不変の禍根、選んだ道




「……で、なんでこんな大人数になってんだよ」
 シアンとの待ち合わせ場所であるウェスレーのシップステーションでユーフォリアは溜め息を漏らした。
 電話で協力を依頼したのはシアンだけのはずだったのだが、そこにはいつものメンバー全員がいた。仕事をしている人間もいるはずなのだが、生憎今日は祝日である。学校があるため祝日でなければユーフォリアや今日此処へ来ると想われる研究科の人間は時間がとれないが、それは社会人にとっても同じことだった。シャールはどうせシアンをひとりで行かせないためについてきたのだろう、そしてヴェイルはそのシャールに睨みをきかせるために来たのだろうということはユーフォリアにも推測できる。しかしアルスやライエ、ハディスまでもが集合するとは想っていなかった。
 ユーフォリアが呆れている隣でハディスは豪快に笑った。
「まぁいいじゃねぇか。水くさいこと言う必要もねぇんだしよ」
「さらっとまとめんなよ。だいたい一番来てる意味わかんねぇのがオッサンなんだからな」
「なんで俺様なんだよ!」
 思わず前のめりになってハディスが言い返す。それに対して再びユーフォリアが食って掛かろうとしたとき、冷静な口調でアルスが口を挟んだ。
「禁忌が関連している以上、得られる情報は得ておきたいと想ってな。どのみち、今後禁忌とまったく無関係であることなどできまい」
 筋の通った内容に、ユーフォリアはハディスに言い返すのを思いとどまった。たしかにアルスの言うことは正しい。結局、渋々と「まぁ、そうだな」と呟いた。
 そんなことを言いながら一行はシップステーションから出てウェスレーの地へと足を踏み入れた。
 ウェスレーには異様な静けさが漂っていた。どこか生気のない町のように感じられる。ぽつぽつと木や煉瓦でつくられた家が並び、道は鋪装されているところとそうでないところが混ざり合っている。細い樹木があちこちに見受けられたが、それらも元気がないように見えた。
 セントリストやスフレのような明るさに満ちた場所に住む人間にとっては見たこともない光景だった。ライエは喉の渇きをおぼえていた。
「……此処が、ウェスレー……」
「迫害された種族や世間から逃げ出した人間、そいつらが生きられる唯一の場所がウェスレー<此処>だ。生きられるとは言え、命をつなぐという最低限の生活しかできやしねぇ」
 ライエに、ではなくシアンに説明するようにシャールは呟く。小さく頷いてシアンは目の前に広がる枯れた地を見つめた。
「カシアさんがウェスレーに住んでたって言ってたね」
「有翼種が住んでる場所と言えばウェスレーだからな。有翼種を売り飛ばすためにハンティングに来る人間も少なくねぇ。おそらく、有翼種から見りゃあ俺らもそうだと想うだろう。できるだけ接触しねぇ方が賢明だ」
 カシアから聞いた話とシャールの情報からすると、有翼種にまつわる話というのは本当なのだろう。だからこそ、シップステーションがあるとは言え、その周囲がこれだけひっそりとしている。人間に気配を悟られるわけにもいかない。それは有翼種だけではなく世間から逃げ出した人間にとってもほとんど同じことだろう。
 見慣れない風景に目を奪われているユーフォリアの隣でヴェイルが訊ねた。
「それで、その研究科の人っていうのは今日どこに集まるつもりなんだい?」
「昔、ウェスレーの中心都市があったとこだって聞いた。今はもう何もないらしいけど……そこで禁忌を使えば自我を失わずに済む、って」
「そこって危険区域だって言われている処じゃないですか? 不死者の残留思念反応がすごくたくさん出ているからって……」
 ライエが反射的に口を挟んだ。おそらくユーフォリアたちがウェスレーへ行くと聞いてある程度の情報を収集してきているのだろう。
 それを聞いてユーフォリアは納得を示した。
「だから禁忌を使おうとしてるってことか……。でもシアンの話だと無事に禁忌が使えるようになるスポットなんてのはないんだろ?」
