静寂への目醒め




 夜空に白い鳥の姿が浮かび、丘と山が粉々に破壊された、その瞬間にヴェイルは目を覚ました。自分がどうなったのか思い返すことなどどうでもよかった。闇に浮かぶ白い鳥の姿は、意識が戻ったヴェイルにぼんやりと現実を思いだす余裕を一切与えてはくれない。それどころか、ヴェイルは白い鳥に嘲られている気さえした。
 勢いよく身体を起こしたヴェイルに、ハディスは目を丸くした。ハディスが「気がついたか」と言うのもヴェイルの耳には入っていない。ヴェイルはただ夜空に浮かぶ白い鳥を見つめ、その身体を震わせていた。
 一瞬にして消えてしまった景観に、一同は声を失っている。丘からおりて市街地の開けた場所まで到着して丘を見遣ると、白い鳥が浮かび上がり、先程までいたはずの場所は粉々になっていた。それで驚かないはずがない。
 ユーフォリアとライエが、それぞれひとりごとのように声を震わせた。
「どうなっちまってんだよ……滅茶苦茶じゃねぇか……」
「……信じられない……」
 全員がどうしようもなく夜空に浮かぶ白い鳥に目を奪われたままでいる。その中、ヴェイルは突然立ち上がると、丘のあった方に向かって走りだした。反射的にアルスが止めようとしたが、そのときにはもうヴェイルは闇の中へ突き進んでいる。
「ヴェイル! どうしたんだ!」
「追っかけるぞ、あー坊!」
 ヴェイルを視界から逃さないように、ヴェイルの背中を目で追いながらハディスはそう言うと、一目散に走りだした。アルスも少し遅れてそれを追う。ユーフォリアもライエの手を引いてそちらへと進んだ。
 ひたすらにヴェイルは丘のあった方、つまりはシアンのいるであろう場所を目指して走る。その間に夜空からは白い鳥が消えていた。周囲を覆っていた威圧感が抹消される。しかしシアンの姿を発見するまでヴェイルの足が止まることはなかった。
 そしてシアンの姿を発見した瞬間、ヴェイルの足はそれまで走ってきたのが嘘のように動かなくなる。息をするのも忘れてしまいそうなほどに、ヴェイルの動きのすべてが硬直した。
 少し遅れてハディスとアルスもそこへと到着する。動きを止めたヴェイルの視線の先には、地面に片膝をついたひとりの少年の姿があった。そしてシアンはその腕に抱えられている。
 ときが止まってしまったかのように動かないヴェイルよりも、その少年とシアンにアルスとハディスの視線は注がれた。それは後から追い付いてきたライエとユーフォリアについても同じことだった。
 少年はどこかヴェイルに雰囲気が似ていた。しかしヴェイルよりも落ち着いた雰囲気がある。少年は特に驚く様子もなく、ヴェイルたちの方へと視線を移す。そして自分に敵意がないことをアピールするように、やさしい声で言った。
「……彼女の知り合いの方ですか?」
「……ああ、そうだが……。お前は……」
「僕も似たようなものです。……杞憂なさらなくて結構ですよ、彼女は疲れて眠っているだけですから」
 警戒心を弱めないまま、アルスは数歩少年に近寄った。そこからシアンの様子を覗き見たが、怪我こそしているもののシアンは眠っているように見える。シアンの表情からは何の苦しさも伺えなかった。
 シアンの様子を確認して、アルスが「そのようだな」と言うのを聞くと、ハディスやユーフォリアも少年に近寄った。身体つきの良さそうなハディスを見上げて、少年は言う。
「とにかく、彼女を休ませてあげてください。精神的にも体力的にもかなり消耗していますから。……二、三日眠り続ける可能性はありますけど、きちんと休ませてあげれば大丈夫ですよ」
「やけに詳しいじゃねぇか」
「ええ、まぁ……。本来は僕が説明すべきことじゃないかもしれないんですけどね。"一番詳しい人"が説明しそうにないもので」
「どういうこった?」
 ハディスの問いかけに、セラフィックは言葉では答えなかった。かわりにヴェイルの方をじっと見つめる。アルスたちの視線が、今度はヴェイルの方に注がれた。
 ようやくヴェイルの身体が観念したように動きだす。アルスたちの少し手前まで歩いて、少年と充分な距離をとりながら口を開く。
「セラ……生きてたんだね……」
「久しぶりだね、ヴェイル。変わってないみたいで安心したよ」
「君も変わらないね……。シアンが言ってた、シアンを護ったアクセライの仲間っていうのは……君のことだね?」
「ど……どういうことですか!?」
 思わずライエが声をあげる。アルスたちも驚きの表情を浮かべるが、少年は特に否定しようともしない。ただやわらかい表情を崩さないままでいる。
 低い声でヴェイルが呟いた。
