僕と君に通ず道
ゆっくりとシアンは目を開けた。
カーテンの下からちらりと窓の外が見える。今日もスフレ地方の空に陽は高々とのぼっている。昨日と同じようにホテルの周囲には笑顔が溢れているのだろう、楽しそうな声が聞こえていた。
シアンの寝ているベッドの隣にヴェイルがそっと歩み寄った。そしてシアンが起きていることに気付いてふわりと笑顔を浮かべる。
「あ、起きた? おはよう、……調子はどう?」
「……ヴェイル……。えっと……」
ぼんやりした頭のままシアンは暫く考え込んだ。見慣れないこの風景に、此処がアルスの家ではないことを思い出す。そしてようやく昨日起こったことが頭に浮かんできた。
もう異様な映像も消え、叫び声もまったく聞こえなくなっている。身体も疲れがとれてきたのか昨日に比べれば随分と楽になっていた。
「うん、もう大丈夫」
「そっか、よかった……。でもまだ無理しちゃ駄目だよ。熱も下がったとはいえ、まだ微熱はあるみたいだし、随分と体力も消耗してるみたいだから。できるだけこのまま休んでた方がいい。……今、みんな来ててもうすぐお昼ご飯なんだけど、シアンはどうする? 何か食べられそう?」
「……私は取り敢えず水でいい。まだあんまり食欲ないから」
「わかった。じゃあ持ってくるね。何か欲しかったら遠慮せずに言ってくれていいから」
いつものようにやさしくそう声を掛けると、ヴェイルはリビングの方へ向かって行った。
リビングから何人もの声がする。ヴェイルが、みんな来ている、と言っていたことからすると、昨日の一件に関わっている人間が集合しているのだろう。
その会話を聞き取るわけでもなく、ただシアンは天井を仰いで声だけを聞いていた。
周囲の声だけが耳に届くことが新鮮な気がする。勿論それが当たり前なのだけれど、昨日のあの幻聴は忘れられなかった。
ふと、シアンは隣に人の気配が近付いて来るのを感じた。そちらをそっと見遣ると蒼い髪が視界に入る。昨日着ていた制服とは違ってTシャツにジーンズ姿のユーフォリアがシアンの姿を凝視していた。
シアンが何も言いださないのを見て躊躇いがちにユーフォリアは口を開く。
「あ、あのさ……昨日は、その、……ごめん」
「……何が?」
さらりとシアンはそう返す。それはとぼけた風でもなく、本心からの言葉に聞こえた。予想もしなかった答えに、ユーフォリアは慌てて付け足すように言った。
「な、何がって、覚えてねぇのかよ? オレ、お前にいきなり攻撃しちまったし、それに……お前、オレを庇ったからあんなことに……。謝って済むようなことじゃないとは想ってるけどさ……」
言いながらユーフォリアは少し俯き加減になっていた。罪悪感はいくらでも沸き起こってくる。今はもうシアンを化け物扱いする気も滅する気もまったく無い。だからこそ、自分のしたことが愚かに想えてならなかった。
しかしシアンは無表情のままユーフォリアを見つめている。
「べつに私気にしてないから。それにあなたは自分の根拠に基づいてそれが正しいと想って私を攻撃したみたいだし、あなたが間違っているとは言えない。あなたを庇ったのは私がそうしたかったから勝手にしただけ」
「な、なんだよ、それ……。だってお前、どう考えてもオレが悪いじゃねぇかよ。お前がオレを庇ったのも、オレが戦うのが下手で隙をつかれちまったからで……。間違っているとは言えないって……そんな滅茶苦茶な……」
「あなたが自分で悪いことをしたと想ってるなら正せばいい。失敗しなきゃわからないこともある。取り返しのつかない失敗もあるけど、今回は結果的に何もなかったわけだし。……私が庇ったのもあなたがあのまま術を受けていたら命を落としかねなかったけど、私なら巧くダメージを軽減できるから、どう考えても被害は少ない。私は自分の判断に基づいてより被害の少ない方を選択しただけ。だからあなたが負担に感じる必要はないよ」
シアンの言葉は真っ直ぐだった。嘘を言ってユーフォリアを慰めようとしているようには見えない。思わずユーフォリアはシアンを見つめたまま硬直した。
そして随分と間をおいてからそっと息を吐き出す。
「……お前さ、なんか、わけわかんねぇ奴だな。何言われてもいいように心づもりしてきたのにさ、拍子抜けするっての。でも……やっぱ化け物なんかじゃねぇな……。あんな言い方して……化け物だとか言っちまって、悪かった。ごめん」
特に反応を示さないままシアンはユーフォリアをぼんやりと見つめている。そんなシアンに向かって、照れくさそうにユーフォリアは初めて笑顔をのぞかせた。
「とにかくさ、その、ありがとな」
