誰も君を責められない
目の前に、三人のシルエット。
殺気がする。
自由を束縛されたままでどうにかなる状態ではない。
だが本能的に警戒しているだけで恐怖感はない。
「なるほど……これが例の少女……。……アクセライ、本当に……」
「オーヴィッド。"本当にやるのか?"などと言うつもりではないだろうな? 愚民どもに復讐すると誓ったのだろう?」
「……そうだな、すまない」
アクセライとオーヴィッドと呼ばれた男の低い声がする。オーヴィッドと呼ばれた男は非常に背が高く、体格の良い男だった。焦茶色の髪にジャケット姿のその男は、アクセライたちに比べて10歳ほど年上に見える。
もうひとりこの場にいる人物、シンシアの顔に笑みが浮かぶ。そしてシアンの方を見つめて言った。
「怖い? ……怖がることもできないのかしら? ……ふふ、まるで人形ね。でも……感謝してね。今から貴方に感情を与えてあげるわ」
「…………」
シアンは何も言わない。
傷を負って動かない左足を庇いながら、右足を軸に身体を屈める。腕は拘束されて動かない。
一切のリングがない左手がもどかしい。術が使えたなら抵抗することができたかもしれないのに。
シンシアがシアンの右腕を掴んだ。何も言わないままシアンはただシンシアの方を睨む。厳しい瞳がシンシアを映す。右目の赤がアグレッシヴに輝いていた。
腕を引っ張りながらシンシアが言う。
「やけに攻撃的な瞳ね。自分がおかれてる状況がわかってるの? ……まぁいいわ、」
「……うっ、……」
ずしりと重い痛みが背中に走り、シアンは声を漏らした。
オーヴィッドの拳が傷を負うシアンの背中にぶつけられる。その痛みと衝撃にシアンはバランスを失い、シンシアに引っ張られるままに床に倒れ込んだ。
シアンが身体を起こす間もなく、シンシアは倒れているシアンの腕を掴む。
無理矢理にシアンが身体を起こそうとすると、手の甲がチクリと三度痛んだ。何か大きな痛みがくるものだろうと構えていたシアンは一瞬何が起こったのかわからなかった。しかしその次の瞬間、床に何かが落ちた音がする。その音のした方に視線を向けると、そこに三つ転がっているものがあった。
思わずシアンは彼女にとって最大限の驚きの表情を浮かべる。
(注射器……、じゃあ今の痛みは…………でもどうして薬なんか……)
頭の中に一度にいろいろな言葉が駆け巡った。
空になった注射器が三本転がっている。先程の痛みは注射器の針の痛みに違いない。だとすれば何かの薬を打たれたことは間違いないだろう。
少し錯乱しかけたそのシアンの目の前にアクセライが迫る。その黒い靴が視界に入ってシアンは身体を必死に起こした。既にシンシアはシアンの腕を離している。
身体を動かす度に傷が痛む。
アクセライの姿をシアンの瞳が映す。しかしその視界はすぐにぼんやりと揺らぎ始めた。
視界が崩れる。
身体が芯から熱い。
咽せ返すような気分の悪さに、身体の力が抜ける。引力に従って床に吸い寄せられるように倒れ込んだ。
目がチカチカする。
本来目の前にあるはずのものはまったく見えない。アクセライもリノリウムの床も何も見えず、視界は秩序なく渦を巻く。
「……ッ、何、こ……れ…………気持ち、悪……い……」
身体がガタガタと震えている。
喉が張り裂けそうだった。
渦巻く視界から映像が生み出され、どこからともなく音が聞こえる。
混沌としたテロル。
愛惜のバイアス。
ただ傀儡として生かされ朽ち果てる者。
形骸化した世界。
玻瑠が砕ける音。
頑是無い笑顔が消え去る瞬間。
夭折した命の叫び。
止むことの無い慟哭。
怨嗟の声。
アカイモノが流れる。
血の匂い。
「……ぅ……あ……っ」
次々と見える映像と聞こえる音に気が変になりそうだった。
五感に直接訴えてくる悲惨な光景。人が死ぬ間際、飛び散る赤い生命、泣き声、叫び声。それが次々と展開されていく。
生理的な涙がシアンの頬を伝う。
堪えることもできずにシアンは悲鳴をあげた。
アクセライが目の前で満足そうに笑みを浮かべていることなど、シアンは知りもしない。目の前は無秩序な映像で満たされ、耳にはとりとめのない音や声が響き、血の匂いとその異様な感触がする。
オーヴィッドは無理矢理にシアンの身体を起こして両手を拘束している鎖を外すと、座った体勢のまま両手を金属で壁に固定した。
