それが必然だったと君は言う




 ギムナジウムはD八区画の北端、市街地からは少し離れた場所にあった。コンクリートで鋪装された道から少し奥に入ったところに建物がある。学校らしく立派な大きさの門やグラウンドに使われていたのであろう広いスペースが見受けられた。ただしそれも、もう廃校になって随分経っていることもあって朽ち果てている。
 ボロボロになったギムナジウムに三人は足を踏み入れた。もともと何階建てだったのかは知らないが、もう廃墟となったギムナジウムはかろうじて奥へ進む道を保っているだけだった。階段もエレベータもすべて壊れてしまっている。恐らく煉瓦造りの建物だったらしく、足元に褐色の瓦礫が山のように転がっている。
 感じ取れる圧迫感を頼りに崩れた建物の中を進む。圧迫感が強くなっていることからするとアストラルに近づいているのだろう。ただ、まだその姿は見えない。
 ギムナジウムの中をしばらく進んでから、足を止めずにヴェイルはぽつりと呟いた。
「……変だね」
「うん……変だ、不死者がいない」
 その隣でシアンが頷く。
 圧迫感はたしかにある、しかし不死者の姿はない。アストラルの取り巻きとして周辺にいるはずの不死者がどこにもいないのである。誰かに倒されたとすれば消えかけている不死者が倒れているはずだが、それも見当たらない。
「誰かが禁忌の術を使って不死者を消したとか、そういうことしか考えられないけど……」
 ヴェイルがそう言った瞬間、三人の動きが同時に硬直する。
 感じていた圧迫感が突然に消えた。アストラルの強烈な感覚も含めて、すべての圧迫感が消えている。そして圧迫感が消えたというのに、逆に背筋が凍りつく。どういうわけか息が苦しい。
「……どういう…こと……、」
 やっとの想いでヴェイルが言葉を吐きだした。その身体は小刻みに震えている。
 シアンもアルスもなにも言わなかった。異様な感覚に鼓動が速くなる。不死者ではない。明らかにいつもの圧迫感とは違う。
 その感覚の中、僅かな殺気をシアンは感じた。殺気が一気に迫る。はっとしてシアンは叫んだ。
「二人とも伏せてッ」
 シアンの声に反射的にヴェイルとアルスは身を伏せた。衝撃波が襲来する。シアンが大きく跳躍して躱したそれは、身を伏せた二人のすぐ上を通過した。勢いよく放たれた衝撃波は三人の背後でボロボロになっていた柱に衝突する。柱は瞬時に粉々に砕け散った。
 着地したシアンの目の前に人影がゆらりと現れる。黙ったままシアンはいつ次の攻撃が来ても防げるように、身構えながら人影を凝視した。
 身体を起こしたヴェイルとアルスもその人影を視界にとらえる。
 鋭い瞳をした男性だった。二十二、三歳といったところだろうか。長い銀髪と左耳につけられた沢山のピアスが目立つ。腕はある程度露出されているが、その他は殆どすべて黒ずくめである。長い前髪のせいで右目は見えない。しかし三人を見つめる左目は紅く輝いていた。
 シアンの身体を再び何か冷たい無気味なものが駆け抜ける。朝からずっと感じていた、そして先程三人ともが感じた異様な感覚がありありと感じられた。あの感覚の正体が、ここにある。
「貴様らも俺の邪魔をしに来たのか」
 唐突に男はそう吐き捨てるように言った。ひるむことなくアルスが訊ねる。
「貴様らも、とはどういうことだ。だいたいお前は何者だ。こんなところで何をしている」
「ちッ、折角人がいい気分でアストラルの野郎をブッ潰して余韻に浸ってるってのに……また警察か。くだらねぇ……、が……まぁいい。潰してやるまでだ」
 ちらりと警察の腕章を見ながらそう言うと、男は突然精神集中を始めた。物凄い早さで精神集中が完了する。男の周囲になにか黒いものが渦巻きはじめる。
 三人は咄嗟に身構えた。この精神集中の早さとそこから感じる精神力の強大さはシアンのそれに匹敵する。