それだけ言うと、ユーフォリアはくるりと背を向けてリビングの方に駆けだした。その行動を黙って見守ってから、シアンは再び天井を仰いだ。
身体がまだ少しだるい気がする。それでも頭の中はクリアだった。これから考えなければならないことは山のようにある。それを考えると頭の中がすっきりしているのは幸いだった。
「……で、何から話せばいい?」
寝室でシャールがそう言った。
まだ身体がだるいシアンは短いワンピースに黒いズボン姿でベッドの上布団の上にごろんと寝転がり、その隣にシャールが腰掛けている。その向かいのベッドにはヴェイルとライエが腰掛け、その二つのベッドの傍に各々椅子を置いてアルスとハディス、ユーフォリアが座っていた。
シャールの問いは勿論シアンだけに向けられたものである。シアンは寝転んだままシャールを見上げた。
「えっと、何からでもいいけど……みんなが何を知りたいのかもあんまりわからないし……。アルスは何が訊きたいって言ってたっけ?」
「そうだな……まずはあのアクセライとかいう男のことだ。今回の件、あいつが主犯だとシャールも言っていたからな」
「あ、やっぱりあの人がリーダーみたいな存在なんだ?」
アクセライとシャールとの会話をまったく知らないシアンは納得したようにそう言った。捕まっている間に見たアクセライの発言や行動からして他のメンバーを従えている様子は感じられたが、確証は持てていなかった。しかし、主犯だと言われれば納得できる。
少し考え込むような仕草をしてから、シャールは口を開いた。
「それを話すのは構わねぇが、お前と出来損ないの素性も知れることになるぜ? 何しろあの男はそこの出来損ないとも知り合いなんだからな」
「……? ヴェイル、アクセライと知り合いだったの? そういえばなんかアクセライがヴェイルのこと知ってるみたいなこと言ってた気もするけど……アクセライが一方的に知ってるのかと想ってた」
「お、おい、素性って何だよ、お嬢ちゃんとヴェイルってあー坊の兄妹じゃねぇのかよ?」
冷静に返事をするシアンを遮ってハディスが大声をあげた。ライエも驚きを隠せないでいる。
アルスはヴェイルを見遣った。ここで本当のことを言うかどうかはヴェイル次第だった。アルスにしても二人の素性は知らないままなのだ、何もコメントできることはない。
部屋が静まり返った。素性という言葉とアクセライと知り合いだということで、視線がヴェイルに注がれている。
やがてゆっくりヴェイルは顔をあげた。膝の上でぎゅっと拳を握りしめる。
「…………信じられない話かもしれないけど……僕とシアンは、ヴォイエントとは違う世界から来たんだ。不死者を殲滅するために」
「違う世界、だと?」
「トロメリア警視正も御存知なかったんですか?」
「兄妹という関係に当てはめたのは俺だが、俺は何も聞いていないし訊くつもりもなかった。不死者を殲滅するために俺たちは手を組んだ……目的の一致と実力があれば素性など問わなくてもいいと想っていたからな」
違う世界というのもとんでもない話だが、ヴェイルの発言にアルスが驚いたことに更にライエやハディスは驚かなければならなかった。素性もわからない人間を兄妹として扱うなど信じられない。
その中、ヴェイルが話を続ける。
「僕たちはクライテリアというところから来たんだ。クライテリアといっても伝承の中の場所じゃなくて、現実に存在する場所なんだ。クライテリアの人々はヴォイエントという世界の存在を認知していて、そこに不死者が出現していることも知っている。だからそのヴォイエントを救うために僕とシアンはクライテリアから来たんだ。僕やシアンだけじゃない、シャール……ヴォイエントに来た目的は違えど、君もクライテリアの人間だよね?」
「頭の悪い出来損ないでも流石に気付いてやがったみてぇだな。俺は最初に逢ったときからお前らがクライテリアの人間だと気付いてたが……」
「気付いてたって、クライテリアとヴォイエントの人ってどう違うの?」
該当者であるはずのシアンが突然そんなことを訊ねた。ユーフォリアが思わず「お前もヴェイルたちと同じなのになんでお前がわかんねぇんだよ」と言おうとしたが、それを遮るようにシャールが先に口を開く。
「まず精神力が決定的に違う。だからお前と対峙してすぐにお前がクライテリアの人間だと俺は気付いたってわけだ。それから術だな。術にも色々なものがあるが、俺やお前が多用する冥の力や、その対となる聖の力はヴォイエントの人間には使えねぇ術だ。それから、レメディもヴォイエントでは遥か古代になくなっていて使えるのはクライテリアの一部の人間に限られてる」
(……レメディが使えるのはクライテリアの一部の人間……ってことは、セラも……?)
