僕と君に通ず道




 バタンと扉が閉まる音がする。
 夕陽も水平線に殆ど沈んでしまっている。スーツのボタンを外しながらアルスは部屋の中を奥へと移動した。テーブルを囲んでシアンとシャールを除くメンバーが部屋にいた。ヴェイルの姿は寝室にいるためはっきりとは見えないが、アルスが帰って来たことを知ると「お疲れさま」と小さく微笑んだ。緊張しながらライエが「お疲れさまです」と声をかけるとアルスは小さく笑顔を覗かせた。慌ててライエは赤面する表情を隠す。
 ネクタイを外しながらアルスは寝室に足を踏み入れた。
「……シアンは?」
「眠ってるよ。少し魘されたりもしてたけど、今は落ち着いてる」
 シアンの眠るベッドの隣にあるベッドに腰かけながらヴェイルはそう答えた。静かにシアンは眠っていた。助け出されてからやっとゆっくりと眠れているように見える。
 リビングからハディスも寝室にやってきた。シアンの様子を見ながら腕を組む。
「一応の事情はヴェイルから聞いたぜ。マルドゥークっつー組織立てて不死者に対抗しようとしてるらしいじゃねぇか。しかも実力のある奴なら素性は問わない、とかな。しかし……これからどうすんだ? お嬢ちゃん、平気そうな顔してたが精神的に参ってねぇわけねぇだろうしな……お前が出て行ってからちょっと話はしたんだがな、あんまり話しちゃくれなかったが拷問喰らってたみてぇなことも言ってた。こんなことがあって、これ以上お嬢ちゃんを戦わせられんのか?」
「……それは俺も考えていた。アクセライの目的は恐らくシアンを捕らえることだったんだろう。あの石の騒動があったときにシアンが何かに喚ばれているようだったことと、シンシアが"邪魔な奴は排除して良いと言われている"と言っていたことを考えると……シアンのような精神力が無いと感じられないものを用意して、それによってシアンを呼び寄せ捕らえる、というシナリオだったと考えるのが妥当だな」
「っつーことは、今後も狙われる可能性は多いにあるっつーことだな……アクセライとかいう奴が"収穫はあった"って言ってたのが気になるが……。しかし狙われるなら尚のことだ。全員揃った後で石の被害については話すつもりだけどな、どうやら不死者と絡んでるらしい。ってことはだ、石と関連する不死者と戦ってるうちにまたアクセライとかその手下とかとエンカウントする可能性だってあるわけだろ? そんな中でお嬢ちゃんを戦線に出せるか? 第一、そんな状況だったらお嬢ちゃんだって戦うの辛いんじゃねぇのか?」
 低い声でハディスがそう言う中、ベッドの方からシアンの声が聞こえた。それに反応して三人がシアンの方を見遣る。
 シアンは目を閉じたままでいた。ただその顔は苦し気に歪み、右手はぎゅっとシーツを握っている。喉の奥から微かに声が漏れていた。
 三人は何も言えなかった。辛そうに魘される姿を見ていると、これ以上この少女を戦わせる気にはなれない。
 ヴェイルは両手でシアンの右手をそっと包んだ。するとその右手はシーツを解放してヴェイルの手を救いを求めるように強く強く握る。その小さな手に握られた痛みは、ヴェイルの胸に強く響いた。
「……何かに縋りたくて……それでも平気な顔して……」
「無理をして強がっている……というよりも、感情の表現が不器用なんだろう。助けてほしい、とは言えない……どうやって周囲に救いを求めればいいのかわからない……そういう奴なんじゃないのか?」
「……うん、そう……アルスの言う通りなんだけど……。でも……僕は見ているだけしかできないなんて……」
「それは俺も同じだ。かといって余計なお節介をするわけにもいかないだろう。シアンに気を遣わせてしまうだけだ」
「そうだね……シアンはどんなときでも周囲の人の心を読んでる……。彼女は強い人だよ……見ていて痛々しいくらいに……」
 シアンの肩が小刻みに上下している。
 苦しそうな声が言葉となってシアンの唇から零れた。
「……っ、厭……紅、い……」
 ヴェイルの手を握る小さな右手が震えている。
 それを見てハディスは顔を歪めずにはいられなかった。
「何があったか知らねぇが……相当辛いんじゃねぇのか、こりゃ……。お嬢ちゃんに直接訊くわけにはいかねぇが、あのアクセライとかいう奴がロクでもねぇことしやがったに決まってる……!」