 ユーフォリアの問いにシアンは頷く。間違ってはいないのだろう、シャールも何も言わない。
 現在ウェスレーには都市というものは存在しない。小さな集落だとか、村だとかがある程度である。政治など行われておらず、ただ土地とものがあるだけでしかない。けれど昔からそうだったというわけではなく、内紛によって都市が滅びてしまった結果、今のような姿になってしまったのだ。
 シップステーションからは不死者の姿など見えない。内紛の様子も伺えなかった。とにかく此処にいては何の情報も掴めそうにない。
「その中心都市跡地に行ってみるしかなさそうだな。研究科の人間が来ているかもしれん。事が起きる前に手を打つなら急ぐべきだろう」
 冷静にアルスが言うと、ライエは以前ノルンでシアンたちをナビゲートしたのと同じように小さな機械を取りだして道を確認し始める。そして大体の地形と経路を把握すると、シアンたちのナビゲートを開始した。

 中心都市跡はシップステーションから徒歩20分くらいのところにある。交通機関は存在しないため、どうしても移動は徒歩でなければいけない。そのため比較的シップステーションから近くにあったのは救いだった。
 時間的にはあと少しで目的地に到着するだろうと想われたころ、全員の足取りが急に重くなった。
 身体がずしりと重くなるような感覚を覚える。そして何か身体の奥からどろどろとした不快感のようなものが込み上げてくるようだった。
 汗ばんだ手をぎゅっと握ってユーフォリアが声を絞りだす。
「……なぁ、オッサン……なんか、変じゃねぇか?」
「あぁ……なんつーか、……身体がだるいっつーか……」
 その言葉を聞いて段々と一行は歩くのをやめた。知らぬ間に息があがっている。掌が湿り、気分の悪さが込み上げてくる。  中心都市跡といっても何があるわけでもない。シップステーションから同じような風景が続いている。しかしライエのナビゲートからすれば此処の近辺が中心都市跡であることは間違いない。
「……そういうことか……」
 低い声でシャールが呟く。そして長い銀髪をゆらめかせながらシャールは数歩前に進んだ。その先には目に見えない何か、どろどろとしたものがある気配がする。
 シャールの背後からアルスが「どういうことだ」と声をかけた。しかしシャールは何も答えようとしない。仕方なくアルスは頭の中で考えを整理する。そしてしばらくして、はっとした表情を浮かべた。
「まさか……この不快感……、これが残留思念……」
「言われてみれば、不死者の圧迫感と少し似てるかもしれない……それよりはずっと強いものを感じるけど……」
 苦し気な顔でヴェイルが同意する。その視線の先にはシャールの背中がある。憶測に対するシャールの正誤判断をヴェイルは黙ったまま望んでいた。
 しばらくして、シャールは目を閉じた。周囲に溢れる感覚をすべて受け止めるように神経を研ぎ澄ます。
「……クリスタライン……」
 シャールのそのひとことに、全員が反応した。
 信じられない、というようにユーフォリアがかぶりを振る。
「マジかよ……こんな変な感覚になるこれが……。だ、だいたいクリスタラインがなんでこんな処にあんだよ。亜空間の中にあるって聞いたぜ?」
 言い終えてから、相手がシャールだったことを思いだしてユーフォリアは反射的に後悔した。また罵声を浴びせられるという予測が頭の中をよぎる。
 しかしシャールは特にユーフォリアを非難するようなことは何も言わなかった。
「話は後だ。ひとまず此処から離れろ。テメェら人間がこの感覚に浸んのは危険だ」
 そう言うとシャールはくるりと方向を転換して再びシアンたちの方へと戻る。そしてそこを通り越してもと来た道を辿っていった。
 こんなところに長時間いることができないというのは全員にとって同じことだった。シャールの言う危険の意味がわからなくとも、全員がシャールの意見に賛同する。そしてシャールの背中を追って歩きだした。

