絡まりゆく死線
不死者の気配が消えれば、観光客は砂浜へ戻る。
普通なら考えられないような神経だが、ハディスに言わせればそれが普通らしい。
もはや不死者から完全に逃れられる場所など、このヴォイエントには存在しない。だからこそ、束の間の安らぎだとしても何らかの娯楽を人々は求める。リゾートだけでなく、娯楽に関しての景気は不死者が出現してから良くなっているらしい。皮肉なものだ。
ホテルの中の喫茶店で四人はテーブルを囲んでいた。
上品で落ち着いた空間である。ホテルの二階に位置する喫茶店には、午後三時頃ということもあって人の姿は多かった。"お偉いさんはあのホテルに決まってる"とハディスが言っただけのことはあってスーツ姿の人間が多い。恐らくあちこちの地方から出張で来ている人間が集まっているのだろう。
空調は快適に設定され、硝子窓から陽射しが差し込む。
丸いテーブルに白いテーブルクロスが敷かれ、コンクリートの壁はクリーム色に塗られている。
グラス一杯のグレープフルーツジュースをゆっくりと飲みながら、シアンはアルスとハディスのかわす会話を聞いていた。一通りの話が終わって、コーヒー片手にハディスが息を吐き出す。
「なるほど、警視正様たち三人は兄妹で、シアンとヴェイルっつー名前なんだな。で、お嬢ちゃんはすごい精神力の持ち主で禁忌の術も使える……と。だから不死者が突然倒れもせずに消えるなんてことがあり得たわけだ。……しかしさっきのユーフォリアとかいうガキが言ったみたいに自我を失うだとかそんなことはねぇよな、俺様が見てる限りは」
珍しいものでも見るようにハディスはシアンを見遣った。そして「俺のことは呼び捨てでいいからな」と笑顔を見せる。室内に入って上着を羽織った姿でちらりとシアンはハディスと視線を一瞬あわせたが、すぐにグラスに視線を落とした。
その隣でアイスティーを手にヴェイルが曖昧に微笑みながら口を挟んだ。
「禁忌の術については研究でもまだ明かされてないことが多いからね、そうなっちゃう人もいればそうじゃない人もいるとか、そういうことなんじゃないかな……」
「そうなのか? まぁ俺様はそんなことどっちでもいいんだけどよ。俺様からすりゃ、お嬢ちゃんはちょっと術が強い普通の女の子なんだからな。お嬢ちゃん、あんなガキの言うことなんか気にするこたぁねぇぜ」
人なつっこい笑顔を浮かべながら、ハディスはシアンにそう言う。
シアンは静かに首を横に振った。
「べつに気にしてません。でも彼の言ったことは間違いではありませんから責められることではないですよ」
「間違いではないっていうのは、研究による裏付けがあるからってこと?」
確認するようにヴェイルが訊ねるとシアンはただ曖昧に頷き返した。
シアンの言葉は相変わらず適当に端折られている。研究による裏付けがあるということは前例があるか、もしくは人間の身体の構造と術との何らかの関係が明白になっているということだ。ハディスが言う"ヴォイエント最高峰とか言われる術の研究所"がそう言っているのだからまず間違いはないだろう。ということは恐らく自分が特殊なケースなのだと、シアンは結論付けていた。
上着を脱いで、溶け残る程の砂糖を入れたコーヒーを飲みながらアルスがハディスを横目で見る。
「……話があると言っていたな」
周囲の人々の声に四人の会話は完全に紛れていた。何を話したところで普通の声の大きさならば特に誰も気にすることはないだろう。
テーブルにカップを戻しながら「ああ、そうそう」とハディスは言った。ひとつ間をおいてから口を開く。
「警視正様たち、俺様に協力する気はねぇか?」
「協力?」
アルスが顔をしかめた。しかしハディスがそんなことには構わず続ける。
「庁舎でも言ったが、スフレの警察っつーのは役に立ってねぇんだわ。一応出現した不死者を倒すぐらいのことはやってるが、そりゃあフォリオ学院の研究所が作ってる術力による機械とかいうのを使ってるだけでな。なんて名前のもんだったか忘れたけどよ、とにかくそれがなきゃ話にならねぇ。機械があるっつっても使い勝手が限られてる上に、大砲みたいなもんだから出動も遅くなる。さっき海岸に不死者が出てもなかなか警察が来なかったのもそれが原因だろうな。フォリオ学院は術に関してはそりゃ凄ぇけど機械に関しては疎いんだろう。それに機械がねぇところを不死者に襲われたら、どうにもならねぇ」