「……だろうな。シアンは不器用で、強すぎる。普段冷めた顔をしていても俺よりもこの世界の平和を願っているかもしれない。最初からそう想っていたわけではないが、不死者と対峙したときの様子を見ていてそう想った。制御しきれない術を必死に制御しようとして、それでも駄目なら物理的な手段ででも戦おうとする。しかもこんな華奢な身体で、だ。……もし仮に感情を巧く表現できたとしても……弱音は吐かないんだろう。ヴォイエントのためには戦わなければならない、戦うためには弱音など吐けない……」
「お前、お嬢ちゃんのそんなところに惹かれたんじゃねぇのか? だから素性がわからなくても味方につけたんじゃねぇのか?」
「そう……なのかもしれないな。初対面のときは実力だけを重視していたが、次第にそれだけではなくなっていたのかもしれない」
 ハディスとアルスがそう話していると、シアンは一度苦しそうな声をあげて突然目を見開いた。
 驚いて三人がシアンの方に注目する。
 肩を上下させながら、暫くシアンは焦点の合わない瞳で空虚を見つめていた。おそるおそるヴェイルが声をかける。
「……シアン、大丈夫……?」
 その声に反応してシアンの瞳は急に現実を映しだした。そして自分の状態を把握する。それと同時に自分の右手に異様に力が入っていることに気付いた。
 はっとして右手の力を抜いてヴェイルの手から離す。
「あ、……ご、ごめん…………私、」
「いや、いいけど……それより随分魘されてたよ……?」
「そう……? べつに何ともないんだけど……手、痛かった? ごめんね」
 表情ひとつ変えずに荒れた息を自然に落ち着けながらそう言うシアンに、ヴェイルはゆっくりとかぶりを振った。ヴェイルにはこれ以上何も言うことができなかった。本当に何ともないのか強がっているのか、それを訊いたところでシアンは何ともないと言うだけなのだろう。彼女の本当の状態すら察することができずにいることが悔しくて、ヴェイルは唇を噛んだ。
 マイペースにシアンは起き上がった。その様子を見ながらハディスは遠慮がちに口を開いた。
「あのなお嬢ちゃん、無理しなくていいんだぜ? 精神的にも体力的にも、な」
「大丈夫。それに休んでばかりじゃ身体鈍るから。不死者が出現したときに戦えなくなる」
「いや、だからそのことだよ、俺様が心配してんのは」
 呆れたようにハディスはそう言ったが、シアンにはいまひとつ伝わっていないようだった。軽く首を傾げながらハディスの方を見上げている。
 まったく意図が通じないことに参ってしまったハディスのかわりに、アルスが身をかがめてベッドの横に膝をついた。そしてシアンと目線を合わせてオッドアイを見つめる。
「……本当にいいのか? 不死者と戦えばまたアクセライたちと接触することになるかもしれないとしても……それでも戦うつもりなのか? 俺の誘いのことは気にしなくていい。俺はお前に傷付いて無理をしてまで戦力になってほしいとは想わないからな。決断はお前に任せるが、周囲のことを気にする必要などない」
「そんなに気を遣わなくてもいいよ。私、大丈夫だから」
「…………」
「それに、アクセライが私のことを知っている以上、必要があれば不死者がどうこうとは関係なくまた接触してくるかもしれないし……アクセライは私のこと色々と…私よりもよくわかってるみたいだったから、逃げるわけにもいかないし。勿論、不死者のことも解決していかなきゃいけないから。戦線離脱なんて可能性自体、今の私にはないよ。それは今私が戦える状態にあるってことだから、心配しなくてもいいってこと」
「……お前がそう言うなら俺は咎めない。ただし、無理はするなよ。途中で辛くなったら必ず言うんだ、いいな?」
 妹に言い聞かせるような口調のアルスに、シアンはゆっくりと頷いた。
 シアンが頷くのを見ながら、ヴェイルはぎゅっと両手を握り締めた。胸が痛む。
(……今度は必ず護るから……)
 奥歯を噛み締めながら強くヴェイルは胸の内でそう誓った。










 部屋に突然蛍光色の光が集う。リビングの隅に集ったその光は次第に形を形成し、ゆっくりとシャールの姿が現れた。