それすらシアンにはわかっていなかった。自分が立っているのか座っているのかもわからない。自分、というものを捉えられない。空っぽの器に映像が展開されているような気さえした。
壁に身体を固定されて完全に動けなくなったシアンにアクセライが歩み寄る。
そしてシアンの喉元にそっと手を翳した。
「お前の力を示せ……そしてその力を……」
低い声でアクセライが呟くと同時に、その翳した手から光が放たれた。それはシアンの喉元に突き刺さるように輝きを増す。
その輝きを浴びたシアンの身体に全身が切り裂かれるような激痛が走った。
「いやぁぁあああああっ!!!」
シアンの絶叫が響き渡る。
絶叫の中アクセライが笑みを浮かべた。
シアンの絶叫が聞こえた。
「シアン!!」
「アリアンロッド!!」
そう叫ぶと同時に、ヴェイルとシャールの一気に高まった精神力によって放たれたアサルトが、声の聞こえてきた方の壁を勢いよく破壊していた。
突然の轟音にアクセライはシアンから手を離した。
ガラガラと部屋の西側の扉が崩れ落ちる。砂埃が舞い上がり、その向こうに数人のシルエットがうかがえた。
砂埃が段々と引いてゆく。
顔をしかめたアクセライに、砂埃の向こうから声がした。
「……やっぱり主犯は貴様だったか。俺のアリアンロッドを好き放題いたぶってんじゃねぇ。さっさと返しやがれ」
シャールが躊躇いなく部屋の中に足を進める。
アクセライがシャールを睨み付ける。
「シャール……まさか貴様が絡んでいようとはな。シンシアとイルブラッドから貴様が絡んでいると報告を受けたときは驚いた。絡んでいるのはあの男だけだと想っていたからな……。まったく計算外だ、貴様が絡んだ所為で居場所も簡単に発覚してしまうし、不死者も簡単に突破されてしまった。まぁ、雑魚の不死者が突破されるのは覚悟していたがな。あの男がいることはわかっていたし、な……」
そう言いながらアクセライはシャールの背後にいる人間に視線を移した。
そしてそこにいるヴェイルの姿を捉えると口の端をつりあげる。それにヴェイルが反応してアクセライを睨み付けた。
「アクセライ……!」
普段からは想像もつかないような厳しい声でヴェイルが叫ぶ。背後からハディスが「知り合いか?」と訊ねたが、その言葉はアクセライに気を取られたヴェイルの耳には届いていない。
アクセライがヴェイルに見せつけるようにシアンの身体を蹴りつけた。
ヴェイルの表情に明らかな怒りが浮かぶ。
未だ先程のような状態が続くシアンは、自分の周りで何が起こっているかもわからないまま、混沌とした状態の中で声を漏らし続けている。アクセライに蹴りつけられて悲鳴をあげたが、それは本能的なものにすぎない。
身体を震わせ、荒い呼吸をしながら目をかたく閉じるシアンを見下ろして、アクセライはヴェイルに言い放った。
「可哀想にな。貴様があんな失敗をするから、この子はこんなにも傷つかなければいけなくなった。貴様があのとき、事故など起こさずに責任を果たしていればこんなことにはならなかった……。貴様が犯した失敗がどれほどのものかわかっているのか? 謝って済むような問題じゃない。貴様が失敗したことによってどれだけの人間が命を落としたのかわかるか? 貴様は立派な人殺しだ」
「……それは…………。だけど、だったら僕をどうにかすればいいだろう!? なんでシアンを……!」
「莫迦か、貴様は。貴様を裁いてどうしろと言うんだ? それに俺は見せしめのためにこの子を利用しているわけでもない。目的達成のためだ。貴様が犯した失敗を取り戻すため、残された手段はこれしか……」
そう言うアクセライに突然ナイフが飛んできた。反射的にアクセライはそれを躱し、ナイフは背後の壁にぶつかって音をたてて床に転がる。
ナイフが飛んできた方向をアクセライが睨み付ける。その視線の先で、シャールがまだ二本のナイフを手の中で玩んでいた。
「細けぇことばっかり抜かしやがって。うるせぇよ。さっさとアリアンロッド返せっつってんだ。聞こえなかったか?」
苛々とした口調で言葉を並べながらシャールが精神集中を始める。
それを見てアクセライも精神集中を開始する。それを察知したオーヴィッドとシンシアも戦闘体勢に入った。いつでも攻撃ができるように身構える。
アクセライが言う。
「貴様がこの子に固執するのは勝手だが、渡すわけにはいかない」
「それはこっちも同じだ。邪魔をするなら容赦しない。アリアンロッドは俺のものだ」
躊躇せずにアクセライに向けてシャールは右手を翳した。
