僕と君に通ず道




 ホテルの部屋の中でヴェイルに言われた通りにシアンは待っていた。することは特に何もない。シャールも姿を消してしまい、リビングにはライエと二人きりになった。
 不死者の感覚は少しずつだが段々弱まってきている。ヴェイルたちが戦って殲滅しているのだろう。
「……ライエさん、大丈夫ですか?」
 俯き加減で黙ったままでいるライエに、シアンはそっと声をかけた。
 ゆっくりと顔をあげて、ライエはシアンを安心させるように僅かに微笑んでみせる。
「ありがとう、大丈夫よ。以前は怖くて仕方なかったけど……なんだか今は平気。全然気にならないなんて言ったらそれは嘘だけど……でもね、シアンさんにあのとき言われたこと、効いたみたい。不死者が怖いのは私だけじゃなくて、不死者に大切な人を奪われたのも私だけじゃない。そう想ったら、ね……」
「……それは私の言葉の作用じゃない。あなたが強い人だから心の持ち方を変えられただけのことですよ」
「ふふ……あなたは相変わらずね」
 可笑しそうにそう微笑むライエに、シアンは首を傾げた。相変わらず、と言われる所以がわからない。もちろんライエはシアンの冷たさを帯びた謙遜のことを指しているのだけれど。
 そして自分のそんな態度に気付かないシアンがまた相変わらずに想えて、ライエはまた笑顔を浮かべる。
 それから間をおいて、穏やかな声で問いかけた。
「シアンさんこそ、もう具合はいいの?」
「はい、大丈夫です。……ヴェイルは心配性だからあんなこと言ってたけど、今すぐにでも不死者とも戦えますから」
「ヴェイルさん、シアンさんのこととても大切に想ってるみたいだから、きっとどうしても心配になっちゃうのよ。……シアンさんの名前、ヴェイルさんがつけたんでしょう? それからずっと一緒にいたの?」
「そう……だと想います。あんまり定かではないけど……別れたとか再会したとかいう記憶もないから」
 ぼんやりと思い出すようにそう言うシアンを見て、ライエはヴェイルの言葉を思い出した。名前をつけたとき、シアンの意識は衰弱していたのだ。きっとその後暫くも記憶が定かではないのだろう。
 そのとき、扉をノックする音が聞こえた。まだ不死者の気配は完全には消えていない。ヴェイルたちが戻ってきたというわけではないだろう。第一、ヴェイルかアルスが一緒にいるならノックなどせずに部屋に入ってくるはずだ。
 椅子から身軽に飛び下りるように立ち上がって、シアンは扉の方へ向かった。背伸びして覗き窓から外を見る。そこに見覚えのある姿を認めて、シアンは扉を開けた。扉が開くなり、元気の有り余ったクルラの声がする。
「シアンちゃん! 久しぶりやなぁ……と違て、大丈夫かいな!?」
「え……あ、うん……。……アルスから何か聞いた?」
「何か、やあらへん!一部始終聞かせてもうたで!もうホンマうちの通信機なんでこんなときに故障しとったんやろ……自己嫌悪もええとこや……。でもシアンちゃんが無事で良かったわ……もう痛いとこないん? 痩せ我慢したらアカンで?」
 勢い良く連なる言葉に、シアンはただ頷き返した。
 後ろ手でドアを閉めてから、クルラは部屋の中を見回した。
「アルちゃんはお留守みたいやな。 ……そっちの綺麗な子はどちらさん? シアンちゃんのお友達?」
 人懐っこくクルラは微笑む。突然嵐のように入ってきた見知らぬ人物を見て、ライエは一瞬戸惑いを浮かべた。
 そんなライエの様子を知ってか知らずか、シアンが先に口を開く。
「彼女はライエさん。ちょっと前に知り合った人」
「あ……えっと、初めまして、ライエ・ダルクローズと申します」
 いつものように適当に端折って説明するシアンの後ろで、椅子から立ち上がってライエは深々と頭を下げた。そのライエにクルラは近寄った。そして二人で挨拶を交えながら会話を始める。
 その様子をぼうっと見ながら、シアンはリビングの隅にある椅子に戻った。