セラフィックがレメディを使ったことを思い出す。ただ周囲からセラフィックの名前が出ないことからすると、セラフィックとは逢っていないのだろうと想ってシアンは何も言わなかった。今わざわざ新しい名前を出してくることもない。
再びヴェイルが話を繋げる。
「アクセライもクライテリアの人間で、僕はクライテリアにいるときに彼と逢ったことがある。知り合いというほどではないけど……彼の友達と僕が親しかったから。でも……僕がクライテリアにいたときに他の人を巻き込むような事故を起こしてしまって……」
「俺もあいつのことはクライテリアから知ってたが、この出来損ないが事故を起こしてからあいつの性格は完全に変わった。あいつの目的なんざ知らねぇが、事故をきっかけに異常なほどの破壊衝動が生まれた……そしてそのままヴォイエントに来てることを考えると、ヴォイエントの何か、もしくはこの世界自体をブッ壊しに来てんだろうな」
「そんな言い方……ヴェイルが全部悪いみてぇな言い方すんじゃねぇよ!」
「いいんだよ、ユーフォリア。本当のことだから。……僕の起こした事故は取り返しのつかない大きな事故だったから……」
無理に微笑みながら、ヴェイルはユーフォリアの方を見遣った。その表情を見ると、それ以上シャールに何か言ってやるという気にもなれない。ヴェイルももう打ち明ける心の準備はできていたらしく、昨日のような動揺は一切見られなかった。
しんみりした空気をアルスの声が裂いた。
「……つまり、シアンとヴェイル、それにシャールとアクセライはヴォイエントとは別の世界であるクライテリアという処から来た。そしてアクセライはヴォイエントに何らかの危害を加えようとしているが目的の詳細は不明……ということだな。別の世界ということが信じ難いが……しかし話を聞いているとあながち嘘のようにも想えない。もし別の世界の存在を認めることで事の辻褄が合うのなら信じるべきなのだろうな……」
「シンシアとかイルブラッドとかはクライテリアの人じゃないの? 術力はなかなか強かったと想うけど」
ごろんとベッドの上で寝転んだまま体勢を変えながらシアンはシャールを見上げた。
次々と情報が飛び込んで来て処理が大変な他のメンバーとは違って、シアンの頭は相変わらずクリアだった。クライテリアの人間とはいえ、シアンも知らないことばかりだというのに。
シャールは黒い上着の中に左手を入れた。そして中からシアンのアクセサリを取り出す。見慣れたそのシルバーにシアンは反応を示した。失くしたことには気付いていたが、シャールが持っているとは想っていなかった。
手を伸ばしてシアンの左腕を掴むと、非常に細い6本のリングをシアンの無造作に包帯が巻かれた細い腕に通しながら言う。
「お前と逆の原理だ。奴らもアクセサリを使ってやがる」
「逆って……どういうことですか?」
ライエが首を傾げる。ライエは話を聞いただけでシンシアやイルブラッドの姿や術は見たことがないが、シアンの術も見たことがない。だからこそ余計に意味がわからなかった。
シャールにされるがままに腕を預けてシアンは呟くように言う。
「私はアクセサリで術力を抑制しているんです。そうしないとコントロールできなくて暴発してしまうから……。だから逆ってことは……シンシアたちはアクセサリで術力を強化してるってこと?」
腕輪をはめ終わって、次にシャールは指輪をシアンの華奢な指に通す。細くて小さいものと少し太さのあるものを器用にバランスよくはめていった。小さな手の指に複数のリングが通り、電気の光を反射してシルバーが輝いた。
シアンに訊ねられてシャールが頷く。
「そういうことだ。ヴォイエントにはそんな技術はねぇらしいが、クライテリアにはあるからな。大方アクセライが持って来て分け与えたんだろう。もっとも、強化するにも限度があるからな、クライテリアで術力強化のアクセサリなんて使ってる奴は余程精神力が劣ってる奴だけだ。だが逆に術力抑制をかけてる奴ってのも滅多にいねぇ……鍛錬用に使ってる奴はいたが……アリアンロッドほどの精神力を持った奴は他にいねぇだろうな。お前もそのアクセサリはクライテリアから持って来たんだろ?」