その隣でヴェイルは動けずにいた。アクセライの言葉が突き刺さっている。身体が小刻みに震える。放心状態だった。
ヴェイルのそんな状況を完全に無視するかのように術が放たれる。
「片鱗数多集いてその陰の力を放て!」
「祥雲来たりて黎元に裁きを与えん!」
シャールとアクセライが同時に術を放った。
漆黒の衝撃波と風が各々の周囲に巻き起こる。そしてそれは相手に向かって勢いよく迫る。
その術の衝突は普通の術の衝突ではなかった。二人の精神力はあまりに強大で、衝突の勢いで術はあちこちに弾かれ、周囲にまで影響を及ぼした。周囲にいた人間が慌ててレジストを発動させる。
呆然としているヴェイルを庇うように、アルスは精神集中を高めて自分の周囲にまでシールドを拡大した。
間一髪、ヴェイルの目の前に張られたそのシールドがヴェイルに向かって来た術を弾く。
「おい、しっかりしろ、ヴェイル!」
アルスが必至になって叫んだ。ヴェイルの瞳は視界を失ったままでいる。
ヴェイルの心境など理解できないが、今はそんなことよりシアンを助けなければならない。このままでは術がシアンの方にも向かって来るかもしれない。しかしアルスも精神集中を緩めるわけにはいかなかった。目の前でシャールとアクセライが術を放ち続けている。まだ安全な状況には程遠い。
刹那、壁に固定されて動けないままでいるシアンの方へ弾かれた風が迫った。
アルスが反応したがどうしようもない。
しまった、と想っていると背後からユーフォリアの声がした。
「彼の者を厄災より護り抜け、護法壁!」
自分の周囲に発動させていたレジストを解いて、ユーフォリアはシアンの周囲にシールドを発生させた。自分の周囲に発動させていたものを拡大するには距離がありすぎるが、シアンだけを対象にすればその問題は解決できる。
風は生み出されたシールドに弾かれた。シアンに当たることなく、その目の前で風が消滅する。
しかしこの状況にはひとつ問題がある。ユーフォリアは自らのレジストを解いたままなのである。アルスがその分をカヴァーするにはヴェイルを庇っていることもあって少々精神力に無理がある、かといってハディスのような術が苦手な人間は他人の分までシールドを生み出すような余裕はない。
それを判断したハディスはレジストを解いてヴェイルの元へ駆け寄った。そしてヴェイルの両肩に手を置くと、強引にその身体を揺すった。ヴェイルの口からぼんやりと言葉が零れている。
「……僕が…………だって彼女は…………どうして……」
「おいヴェイル、目ぇ醒ませ!! お嬢ちゃん助けんだろ!? お前がそんなんでどうする!!」
「た…すけ……る……?」
言葉が意味を放棄して響く。
そこに突如シアンの悲鳴が聞こえた。
シアンにとってそれは、幻覚が一時的に激しさを増したために喉から溢れたものであった。しかしその悲鳴はヴェイルを目醒めさせるのに充分な効力を持っていた。
悲鳴が耳に届いた瞬間、ヴェイルの紫色の瞳が輝きを取り戻す。そして反射的に声の聞こえた方を振り返った。
壁に両手を固定され傷を朱く腫らし、目をかたく閉じたまま肩で荒い呼吸を繰り返すシアンの姿が目に入る。
僕が、君を護るから。
いつかそんな言葉を口にした気がした。
護ることはできなかった。けれど助けることなら。
そう想うと同時にアルスの声がした。元居た場所から移動して少し部屋の奥の方まで行ってから、アルスはシアンにもギリギリ届くようなレジストを張っていた。
「ヴェイル、行け!!」
その声に背中を強く押されるように、ヴェイルは返事もせずに床を蹴った。そのままシアンの方に向けて一直線に駆けだす。
しかしそれをシンシアやオーヴィッドが黙って見ているはずがない。二人ともレジストを解いて攻撃態勢に入った。
いつでも精神集中を開始できる状態にあったシンシアがヴェイルに向かって手を翳す。
「そうはさせないよ! 有を無に帰すその大いなる意志 青嵐翔る哀悼の宣告を!」
「……そうはさせないのはこっちも同じだってんだ! この地に眠る灼熱の息吹よ我が前に 眼前の総てを焼き尽くせ! ……行っけぇぇっ!」
一度シアンのレジストを解き、ユーフォリアがシンシアに手を翳した。
シンシアが巻き起こした地を這う風にユーフォリアが生みだした炎が衝突する。それは暫く押し合いを続け、最後には双方が砕け散った。その衝撃で二人ともが弾き飛ばされる。