「冥土の土産に教えてやろう。俺はシャール。ここにいた理由……は、そんなことを貴様らに話したところで理解できはしないだろうからな……黙秘ってことでいいだろ、……どうせ貴様らはここで死ぬ」
「なにを勝手に、それにお前がアストラルを……、」
「警察、これ以上話すことはない、……俺の邪魔をするというのなら消えてもらう。……片鱗数多集いてその陰の力を放て、エクスティントッ」
 シャールの周囲に発生した黒い衝撃波が一度に三人めがけて飛翔した。
 衝撃波は幾つもに分裂すると各々が鋭い刃のような形状に形を変え、勢いを増す。これら全部が突き刺さされば無事ではすまない。
 雑念を払いのけてシアンが精神を集中する。衝撃波が衝突する寸前に、飛翔する刃に向かって手を翳した。
「祓禊の力を今ここに 護法陣っ、」
 シアンの周囲に大きな半透明の障壁が生み出される。障壁と漆黒の刃が衝突する。強大な精神力のぶつかり合いによって地面が揺れる。それでもシアンは足を踏んばりながら障壁を展開し続けた。その後ろでヴェイルとアルスが障壁に護られながら身構えている。
 数秒間その状態が維持され、その後に障壁が弾ける。それと同時に刃は地面に叩き落とされた。
 それを見たシャールは一度わずかに驚いたような表情を示したが、すぐに口元に無気味な笑みを浮かべた。
「クク……、やるじゃねぇか小娘、くっだらねぇ警察なんかより余程おもしろい。強い奴は嫌いじゃないぜ、…………だが、こいつはどうする、」
 赤い瞳がシアンを映す。その瞳はもうシアンしか捉えていなかった。その後ろに二人の人間の姿があるということなど、シャールは気にもしていない。
 叩き落としたはずの漆黒の刃がシャールの再度の精神集中により宙に浮き上がる。シャールの右手が操るままに、それは今度は三人ではなくシアンひとりにターゲットを絞って空中に配置された。
 それに気付いてヴェイルがはっとする。
「いけない、奴はシアンひとりを狙うつもりだっ、」
「何だと、」
「部外者がごちゃごちゃ五月蝿せぇよ」
 ヴェイルの声に反応して咄嗟に銃を構えたアルスとヴェイルの方を、シャールは睨みつけた。空いている左手を二人の方に翳す。
「……エクスティント」
 冷たく言葉が囁かれる。新たな黒い衝撃波が生み出され、二人に向かって勢いよく飛んでくる。
 アルスが瞬時に反応し、精神集中を試みた。
「護法……、」
「遅ぇよ莫迦が」
「……っ、うあぁぁぁッ」
「ああぁぁっ、」
 形成されかかった障壁を打ち破って衝撃波は二人に直撃した。二人の身体が大きく後ろに弾き飛ばされる。
 二人の悲鳴に反応してシアンは二人を振り返った。弾き飛ばされた衝撃で瓦礫が砂埃を巻きあげている。二人の様子はここからではよく見えない。
 そのシアンの耳に、囁くような声がする。
「余所見なんて俺もナメられたもんだな、それとも……その生き血を俺に捧げてくれるのか」
「そんなの捧げられても使い道ないと想うけど」
「……ハハッ、なかなかおもしろい奴だ」
 あくまで淡々と返事をするシアンにシャールがそう言うと同時に、空中に配置された刃がシアンに向かって襲来する。幾つもの刃が容赦なく小さな身体を切り裂こうとした。
 しかし、シアンは素早さと動態視力を活かして次々と襲いくる刃を身軽な動きでかわしきると、それと同時に精神集中を完了させた。
「彼の者に昏睡を、」
 シアンの左手のリングが輝く。
 彼女の周囲に突然に氷が発生する。それは刃に対して一時障壁のように立ち塞がり、そして刃を撃ち落としてすぐに形を変える。障壁は分解され、氷の破片となって撃ち落とした刃ひとつひとつに衝突し、刃を粉々に破壊した。
 刃が砕けるばりんという音だけが連続的に響き渡り、あとは沈黙が流れる。誰も動かなかった。
 相当な破壊力のある術を使ったにも関わらず、相変わらず冷めた顔をしながら体勢を立てなおしたシアンは再びシャールと対峙する。