「うん。ヴェイルがくれたのをずっと使ってて、結局どうやっても自力では暴発を制御できないから此処へ来るときに持って来た」
「……ということは、術が暴発したのはシアンがアクセサリがない状態で術を使ったから、ということか……。シアンがアクセサリがないと術が使えない、というのは俺は逆の意味だと想っていたが……強化ではなく抑制だったとはな」
「暴発っつっても、あんなもんは序の口だ。あのときのアリアンロッドは体力も限界で、しかも発動したのがアサルトじゃなくレジストだったからな。あれがもしアリアンロッドが普通の状態でアサルトを放ったときに起こっていたとすれば、俺以外はまず全滅だ」
納得を示すアルスに、シャールがそう補足する。シアンとヴェイル、そしてシャール以外の人間で一番冷静に事情を呑み込んでいるのはアルスだった。頭の中で情報をしっかりと整理している。
リングをはめ終わってシャールはシアンの腕を解放した。シャールがシアンの腕を掴んでから今までの様子を、ヴェイルは不満そうに眺めていた。シアンが酔狂男に愛されるなど、どうしても解せない。
そんなヴェイルの様子を見て、思い出したようにシアンは訊ねた。
「そういえば……。ヴェイル、私に名前くれた?」
「……は?」
シアンの問いに反応したのはヴェイルではなくユーフォリアだった。ヴェイルとヴォイエントの人間全員が目を丸くする。ヴォイエントの人間が驚くのも無理はない、シアンと2つほどしか歳の変わらないように見えるヴェイルがシアンの名付け親だなどと考えられるわけがない。
しかしヴェイルが驚いたのは別の理由だった。きょとんとしながらシアンを見つめる。
「……覚えてたの……?」
「いや、そうじゃないけど。アクセライに色々言われて……何か…生まれた日とか場所とか思い出せって……で、そう言われてるうちに名前くれたのがヴェイルだった気がしてきて」
「お、おいおい、どういうことだ、そりゃ?」
益々わけのわからない話にハディスはたまらず割って入った。ハディスが口を挟まなくとも、ヴォイエントのメンバーの誰かが同じことを訊ねていただろう。
躊躇いがちにヴェイルが口を開いた。
「……シアンは……僕が起こした事故の被害者なんだ。でも……普通の被害者じゃない。僕を庇ってくれたんだ」
「私が……ヴェイルを?」
「うん。それまで僕は君のことを見たことすらなかった。でもあのとき君は僕を庇ってダメージを受け、意識を失って……暫くの間眠ったままでいたんだ。君が眠っている間、僕は君を知る人を捜し続けた。クライテリアは広いけど、事故を起こした場所は誰でも入れるような場所じゃなかったから捜す範囲も限られてる……でも君を知る人は誰もいなかった。家族とか知り合いとかのレヴェルでの"知る人"じゃない、あのときその場にいた人全員がそれまで君のことを見たことすらなかった」
「……私、そんなこと知らない。あなたを庇った記憶なんてない」
「そうだろうね……。意識を取り戻した君は、一切の記憶がなかった。自分の名前も、生まれた場所も、親の名前もわからなかった。君が意識を取り戻すまで結構時間はかかったけど、それまでに僕は君を知る人を見つけられてはいなかった……だから僕が名前をつけたんだ。あのとき君の意識はかなり衰弱していたから、僕が名前をつけたことも覚えていないと想ってたけど……思い出したんだね……」
「じゃあ結局ヴェイルも私が何者なのかは知らないんだ?」
自分の話だというのに、シアンは妙に冷静だった。さらりとそう言うと、これ以上の情報を諦めるかのようにヴェイルから視線をそらせる。
おずおずとライエが声を発した。
「じゃあ……シアンさんも記憶喪失……なんですか?」
「シアンさんも、ってことは……まさかライエちゃんも……」
「はい、私も……。でも私は名前がわかるだけまだ幸せかもしれません。名前がわかっていれば、身内も見つかるかもしれませんから」
