたその瞬間、ビルの何箇所かから威嚇射撃が放たれた。既に精神集中を完了していたシアンたちは同時にレジストを張る。力の合わさったそのレジストは強力で、しかも広範囲に広がった。
 そのレジストの内側を走ってライエは操作パネルのある場所に一直線に向かった。何も知らない人間が見ればただの黒い外壁にしか見えないような場所に、ライエはそっと手を当てる。指紋認証完了、という短いメッセィジがその黒い壁に表示され、外壁が開いた。そこにはパネルが複雑に並んでいる。
 さも簡単そうに、ライエはそのパネルを叩いた。後ろで見ているハディスにとっては何がどうなっているのかさっぱりわからない。その間もレジストによる防衛は続いている。できるだけ早く片付けようと、ライエの手はスピィドを増した。
 突然、ぱたりと威嚇射撃が止む。念のためまだレジストを解除していないシアンたちに、ライエは声をかけた。
「ありがとうございます、解除完了しました……もう大丈夫です」
 ライエはどこかほっとした表情を浮かべている。そのライエに駆け寄りながらユーフォリアは「さっすが!」と嬉しそうな声をあげた。年下にとは言えどもまっすぐに褒められて、ライエは言葉を曖昧にしながら謙遜する。シアンたちはレジストを解き、そのまわりに集まった。
「ここから一番近い非常用ゲートを開けますね」
 そう言うとライエはまたパネルを叩きはじめる。すぐに傍にあるゲートの開く無機質な音がした。
 ここから見えるゲートの奥は闇に満ちている。何があるかわからないという普遍的な感覚と、そして何か不気味な雰囲気はゲートが開くことによって増した気がした。
 行こう、というアルスの声が低く響いた。










 ぼんやりとした視界が木目を捉える。何がどうなっているのかよくわからないまま瞳は焦点を合わせることもできず、目が開いたままセラフィックはしばらくぼうっと天井を眺めていた。
 ゆるりと現実が頭の中で把握されてくる。アクセライとの会話、身体中に走った痛み、倒れたときに触れた大理石の床の冷たさ。
 すべての記憶がクリアに蘇ったその瞬間、セラフィックは息を呑んだ。
「…………ここは……、……僕は……生きてる……、」
 夢ではなく、これは現実だった。
 見慣れない木造の建物の一室で、セラフィックの身体はベッドの上にある。傍にあるベージュのカーテンの隙間から消えかけた夕陽が漏れていた。身体のあちこちに包帯が巻かれている。額には冷たいタオルが乗せられていた。
 タオルを手に取ってゆっくりと身体を起こせば、全身に容赦なく痛みが巡る。その痛みにセラフィックは思わず声を洩らした。それでも無理矢理に精神集中を行ってレメディを詠唱する。けれどその効果は微々たるもので、ズキズキと痛む瑕を癒すことなど到底できなかった。
 無意識のうちにセラフィックは溜め息をつく。とにかくどうしようもない自分が厭になった。こんなことをしている場合ではないのに、と頭の中で自分が自分を急かしている。
 そのとき、木の扉が開く独特の音がした。音のした方をセラフィックが見遣ると、そこに人影が見える。それが誰なのか、見紛うことのない翼の所為か、遠目であるにも関わらずセラフィックはすぐにわかった。
「……カシ…ア……」
 予想もしなかった人物にセラフィックは目を丸くした。生きているかどうかもわからなかった、突然自分たちの前から姿を消したその人物が、そこにいる。
 一方カシアは随分と落ち着いていた。ベッドの上にセラフィックが坐っていることに気付くと、慌ててベッドに駆け寄る。
「よかった、気がついて……。あ、まだ横になっていないと駄目ですよ」
 可愛い弟を看病する姉のように、カシアはセラフィックを横にならせるとその額に再びタオルを置いた。
 動けば痛む瑕をできるだけ意識しないようにして、セラフィックはカシアを見上げる。
「君が……助けてくれたの、」
「助けたっていうほどじゃないわ、この近くに……あ、ここはノルンの教会なんだけど、あなたが倒れていて。だからここまで運んだだけ」
「ありがとう。……僕は今まで君に非道いことをしていたのに……」
 その言葉に対してカシアはかぶりを振る。ベッドサイドに小さな椅子を運ぶと、そこに腰掛けてセラフィックを見つめた。
「私はあんな状態になっても自分の意識で外界を見ていたわ。あなたは私に何の危害も加えなかった……」