「……その機械、トルクゲートとかいう名前だろう。さっき出席した会議でその機械の話は聞いている。実物を見たわけではないが資料を見た感想からすれば、威力はさておき構造は随分と旧型だったな。大きさも無駄に大きい……とても効率的だとは想えなかったが、スフレの警察の現状を聞くと使わざるを得ない、といったところか……」
アルスが腕を組む。
先程までは顔をしかめていたが、真面目な話となれば真剣になる。ハディスが嘘を言っているようには想えないし、事実アルスはトルクゲートの資料にも目を通している。恐らくスフレの警察の現状はハディスの言う通りなのだろう。
話が一旦途切れたところで、シアンが突然に口を挟んだ。
「スフレの警察の方って、世襲か何か?」
「……ああそうだ……って……お嬢ちゃん、なんでそんなこと知ってんだ?」
ハディスが目を丸くしてシアンの方を振り返った。
シアンの頭の中には考えた過程があるのだが、勿論そんなことは周囲の人間にわかるわけがない。ヴェイルやアルスの視線も浴びながら、仕方なくシアンは口を開く。
「セントリストの警察になるには試験を通過して資格を得なければならないらしいし、実際それに見合うだけの統率感はある。機械がなければ不死者に対抗できないなんてことは考えられない……。スフレ地方の警察の不死者に対する仕事ぶりを見たことはないけど、今の話が本当だとすると、はっきり言って実力は皆無。もしスフレの人誰もが不死者に対抗する術を持っていないとするならそれも仕方ない話かもしれないけど、ハディスを見てるとそうでもないみたいだし」
マイペースに言葉を組み立てながらシアンはそう述べた。
話される一言ずつをヴェイルはしっかりと聞いていた。普段は黙っているけれども、シアンの頭の中では聞いている話題に関しての思考が常に働いている。シアンの突然に言いだす根拠ある論理を聞くのが、ヴェイルは密かに好きだった。
感嘆しながらハディスがため息をつく。
「統率感とか何とか、お嬢ちゃん達観してるな……。スフレの警察は一応世襲制でな、警察になるのが嫌な奴は身内や知り合いに譲ればいい。そんな怠惰な状況だ。でも言ってみりゃ伝統みたいなもんだからな、歴史を遡ってみても自警団みたいな時代からこの形態なんだとよ。俺様なんかまだ議会じゃ若造で発言権なんかねぇからなぁ……こんな腐った状況、覆してやりたいのによ」
「せめて機械技術が発達してればいいのにね。そのトルクゲートっていうのを小型にして携帯できるようにするとか……。セントリストの機械技術なら容易そうだけど。あ、でもそういう連携は地方同士では行われてないんだよね、確か……」
穏やかな口調で言いながらヴェイルは視線を落とす。
現在のヴォイエントでは地方同士の連携は殆ど行われていない。だからこそアルスは地方同士の警察の連携をはかるというセントリスト警察の目的のためここへ来ているのである。物流はほとんど見られないため地方状況はまったく違う。セントリストの機械産業は、セントリストにのみ流通している。物流をはかって機械も農作物も輸出入すれば豊かな生活がどの地方にも約束されるだろう。しかし歴史を考えてみても、各地方の交流は随分と長い間行われていない。簡単には解決し得ない歴史上の深い問題があるのである。
ハディスが続けた。
「そういうこった。さっきお嬢ちゃんを人質にとった奴もそんな警察に文句言いに来たんだろう。そういう奴多いんだよ、最近……無理もないがな。お嬢ちゃん、さっきは悪かったな。怖い想いさせちまって」
「……私べつに怖い想いなんてしてない……何の強さも感じなかったし」
無表情のままシアンはかぶりを振る。それはハディスの目に強がりに映ったのだろうか。普通の女の子がこの発言をすればそう想われたかもしれないが、シアンの強さを見た以上、本心だとハディスは捉えているかもしれない。
一度コーヒーを飲んでから、間をおいてハディスが改めて切りだした。