 薄れゆく不死者の感覚を感じとる。それはどこか果敢なく、空しいものに想えた。いつも自分が戦線に出ているときは意識したことなどないような、不思議な感覚だった。
(キーストーンが不死者を生む……不死者はクリスタラインから生まれる……多分、両方真実……。不死者に意志はあるのかな……痛いとか感じるのかな……。そもそも……不死者って、何なんだろう。残留思念の具現? どうして人を襲うんだろう? 残留思念の具現だったとしても、無差別に人を襲ってる時点で復讐っていうわけではないだろうし……)
 何の脈絡もなく、ふとそんなことが頭に浮かんでくる。
 しかしそんなことを考えてみたところで答えは出てこない。暫く頭の中に考えを巡らせた後、シアンはそれ以上考えるのを諦めた。
 そっと椅子の上で膝を抱える。
 突然頭の中でセラフィックの声がこだました。
『幸せになって。……たとえすべてを知ったとしても』
 セラフィックは、そのすべてを知っているような口ぶりだった。すべてというのは勿論シアンのことなのだろう。
 捕えられていたときの状況を思い出しながら目を閉じる。
(私、あんまり"自分"に興味ないや……なんでだろう。でも……何故か知りたいとは想わない。記憶なんて要らない……無くても今ここにいられるのなら、それで……)










 不死者の騒ぎを落ち着けて部屋に戻ったメンバーは、リビングのテーブルに置かれた書類を食い入るように見つめていた。それはシアンとライエは既に一通り目を通した、クルラが持ってきた書類である。
「今までたまってた分と、アルちゃんが転送してくれた昨日シアンちゃんが波動観測してくれた分の解析やねんけどな、前と似たような結果が出てるわ。セントリストでもスフレでも同じような結果やっちゅーことを考えると、まぁ仮説に間違いはないやろな」
 書類に記された文字を必死に読み取る四人に向かって、クルラはそう言った。
 それを聞いてハディスが顔をあげてクルラの方を向く。
「仮説……って何だ?」
「あれ? アルちゃんこの人らに何も喋ってへんのかいな?」
「……あ、あぁ……一応俺たちのやっていることは大まかに説明したが、ゆっくり話す時間もなくてな……詳細はまだ話していない」
 書類を一通り見てからアルスも顔をあげた。書かれていたことを頭の中で整理しながら腕を組む。
 暫く黙ったままで考え込んでいるアルスを見て、ユーフォリアは待ち切れずに口を開いた。
「ここまで関わってて今さら秘密なんてのは無しだぜ? オレもさ、内容聞いて協力したいと想ってたとこなんだしさ。どうせオッサンだってそうだろうしな」
「個人的に、しかもセントリスト警察の情報を利用しながらやっていることだからあまり口外しないでもらいたいが……俺たちは不死者を殲滅するため、不死者について調べている。具体的には不死者から観測できる波動により、すべての不死者に共通のものがないか見出そうとしているのだが……その根底には、不死者がクリスタラインと絡んでいるのではないかという仮説がある」
「クリスタライン……って、クリスタライン・トランスペアレンシーのことか? うちの学院で上層部の人間がそんな話してたの聞いたことあるけど……でもそれってたしか極秘情報じゃねーの? 俺も、その、盗み聞きしただけだしなぁ……」
「そうなんだがな……何年もかけて俺たちはその情報に辿り着いた」
 二人の話を聞きながら、ハディスは「なんだよ、そのクリスタなんとかって?」と口を挟んだ。ハディスだけでなく、ライエもクリスタラインのことを聞きたそうにしている。ユーフォリアにしても盗み聞きした程度の知識しかない。
 それに対してクルラが説明する。
「不死者がこの世界に氾濫し始めたんが約200年前やっていうのは知ってるやろ? その不死者が出現したのを境にして、ヴォイエントの中に目立った変化があったんや。目立ったってゆうても目に見えるもんやない。観測用電波でしかその変化を捉えることは不可能やった……その変化っちゅーのが亜空間の中にあったからや。亜空間の中にあるもんは外から見えへんやろ?」
