それが必然だったと君は言う




 陽は高々と昇り、街は光と活気に溢れている。いつもと同じように人々は働いたり学校に通ったりする、普通の平日である。
 シアンとヴェイルがアルスの家に居候してから三日目の朝だった。この日まで特に不死者による大きな騒ぎはない。アルスはそれまでと同じように仕事をしていたし、その間はシアンもヴェイルも自由に生活していた。
 今日は仕事が休みであるため、アルスは朝からずっと家にいた。リビングでヴェイルとアルスが言葉をかわす。
「休みの日くらい、ゆっくりすればいいよ」
「ああ、すまない。……しかし、家のことが任せっきりになってしまっているな」
「いいよ、そんなこと気にしなくても。それに家事って結構好きだから」
 ヴェイルはキッチンに立って朝食の片付けをしながら明るい声でそう言った。事実、ヴェイルは料理が巧く、掃除もきちんと行きとどいている。
「本当にお前はしっかりしている。……それにひきかえ……」
 そう言いながらアルスは椅子に座ったまま、足音の聞こえてきた奥の扉を見遣った。
 ゆっくりと扉が開き、まだぼうっとした状態のシアンがリビングに入ってくる。
「おはよう」
「……遅い」
 ヴェイルとアルスがそれぞれまったく別の反応を示す。まだ眠い目をこすりながら、シアンはふらふらと歩いてきた。寝ぼけたままの足取りは危なっかしいことこの上ない。
 一通りリビングを見回して、シアンはゆっくりと言葉を発する。
「あ……アルス、今日は休みなんだ」
「そうでもなければこんな時間に俺がいるはずないだろう」
 マイペースにシアンが呟くと、淡々とアルスはそう返す。
 慣れた風に、取り敢えず水でも飲む、とやさしく訊ねてくるヴェイルにシアンは頷き返した。ヴェイルから水の入った透明のグラスを受け取ると、シアンはそっと口をつける。ゆったりとした動作で喉を潤してゆく。あと一口で飲み干せそうな量まで水を飲んだところで、突然シアンは動きを止めた。
 そのまま目を閉じ、精神を集中する。
「……どうしたの、」
 動きを止めたままのシアンをヴェイルが覗き込む。
 声をかけられて、シアンは目蓋を開くと、やっと動きを再開した。残っていた水を飲み干してグラスをヴェイルに返しながら、落ち着いた口調で言う。
「不死者かな……圧迫感がする」
 その言葉にアルスが目を丸くした。
「本当なのか、それは」
「多分」
「……多分ってお前……」
 普段通りのシアンのマイペースぶりにアルスは脱力するより他になかった。
 そこに、突然警報が鳴り響いた。三人は同時に動きを止める。宿舎全体に放送が響きわたった。
「D八区画に不死者の出現を確認、AAエマージェンシィ発令、出動可能者は直ちに現場に急行せよ、繰り返す……」
 ガタンと音を立ててアルスは椅子から立ち上がると、サイドテーブルにいつも置いたままにしている腕章を手にとった。緊急時には腕章さえあれば私服で出動することが認められている。
「大当たり。今日は勘冴えてるかも」
「……そうか、だったらその調子で頑張ってくれ」
 抑揚なく呟くシアンに、ほぼ棒読みのようにアルスは返事をすると、素早く腕章をつける。シアンは小さく頷いた。
「あんまり期待してもらっても困るけどね。やれるだけのことはやってみるよ」
「頼む。不死者と警察の動きは追って連絡する」
 アルスが今度は凛々しく返事をする。会話をしながら、いつものように二丁拳銃と護身用の麻酔銃を携帯すると、急ぎ足で家を出ていった。
 バタンと扉の閉まる音がして、それからリビングは急に静かになった。先程の警報が繰り返してまた一回流れている。
 サイドテーブルには通信機が置かれていた。アルスに協力を申し出た翌日に渡されたものである。腕時計のような形をしている黒い機械で、離れている人間と通信することができる。シアンとヴェイルはその通信機に送られてくる指示を待って行動するということになっていた。
「指示があったらいつでも出られるようにしておかないとね」
 そう言いながらヴェイルはシアンがまた動きを止めていることに気づいた。シアンは再び目を閉じ、精神を集中させている。
 暫くして集中が途切れ、何も言わないままシアンは目を開けて首を傾げた。どうしたの、と先程と同じようにヴェイルは訊ねた。
「なんか……不死者とはまた違う感覚が紛れてる気がする」
「どういうこと、」
「変な感じ。気のせいかもしれないけど」
「今日は勘が冴えてるのに、」
「じゃあ気のせいじゃないのかも」
 ヴェイルの冗談に便乗したのか、冗談が通じていなかったのかわからないような返事をシアンは返した。そのまま、いつも戦闘時にはめている左右非対称な手袋を準備する。
 そのとき通信機の音が鳴った。応答の赤いスイッチを押すと、アルスの声が聞こえる。