 シップステーションと中心都市跡地の丁度中間地点くらいの場所、先程の不快感をまったく感じない処まで移動してシャールが足を止めたため、一行も立ち止まった。
 何をしたというわけでもなく、ただ移動をしただけだというのに全員が異様に疲労している。何故か疲れてしまっている自分に気合いを入れるように一度空気をしっかりと吸い込んでアルスが沈黙を裂いた。
「シャール……、先程のあれがクリスタラインだと言ったな。それは事実なのか?」
「嘘言ってどうすんだ。テメェらにならまだしも、アリアンロッドに偽の情報を提供なんかしねぇ」
 シャールはいつものような調子だったが、それだけにその言葉には説得力がある。そのため、アルスたちは言葉の続きを待った。
 問いかけてきたのはアルスだったが、もちろんシアンもシャールの答えを待っている。偽の情報を提供することも、情報提供を惜しむことも今のシャールにはなかった。丁度向かい合う位置にいるシアンの方を向いてシャールは説明を始める。
「クリスタラインは亜空間の中に存在していた。おそらくこの周辺に巡らされている亜空間にな。……クリスタラインはベルセルクの残留思念が封印された場所だってのは知ってるかもしれねぇが……結局今ヴォイエントがこんなことになってんのはクリスタラインから溢れ返る残留思念が時間をかけて不死者に具現していったからだ。あとは不死者に襲われた奴が輪廻に戻れねぇで不死者と化す、その繰り返しということになる。……今までは亜空間の中にあるクリスタラインから溢れた残留思念が地上へ移動していたが、現状はそうじゃねぇ」
「クリスタラインが亜空間から出てきてしまっていた……ってこと? でも、どうして?」
「……クライテリアが崩壊したからだ」
「それが、関係あるの?」
「クリスタラインはベルセルクの残留思念を封印している……そしてそれを施したのは創造主だ。その創造主が眠る世界が崩壊すれば、それに関連するものは必然的に不安定になる」
「だから亜空間の中にとどまっていたものが外に出てしまった……」
 シアンの呟きにシャールは深く頷いた。
 ユーフォリアが腕を組む。
「でもさ、折角亜空間から出てくれたのはいいけど、どうやって封印するんだ? だいたいあんなんじゃ近寄ることすらできねぇじゃん」
 もっともな意見にアルスたちも考え込んだ。目的となるものが目の前にあるというのに、どうすることもできない。
 そのとき突然、シアンの身体を不快感が襲う。シアンは隣にいるヴェイルの右手をぎゅっと握った。はっとしてヴェイルはシアンを見遣る。先日シアンに言い聞かせた、辛いときに手を握ってくれればいいということにその行動が基づいていることにヴェイルはすぐに気付いた。シアンは顔を伏せてしまっている。
「シアン、どうしたの!?」
 自分の方にふらりと傾いてきたその華奢な身体を受け止めて、ヴェイルはその場に座らせた。ヴェイルの声に反応して全員がシアンの方を振り返った中、シャールがまるでシアンがこうなるのを予測していたかのように、驚くこともなくつかつかとシアンに歩み寄る。
「……気分悪ぃんだろ?」
 相変わらずシアンに対しては穏やかな声でシャールはそう問いかけた。顔を伏せたままシアンは小さく頷く。それを見てヴェイルたちは驚きを示した。
 険しい表情でヴェイルがシャールを見上げる。
「シャール、君なにか知ってるの?」
「……テメェ何も知らねぇのか。こいつは……」
「騒ぐことはない。しばらくの間、幻覚と幻聴に襲われるだけだ」
 シャールの言葉を遮って、突然ここにいる誰のものでもない低い声が聞こえた。はっとして全員が声のした方を見つめる。そこには大柄な人間の影があった。
 焦茶色の髪に大柄な身体つきの男だった。清潔感が漂うのはきちんと髪がセットされているからだろう。