「それでも、君があんな状態になるのを止めることができなかったというのも事実だよ。治す方法を見つけることができなかったということも……ね」
 セラフィックは本当に申し分けなさそうな表情をしている。あなたが謝ることじゃないわ、とカシアは穏やかに告げた。
 それにつられるようにセラフィックも少し表情を緩める。
「……君が無事でよかった。波動が消えたから心配してたけど、それは君がもとに戻って波動が変わったからなんだね」
「シアンさんたちに助けてもらったの。この教会で私が住み込みで働けるように口添えしてくれたのもシアンさんたちだし、」
「……シアンたちに、」
 そう言うとセラフィックは少し身体を起こした。動けば容赦なく瑕は痛む。その苦痛を押し殺すようにカシアに向かって真剣な表情を向けた。
「カシア、……シアンたちに連絡はとれる?」
「え、…ええ……ヴェイルさんになら……」
 突然真顔で訴えるように言うセラフィックにカシアは目を丸くした。当然のことだが、セラフィックの意図などカシアにはわからない。それでもその表情がただひたすら真剣であることはわかった。
 余程瑕が痛むのだろう、時折セラフィックは表情を歪めている。それを心配してカシアが再びセラフィックの身体をベッドに横たわらせようとした。しかしその身体には力が入っていて、ただカシアを真剣に見つめてくるだけでしかない。
 視線を合わせたままセラフィックはその眼差しに力をこめた。
「急いで伝えてほしいことがあるんだ、」
 伝えてほしいこと、と鸚鵡返しにカシアは呟く。セラフィックは小さく頷いた。
 あまりに真剣なその表情に、わかったわ、とカシアは了承を示す。そしてその返事に安堵の色を見せたセラフィックを再びベッドへと戻した。痛みを堪えたセラフィックの額にはうっすらと汗がにじんでいる。
 それからセラフィックが口を開く前に、カシアは少し躊躇いがちに切り出した。
「……でもその前に訊いてもいいかしら。……その怪我はいったいどうしたの? それにどうしてあんな処に倒れていたの?」
 その問いにセラフィックは一瞬苦々しい表情を浮かべる。それでもすぐに普段の穏やかな表情に戻ろうと、どこかぎこちないまま、それでも笑顔をつくってみせた。
「……アクセライと、意見が食い違っちゃって。考え方の違いから言い合いをするのは今に始まったことじゃないけど、今回は……シンシアが消えてしまったこともあって、精神的に不安定だったんだと想う」
 シンシアさんが、とカシアは呟いた。どちらかといえばシンシアには冷たく当たられていたため、カシアにとってあまり佳い思い出は残っていない。それでも知っている人間が消えてしまって、心のどこかが寂しいというのも事実だった。
 やさしい声でセラフィックは続ける。
「でもアクセライは怒りに任せて僕を攻撃したわけじゃないんだ、」
「じゃあ、どうして……」
「……僕が彼から離れていってしまうと想ったみたいで……そうなるくらいなら俺がこの手で……って。…………まったく、相変わらず頭かたいよね」
 身体中に非道い瑕を負わされたというのに、セラフィックは笑顔すら浮かべている。彼がそんな風にいられることがカシアには信じられなかった。
 変わらない調子でセラフィックは続ける。
「でも僕もおとなしく消えるわけにはいかないから、朦朧とする意識の中で術を使ったんだ。このままじゃどうしようもないから、とにかくどこかへ行かなきゃいけないと想って……、そうしたら偶然……」
「術で移動して、彼処に倒れていたのを私に発見された……、のね」
 カシアが確認すると、セラフィックは首肯した。
 何を恨む様子もなく、何を後悔する様子もなく、ただセラフィックは現実を肯定している。その姿は落ち着きがあるようで痛々しい。そして、その奥には間違いなく強い意志があった。穏やかな表情に隠されたその意志は言葉として表現されることはなくても、カシアの目に眩しいほどに映る。
 そうまでしてセラフィックが起こそうとした行動を、その真意はわからずとも、どうにかして手助けしたいとカシアは話の途中から無意識のうちに想うようになっていた。椅子から立ち上がると、話してくれてありがとう、と微笑みかけ、それから再び口を開く。
「ヴェイルさんに何を伝えればいいの?」
 静かに、けれどもしっかりと承諾の意を示すカシアに、セラフィックは真っ直ぐな眼差しを向けて言葉を紡いだ。