「今から警察に接触せずに不死者に近付けるルートを指示する。その通りにこちらに向かってくれ」





 セントリストの東部にD八区画はある。I.R.O.のあるセントリストの中心部からは少し離れているが、それでも充分すぎるほどに都会で、ビル群もある。そんなところで不死者が発生すれば混乱は必至だった。
 区画に入る前からちらほらと不死者の姿が見えはじめ、D八区画に入ると不死者はとめどなく溢れてくる。市街には既に避難勧告が出され、住民の姿は見えなかった。警察の銃が火を吹く音が響き渡る。あまりに数の多い不死者は、かりだされただけの警察の力ですぐにどうにかなるものではない。
 先に来た警察が倒した不死者が地面に転がっている。それはゆっくりと消えはじめていた。
「なんだか……随分と派手にやってるみたいだね」
 倒れている不死者の数をざっと数えながらシアンが呟く。
 アルスに指示されたルートでここまで来たため、警察に遭遇することはなかった。しかしD八区画まで来ると警察が近くで動いているのがわかる。
 不死者は人間を襲うが建物を無意味に破壊したりはしない。どういう理由かはわからないが、それが習性である。そのため建物には殆ど被害がない。それは市民にとってはありがたい話なのだが、警察にとってはただ単純に喜べることではない。無事である建物を警察が傷つけるわけにもいかないし、物陰に不死者が隠れている可能性も大いにある。そしてそのことはもちろん、シアンとヴェイルにも当てはまった。
 突如、二人に大きな陰が重なった。
 はっとしてそちらを見遣ると、不死者の群れが迫ってきている。人の形をしたものも、動物のようなものも大小入り交じっていた。
 躊躇うこともなく、不死者が叫び声をあげながら襲いかかってくる。
 二人は同時に後ろへと跳躍した。
「手加減しなきゃ駄目だよ、建物壊すわけにはいかないんだから」
 レイピアを手にしながら、ヴェイルはシアンにそう言った。
 コートの内側からシアンは二本の短刀を取りだす。慣れた手つきで、二本ともの短刀を鞘から抜いた。
 再び襲い来る不死者の攻撃を今度は大きく跳躍してかわしながら、シアンは短刀を握ったまま、左手のリングに精神力を集中させた。淡いオレンジ色の光がリングに宿る。
「その秘めたる因子を示せ ……インスペクト、」
 光は不死者に向かって飛翔し、その身体を包囲した。そしてすぐにその光は離れ、再びシアンの方へと戻ってくる。
 シアンの手元で光はボールのような球形になった。ボールの中にはごちゃごちゃと数字や文字列がうごめいている。
「よし……これで完了、」
 シアンが光の球をヴェイルに向かって放り投げる。それをしっかりとヴェイルは受けとって、几帳面にパーカーの内側にしまいこんだ。
 波動観測が終了すると、二人は同時に攻撃へと転ずる。短刀とレイピアが不死者を切り裂く。二人の動きが身軽なこともあり、不死者の攻撃はまず当たらなかった。不死者とひとことで言っても色々な強さのものがいる。今相手にしている群れは、どれもそう強いものではなかった。
 ある程度まで不死者の数を減らすと、ヴェイルは一歩下がって精神を集中しはじめた。
 茶色い髪が風に揺れる。
「祥雲来たりて黎元に裁きを与えん 風神の名の下に……、」
 ヴェイルの詠唱とともに風が巻き上がり、その巻き上がった風は不死者に降り注ぐ。
 勢いよく襲来した風が次々と不死者を倒していった。最後の一体がどさりと音をたてて倒れ、二人の前方に視界が開ける。
 二人はあたりを見回した。建物があるため遠くまで見渡すことはできないが、圧迫感からしても、まだ不死者は随分と残っていそうである。警察の姿はあまり目立たず、まだ援軍が到着せず、未だに少人数で不死者を相手にしているに違いなかった。
 ヴェイルが訊ねる。
「これからどうするの、」
「……アストラルを叩く。この状態なら注意さえ払っていれば警察に見つかることもないだろうし」
「わかった。でも無茶は駄目だよ」
 そう言うヴェイルにシアンは頷き返してから、そっと目を閉じた。ここへ来る前にリビングでやっていたのと同じように精神を集中する。圧迫感が以前よりもずっと強く感じられる中、感覚だけでアストラルを模索した。
「ここから北の方……かな」
 精神集中を続けたまま、シアンはぽつりと呟く。だいたいの位置を把握して目を開けようとする。
 その瞬間、シアンは一瞬背筋が凍りつくような感覚をおぼえた。反射的に目を見開いて額を押さえる。
「……ッ、」
「シアンっ、」
 そうヴェイルが反応したときには、もうシアンは既に普通の感覚に戻っていた。精神の集中が途切れ、ただこの場で感じられるだけの圧迫感を感じている。
 心配そうな表情を浮かべるヴェイルに、シアンはかぶりを振った。
「……、なんでもない。変な感じがしただけ」
「変な感じ、……そういえば家でも言ってたよね」