ユーフォリアの悲鳴がして、ヴェイルは足を止める。それをオーヴィッドは見逃さなかった。大きな体格からは想像もできない素早さで床を蹴ると、ヴェイルに殴り掛かる。
はっとしたヴェイルが思わず身構えたが、オーヴィッドの拳はヴェイルに当たることはなかった。素早く間に入ったハディスがその拳を受け止めている。
「立ち止まんな! あー坊のレジストにも限度がある、モタモタしてたら破られちまうぞ!」
そう言うと、ハディスはオーヴィッドに力任せに殴り掛かった。
アルスからシアンまではアルスが移動したとはいえ、まだかなり距離がある。そこまでシールドを届かせるためには相当の精神力を必要とする。シャールとアクセライは底の見えない精神力で未だ術を衝突させ続けている。そんな状態の中でシールドを解くわけにはいかない。
ハディスとオーヴィッドの肉弾戦から目をそらせて、ヴェイルはまた走りだした。
床を蹴って飛びかかるようにシアンのもとに辿り着く。間近で見たシアンの姿は言い表しようもないほど痛々しかった。シアンのこれほどまでに苦しそうな姿をヴェイルは見たことがない。ボロボロになった身体は力なく壁に繋がれ、ヴェイルが目の前に来てもかたく閉じられた瞳は開かない。
急いでヴェイルはシアンの両腕を固定する金属を外した。両手を解放すると、シアンの身体はゆっくりとヴェイルの方へ倒れてくる。それをヴェイルはしっかりと抱きとめた。
混沌とした映像が目の前に流れていながらも、シアンは自分の身体が解放されたことにぼんやりと気付いた。
映像が少し薄れる。薬が切れてきたのかもしれない。未だ目の前にはわけのわからない光景が広がり、血の匂いが感じられ、叫び声が無秩序に聞こえる。しかし現実の視界を僅かに感じ取ることができた。
「…………ヴェイ…ル……?」
「シアン! わかる? 声、聞こえる?」
震えた声でヴェイルが言う。
その腕の中でシアンの身体は熱を帯び、その喉からは呻きに似た声が漏れ続けている。その姿はどう見ても普通ではなかった。ヴェイルが焦りを浮かべる。
「どうしたの!? 何かされたの!?」
そう言うヴェイルにシアンは震える手である方向を示してみせた。ヴェイルがそちらを見ると、そこには注射器が転がっていた。それが何を意味するか、ヴェイルはすぐに理解した。
「薬……!?」
「ん…………、打たれて、……身体、が……目の前…………赤くて、」
「わかった、わかったからもういいよ、じっとしてて」
懸命に説明しようとしながらも言葉を並べるのが精一杯のシアンを抱き締めたまま、ヴェイルは精神を集中した。
「彼の者に際限なき加護を与えん」
淡い光がシアンの身体を包む。光がシアンの傷をそっと癒してゆく。腫れていた傷もすべて元通りになり、次第に傷ひとつない白い肌が現れた。
しかしまだ幻覚や幻聴のような状態は続いていた。傷が癒された分だけいくらか楽にはなっているのだろうが、駆け巡る映像と聞こえる声、血の匂いに耐えるのにももう限界だった。
シアンが具体的に何に苦しんでいるのかヴェイルにはわからなかったが、このままではここから動けそうにない。そう想った瞬間、二人の頭上に閃光が起こった。
態勢を立て直したシンシアが二人に向かって術を放っていた。それがアルスの生み出したシールドと衝突していたのである。
アルスに余力などなかった。シャールとアクセライの術の衝突をシールドで今まで防ぎ続けたのである、随分と精神力を浪費している。
ぐらりと目眩を覚える。その瞬間、シールドが一気に弱まり、シンシアの術がシールドを打ち破った。
それに咄嗟に反応したのはヴェイルではなくシアンだった。
感覚だけで危機感を覚え、上方に左手を翳す。
「護法…………」
「よせ、アリアンロッド!!」
「………ッ、しまった……!」
シアンがレジストを放とうとしていることに気付いたシャールが大声で叫んだのが聞こえて、シアンははっとした。しかし、しまったと想った頃にはもう遅かった。
シアンの左手から術力が放たれる。
それは既にレジストなどではなかった。生みだされた術力は渦を巻き、漆黒の衝撃波となって放射線状に勢いよく広がってゆく。それは壁や天井さえも容易に破壊した。
その強大な術力に全員が反射的にレジストを発動させた。攻撃を続けていた人間も中断してシールドを張り巡らせている。今は相手を攻撃しているどころではなかった。
衝撃波の中心からシアンの絶叫が聞こえる。