「……オーヴィッド、さん……だっけ」
 苦しそうな表情でシアンは現れた男を見上げた。その男に見覚えがあるのはシアンだけではない。ユーフォリアも男を見上げながら険しい表情を浮かべる。
「旧エクセライズ社にいた奴だ……!」
「ああ、間違いねぇ。こいつと殴り合った感覚はまだ憶えてっからな」
 隣でハディスが拳に力を入れる。ヴェイルやアルスもいつでも戦いに対応できるように身構えていた。話の流れと雰囲気からライエは一歩後ずさる。
 両手にハンドガンをしっかりと握って、アルスはまっすぐオーヴィッドを見据えた。
「……盗み聞きとは趣味が悪いな」
 それを聞いてハディスが小声でユーフォリアに「おい、言われてんぞ」と囁く。反射的に「オレの話じゃねぇっての!」とユーフォリアも小声で言い返す。しかし空気が緩んだのはその数秒間だけで、すぐにまた緊迫した状況に戻った。
 アルスの言葉を無視して、オーヴィッドは地面に座り込んでいるシアンを見つめた。
「……単刀直入に言おう。その少女をこちらへ引き渡せ。そうすれば他の人間には一切の危害を加えないことを約束しよう」
「妙なこと言いやがるじゃねぇか。まるで俺たちが此処にいるとわかってたみてぇな口振りだな」
 挑発的にシャールが言う。その言葉を発しながらシャールは既に精神集中を開始していた。
 その詠唱を妨害するようにオーヴィッドはシャールに向けて左手を伸ばした。するとその左手は異様な機械音を響かせながら数メートル前方へ伸びる。しかしその伸びた手はすでに人のものではなく、銀色の光沢をもつ機械だった。全員がその光景に息を呑む。
「あの左手……義手だったんだ……!」
「この前は普通に殴り掛かってきやがったのに……あんなもん隠し持ってやがったのかよ!」
 ヴェイルとハディスが口々に叫ぶ。
 それとほぼ同時に長く伸びた機械の腕をオーヴィッドは薙ぎ払う。仕方なく詠唱を中断してシャールはひらりと舞い上がり、その腕を躱した。
 空いている右手でオーヴィッドは懐からキーストーンを取りだすと、それに力を込めた。光沢の少ない深く蒼いキーストーンから波動が生まれる。それに伴い、オーヴィッドの周囲に次々と不死者が生みだされた。ただカシアやイルブラッドよりは精神力が弱いのか、以前そのふたりと対峙したときよりは不死者の生みだされるペースが遅い。義手の存在が強力であることを考えると、それは幸いだったかもしれない。
 ライエにシアンと一緒にいるよう、アルスは視線で指示する。ライエがシアンに駆け寄ると、アルスはそのふたりを護るように立った。遠距離から迫る不死者を撃ち落としてしまえるという利点があるのはアルスだけで、それを考えると戦えない人間を護るのはアルスが一番向いている。
 詠唱を中断させられて不機嫌そうな表情をしながら、シャールは渋々短剣を抜いた。あの義手がある限り、容易に術を使わせてもらえそうにない。
 オーヴィッドが義手を振り回し、不死者を生む。義手による攻撃を回避しながらヴェイルとシャール、それにハディスは不死者を確実に倒していった。その後ろでユーフォリアは術を放つ。しかし前衛の存在を考えると、広範囲に思いきり術を放つことはできなかった。
 戦えないシアンとライエの方に向かってくる不死者を遺漏なくアルスは撃ち落とす。シャールやオーヴィッドの言う通り気分が悪いのか、シアンは両手で口元をおさえて目を閉じている。その身体をライエは必死に支えていた。
 しばらくの間オーヴィッドとヴェイルたちの攻防が続いていたそのとき、突然キーストーンが異常を示しはじめた。放っていた波動が止んだかと想うと、キーストーンは意志を持っているかのようにするりとオーヴィッドの右手から浮かんで逃げてゆく。
 それまで言葉数少なく冷静さを保っていたオーヴィッドが、この事態に驚きを示した。
「……これは……どうなっているというのだ……」
「な、なんかわかんねぇけど今がチャンスじゃねぇか?」