 丁度全員がリビングに集まっていたため、全員の視線がそちらの集中する。その中シャールは平然と現実に固着し、挨拶のひとこともなしにテーブルの方へ歩み寄った。
 ハディスが呆れた声を出す。
「お前なぁ……瞬間移動できる術使えんのはわかったから、せめて入り口から入って来いよな……。人ん家でやったら不法侵入だぞ?」
「ごちゃごちゃ五月蝿ぇな、そんなこと俺の知ったことじゃねぇ」
 そう言ったときにはもう既にシャールはハディスを見ていない。返事だけを返しながら、その瞳はシアンの方を満足そうに見つめていた。シアンはリビングの端に置かれた椅子に座っていた。先程とは違って具合も良さそうに見える。
 床に届かない足を揺らしながら、シャールを見上げてシアンは無表情に言った。
「……おかえり」
「随分元気そうになったな。……お前があのまま起き上がることもできずにいるなんてことになったら、この世界ブッ壊してでもあの野郎を殺しに行くところだったぜ?」
「世界が壊れたらシャールも私も生きられなくなるけどね」
「その前にクライテリアに帰りゃいいだろ? ひとりで帰れねぇなら俺が送ってやる」
「そっか。じゃあ実行前に予告してね」
 真顔でさらりとそんな冗談をかわす。この二人が話すと、周囲の人間は二人がどこまで本気なのかがわからなくなってくる。
 シアンと仲が良さそうに話すシャールをヴェイルは横目で睨み付けていたが、隣からハディスの声がしてそちらを見上げた。
「メンバーも揃ったことだし、さっきの話の続きでもしようぜ。俺様も情報調達してきたんだからよ」
 全員が何らかの肯定の反応を示した。シアンは椅子に座ったままでいて、ヴェイルとライエ、そしてユーフォリアがテーブルの周りにある椅子に腰掛けている。アルスは壁に凭れ、シャールとハディスはテーブルの傍に立っていた。
 部屋が静かになったところでハディスが切りだす。
「昨日の昼間起きた、あの妙な石の件だけどな。今あの石は庁舎で厳重に保管されてる。とはいえ、俺様たちがあの石と遭遇するまでにはユーフォリアの言ってた通り人を呑み込んだりしてたらしいんだが、あの後は何の被害もなかったらしい。またいつあんなことになるかわからねぇ以上、保管には細心の注意が払われてるみてぇだが……というより、あの石について解明したいんだろうな。石が人を呑み込むなんて話、普通あるわけねぇ」
「だからこの目で見たって言ったじゃないかよ!オレも見たとき目を疑ったっての! ……でさ、その呑み込まれた人って……どうなったんだ?」
「言うなれば行方不明、だな。石に呑み込まれたまま帰ってこない……そう警察も議会も言ってた」
「……な、なんだよ、それ……」
「民間人12名が石に呑み込まれたまま……有り得ねぇ話だろ? けど夢じゃねぇ、紛れも無い事実らしい」
 ユーフォリアは息をのんだ。その隣でライエも驚いた表情を浮かべている。ライエだけではない、ヴェイルもアルスも驚きを隠せなかった。
 その中、淡々とシアンが訊ねる。
「被害はそれだけ?」
「いや、負傷者も多い。軽傷の人間まで含めるとあの短時間の間に100人強くらいが被害にあってるな。ヴェイルやあー坊のレジストでも防ぐのがやっとなほどの術力だったからな、はっきり言って術力での死者が出なかったのが不幸中の幸いだ」
「ふぅん……私あまり覚えてないから何とも言えないけど、気になるものではあるかな……といっても、厳重保管中じゃ見られそうにもないけど」
「お前……ッ、人が消えたり負傷したりしてんのになんでそんな平気な顔してんだよ!」
「ったく五月蝿ぇな、黙れクソガキ」
 冷静すぎるシアンにつっかかるユーフォリアにシャールがそう吐き捨てるように言う。それにユーフォリアが更に腹を立てて声を荒げそうになったが、シャールに射るような目で睨まれて思わずしりごみした。
 ユーフォリアを威嚇してからシャールはそっとシアンに歩み寄った。そしてその小さな左手を掴むと掌を上に向けた。
「気になるんだったらいくらでも見せてやるぜ?」
 そう言いながらシャールは上着の内ポケットを空いている手で探ると、そこから何かを取り出してシアンの左手に乗せた。小さいものが3つ、シアンの掌の上で転がる。
 それが何なのかを確認して、シアンはシャールを見上げた。