「こうはっきり感じられると気のせいじゃない可能性が高いけど……ここで気にしてても仕方ない。とりあえず、アストラルのいる方角は北で合ってると想う」
 そう言うシアンにヴェイルはしっかりと頷き返した。
 いつの間にか高々と昇っていた太陽が雲に隠れている。まだ昼だというのに薄暗い。
 どんよりとした空の下、異様に湿気を含んだ空気が渦巻いている。ただそこにいるだけで気分が重くなりそうな状況だった。
 あちこちから不死者の気配がする。二人は武器を握り直して、その気配の中を北へ向かって走りだした。





 不死者の数は非常に多かった。警察も今は団体行動をすることすらままならず、各々自分に迫る不死者を叩き落とすので精一杯の状態だった。追い込まれれば普通人間は多少なりとも混乱する。そうなれば精神集中もし難くなり、術も容易には放てない。アルスは天を仰いだ。
 いつからD八区画で銃を握っているのかわからなくなった。もう随分この状態が続いている気がする。流石に少し息が荒れていた。
 弾丸を銃に追加する。術を放てないほど精神が揺らいでいるということはないのだが、術を発動させるまでの隙を考えると、ひとりしかいない状態では乱発はできない。
 時間が経てば間違いなく本署から援護は来る。
「AAにこれだけの人数ではな……」
 口の中でそう呟いたとき、アルスの背後からヴェイルの声がした。
「アルスっ、」
「……お前ら……、どうしてここに……」
 シアンとヴェイルの姿を確認して、アルスは目を見開いた。間髪入れずにシアンがさらりと返事をする。
「通りかかったら姿が見えたから」
「いや、まあそうなんだけど……えっと、まず他の警察には見つかってないから、大丈夫。で、北の方からアストラルの気配を感じたから殲滅のために北へ向かってたんだ。そしたらアルスの姿が見えたから」
 慌ててヴェイルが補足した。シアンの言うことは嘘ではないのだが、かなり適当に端折られている。
 ヴェイルによって補足がされている間に、シアンはゆっくりと近くの家の玄関口にある階段に腰を下ろした。それからマイペースに靴をしっかりとしめなおす。
 そのシアンを横目で見ながら、アルスはヴェイルに訊ねた。
「殲滅できそうなのか、」
「できそうだと想う。僕が感じとったわけじゃないからわからないけど、シアンはアストラルの感覚を掴んでいるし……そのシアンが殲滅させようって言ってるから」
「……信じていいんだな、」
 そう言いながらアルスはシアンの方を向いた。のんびりと靴を締め終えて、シアンはアルスと視線をあわせる。
 しばらく黙ってから、アルスの問いへの返答を後回しにして、シアンは話題を変えた。
「北って何があるの、」
 突然話の筋が脇道にそれて、アルスは一瞬怪訝な顔をした。しかし、すぐに問われた内容に対して返事をする。
「……たしかギムナジウムがある。目立った建物といえば、そのくらいだ」
「ギムナジウムって言うと……中等学校だっけ、」
「ああ、そうだ。もっとも今は廃校になって取り壊されかけているはずだが……」
「じゃあちょっとくらい壊れても大丈夫だよね、」
「まあ半分壊れているようなものだからな……って、何する気だ、お前」
 淡々と話を進めようとするシアンに、アルスは思わず歯止めをかける。その横でヴェイルがはらはらとした表情を浮かべていた。
 二人の視線を受けながら、シアンはゆっくりと立ち上がって二人に近寄った。
「なにも壊すなって言われると術使えないから……制御はするつもりだけど万が一ってこともあるしね」
「でも少々壊しても構わないならアストラルを相手にしたときに術も使える、ってこと、」
 ヴェイルが確認をとるように訊ねる。シアンは、そういうこと、と短く返して、また北の方へ向かって足を進めた。
 その背中を追いかけようとするヴェイルにアルスは声をかける。
「俺も行こう」
 その声に反応して、シアンもヴェイルも足をとめて振り返った。
 アルスがいた方が警察の目に触れないルートを選べて都合が佳いことは確かだった。勝手に持ち場を離れるような行動を起こして構わないのかどうかは、アルス本人が一番よくわかっているはずである。ヴェイルが頷いて了承を示すと、アルスは動きを開始する。
「あまり派手に破壊されても困るんでな」
「信用ないなあ」
「……信頼はしている」
「それはどうも」
 これからアストラルの相手をしに行くとは想えないほど、アルスに言葉を返すシアンの声には緊張感がなかった。
 ギムナジウムに向かう道にもまだ不死者はいる。素早い動きで、シアンは次々と立ち塞がる不死者を、いとも簡単に切り裂いた。
「術だけじゃなく身体能力も尋常じゃない、か……。本当に人は見かけによらないな……」
 そう呟きながら、アルスもトリガーを引いて不死者を撃ち落とした。