地が轟いている。
その衝撃波は天井を貫いた。部屋から直接夜空が見える。
衝撃波は放射線状に広がるのをやめ、その空に佇む月に向かって一直線に天高く伸びた。
その状態が暫く続き、そしてやがてゆっくりと終息する。
シアンから距離のあった人間から順にレジストを解いてゆく。そしてシアンの真横にいたヴェイルがレジストを解いたとき衝撃波は完全に消え失せ、その発生源にはシアンが横たわっていた。
一瞬、全員が呆然としていた。壊れた壁とここからまっすぐ見ることができるようになった月、そして倒れている少女を見遣る。
何が起きたのかと言われれば、少女の周囲から発された衝撃波が周囲を破壊してしまった、としか答えようがない。しかし全員が息を呑んだのはその術力だった。間近で感じたその術力は強大すぎた。空へ発散されたから良かったものの、もしこれが床に沿って広がっていたらレジストを張っていても無事では済まなかっただろう。
全員が呆然と佇む中、一番に動きだしたのはシャールだった。アクセライに向かって冷たく言い放つ。
「さて……まだやるか? 随分と疲れてるみてぇだがな」
「それは貴様もだろう」
「どうだかな。俺はまだやれるぜ?」
「……大言壮語というやつだな。しかし……やめておく。こんなところで貴様相手に時間を浪費している場合ではないからな。それに……収穫はあった。今無理をする必要などない」
そう言うとアクセライは精神集中を始めた。蛍光色の光がアクセライの身体をまとい、ゆっくりと消えてゆく。シャールは特にそれを咎めようとはしなかった。
姿を消すアクセライを見てシンシアが猫なで声を出した。
「あーもう、ちょっと待ってよ、アクセライ」
そう言いながらシンシアもアクセライと同じように姿を消した。その隣で無言のままオーヴィッドも姿を消す。
突如、部屋は静まり返った。
静まり返った部屋にヴェイルがシアンの名を呼ぶ声だけが響いた。シアンの身体は力が抜けて火照っている。その名を必死に呼び続けるヴェイルの顔に焦りが浮かんだ。
シアンはあまりにぐったりとしすぎていた。
そこにアルスとシャールが歩み寄る。取り乱したようにシアンの身体を揺すろうとするヴェイルをシャールが押しのけて遮った。
「ぎゃあぎゃあ抜かすな。意識が飛んでるだけだ」
「……でも……だけど僕が……」
「ちっ、……この出来損ないじゃ話にならねぇ。……おい警察」
またアクセライの言葉を思い出したのか錯乱しかけているヴェイルを諦めて、シャールは他のメンバーの中で一番落ち着いているアルスの方を見遣った。
「アリアンロッドを抱きかかえるくらいできるだろ?」
「……ああ、」
「じゃあさっさとやれ。……気を失ってるだけとは言え、早く休ませてやらねぇとな」
そう言いながらシャールは精神を集中し始めた。
言われるがままにアルスはシアンを抱え上げた。熱を帯びた身体がアルスの腕に抱えられて、ぐったりとアルスに寄りかかる。ハディスとユーフォリアは少々うろたえながらもそれを見ていたが、ヴェイルはまた焦点の定まらなくなった瞳で座り込んだまま空虚を見つめていた。
アルスが訊ねる。
「シャール、これからどうするつもりだ?」
「俺の術で俺とアリアンロッドを抱いてるお前をホテルの部屋まで移動させる。さっきあいつらが消えたみたいにな。術を使えば移動は一瞬だ。あとの奴らはシップに乗るなり何なりして後からついて来い」
「お前もあんな見たこともないような術使えるのか……って、なんだよ、俺たち置いてけぼりかよ!?」
反射的にユーフォリアが声をあげた。
それに対して不機嫌そうにシャールが顔を歪める。
「俺の術でもこれだけの人数を移動させるのは無理だって言っただろうが。俺ともう二人が良いところだ。さっき無駄に精神力浪費しちまったからそれでもギリギリなんだが……愛しいアリアンロッドのためなら少々の無理くらいはするが、貴様らなんかのために使ってやる精神力などこれっぽっちもねぇ。勝手に帰って来い」
「い……愛しい……。そ、そうっすか……」
躊躇いもなく愛しいなどと豪語するシャールに、ハディスは思わずそう呟いた。
シャールが精神集中を完了する。アルスとシャールの身体が蛍光色の光に包まれ、アルスに抱えられたシアンも一緒にゆっくりと消えてゆく。
やがてその光がすべて消えてしまうと、そこには大方破壊された部屋と残された三人、床に転がる金属と注射器だけが残された。