「亜空間の……中? 亜空間って、シップが通ってる場所のことですよね?」
「そう、ライエちゃんの言う通り、亜空間ってのは人が創りだした空間や。磁力によって生まれたその空間を通れば一瞬にして遠くへも移動できる……。けど、亜空間に関する事実はそれだけやない。磁力で構成されたその空間は勝手に拡大を始めたんや」
「か……拡大!?」
 ハディスが思わずすっとんきょうな声をあげた。クルラの表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。しかし人の手で生み出されたものが勝手に拡大を始めるなど信じられなかった。
 一度ハディスに頷き返してから、クルラは続ける。
「亜空間を創りすぎたんや……たしかに便利にはなった。けど、亜空間ひとつひとつが接近し過ぎた所為で、それぞれの磁力が相互作用を起こして拡大し始めた……地面の方やのうて、大気圏に向かって広がってるんや。そやから特に気をつけて調べてへん人に認識されることはまずないねんけどな。電波で観測したらそんなことになってて、しかもその拡大した亜空間の中に目立った変化があったんや」
「目立った変化……?」
 今度はユーフォリアが口を開く。
 そしてそれに対してアルスが説明を加えた。
「変化といっても目に見えるものではない以上、何がどうなったとかそういうレヴェルでの説明はできない。だが電波観測による値が、ある一箇所だけ不死者出現以前と以後で大きく異なっている。それを伝承に重ね合わせる人間もいた……伝承ではキーストーンによる封印が解けたとき不死者が出現した、ということになっているからな。その変化をキーストーンの封印が解けたものだと考えたというわけだ。そしてその人間が変化の起きた場所を調べている……依然詳しいことは何もわかっていないらしいがな。そしてその人間が、亜空間内の変化があった場所につけた名称がクリスタライン・トランスペアレンシー……ということだ」
「で、それが不死者と絡んでるって想ってるわけだな……。だからそれを証明するために波動観測をしている……と。……なんつーか、本気なんだな、あー坊」
 感嘆の溜め息がハディスから漏れた。
 リビングの隅にある椅子に座ったまま、シアンがぽつりと呟いた。
「……アルスは本気だよ。今まで不死者を殲滅するって言ってる人や組織はいろいろ見てきたけど、アルスほど調べてる人は他にいなかった」
 その口調は誰に言うともなく、自分自身でただ納得しているだけのように聞こえる。
 しかしその言葉に全員が反応した。アルスの姿勢を理解したハディスとユーフォリアが顔を見合わせる。シアンはぼんやりとアルスの方を見上げ、ヴェイルの視線がそれに絡む。
 暫く間があった。そしてユーフォリアが口を開く。
「……オレも協力するよ。オレも不死者には恨みがあるし……その、シアンにも借り返さなきゃなんねーし」
「私べつに……」
「シアン……!」
 べつにそんなことはどうでもいい、と言いかけたシアンをヴェイルがシアンにしか聞こえないほどの小声で牽制した。
 ユーフォリアが協力したいと言っているのは嘘ではないだろう。そしてシアンに借りを返したいのも本気であるように想える。しかし彼にとって借りを返すことを口にするのは勇気のいることだったに違いない。庇ってもらったことだけでなく、自分がシアンを化け物呼ばわりした上、襲ってしまったことを本人はよくわかっている。とんでもないことをしてしまった、と想わずにはいられない。
 あっさりとシアンがどうでもいいなどと言ってしまっては、そのユーフォリアの勇気があっさり潰されることになってしまう。そう想ったヴェイルは慌ててシアンを遮ったのだった。
 そんなユーフォリアの隣でハディスもアルスに向かって言った。