「シャール、これって……」
「お前らが話してる石……キーストーンだ」
「キーストーンっていうんだ、これ。ますます伝承みたいだね」
 呑気な会話をする二人に、周囲が一斉に驚きを示す。シアンの掌にあるものは紛れも無くあの被害を及ぼした石だった。色は違っているが、形はまったく同じである。スフレの街で見たのはエメラルドグリーンのものだったが、これらは暗緑色と乳白色、そして黄色がかったものである。
 ヴェイルが椅子から立ち上がってシアンの方に近寄った。石を見ながらシャールに訊ねる。
「これ……、どうしたの? 術力は感じないけど……」
 訊ねてからヴェイルはしまったと想った。自分が訊いてもシャールが答えてくれるはずがない。
 しかし幸いにもシアンがシャールを見上げたまま答えを期待していたため、シャールは口を開いた。
「拾った……というより手に入れた。俺がヴォイエントで捜してたものだからな」
「捜してた?」
 今度はシアンが訊ねる。シャールは軽く頷いて話を続ける。
「ヴォイエントに伝わる伝承の中にキーストーンが存在することは知ってるだろ? 約1万4000年前に防衛軍が世界を護るために生み出した術力の結晶……伝承では既に砕かれたことになってるが、そんなものはお伽噺に過ぎねぇ。だが、クライテリアにもキーストーンに関する記述はあった。だがそれはヴォイエントの伝承みたいに嘘っぽいもんじゃねぇ。そこにはキーストーンの詳細が記されていた。そして……それがヴォイエントに存在するということも書かれていた。俺は強い力を求めていたからな……それも術力強化のアクセサリをじゃらじゃらぶら下げるような程度のもんじゃねぇ、言うなればこの世界ごとブッ壊せるほどの力だ……力を求めて行き当たった文献がそれだった。信用できる文献ではあったが確信は持てなかった……この世界の莫迦げた伝承によればキーストーンは砕かれてるってことになってるからな。だが俺の狙い通りそれは存在した。しかし手に入れてはみたものの、強烈な術力は感じるがひとつ持ってたところで意味がないらしい……これはまともに作用させれば力がデカすぎて人の手で扱えるものじゃねぇ。が、ひとつで意味がないなら全部集めるまでだ。実際所持する数が増えるほど、術力の波動は安定してきている」
「強い術力がほしいの?」
「そういうことだ。力があるに越したことはねぇ。キーストーン全部の力があればアクセライみたいに気に入らねぇ奴もさっさとブッ潰せるからな」
「じゃあそれがシャールがヴォイエントに来た理由?」
「まぁ簡単に言うとそうなる。もっと時間がかかるかと想ったが精神集中で場所をサーチすれば簡単に手中に入ったからな……。そう、アリアンロッド、お前と初めて逢ったときに最初のひとつを手に入れた」
「何だと……!?」
 今まで黙っていたアルスが声を発した。あの一件での情報は警察でまとめられていたが、人が石に呑み込まれたなどという話は聞いたことがなかった。
 しかし、そのときアルスの頭にあることが過った。反射的に「まさか……」と声が漏れる。それに反応したのかどうかは知らないが、シャールが思い出すように言った。
「人が呑み込まれる前に俺が術でキーストーンを無効化したが、警察が何人か術力の巻き添え食ってやがったな」
「じゃあ、あのときの負傷者ってのは……」
「ああ、シャールではなくキーストーンの術力で負傷したんだ。石に攻撃されるなどとは誰も想わないだろうからな……その場にいたシャールに攻撃されたものだとみんな想い込んでいた、というわけか……」
 ヴェイルとアルスが顔を見合わせた。とんでもない術力にやられたらしい、とティラーは言っていたが、キーストーンの術力も普通の人間からすれば相当なものだ。シャールの言うことが真実だとすれば、警察はシャールのお陰で石に呑み込まれずに済んだということになる。
 僅かな驚きを示しただけのシアンが話を繋げた。
「あとのキーストーンは何処で手に入れたの?」
