不変の禍根、選んだ道




 荒れ野で長々と話をするわけにもいかず、シップステーションに移動することになった。シップステーションには待合室のような小さなブースがある。普通のシップステーションならそこはシップを待つ乗客で混雑するのだが、ウェスレーに出入りする乗客はほとんどいない。そのため待合室には誰の姿もなかった。
 オーヴィッドが加わり更に人数を増した一行はその待合室を占領するようにそこに集まった。白い壁にそってベンチが部屋の中にぐるりと巡らされている。話をするには丁度良い環境だった。念のためオーヴィッドの両隣りにはアルスとハディスが座り、シアンはオーヴィッドから遠い位置に座っている。シアンが自らそうしたのではなく、アルスとハディスの視線に促されてのことだった。
 その遠くにいるシアンを見つめて、オーヴィッドは軽く一度頭を下げた。
「改めて礼を言う。ありがとう、禁忌使い……いや、シアンといったか」
「いいですよ。べつになんでも」
「いや、よくねぇだろ……名前くらい覚えさせとけよ」
 平気な顔で答えるシアンに思わずユーフォリアが口を出す。
 少し間を置いて、オーヴィッドが続ける。
「……それから、謝らねばなるまい。以前……旧エクセライズ社で我々がお前に投与した薬は私が製作したものだ」
 よどみなく述べられた告白に全員が驚きを示した。
 オーヴィッドの語り方は流暢で落ち着きがある。低い声で、早くも遅くもない的確なスピードで綴られる言葉は聞いていて耳に馴染みやすい。
 オーヴィッドの発言を一番落ち着いて受け入れていたのはシアンとシャールだった。自分が投与された薬をつくっていたという相手に対しても、シアンはさらりと普通の会話をかわす。
「そういうの、得意なんですか? 薬なんて誰にでもつくれるものじゃないと想いますけど」
「私はずっと薬学の研究をしていた。それ故、一般の人間よりはそういった知識がある」
「でも……薬学の研究をしてらしたのに、どうして今はアクセライさんと一緒に行動してらっしゃるんですか?」
 遠慮がちにライエがそう問いかける。女性の方が肝が据わっているのか、いつもと同じような口調で会話を続けてゆく。男性陣がある程度の警戒を続けたままでいるため、妙にバランスがとれていた。
 少し俯き加減になってから「つまらん昔話だが」と前置きをしてオーヴィッドはライエの質問に答えはじめる。
「あるとき、仲間が禁忌使いに殺された……いや、正確に言えば禁忌を使って失敗し、暴走した人物によって、ということになるか。そのとき私も片手を負傷し、切断した。この義手はその所為だ。それ以来、私は禁忌使いを恨むようになってしまった……情けない話だがな。すべての禁忌使いが悪いわけではない、しかし私と同じように親しい者が殺されたという想いを経験した者もこの世には大勢いよう……そう想うと割り切ることなどできなかった。……丁度そんなときに、私はアクセライと知り合った」
 一旦オーヴィッドは言葉を切る。誰もその静寂に割って入ろうとはしなかった。ただ黙ってオーヴィッドの話の続きを待っている。
 つまらないと前置きされたその話が本当につまらないかどうかは人それぞれだとして、彼は自分のすべてをさらけ出すような話し方をしていた。それは言い訳がましくは聞こえず、彼の本心として聞く者の耳に届く。警戒していたアルスやハディスも、紡がれる言葉に真剣に耳を傾けていた。
 それはオーヴィッドにとってももちろん悪いことではない。大勢の聞き手を前に、話を続けた。
「私の事情を知ったアクセライは私にこう言った。すべての禁忌使いに復讐してやろう、と。親友の死によって絶望の渦に呑まれていた私は、愚かにもその考えに同調した……そして彼と手を組むようになった。彼自身が禁忌使いであることや彼の目的を知ったのはその随分後、もう私が引き返せないところまで彼に尽くした後のことだった……」
「目的……。それは、ヴォイエントへの破壊衝動によるもの?」
 少し険しい表情になってヴェイルが問いかける。アクセライがこのようなことをするにあたってヴェイルが考えつく要素はそれしかなかった。