「もちろん、俺様もだ。昨日言った通り協力させてもらうぜ。何もしねぇ議会や警察に任せてられねぇ。俺様こう見えて正義感溢れる男だからな!」
「あ……あの、……私も……」
 はりきって声をあげたハディスの後に、ライエの遠慮がちな声が続いた。
 全員の視線がライエに集中すると、畏縮したようになりながらも俯き加減に続ける。
「私も……協力したいです。皆さんみたいに戦う力はないけれど……でも、波動観測なさってるなら、解析のお手伝いくらいはできると想うんです……。それに私も……シアンさんに恩返ししたいから……。シアンさんがいなければ今頃まだ不死者に脅えたままでいたかもしれないし、あのとき聖堂で不死者に襲われていたかもしれない……。……あの、やっぱり私じゃ役に立たないでしょうか……?」
 消え入りそうな声で言うライエの言葉を聞きながら、シアンはヴェイルを見上げた。べつに恩返しなんて、と言いたいところだったが、やはりヴェイルの目は先程と同じくシアンを牽制している。それを見てシアンは口を開くのをやめた。
 アルスはちらりとクルラと視線を通わせて、次にシアンとヴェイルを見遣る。二人が何も言わないところを見ると、特に意見はなさそうである。
 ゆっくりとアルスが息を吐き出した。
「……俺たちは個人的に動いているだけだ。警察のような大きな後ろ楯もない。俺が警察を続けていられる保証も無い。俺たちの仮説が合っているとも限らない。…………それでもいいのか?」
 部屋が静まり返る。
 全員の瞳が真剣だった。
 たっぷりと沈黙が流れた後、ハディスがその沈黙を破った。
「あったり前だろ? 俺様はお前の行動に協力しようって言ってんだぜ? 今更やめるなんて言うかよ」
「オレもだ。それに不死者に対抗できる力があるってのはわかってるしさ、後ろ楯とかよりそっちの方が大事だろ?」
「私は……協力させていただければってずっと想ってましたから……」
 三人の言葉が並ぶ。
 ヴェイルがアルスと顔を見合わせて、小さく頷いた。
「決まり……、みたいだね」
「……物好きな人間が揃ったものだな……」
「それ、アルスが言うことじゃないと想うけどね……何の手がかりも無い状態から不死者を殲滅しようとするなんて普通の人は考えないだろうし」
「……まあな」
「まぁええやん、戦力アップでこれからもばりばり活動や! ……あ、けど本職忘れたらアカンで。あくまでも個人的な計画なんやさかい」
 クルラが明るい声で割って入った。そしてアルスが三人に今後の動きを説明しはじめると、その話に加わる。今後の動きといっても大したことはない。やることは今までと何ら変わらないし、活動拠点も結局はセントリストということになる。アクセライたちのことは気になるがこちらが具体的に動けることは何もない。ただ、スフレで不死者が出現したときの波動観測をユーフォリアが買って出たのはアルスとクルラにとっては有り難かった。ユーフォリアの術力も子どもにしてはなかなかのものである。シアンと同じような結果は望めないにしても、データが増えるに越したことはない。
 話を進める五人をシアンはぼうっと見つめていた。同じ部屋に、しかも目の前に五人がいるため会話はもちろん聞こえているのだが、それを聞き取ろうとはしない。興味がないわけではなかった。けれど何故か目の前の会話に集中できない。
「……大丈夫? 疲れたなら休んでていいんだよ。まだ体力も回復しきってないんだから」
 やさしくヴェイルがそう声をかけてきたのに反応して、シアンは椅子の隣にやってきたヴェイルを見上げた。そしてゆっくりとかぶりを振る。
「心配しなくてもいいよ。そんなんじゃないから」
「そう? ……でもなんだかぼうっとしてたよ?」
「…………、……夢物語」
 突然シアンが呟いたその言葉に、ヴェイルは「え?」と反射的に返した。しかしシアンはあまり気にすることもなく、小さな声でうわ言のように続けた。