「片方はさっきの旧エクセライズ社だ。既に力を失ったものが落ちていたからな、帰り際に拾ってきた。基本的にキーストーンは暴走がおさまれば力を失う。だが再び所持者が巧く術力を込めれば機能する……キーストーン本来の力を操ろうとするのは難しいが、武器の代替くらいにはなる。つまり力を失って落ちていたものにも利用価値はちゃんとあるってことだ。キーストーンの術力を安定させるのにも必要不可欠だしな。もう片方は……これもお前に逢ったときだな、アリアンロッド」
「えっと……私に逢ったとき……っていうと、……聖堂?」
「聖堂に、そんなものがあったんですか?」
 聖堂、という言葉にライエが反応を示す。シャールはゆっくりと、それは恐らくシアンの言葉に対してだが、頷いた。
「……あのとき、不死者が急に出現したのを覚えてるか? あれはキーストーンの所為だ」
「キーストーンの所為?」
「それなんだが……どうやら不死者とその石……キーストーンには関連があるらしい」
 鸚鵡返しに訊ねたシアンにハディスがそう声をかけた。
 シャール以外の人間の視線がハディスに集中する。話す内容を頭の中で整理しながら、ゆっくりとハディスは口を開いた。
「さっき言ってた厳重保管されてるキーストーンをフォリオ学院の専門家が調査しに来たんだわ。そしたら石から不死者と同じ波動が観測されたらしい。俺にはよくわかんねぇが、それは石が不死者を生み出す可能性を秘めてんだと。まだ研究中ではあるが、それは間違いねぇんだそうだ」
「……人を喰ったり不死者を生み出したり……なんなんだよ、そのキーストーンって……」
「そんなものがこの世界に存在しているなんて……信じられません……」
 信じられないような情報に頭の中がややこしくなって、ユーフォリアはかぶりを振った。その隣でライエも戸惑いの表情を浮かべている。
 シャールが何も言わないところを見ると、ハディスの話した内容は間違っていないのだろう。シャールは軽々と情報は提供しないが、間違っていることを何も言わずに聞いている性格でもない。
 何かを考え込むようにヴェイルが口元に指を当てた。
「それが事実だったとしても、すべての不死者がキーストーンから生まれているとは考えにくいよね……現に4個は使われていないわけだけど、不死者は相変わらず次々と同じペースで出現しているから……。でも、それにしても……こんな小さい石から不死者が生まれるなんて話、にわかには信じ難い気がするなぁ……」
「お前はまだマシだろうよ。俺らはお前らがクライテリアとかいう世界から来た、なんて話まで信じなきゃならねぇんだぜ?」
「文句あんなら信じなきゃいいだろうが。誰も信じてくれなんて懇願しちゃいねぇ」
 ハディスに向かって、吐き捨てるようにシャールが言う。それにハディスが苛立ちの表情を浮かべたが、シャールはそんなことを気にも留めていない。
 器用に椅子の上で膝を抱えながら、シアンが訊ねた。
「ねぇシャール、アクセライたちとキーストーンの間に関係はないの?」
「どういうことだ?」
「たとえば、そのシャールが見つけた文献をアクセライも読んでたとか……。シンシアはキーストーンを操ってたみたいだし、それって一度誰かがキーストーンを無力化させて、術力を込めてるってことじゃないの?」
「ああ、あの奸知な女が意のままにキーストーンを操っていたことからすると、おそらく無効化させて術力を込めたってのは間違いねぇだろうな。もしそうなら、無効化させたのはそれほどの術力のある人物……つまりはアクセライってことになる。だとすれば……俺の読んだ文献を目にしていた可能性は高いな。何も知らずにキーストーンと対面したとしても処理に困るだけだ……利用しようなんて考えつく奴はまずいねぇだろう」
「じゃあ、聖堂やギムナジウムのキーストーンは? ギムナジウムは廃校になってたからまだわかるけど、聖堂にあったっていうのは解せないんだけど。もしずっとあったとしたら、それまでに不死者が出現して騒ぎになってそうな気がする」
 そう呟きながらシアンはちらりとライエの方を見遣った。その視線にライエはすぐに気付く。そして聖堂の話題について補足した。
「私は何年もあの聖堂に通っているけれど、そんな騒ぎになったことは一度もなかったと想います。石が人を呑み込むなんて話も今まで聞いたことがありませんし……」
「そっか……じゃあ聖堂のことについてはまだはっきりとはわからないね」
 考え込む仕草を崩さないまま、ヴェイルはいつもより少しトーンの低い声でそう言った。