 オーヴィッドが深く頷いてヴェイルに肯定を示す。なんとなくわかってはいたものの、肯定されるとヴェイルの胸は少し痛んだ。アクセライがこれほどまでの衝動を抱くようになったのは、自分が起こした事故が原因だとわかっている。自分が成功させていれば、と想わないわけがない。
 ふとヴェイルがオーヴィッドから視線をそらせると、偶然シャールと目が合った。いつかシャールに言われた言葉が頭の中で響く。人の失敗を理由に他の人間を傷つけるような人間のことを肯定できるのか、蘇った言葉を吟味する。ぼんやりとシャールを見ながらヴェイルは頭の中を整理して、できるだけ落ち着こうとつとめた。今だけではなくこの先も、アクセライの関する情報が飛び込んで来た際に逃げようなどとは想わないために。
 そして再びヴェイルはオーヴィッドの方を向く。丁度そのタイミングでオーヴィッドがアルスを見ながら口を開いた。
「私はただひとつの手駒でしかない。もっとアクセライに近い位置にいて、詳しい話を聞いている人間もいたようだが……。ともかく私が知るのは、マルドゥークとティアマートの力、というものを彼が欲していたということだ。そしてその力でヴォイエントを滅すると言っていた」
「……マルドゥークとティアマート……。カシアの言っていたことと同じだな」
「カシアを知っているのか? 行方がわからなくなって、皆は命を落としたものとばかり想っていたが……」
「あいつはあの人形のような状態から抜けだし、アクセライから決別した。俺たちが間接的に保護している」
「そうか……よかった。やっと彼女も人としての人生を歩めるというわけだな……」
 やわらかい声でオーヴィッドは安堵の息を漏らした。
 オーヴィッドからみてアルスの逆側にいるハディスから声がする。
「カシアは結局どうしてあんなことになっちまったんだ? あれも薬か何かか?」
「彼女に関しては私は関与していない。薬でないと断定はできないが、私以外に薬学の知識がある者がいると聞いたことはないことを考えると……おそらく別の方法だろう。上層部の人間のことはよくわからないが……。しかし、彼女をあんな風にした目的はおおよそ検討がつく」
「どういうこった?」
「これは私の憶測でしかないが……。彼女は実験台であり、盾であったのではないかと私は考えている」
 実験台と盾という言葉をそれぞれが頭の中で反芻した。決してそれらはいい意味での言葉ではない。
 オーヴィッドの言うことの意味を一番に理解したのはシャールだった。それは理解した、というよりも最初からわかっていたという雰囲気に近い。オーヴィッドの発言に対して何の驚きを示すこともなく、当然そういった説明が為されるだろうと考えていたかのように頷く。
 すべてがわかっているようなシャールにシアンが「どういうこと」と訊ねると、シャールはやさしい瞳でシアンを見た。
「実験台ってのはキーストーンとの融合の試験体だったってことだ。一番最初にキーストーンと融合しやがったのはあの女だっただろ? 盾は……あの男はマルドゥークの力を欲してやがるが、それを目覚めさせる際に自分が近くにいりゃあ無事で済まねぇ可能性がある。だからそれをあの女にやらせようとした……実際、あの女は失敗し、イルブラッドが代役になったみてぇだが……」
「……そんな危険な役割だから、自我のある人間には引き受けてもらえない。だからカシアさんをあんな風にして利用したってこと……?」
 シアンの問いにシャールはしっかりと頷き返す。オーヴィッドは憶測だと語っていたが、シャールの言うことを聞くとおそらくそれが真実なのだろうと想えてくる。それはシアンに限ったことではなく、その場で話を聞いている全員が感じていることだった。
 ヴェイルが納得の色を示す。
「ノルンでカシアの話を聞いたとき、彼女がギムナジウムと聖堂でキーストーンを使って騒ぎを起こしたってことをシャールはすぐに見破っていたけど……この推測があのとき既にできていたからなんだね? キーストーンを使うってことはマルドゥークを覚醒させるプロセス……あの騒ぎはすべて力の覚醒が目的だったってことか……」
