不変の禍根、選んだ道




 強引にシャールに腕を引っ張られてシアンはシップステーションの外にまで出ていた。シャールの気が立っているのはシアンも察している。そのため何も言うことなく素直にここまで出てきていた。
 ステーションを出たところのコンクリート壁にシアンは凭れかかった。その目の前にシャールは立っている。シャールは腕を伸ばしてシアンの隣の壁に右手をつくと、オッドアイをじっと見つめた。その瞳は責めるようなものではない。しかし、シャールはシアンを逃がそうとはしなかった。
「無理すんじゃねぇぞ、アリアンロッド」
 低い声でシャールはそう言う。その声は心なしか震えていた。
 対照的にシアンは平然としていた。壁についたシャールの手を包むように掴むと、そっと壁から離させる。そしてゆっくりと目を伏せた。
「べつに無理してないから」
「無理しねぇでそんな冷静にいられるわけねぇだろうが」
「……本当に無理してるわけじゃないよ。なんとなくわかってたから……今更驚いたりしないし、決めたことを変えたりはしない」
 シアンの口調は落ち着いている。シャールは目を丸くしてシアンを見つめた。
 風が吹き、ふたりの髪を弄ぶ。靡いたシアンの髪にシャールは右手を絡ませた。
「わかってた……って、どうして気付いたんだ、そんなこと」
 行動こそいつもシアンに対するときのようにやさしいものの、シャールはまだ完全に落ち着いてはいない。紅い瞳は不自然に揺れていた。
 そのシャールの目に、更に彼を動揺させるものが映る。シアンは自分の髪に絡まったシャールの指にそっと触れた。そしてそのとき、彼女の服の袖からのぞく白い腕にある瑕にシャールは気付く。はっとして反射的にシャールはその手を掴んだ。
 白い腕には幾つもの瑕がついていた。新しいものでは決してない。しかしその瑕疵はくっきりと痕を残している。
 シャールは自分の目を疑った。
「この瑕……」
「禁忌使ったら少しずつ瑕ができてた。心なしか体力も落ちてきた気がするし、なんかおかしいなって」
「……いつ頃からだ」
「わからない……気付いたら、そうなってた。禁忌を使う度に瑕が増えるっていうのに気付いたのも、瑕ができるようになってしばらくしてからだったし……。でも、シャールに初めて逢ったときにはまだ気付いてなかった」
「相談は……その様子だと誰にもしてねぇんだろうな」
 溜め息まじりにそう言ってシャールはシアンの手を離した。それでも瞳はまだシアンをとらえたままでいる。
「……瑕はどのくらいだ」
「今は結構ある……禁忌も使ったし、特にキーストーンを無効化したときはきつかったし……半袖はもう着られなさそう」
「それでいつも腕隠してやがったのか」
 納得してシャールが言うと、シアンは小さく頷いた。相変わらず冷めた顔をしながらシアンは首を傾げる。
「どうしてそんなに心配してくれるの? シャールだって同じことだと想うけど……。禁忌使いなのはシャールもアクセライもなんだから」
「俺はべつにどうだっていい。もともとそういう存在だからな。あの男のことなんざ俺の知ったことじゃねぇ」
「もともとそういう存在……?」
「生きてねぇってことだ、俺は……」
 シャールがそう言いかけたとき、突然近くで物音がした。ふたりは音の聞こえてきたシップステーションの方を見遣る。
 顔をしかめてシャールは地面を蹴った。そして音の聞こえてきたところまで走る。そこにはヴェイルとユーフォリアの姿があった。そのふたりを見るなり、シャールは明らかに不快そうな表情を浮かべる。
 遅れてシアンはマイペースにシャールに追いついた。そしてふたりの姿を認めると、何も言わずにどうして此処にいるのかということだけを不思議がるようにただ首を傾げる。
 特に気にしていないようなシアンとは逆に、シャールはヴェイルを思いきり睨み付けた。
「盗み聞きとはいい度胸じゃねぇか。殴り殺されてぇのか」
「アルスがそろそろ帰ろうかって言ってたから呼びにきたんだよ。盗み聞きにきたわけじゃない」
「口答えすんじゃねぇ。理由はどうあれ隠れて聞いてやがったんだろうが」
 シャールの口調は容赦なかった。それを聞いてシアンはシャールの袖を軽く引いた。そしてそれに気付いて振り返ったシャールに向かって小さくかぶりを振る。シアンに諌められてシャールは仕方なく罵声を浴びせるのをやめた。
 ヴェイルはおそるおそるシアンを見つめて口を開く。
「……シアン、今の話……」
「聞いてたんじゃないの? 嘘は言ってないから、聞いたまま解釈してくれればいいよ」
「そんな……。禁忌がそんな術だったなんて僕は全然……」
 弱々しいヴェイルの声は今にも消え入りそうだった。ユーフォリアも戸惑いの表情を浮かべている。
 そんな様子を見たシャールはシアンに諌められたことも忘れて再びヴェイルに詰め寄った。後ろから少し慌ててシアンがシャールの名を呼んだが、気が立っているためかシャールの耳にその声は届かない。
「テメェ……今まで何も知らねぇでアリアンロッドに禁忌使わせてやがったのか! こいつの身体はなぁ、」
「やめてシャール!」
「こいつの身体はもう永くは保たねぇんだぞ!」