「彼はセラフィック。彼もクライテリアからヴォイエントへ来た人物だよ。そして、僕やアクセライは彼とクライテリアにいたときから知り合いだった」
「で、今はアクセライの仲間ってわけか……。そんな奴なのに信用なるのかよ?」
「信用はできるよ……僕なんかよりずっとまっとうな人間だから」
 視線を落として、ヴェイルはセラフィックを疑おうとするユーフォリアにそう言う。仕方なくユーフォリアは小さく頷いた。
 セラフィックは不審な動きをする気配すら見せない。アルスはハディスを見遣った。
「ヴェイルが信用できると言っているのなら嘘ではないのだろう。二人の過去に何があったのかは知らないが、今はそんなことを詮索している場合ではない。セラフィックの言う通り、シアンを休ませてやるべきだろう」
「……そうだな。お嬢ちゃんもこいつには世話になったみたいなこと言ってたし……だいたい俺様たちにお嬢ちゃんを返してくれるって言ってんだ、アクセライの意向に沿うようにしてぇんなら黙ってお嬢ちゃんを連れ帰ることだってできただろうしな」
「……セラフィック、お前はこれからどうするつもりだ? こんなことをして、アクセライの怒りを買うことはないのか?」
「大丈夫だと想います。これは僕が勝手にやっていることですから、きっとアクセライは気付いていませんよ。もともと僕たちは必要なときに集まるだけで、常に一緒に行動しているわけではありませんから。姿が見えなかったからといってどうということはありません。週に一度しか逢わないことも珍しくないくらいですよ」
「……ならば、俺たちと一緒に来ることはできるか?」
 アルスのその問いに、ハディスとユーフォリアは反射的に驚きを示す。
 しかしアルスとセラフィックは平然としたままでいる。セラフィックはふわりと微笑んで頷いて肯定を表した。
「もちろん。……実を言うと、それも想定の内でした。この機会にみなさんにお話しておきたいこともありますから」
「……なかなかの策士だな」
「本当はそのつもりじゃなかったんですが、ヴェイルは何も喋らないつもりでいるようなので。……いや、僕が彼の達場だったら同じように話せないかもしれないな……。とにかく、何も知らないままではアクセライの目的だって掴めないでしょう。……僕が提供できる情報は提供しますよ」
「条件はつけないのか?」
「なにも。あなたたちはアクセライを止めようとしているんでしょう? だったら僕と目的は同じですから。……そういう質問をするあたり、あなたもなかなかの策士みたいですね」
「……性分だ、悪く想うな。シアンが目を覚ますまではすべての情報を易々と鵜呑みにするわけにもいくまい。お前が俺の達場だったとしたら、同じことを言うだろう?」
「まぁ、そうですね。安心してください、悪く想ったりはしませんから」
 微笑みを崩さないままアルスと会話をかわし、セラフィックはハディスにシアンを託した。ハディスの腕に移されてもシアンは眠り続けている。二、三日眠り続けたままの可能性があるというのも疑えない情報だった。
 話が一応のまとまりをみせると、アルスは全員の顔色を順番に伺った。ライエは当然のように同意を示し、最初はアルスの提案に驚いていたハディスとユーフォリアもアルスに頷き返している。頷きながらハディスは「考え方を変えりゃ、俺様たちの処にいる間はアクセライとセラフィックは結託できねぇってことだからな」と呟いた。そして最後にアルスはヴェイルを見遣る。ゆっくりと、覚悟を決めたようにヴェイルも頷いた。
 全員が同意したのを確認して、一行は市街地へと向かって歩きだす。しかしヴェイルとセラフィックは最後までその場に残っていた。
 沈んだ声でヴェイルが呟く。
「……やっぱりだ」
「何が……?」
「やっぱり、君が選ばれるべきだったんだよ。……僕なんかじゃなくて」
「自分を卑下するのはいい加減やめなよ。みんな君を希望に想ってた」
「そんなのはうわべの話でしかない……」
「うわべでしか想われていないなら、本気でそう想わせてやればいい。過去は変えられないけど未来は想うままに創れるんだ」
「……君のその強さが羨ましいよ、セラ」
 そう言うと、ヴェイルはゆっくりとアルスたちを追って足を進めはじめた。
 自分と似たような背格好をしたヴェイルの背中を見つめながら、セラフィックは大きく息をひとつ吐きだした。それからゆっくりと空を見上げる。白い鳥のような姿はもうない。静かに月と星が輝いているだけだった。
 視線を元に戻して「強さ……か」とひとりごとを呟いてから、セラフィックも足を進めた。
 街の炎は殆ど消えている。もう悲鳴も聞こえなくなっていた。
 夜明けは近い。