「やっと気付いたか、出来損ない」
 吐き捨てるようにシャールは言い放つ。しかしヴェイルはもうこのシャールの正確に慣れてしまったのか諦めているのか、とにかく何も言い返しはしなかった。
 シャールの罵声が途切れるとともに、ユーフォリアは反射的に身を乗りだした。
「ちょ、ちょっと待てよ! それってなんか変じゃねぇか? なんでシアンの行く先で確実にそんな騒ぎが起こってんだよ……!」
 ユーフォリアの声は心なしか震えている。そしてその言葉にそれぞれが反応を示す。ライエやハディスははっとした表情を浮かべ、ヴェイルやアルスは自分たちも今それを考えていた、というように頷いてみせた。
 突然に不死者が出現し、強力な波動を放つ石が浮遊していたとなればニュースにならないはずがない。しかしハディスやユーフォリアが初めてキーストーンの存在を知ったのはスフレでの一件のときである。アルスにしても、聖堂の一件までそんな話は聞いたことがなかった。今までニュースにならないような騒ぎの起こり方をしていた、と考えるのは都合がよすぎる。そしてその後も、シアンが行く先でキーストーンを持つアクセライの仲間と接触をしている。どう考えても着実に狙われているとしか想えない。
 全員が自然とオーヴィッドに視線を集めた。この状況で何か知っていそうなのは彼しかいない。しかしオーヴィッドはすまなさそうにかぶりを振った。
「……それに関して私は何も聞いていない。おそらく私が薬学を担当していたように、情報収集を担当している人間がいるのだろう。シアンの波動を探知できる人間なのか、別の方法で居場所を割りだしているのかはわからないが……」
 期待していた答えは得られず、ブースは一度静寂に包まれる。
 その静寂を、俯き加減のライエの声が静かに裂いた。
「……アクセライさんは、なんだか哀しい人ですね」
 予想もしなかった言葉にユーフォリアは思わず「哀しい人?」と鸚鵡返しに呟いた。それに対して首肯して、ライエはそっと続ける。
「仲間だったオーヴィッドさんでも、アクセライさんのことや周りのことをご存知ないんでしょう? なんだか、仲間といっても、心の内を明かして相談したり励ましたりっていう関係にはなかったように想えるんです。同じ目的のために力を合わせているのに、形だけの仲間のような気がして……。それって、哀しくないですか?」
「言われてみりゃ……そう、かもしれねぇな」
 ユーフォリアが珍しく低い声を発した。その声を聞きながらオーヴィッドは腕を組む。
「アクセライは人を信じられなくなっているのだろうと、私は想う。私が親友を殺されたと言ったとき、アクセライは自分も似たような経験をしたと漏らしていた……。私が禁忌使いを恨むようになってしまったのと同じように、人そのものを恨んでいるのではないかと考えられる」
「なるほどな……。だから必要最低限の情報しか仲間には提供しないというわけか。同じ目的を持つとはいえ、心から相手を信頼しているわけではない……カシアにあんなことをしたのも、信頼できる仲間だとは想っていなかったから……か」
 アルスが自分自身で納得するように呟いた。
 再びその場に沈黙が満ちる。それぞれがアクセライや彼が今までしてきたことについて考えていた。
 シアンはゆっくりと目を閉じる。彼女が思いだしたのは、アクセライのあのやさしい手つきだった。アクセライは非情なことを言っていたものの、シアンの身体を支えるときのゆっくりとした動きの大きな手はヴェイルやアルスと同じようにあたたかかった。
 そんなことをシアンが思いだしていると、再びアルスの声が聞こえてくる。シアンが目を開けると、アルスはオーヴィッドの方を向いていた。
「……オーヴィッド。先程お前はシアンに投与した薬を製作していたと言ったな。シアンはあのとき幻覚や幻聴の症状を訴えているが……それはマルドゥークの力を覚醒させるためだったということはわかる。だが、それが具体的にどう作用しているのか、素人にもわかるように説明してくれないか?」