 キーストーンに気をとられているオーヴィッドを見ながらユーフォリアが呟く。たしかに今ならキーストーンによって生みだされた不死者に妨害されることもない。しかしそのユーフォリアの考えは次の瞬間には砕かれていた。
 オーヴィッドの手から離れたキーストーンが彷徨うように浮遊し、ある一点でぴたりと動きを止める。そしてその後ろには三人の人影があった。しかし、その三人からは生気が感じとれない。ただぼんやりとそこに立っているかのようである。けれど間違いなく、その三人はとんでもない術力を溜め込んでいた。
 現れた人影にユーフォリアは一歩後ずさった。唇が震えている。
「……こいつら……」
「……暴走している……。……禁忌使いか」
 オーヴィッドが低い声を響かせる。オーヴィッドもユーフォリアの隣で同じように現れた三人に見入っていた。そしてふたりともが何故か動くことすらできなかった。オーヴィッドはヴェイルたちと先程まで対峙しており、まだその決着がついていない状態であることも忘れてしまっているかのようである。本来ならこの機にオーヴィッドを無力化したいところだったのだが、ヴェイルたちはそうするわけにはいかなかった。それよりも今目の前に現れ、術力を溜め込んでいる人間の方がはるかに危険だということを、全員が理解している。
 三人を睨みつけてシャールは口の端をつりあげた。
「なるほど。愚鈍な人間どもが禁忌を使って暴走したか……」
「これが……ユーフォリアの言ってた、禁忌によって自我を失った状態ってこと……!?」
 ヴェイルが息を飲む。目の前の三人からは自我など感じられない。そして溜め込んだ術力もありありと感じられる。つまりは、これからこの三人が起こすアクションは破壊行動に他ならない。
 シャールの言葉を聞いてヴェイルとアルスは反射的に精神集中を開始した。ワンテンポ遅れてシャールも精神集中を行う。その後すぐに対峙する三人から術の波動が放たれた。ヴェイルたちがほぼ同時に声を張りあげる。
「我が前に連なり盾となれ、護法陣!!」
 ヴェイルとアルス、そしてシャールのレジストが合わさり、そこに大きなシールドが張り巡らされた。頑丈なそのシールドは向かいくる波動をすべて防ぐ。アルスの後ろにいるシアンとライエ、そして術力が弱いためレジストが容易に使えないハディスも含めて護ることができる、大きなシールドだった。
 しかしユーフォリアとオーヴィッドはこの事態に即座に反応できていなかった。現れた三人を見てからすべてがフリーズして動かない。
 そのふたりにも攻撃的な波動が迫る。しかしそのことにふたりが気付いたときには既に遅かった。今からではどうやっても防ぎようのない波動が目の前にある。
 ふたりがどうしようもない状況に諦めかけたその瞬間、シアンの声が響いた。
「護法壁!」
 シアンの左手がユーフォリアとオーヴィッドに向かって翳されている。そしてその手から放たれたシールドは立ちすくんでいるふたりを覆った。そして迫る波動とギリギリのところで衝突する。
「ユーフォリア、オーヴィッドさん……伏せてっ!」
 まだ気分の悪さが残っているのか、シアンは地面に片膝をついたまま術を放っていた。その隣ではシアンの行動を止めることができなかったライエが心配そうにシアンの身体を支えている。
 言われるままにユーフォリアとオーヴィッドは身を伏せた。まだ頭の中がクリアになっていない。ただ聞こえた声に反射的に従ったにすぎなかったが、波動を躱すにはそれで充分だった。
 シアンは出現させたシールドを少しずつ上へ移動させ、三人が放つ波動を上へと誘導する。そしてユーフォリアとオーヴィッドに当たらない角度まで誘導するとそのシールドを完全に解く。解放された波動は遥か天に向かって伸びていった。
 危機が過ぎ去ったのを察して、ユーフォリアはシアンに駆け寄った。頭の中にスフレでシアンに庇われたときのことが過る。駆け寄ったユーフォリアの目の前で、ライエに身体を支えられながらシアンは再び地面に座り込んでいた。