 精神力の衝突でまた地面が揺れていた。その揺れに、気を失っていたヴェイルは目を覚ました。弾き飛ばされ、随分シアンと離れたところに自分がいることに気づく。心配そうにシアンの方を見遣るヴェイルに、隣からアルスの声がした。
「……っ、ヴェイル、大丈夫…か、」
「あ……うん、なんとか……」
 軽く咳き込みながらヴェイルは苦笑いを浮かべた。怪我はしていないが、鈍い痛みが身体に残っている気がする。本当なら今すぐシアンのところへ駆け寄りたいところなのだが、痛みが走って巧く立ちあがれない。外傷がないことを考えればじきに痛みは引いていきそうではある。打ち破られたとはいえ、アルスがレジストを発動させたのは正解だった。随分と衝撃が軽減されている。
 ぐらぐらと地盤が揺らぐ。シアンとシャールの術は一応互いに対して効力を及ぼしているのだが、それだけではなく、その周囲まで見事に破壊している。もともと耐久力の失われかけた壁や柱の亀裂が増し、すでに壊れてしまっているものも少なくない。アルスが顔を歪めた。
「しかし……どうする、シアンの力があのシャールとかいう男に劣るとは想えないが……このままでは建物が全壊するぞ」
「……あの男、加減する気なんて微塵にもなさそうだし……シアンも制御が巧くいってないみたいだし……」
「ならば全壊するのも時間の問題か」
「い、いや、開き直らないでよ……、というか……いいの、全壊しても」
「……あまり好ましくはないな」
「じゃあどうにかして止め……」
 ヴェイルがそう言いかけたとき、突然シャールの大きな笑い声が響いた。狂ったようにシャールは無気味な雰囲気を漂わせながら笑い続けている。二人は目を丸くしてシャールを見遣った。
 対峙していたシアンも乏しい表情変化だったが、わずかに驚きを示す。なにがおかしいのか三人ともさっぱりわからなかった。
 ひとしきり笑い終えてから、シャールが自己陶酔したように呟く。
「フフフ……いいねぇ嬢ちゃん、攻撃術であるアサルトをレジストじゃなくアサルトで返すなんて、堂に入ってるじゃねぇか」
 先程はシアンに向かって小娘と蔑んだように言っていたのに、今は何故か幾らかの親しみを込めた口調で嬢ちゃんと呼称していた。しかもその口元にはニヤリと無気味な笑みをたたえている。
 そのままシャールは懐から短剣を抜くと、その冷たい刃をゆっくりと舐めた。まだ自分に酔ったような口調で続ける。
「その小さな身体で抵抗するさま……そそることこの上ねぇな、最高だぜ…………ククッ、あとは……悲鳴でもあれば完璧だ。断末魔の声なら最高なんだがな……苦痛は人をこれ以上ないほどに輝かせる、」
「……おい、何だか知らないがヤバいぞあの男」
 さすがのアルスも焦りを浮かべた。その隣で、ヴェイルはシャールを睨みつけながら、ゆっくりとではあったが痛みをこらえてしっかりと立ちあがる。
 しかしそんな背後の様子には気づかず、シアンは涼しい顔でシャールを見上げている。シャールの理解しがたい行動を観察しながらも、いつでも精神集中が始められる準備はできていた。相手が短剣を振り回すようなことがあれば、こちらも短刀で応じられるように体勢も整っている。
 その状態で、シアンは軽く首を傾げた。
「悲鳴が聞きたいの、」
「聞かせてくれるのか、」
「お断り。無駄な瑕疵には縁がない方がいい」
「ククク……いいねぇ、その言葉遣いも声も冷めた口調も何もかも。奇麗なその瞳も強靭な精神力も華奢な身体もそのあどけない顔も、俺の心を捕らえるには充分すぎるほどだぜ、アリアンロッド」
「……ア…リア……、」
 シャールの言葉にシアンは再度首を傾げる。シアンだけではなく、ヴェイルもアルスもわけがわからないままにシャールを凝視した。
 シアンの反応を見てシャールは再び言い直す。
「アリアンロッド。お前のことだよ、愛しきオッドアイの持ち主」
「……私、そんな名前じゃありませんけど。それにあなたに愛される理由もない」