 それに付け加えるようにアルスが頭の中で情報を整理しながら口を開く。
「それ以外にもキーストーンに関してはわからないことが多過ぎるな。人を呑み込んだり不死者を生み出したりする原理、数が集まれば波動が安定するという理由、アクセライたちとの関係……、それにそんなものがヴォイエントにずっと存在していたとするなら、何故今まで問題にならなかったのか、ということも気になる。俺も昨日の一件で初めて目にした……もしギムナジウムの時点でそれを見ていたとしても、最近であることに変わりはない。警察の過去の事件履歴にもそんなことは書かれていなかった……、」
 そのとき、全員の背筋にゾクリとした感覚が走った。動きが硬直する。
 ライエがぎゅっと自分の胸元を握り締めた。以前聖堂でシアンと逢ったときのように身体は震えていない。
「ちっ、不死者か……うぜぇな。キーストーンの波動も感じねぇし……」
 シャールが舌打ちする。
 腰のホルダーに銃をセットして、アルスは椅子から立ち上がったヴェイルと顔を見合わせた。スフレの警察の事情を把握している以上、不死者を放っておくわけにもいかない感覚からすれば数は多くなさそうであるが、波動観測もできるかもしれない。
 シアンもキーストーンをシャールに返すと、ゆっくりと椅子から立ち上がろうとした。しかしそれに気付いたヴェイルが慌ててそれを遮った。シアンの両腕をしっかりと掴んでオッドアイを見つめる。
「駄目だよ、君はここで待ってるんだ」
「……でも私……」
「気持ちはわかるよ。だけど体調も万全じゃないし今日はここにいるんだ……いいね?」
 心配そうな紫の瞳に見つめられて、シアンは曖昧に頷いた。あまりに真剣なヴェイルの瞳に呑まれてしまいそうな気さえする。不死者を放ってはおけない、けれどこれ以上シアンは何も言えなかった。
 アルスが扉に手をかける。それをシャールが呼び止めた。
「おい、警察」
 ぶっきらぼうに言い放たれた言葉に、アルスは振り返った。その瞬間に何かがアルスに向かって飛んでくる。それを反射的に手でキャッチした。
 受け取ったそれをアルスは見つめた。シルバーのチェーンに腕輪や指輪がいくつか連なっている。こすれた金属が小さく音をたてる。アルスは顔をあげた。
「これは……」
「"奴ら"も使ってるアクセサリだ。装着すれば術力を高めることができる」
「……どうしてこんなものを」
「クライテリアから持ってきてやった。……俺が常々一緒に行動しねぇ以上、テメェらみたいな脆弱野郎どもにアリアンロッドを任せてはおけねぇからな。ああ、今雑魚の不死者相手に使うんじゃねぇぞ。使うのは鍛錬してからだ。……じゃあな、あとはせいぜい適当にやることだ。行くならさっさと行ってこい、キーストーンが絡んでいないとわかった以上、俺はこんな雑魚の不死者どもに興味はねぇ」
 はっきりとそう言うと、シャールはアルスから目をそらした。
 先程一時どこかへ行ったのはクライテリアにこれを取りに戻ったからなのか、そしてこれだけシアンに固執しながらも何故常時シアンについていてやれないのか、訊ねたいことは色々ある。しかしシャールはもうこれ以上アルスの話を聞くつもりなどなさそうだった。
 視線をおとして手の中にあるそのアクセサリを見つめているアルスに、ハディスとユーフォリアの声がする。
「行くぞ、あー坊!」
「オレも行く! これくらいの強さならオレの術でさっさと片付けてやるっての!」
「シアンとライエはここで待ってて、すぐに片付けて戻ってくるから」
 ヴェイルが聞く者を落ち着かせるような穏やかな声でそう言った。
 アルスとハディス、そしてユーフォリアが部屋を飛び出してゆく。それを追おうとヴェイルも外へ向かおうとする。その背後に迫って、ヴェイルの耳元にシャールは低く鋭い声を浴びせた。
「この出来損ないが……。……今度アリアンロッドをあんな目に遭わせたときは容赦しねぇ、俺がお前を殺してやる。アリアンロッドはお前が死んでも護り抜け……」
「……君なんかに……君なんかに言われなくたって…ッ……」
 ぎゅっと拳を握り締めて震えた声でそう言葉を吐き出す。
 そして一度シャールを睨みつけてからアルスたちを追って走りだした。