「違う世界があるなんて話、よく信じられるなと想って。私が言うことじゃないけど夢物語みたいじゃない? この世界しか存在しないと想ってた人間が、別世界の存在をそんなに簡単に受け入れられるものなのかなって」
「……半信半疑ではあると想うよ。ただね、クライテリアの存在を信じることで物事の辻褄が合うとしたら、信じてみたくなる人だっているんじゃないかな」
「私たちがアルスたちを何らかの目的で陥れるために嘘をついてるとか、そういうことは考えないのかな」
「……どうしたの、急に」
 怪訝な顔でヴェイルはシアンの顔を覗き込んだ。しかしシアンは表情ひとつ変えていない。
 暫くその状態が続いた後、ヴェイルは五人が会話に熱中しているのを見てからシアンの手を引いた。されるがままにシアンは椅子から立ち上がり、手を引かれる方に足を進める。
 ヴェイルはそのままシアンの手を引いて、寝室へと連れて来た。そしてシアンをベッドの淵に座らせると、自分もその隣に腰かける。そして、穏やかな声を響かせた。
「何かあったの?」
 そう言われてシアンは首を横に振る。
 しかしそれは否定の意味ではなかった。ぽつりと唇から「わからない……」という言葉が零れる。思わずヴェイルが「わからない?」と鸚鵡返しに問いかけた。
 相変わらず無表情のまま、シアンは続ける。
「自分のことも把握できないような人間のことをどうして信じられるのかわからない。その上、借りを返すだとか恩返しだとか、……どうして? 私べつに何もしてないのに……」
「……。…………信じられると、……辛い?」
「わからない。辛いって、どんな感じ?」
「…………」
 ヴェイルの胸が痛んだ。シアンが何を感じているのか理解するには程遠い場所に自分がいることを痛感させられた。
 彼女が何かを抱えていることはわかる。しかしそれが苦しみなのか悩みなのか、それともただの疑問なのか、それすらわからない。そして彼女はそれを表現する術を持たない。
 護ると誓って、傍にいるのに、それでもシアンは遠いところにいた。
 どうしようもなくなってぎゅっと自分の両手を握り締めながら、歌うように言う。
「君が何を感じているのか、僕はわかってあげられないけれど……。でもね、君が特に意識しないままに行動していることが、他の人の心に響いていることがあるのは間違いないよ。だからみんな君のことを信じてる」
 そう言葉を連ねるヴェイルの肩に、シアンの身体がふわりと寄りかかった。
 突然のことに少し驚きを示しながらもヴェイルは続ける。
「みんなが君を信じてるって事実の中で、君は今のままでいればいいんだよ。悩まなくても、そのままで……ね?」
 励ますようにやさしく囁いて、ちらりとシアンの方を見遣る。
 そして、シアンの様子をじっと見つめて、ふと彼女の身体から力が抜けていることに気付いた。
(……もしかして……)
 そう想いながらシアンの顔を覗き込む。
 案の定、シアンはヴェイルの肩に寄りかかったまま目を閉じていた。規則正しく肩がゆっくりと上下している。
(やっぱり、……寝てる……)
 どこまで聞いてたのかな、とぽつりと呟きながら、ヴェイルは苦笑を浮かべた。
 眠気のせいで突然あんなことを言い出したのかもしれない。彼女のことだ、起きたら何もなかったかのように冷めた顔をしていることも充分に考え得る。
 数回名前を呼んで、少し身体を揺すってみたがシアンが起きる気配はない。このままでいようかとも想ったが、シアンの眠りが深そうなこともあって、ヴェイルはやさしい手つきでそっとシアンの身体をベッドに横たえた。
 その寝顔はとても安らかだった。普通の少女の寝顔だった。
 話の途中で眠ってしまったその少女を穏やかな瞳で眺めながら、ヴェイルは口の中で呟く。
「……おやすみ」
 ふわりと笑顔を浮かべてシアンに微笑みかけてから、ベッドに背を向けた。
 今の彼女には平穏が必要だった。
 彼女は再び立ち上がることを決意している。だからこそ……。