「どう呼ぼうが俺の勝手だ。……愛されるのに理由が要るのか、……俺は今、お前の虜にされた、それが事実だ」
 冷たく囁かれるシャールの言葉をゆっくりと理解しながら飲み込んで、シアンはヴェイルの方を振り返った。
「愛されてるんだって、私。これって喜ぶべき、」
「いや……個人的にはシアンがあんな酔狂男に愛されて喜んで欲しいわけないんだけど……そんなこと言ったらあの男を煽るだけだしなあ……」
 隣にいるアルスにも聞こえないほどの小声でひとりごち、ヴェイルはどう言葉を返そうか考えて口を開こうとする。
 しかしそのヴェイルに向かってシャールは短剣を握り直して瞬時に迫ってきた。反射的にレイピアでその短剣に対抗する。金属音が響いた。
「俺とアリアンロッドの楽しい時間を邪魔すんじゃねぇよ、クソガキ」
「そういうわけには……いかないね、」
「なんだ、突然ムキになりやがって。まさか……貴様もアリアンロッドに惚れてんのか、」
「……っ、」
 ヴェイルもシャールも力で刃を押し合った。体格から考えればヴェイルの方が若干力が劣りそうである。それでも負けじとレイピアを両手で握ってヴェイルは抵抗し続けた。
 そこに、横からアルスの声がする。
「ヴェイル、右に飛べッ、」
 声が届いて、ヴェイルはレイピアをわずかに引いた。そしてその反動で、言われた通り右方向に飛ぶ。
 一瞬だったがシャールの体勢が崩れる、それを見逃さずアルスは両手に銃を構えてトリガーを引いた。ただし、いつも使っている銃ではなく、上着の中から取り出した護身用の二丁の麻酔銃である。
 シャールが銃声に素早く反応して跳躍する。鋭い音がしてシャールのピアスの一部が銃弾に当たって弾けとんだ。長い髪も何本かが弾丸に掠められて宙に散る。
 空中でシャールは精神集中を開始する。それと同時にシアンも精神集中を始めていた。シアンとシャール、二人の周囲にそれぞれべつべつの黒い空気が渦巻く。それはあっという間に勢いを増し、分厚い衝撃波となって立ちのぼった。
「桎梏なる幽冥の渦中より生まれし翼 我に仇成すすべてに制裁を」
「桎梏の幽玄渦中より出でくるその翼 制裁を我に仇成すすべてに」
 シアンとシャールが詠唱する。それを聞いて、ヴェイルの顔に焦りが浮かんだ。
 詠唱を聞けば同じ術だということは術者であれば誰にでもわかる。同じ術でも少々詠唱のときの言葉が違うということは多々ある。術というのは元々固定した何かではなく精神によって生み出されるものであるから、個人差は勿論存在するからだ。
 そして同じ術が、しかもシアンやシャールのような尋常ではない精神力の持ち主によって衝突させられれば、その衝突によって周囲に被害が及ぶことは検討がつく。違う術が衝突しても、片方が空中からの攻撃で片方が地上を伝う攻撃だったりすればそれほど衝突による衝撃は大きくないが、同じ術ではそういうことはありえない。ただでさえ今までの戦闘で脆く成っているこのギムナジウムで同じ術の衝突が行われることは、どう考えても危険だった。
「ディメストカーネイジッ、」
 ぴったりとシアンとシャールの声が重なる。
 漆黒の衝撃波が十数本のレーザーのように分離して相手に向かって飛翔する。それはそれぞれに相手のレーザー状の衝撃波とぶつかり合って、爆弾が爆発したような大きな衝撃を生む。それが十数回も起こるのである、周囲に被害がないわけがない。
 アルスが叫んだ。
「まずい、崩れる……、」
「……だめだ、今から脱出したところで間に合わない、」
 今までよりいっそう激しく揺れる建物内部を見回してヴェイルはかぶりを振った。
 柱が次々と折れてゆく。壁は粉々になって崩れ、もともと足元に転がっていた瓦礫も、倒れてきた柱の下敷きになって跡形もなく砕け散った。その上から天井が容赦なく崩れ落ちてくる。
「護法陣っ、」
 ヴェイルとアルスが声を揃えてレジストを発動する。
 ガラガラと大きな音をたて、砂埃を空高くまで巻きあげてギムナジウムはついに全壊した。