「あれは……、禁忌と同じだ」
「禁忌と同じ……? 幻覚や幻聴が禁忌と同じだと言うのか?」
 アルスが顔をしかめた。その反応をみてオーヴィッドはアルスが禁忌のことを知らないのだと悟った。アルス以外にヴェイルやライエやハディス、そしてユーフォリアも興味深そうにオーヴィッドを見ている。
 オーヴィッドは腕を組むのをやめてから話を続けた。
「……禁忌とは死者を自らの内に取り込む術だ。不死者が禁忌によって消滅するのは、その魂や思念が術者に移動しているため……そして大概の術者が失敗するのは、その取り込んだ魂や思念の持つ血なまぐさいヴィジョンに自らが乗っ取られてしまうため……そうアクセライは言っていた」
「……っ、……本当なの……それ……?」
 ヴェイルが息を呑んでシアンを見つめた。ヴェイルだけではなく、アルスたちもシアンを見ている。
 躊躇いがちにシアンは頷こうとした。しかしその前にシャールが勢い良く椅子から立ち上がる。突然のことに全員が驚いてシャールに視線を移した。不機嫌そうな顔をしながらシャールはシアンにつかつかと歩み寄る。
「そんな問いつめるような眼でアリアンロッド見てんじゃねぇよ!」
「べつに誰も問いつめてなんて……!」
 反射的にそう言い返してヴェイルも立ち上がったが、そのとき既にシャールはシアンの左腕を掴んでいた。そしてその腕を力任せに引っ張る。シアンはよろめきながら椅子を離れ、ブースの外へと連れ出されてゆく。
 慌ててヴェイルは後を追おうとする。しかし今度はその腕をアルスが掴んだ。
「落ち着け、ヴェイル。何故シャールの気が立っているのかは知らないが、シアンと二人なら危害を加えることはないだろう。下手に絡んで刺激しない方がいい」
 シアンのことになるとすぐに冷静さを失ってしまうヴェイルをなだめ、アルスは手を離した。一緒に暮らすようになってから、少しずつシャールの扱いにも慣れたのかもしれない。
 アルスに頭を冷やされて、ヴェイルは再び椅子に戻った。それを確認してオーヴィッドは話を再開する。
「私は禁忌使いではないから実際のところはわからない。しかし禁忌を使えるアクセライはそうだと言っていたのだから間違いないだろう。取り込んだ不死者が死に至ったときの状況……輪廻に還れぬような殺され方をした場面などをありありと見たり感じたりするそうだ。そのため、幻覚や幻聴が起こる……大量の不死者を浄化すれば、またその度合いも強まるということになる」
「なるほど。んで、そうやって禁忌に似た状況をお嬢ちゃんに体験させりゃ、覚醒の引き金になる禁忌を実際には使わせなくても覚醒させることができる……ってわけか」
 ハディスがそう唸ると、オーヴィッドは首を縦に振った。
 結局はシアンが禁忌を使うことで覚醒が起こったが、旧エクセライズ社の時点で覚醒していた可能性もあると聞かされるとぞっとしない。しかし、マルドゥークの力を欲するアクセライがそういった行動に出るということはなにも不思議なことではなかった。
 ライエがオーヴィッドの方を向いて呟く。
「シアンさんを追い込んで、他の方々を利用して傷つけて、そこまでしてヴォイエントを破壊したいものなんでしょうか……。クライテリアでの事故がきっかけでヴォイエントへの破壊衝動が目覚めたって聞きましたけど、それがどう関連しているのか私にはわかりません。あるいは大切な人を失くされたということが絡んでいたにしても、どうしてヴォイエントを破壊しなければならないんでしょうか……」
「それは私にもわからない。だが君の言う通り、大切な人を失くしたということが絡んでいるのは確かなようだ。大切な人というのは、そのクライテリアの事故で命を落としたと言っていたからな」
 そう話すオーヴィッドの瞳には同情のようなものが宿っていた。アクセライは無意味に何もかもを破壊しているのではない。もちろん、自分のために人の命を奪うことは赦せない。それでも彼をそこに導く何かがあったことは確かで、そう考えると頭からアクセライを非難する気にはなれなかった。