 震えた声でユーフォリアはシアンに迫る。
「莫迦、お前……人を助けるときは自分のこと考えろって言ったろ!」
「ごめん……咄嗟に身体動いてた。でもほら、何ともないし。もう気分悪いのもほとんどないから」
 ユーフォリアの目の前でさらりとそう言うシアンは、本当に平気そうに見える。無理をしているような様子もない。それを見てユーフォリアはほっとすると同時に脱力した。しかしすぐに気合いを入れ直すと、シアンに向かって自信に満ちた笑みを浮かべる。
「ありがとな。あとはオレがなんとかする」
「なんとかするって……」
「禁忌に失敗して暴走した人間への対処法ってのはひとつしかないんだ。……暴走した人間を倒すこと、それしかない。それは学術的にも法律的にも認められてる。禁忌にチャレンジしようとしてる奴はそのリスクをわかってやってるんだ。だから……失敗したときは、誰かが倒さなきゃならない」
「……今日はマシなこと言いやがるじゃねぇか、ガキ」
 いつの間にか話を聞いていたシャールが割って入る。褒めているのかけなしているのかわからないが、いつもに比べれば温和な内容だった。
 一旦三人が放つ波動が止んで、全員がレジストを解いていた。先程の波動は凄まじく、周囲にあった細い木々は木っ端微塵になっている。しかしそれだけの破壊力があっただけに、連続して波動を放つことはできなかった。三人は再び精神集中に入っている。その前では不自然にキーストーンが静止していた。
 三人を見つめて、ユーフォリアは数歩前に歩み寄る。
「多分こいつら、うちの研究科の奴だから……。オレがやる」
「……やっぱり……、そうだったんだ……」
 ヴェイルが静かに呟いた。この三人がユーフォリアの知る研究科の人物であろうということは誰にも推測はできていたことだが、ユーフォリアが認めるまでは誰も声に出さなかった。意を決したようにポケットからシルバーの指輪を取りだして右手の中指にはめると、ユーフォリアは精神集中を開始する。
 それを見てアルスはそっと問いかけた。
「……いいんだな?」
「このまま野放しにされて無差別に人を襲い続ける方が、もしオレだったら厭だからな。……それに、今のオレは以前とは違うから。禁忌使いをただ潰してやろうって想ってやってるわけじゃねぇから……後悔しねぇって自信がある」
 ユーフォリアの声に迷いはない。その姿は今までで一番凛々しいようにシアンたちの目に映る。
 そのユーフォリアを見ながらシャールは溜め息をついた。そして舌打ちをしてから精神を集中し始める。術力が自らの内で集う中、「このガキのためってのがどうも気に食わねぇがな」と呟く。
「キーストーンにテメェの術が妨害される可能性がある。……どのみちこの暴走野郎どもは潰す必要があるしな、キーストーンが手に入れられれば俺にとって好都合だ。俺が無効化してやる」
「サンキュ。テメェ結構いい奴じゃん」
「勘違いすんじゃねぇぞ。たまたま利害が一致しただけだ」
 吐き捨てるようにシャールはそう言うが、ユーフォリアは何も不満を言わなかった。
 再び精神集中が完了した三人から波動が襲来する。今度はヴェイルとアルスでレジストを張り、その波動を防ぐ。先程よりは術力を溜め込めていなかったのだろう、オーヴィッドにまでその波動が及ぶことはなかった。
 レジストが完全に波動を受け止めるとすぐにヴェイルとアルスはレジストを解いた。その瞬間に充分に精神集中をしていたシャールが禁忌を放つ。
「偽印の天蓋 粛正の綺羅 在るべき流転へ還れ……封絡せよ」
「この地に眠る灼熱の息吹よ我が前に 眼前の総てを焼き尽くせ! フレアストライクッ!」
 続いてユーフォリアも渾身の力を込めて術を放った。