 シアンの制止を遮ってシャールはそう叫ぶ。
 ヴェイルの唇から「え……」と声が零れる。ヴェイルの頭の中は真っ白になった。刻が止まってしまったかのように身体も思考も動かない。その場に立っているのがやっとだった。
 対照的にユーフォリアはシアンへと歩み寄っていた。そして自分よりも少し背の低いシアンの両肩を掴むと、ぼんやりと焦点をあわせているオッドアイを覗き込む。普段ならシャールが腹を立てるであろうその行動を、怒らないようにシャールにシアンは瞳だけで伝えていた。  涙声でユーフォリアはシアンに訴えるように叫ぶ。
「なんでだよ……そんな話おかしいじゃんか! お前、この世界を平和にするんじゃねぇのかよ! 平和にして、人々が幸せに暮らせるようにって……。なのに……なのに、その平和になった世界にお前がいなきゃ意味ねぇだろ!」
「……ありがとう。そう言ってくれるだけで充分だから」
「お前は充分でもオレは納得いかねぇんだよ!」
 まっすぐに見つめているにはシアンの表情は冷静すぎて、ユーフォリアは顔を伏せながら声を絞りだした。
 シャールはヴェイルの横まで足を進めて立ち止まる。そしてヴェイルを見ないまま、まっすぐ前を見て怒りのこもった声を発した。
「アリアンロッドがどうして禁忌を使っても平気だと想う? ……自分の命を削って取り込んだ残留思念を浄化してるからだ。普通の人間はそんな芸当できやしねぇ……だからあんな風に暴走しやがる。禁忌を使う者は暴走するか命を削るか……そのどちらかの道を歩む。そしてアリアンロッドは今まで命を削り、禁忌を使い続けてきた。まぁ……本人もそのことには途中まで気付いていなかった……と言うより、確証が持てたのはさっき倒れたときみたいだがな。禁忌がもたらす作用である幻覚や幻聴を無意識にクレアが封じていたんだろう」
「そんなこと僕は……」
「知らなかった、とでも言えば済むと想ってんのか? テメェの目の前でアリアンロッドは……」
「シャール、ヴェイルは何も悪くない。……ヴェイルを責めるのはやめて」
 少し厳しい声で、しかしマイペースに落ち着いた口調でシアンが割って入る。シャールは先程と違い、シアンの制止に応じて口を閉ざす。
 そっとユーフォリアの手を自らから離し、シアンは三人に背を向けた。茶色い髪が無造作に風によって弄ばれる。
「クリスタラインは見つけられたんだし、あとは近付く方法を考えれば私がクリスタラインの残留思念を浄化できる。そうすればクリスタラインは封印されて、ヴォイエントは平和になる。残留思念の生みだされる場所がなくなればキーストーンの力の源も消えてアクセライたちのやろうとしていることも不可能になる。それで……すべてが終わる」
「ふざけんなよ! お前が犠牲になってそれで終わりって、そんな莫迦な話があるかよ!」
「ユーフォリア……、私はそのためにクライテリアからヴォイエントに来たんだよ。それに……誰かがやらなきゃいけない。ヴォイエントの不死者が消えないまま、力のない人々が殺されていく……そんな世界を放っておいていいわけない。力がないならともかく、私には力があるんだから」
 振り返ることなく言い切って、シアンは目を閉じた。その背中は世界という大きなものを受け止めるにはあまりに小さい。だからこそ余計に、話を聞いている人間は胸が痛かった。
 シャールはシアンの背中を見つめたまま腕を組んだ。長い前髪の下で紅い瞳が揺れている。溜め息とともに、低い声が吐きだされた。
「……本当に、それでいいのか?」
 何も言わずにシアンは頷いた。それを見て、シャールはくるりと向きを変え、シップステーションへと足を進める。怒鳴ったかと想えば、急に落ち着く。いつものような温度差ではあるものの、この状況では何か重いものをヴェイルたちは感じずにはいられなかった。
 振り向かずに「お前がそう言うなら、俺はこれ以上何も言わねぇ」と呟いたシャールの背中が遠のいてゆく。唯一平常心で話を続けていた人物が去ってしまったそこは、静寂に包まれた。
 しばらく間を置いて、シアンもシップステーションへと足を進めた。
「あんまり待たせるわけにもいかないし、私たちも行こう」
 冷たい声が響く。ユーフォリアはそう言われても動けずにいた。突然与えられた予測することもできなかった情報に、頭の中が混乱している。
 錯乱しているのはヴェイルも同じことだったが、反射的に彼の身体は動いていた。歩きだすシアンの進路を遮るように立ち塞がると、足を止めたシアンの両肩をしっかりと掴んだ。
「諦めちゃ駄目だ! ……僕が捜すよ、君が生きられる方法を」
「……ヴェイル……、」
「君ひとりにすべてを背負わせたりしない。だから……簡単に割り切るようなことはやめよう、きっとなんとかなる、なんとかするよ」
 ヴェイルの瞳は僅かに潤んでいた。今までに見たことのないような険しさと哀しさを兼ね備えたようなその表情は、すべての感情を露呈している。いつも穏やかさで包み隠すヴェイルにとっては珍しいことだった。
 そっとシアンは目を閉じる。
 戦ぐ風の中、シアンの唇が「ありがとう」とゆるやかに紡いだ。