 静寂を縫ってオーヴィッドが続ける。
「……アクセライの気持ちがまったくわからないわけでもない。大切な人間を失った後というのは、冷静になれないものだ。私も……禁忌使いを滅してしまいたいと愚かなことを考えてしまったからな」
 禁忌使いを滅してしまいたい、という言葉をユーフォリアは自分のことのように考えた。シアンと初めて逢ったときに自分が抱いていた感情が思い返される。
 少し俯き加減になってしまったユーフォリアに気付いて、ヴェイルは「どうかしたの?」と声をかけた。自分が俯いてしまっていたことにも気付いていなかったユーフォリアははっとしたように顔をあげる。一度「あ、いや……」と言葉にならないことを呟きながら少し間をとった。そして意を決したようにオーヴィッドを見遣る。
「オレ……あんたの気持ち、なんとなくわかるよ。オレのじいちゃんも禁忌使いが失敗したときの暴走に巻き込まれて死んじまったから……オレも禁忌使いなんてこの世界からいなくなっちまえばいいのにって想った」
 ユーフォリアの告白にその場は静まり返った。ヴェイルたちもそんなことは初耳だった。ユーフォリアが禁忌使いを滅してしまおうと想っていたことがあるということも、彼が禁忌に興味を示していることも知ってはいたが、そんな話は聞いたことがない。
 重くなった空気を振り払うようにユーフォリアはつとめて明るい声を出して立ち上がった。
「でもさ、やっぱおかしいんだ、そういうの。禁忌使いみんなが悪いわけじゃないし、何もしてない禁忌使いを傷つけるのは間違ってる」
「……そうだな。……それでも私は既に無関係の禁忌使いを傷つけてきた。それは赦されることではなかろう」
 膝の上で拳をぎゅっと握り締めて、オーヴィッドは俯いた。彼の頭の中には今まで傷つけてきた禁忌使いの姿が浮かんでいるのかもしれない。
 そんなオーヴィッドの心境を知ってか知らずか、ユーフォリアはまっすぐオーヴィッドの前まで足を進めた。そして右手でオーヴィッドの頭を軽く叩く。予想もしなかったことに驚いて顔をあげたオーヴィッドにユーフォリアは自信満々な口調で言い放った。
「自分で悪いことをしたと想ってるなら正せばいい、失敗しなきゃわからないこともある」
 その言葉をゆっくりと言い終えると、ユーフォリアは微笑んだ。いつものような口調に戻って続ける。
「オレが傷つけちまった奴がそう言ってた。普通に考えると平気でそんなこと言えるなんて悠長だけどさ、落ち込んでるよりは何とかしようとした方がいいってのは確かだと想うんだ。オッサンも、今からできることあるだろ?」
 笑顔でそう言うユーフォリアの姿には何の迷いもない。自分よりも20歳ほど若いその少年をオーヴィッドはどこか羨望をたたえたような眼差しで見上げる。
 喉の奥でオーヴィッドは「そうかもしれんな」と呟いた。そしてすっと椅子から立ち上がる。何処へ行くつもりなのかとアルスが厳しい視線で問いかけていることに気付いて、アルスの方を向かないまま答えだけを返した。
「少し風に当たってくる。いろいろと落ち着いて考えたいのでな。……何を企んでいるわけでもない。なんなら、監視しておいてくれても私は構わない」
 言いながら足を進めてオーヴィッドは待合室ブースの外に出た。誰も追いかけてくる人間はいない。もしかしたら後で様子を見にくるかもしれないが、オーヴィッドは言葉通り何を企んでいるというわけでもなかった。誰かがついて来ようが関係はない。ただ荒んだ土地に吹く風を浴びたかった。
 風は乾いていた。オーヴィッドは目を閉じる。そして少し自嘲気味に笑った。
「まったく……。……あんなに若い子に教えられるとはな……」
 目を開けて自分の義手を見つめる。厭な機械音がしていた。
 失った親友は戻らない。義手も人間の腕には戻らない。しかし自らが他人を同じような目に遭わせたということもまた事実だった。しかしおそらく今まで隠してこれた以上、アルスさえ黙っていれば逮捕されるということもないだろう。
「……私にもまだ正すことはできるだろうか……」
 見上げた空は虚しく晴れていた。