 禁忌がまず飛翔してキーストーンに達する。その波動はキーストーンを呑み込み、小さな石はあっという間に無力化された。そしてそこにユーフォリアの放った炎が襲来する。自我がないためか防御する術を一切持たない三人は、叫び声をあげることもなく炎に飲まれた。
 力を蓄えて放たれた炎はターゲットを包んでからしばらくして、ゆっくりと消えはじめる。その炎が完全に消えてしまったときには三人は地面に倒れ、その身体は不死者と同じように徐々に消えかけていた。
「……身体が、消えているんですか……?」
 おそるおそるライエは遠くから倒れた三人を眺めた。
 術を放ち終えてからしばらくは動かなかったユーフォリアが、やっと後ろを振り返る。そしてライエに向かって歩み寄りながら深く頷いた。
「うん。……禁忌に失敗すると、不死者みたいな身体の構造になっちまうらしい。だから、消えちまうんだ」
 哀しそうに、けれどもしっかりとした声でユーフォリアは言う。迷いのない瞳に誰も何も言うことができなかった。
 しんと静まり、張りつめた空気が流れた。倒れた三人の身体はゆっくりと消え、天に向かっている。転がっているキーストーンをシャールはゆっくりとした動きで拾いあげた。
 澄んだ空気を裂いて、オーヴィッドの声がする。
「……何故助けた」
 低い声が響いて、全員がオーヴィッドを見遣った。シアンたちから少し離れたところで、オーヴィッドは片膝をついたままでいる。
 もうまったく大丈夫なのか、ライエの手を借りることなくシアンは立ちあがった。そしていつもと同じような覇気のない表情でオーヴィッドを見据える。
「私がそうしたかったから、……それだけです」
「莫迦な……。私はお前を引き渡せと言ったのだぞ。それだけではない、以前お前を捕らえたときなど、私は……」
「それはあなたが心から望んでやったことではないんでしょう?」
 シアンのそのひとことにオーヴィッドは目を丸くした。その反応を見れば誰でも図星だということはわかる。その予想通り、オーヴィッドはそれ以上の言葉を続けることができなかった。
 わかりやすい反応をするオーヴィッドの前でユーフォリアは笑顔を浮かべる。
「シアンを甘く見るなよ。黙って見てるみたいでも全部見抜いてんだからな。それに……こいつは"そうしたかったから"って理由だけで誰彼構わず護ろうとしちまう奴なんだよ」
 いつか今のオーヴィッドと同じようにシアンに護られたときのことをユーフォリアは思いだしていた。だからこそ、自信を持ってこの言葉を紡ぐことができる。
 ユーフォリアの言葉にオーヴィッドは更に驚きを示していた。瞳に映る華奢な身体の少女がそれほどまでの意志とエネルギィを持っているなど信じ難い。それでも先程の様子を見ている限り、それは嘘だとは想えなかった。
 動きが硬直しているオーヴィッドを見ながら、ハディスはアルスに近寄った。
「おい、あー坊。こいつも観念してるみたいだぜ。……あのパターン、いくか?」
「……そうだな」
 軽く頷いてアルスはオーヴィッドに近付いた。シアンを護るように彼女の一歩前まで行って、未だ立ちあがらないオーヴィッドを見下ろす。
「口を割る気はあるか?」
「……拒否などできまい。今私が無事に存在しているのはこの少女に助けられたが故なのだからな」
「下手な真似しやがったら命はねぇぞ」
 鋭い声でシャールが警告する。オーヴィッドからはもう既に敵意というものが消えているのだが、シャールは警告せずにはいられないのだろう。黙ってはいるものの、ヴェイルもまだ警戒を解いてはいなかった。シャールの警告とヴェイルの厳しい視線に対して、オーヴィッドは深くゆっくりと頷いた。
 それを確認してシャールはシアンへと歩み寄る。そして、そっとシアンの細い肩に手をかけた。
「もう大丈夫なんだな?」
「うん……。……この前シャールの言ってたこと、わかった気がする」
「……そうか。また後で話そうぜ」
 笑顔でそう言うとシャールはシアンの髪を撫でる。その行動の一部始終を不満そうにヴェイルは睨んでいた。