驚くハディスにライエはぎこちなく微笑んでみせる。
シアンはゆっくりと身体を起こした。まだ少し目眩がする。シャールの肩を借りながら膝を抱えた。
「なんか……そんな感じしないけど。記憶ないこともアクセライに言われるまで気付かなかったし」
自分の肩に凭れ掛かったシアンの細い茶髪にシャールの指が通る。ヴェイルの不満そうな表情がまた浮かんだ。そんなことにはまったく構わずにシャールは会話を続ける。
「あの男はお前のことを知ってたんだろ? あいつはお前のことをどう言ってた?」
「えっと……あの男って、アクセライのこと? あの人は……思い出せって言ってただけ。私のことは特に……なんか"特別"な存在だって言ってたけど、それだけで……」
「……そうか……」
何かに納得したようにシャールはゆっくりとそう言った。
それと同時にアルスのスーツの胸ポケットの中で電子音が鳴る。スーツから音の鳴り続ける携帯電話を取り出すと、アルスは一旦リビングへと姿を消した。しかしその間、寝室では誰も口を開こうとはしない。次々と浴びせられる情報に戸惑う空気が流れている。その中でシアンとシャールだけが冷静でいた。ヴェイルは何か思いつめているように俯いている。
リビングからアルスが電話で会話する声が聞こえてくる。暫くしてそれが止み、アルスは寝室へと戻って来た。
「すまない、今晩の会議の時間が少し早まってしまった。そろそろ庁舎へ行く準備をしなければならない」
携帯電話をポケットに戻しながらすまなさそうにアルスは言う。それを聞いてシャールはひとつ息を吐き出した。
「丁度いい。俺も用があるからな。こんな処でずっと安穏としてるわけにもいかねぇ」
「帰るの?」
「そうだな……帰る、と言いたいところだがお前がまだ何か訊きたそうな顔してるからな……戻って来てやる」
シアンに向けてシャールはやさしい眼差しでそう答える。シャールの言う通り、シアンはまだ訊きたいことがあった。それはシアンだけでなくヴェイルや他のメンバーにとっても同じことだろう。
ゆっくりとシアンはシャールの肩から身体を離した。かわりに壁に凭れ掛かって足を伸ばす。
少し和らいだ空気の中、ヴェイルがベッドから立ち上がった。
「じゃあ二人が戻って来るまで僕たちは此処で待ってるよ」
「ああ、そうしてくれ。急なことですまないな」
凛々しくそう言うアルスの様子を、ライエはうっとりとした瞳で見つめていた。そのことにヴェイルは気付いて、なんだか微笑ましい気分にさせられた。
そうしている間に何も言わないままシャールはベッドから立ち上がって術で姿を消した。続いてアルスも準備を整えて部屋を出る。部屋全体が一度静まり返った。
ハディスが息を吐き出す。
「なんか……いろんなことが次々頭の中に入って来て流石の俺様も混乱してやがる」
「もともと情報処理能力がないんじゃねーの?」
「なんだとこのガキ! お前こそ頭ごちゃごちゃなんじゃねぇのか?」
「オッサンよりはマシだっての。でもまぁ……別の世界なんて言われても実感わかねぇけどなぁ」
ハディスに突っかかりながらユーフォリアもそんな言葉を漏らす。隣でライエも小さく頷いていた。
ひとり落ち着いたままのシアンはベッドサイドにあるグラスに手を伸ばした。空になっているそのグラスを手に取るとゆっくりとベッドから立ち上がろうとする。
しかし突然ぐらりと目眩がした。手から離れたグラスが音を立てずにベッドの上に転がる。ヴェイルは慌てて手を伸ばし、力が抜けて傾いたシアンのその身体を支えた。
「ん……、ごめん……」
「まだ無理しちゃ駄目だよ。休んでていいから……何か欲しいなら持って来ようか?」
「大丈夫だよ、」
そう言いながらシアンはぎこちなく彼女にとって精一杯のやわらかい表情を浮かべた。しかしまだ頭はぼんやりしたままでいる。
転がったグラスをヴェイルは手に取った。そしてそれを一旦ベッドサイドに戻してからシアンの身体をそっとベッドに寝かせた。身体が僅かに火照っている。
ゆらりと輝くシアンの瞳がヴェイルには傷付いているように想えてならなかった。