「それでだ。俺様、不死者に対抗できる有力な人間を捜してたんだよ。警視正様たち三人さん、俺様に協力しねぇか? 何も難しいことを頼むわけじゃねぇ、不死者の動向をただ指くわえて見てるなんて我慢ならねぇからな、俺様も三人さんに混ぜてくれりゃぁそれでいい。不死者が出たら退治に行く……悪い話じゃねぇだろ? 戦力アップなんだからよ」
「……それ……協力してくれじゃなくて仲間に入れてくれって言うんじゃ……」
「ん? ああ、そうとも言うな。何でも良いじゃねぇか、袖触れ合うも多少の縁ってな」
豪快にハディスは笑う。
問われる前に自分から「仕事のことはどうにかなるから心配すんな」と付け加えた。
アルスが庁舎に入った感想からすれば、そう頻繁に議会は召集されていないようだった。今日ハディスがこんなところでフラフラしていられるのもそのためだろう。
戦力になる、というのは間違いない。ハディスは術が使えない人間であるというのは事実だが、術が使えても不死者に対抗できるほどではない人間だって数多くいる。素手であれ何であれ、不死者を倒せるという点では戦力なのである。
あとはハディスがどこまで本気か、という問題だった。議員であるから素性は問題ないだろう。
そうヴェイルとアルスが考えている中、シアンはジュースを飲み干して窓の外を見た。ぼうっとするのに窓の外を見るのは癖なのだろう。
陽はなかなか暮れない。外は相変わらず眩しかった。
ふと、何か冷たいものを身体が感じた。
空調の設定温度が下がったわけではない。冷たいもの、表現するならば悪寒に近い。
「……シアン?」
ぼうっとしたままのシアンにヴェイルが声をかける。
それに気付いてシアンがヴェイルの方を振り返った瞬間、今度ははっきりとわかる悪寒がシアンの中を駆け巡った。否、シアンだけではない。今度はそれをヴェイルもアルスも感じていた。
「……何……この感覚……」
険しい表情でヴェイルは周囲を見回した。不死者のものとは違う。どちらかと言えばシャールと逢う前に感じた感覚と似ている気がする。
しかしハディスは何も感じていないのか、不思議そうな表情を浮かべるだけである。
仕方なくアルスに「警視正様、どうしたんだよ?」と声をかけてはみたが返事はない。
周囲の人間はハディスと同じく、何も感じていないようだった。
仕方なく少し大きな声でハディスは言う。
「警視正様…………、おい、あー坊」
「……誰があー坊だ」
「なんだ、アルちゃんとかあっちゃんとでも呼べばいいのか?」
「はぁ……もう何でもいい……」
脱力しながらアルスが返事をする。その間も異様な感覚は消えなかった。
シアンがぼんやりと立ち上がった。半分は無意識だった。何かに導かれるように立ち上がったシアンのその瞳は焦点を結んでいない。ただ唇から言葉が溢れる。
「呼んでる……」
ヴェイルとアルスもシアンの方を振り返った。二人も悪寒は感じていたが、呼んでいるという発想が出てくるような感覚ではない。
あまり騒いでは周囲に気付かれてしまう。まずいことをしているわけではないが、騒ぎを起こさないにこしたことはない。ヴェイルは立ち上がってそっとシアンの肩に手を置いた。
「……どうしたの?」
「声がする……泣いてる、叫んでる……」
シアンがそう言うと同時にホテルの外で何人かの叫び声が聞こえた。喫茶店が急に静まり返る。そしてその後、その場は一気にざわつき始めた。
いつものように一番に動きだしたのはシアンだった。ゆっくりと出口に向かって足を進める。それを追ったのはアルスとハディスだった。ハディスは伝票を片手にアルスに言う。
「先行ってろ、約束通り奢りだ」
「……悪い」
「どうせ俺様が行っても何もわかんねぇんだからしょうがねぇだろ、さっさと行け」
感覚自体は感じなくとも、何か悪い予感がハディスには感じられていた。
ハディスと初めてしっかりと目を合わせて、アルスはシアンと一緒に外へ向かって駆けだした。ヴェイルも一歩遅れてその後を追う。
まだざわついている喫茶店を背に、感覚だけを頼りに進む。
しかしヴェイルにはただ異様な悪寒だけではなく、別の嫌な予感がしてならなかった。