そして、始まる




「レーダーから不死者の反応がすべて消えてる……」
「どういうことだよ、これ……今回の任務、エリア一四八九から一七八九の不死者の殲滅じゃなかったのか、」
「まさか、逃げたとか……」
「莫迦言うなよ、今まであいつらが逃げたことなんかあったか、」
「いいだろ、べつに悪いことじゃないし。むしろ何回もこんな辺鄙な田舎に来る必要がなくなったんだから良かったじゃねぇか。プラン通りならあと十二回も来なきゃいけなかったんだぜ。それがチャラになったと想えば……」
「そんなこと言ったって、この状況を上官にどう報告するつもりなのよ。『よくわからないけどレーダーから反応は消えました』とでも言うつもり、」
「しかしそれ以外にどうしようもない……、今とれるだけのデータを集めて不死者がいない証拠を固めてから、不可解なできごとによる不死者消失として報告するしかないだろう」
 『KEEP OUT』と書かれたフェンスのすぐ外で、警官が口々に意見を飛ばし合っている。それを少し離れた場所からシアンとヴェイルは眺めていた。事態が解決しても姿を消すことができないのはもちろん、アルスの身内扱いを受けているためである。警察がI.R.O.に帰還するのと一緒に連れて帰る、ということになっていた。この状況をつくりだした本人であるアルスは、意見をかわす同僚に紛れて涼しい顔をしていた。
「アルスってクールな顔してるけど、結構大胆なことするね……」
「なかなかおもしろい人だね」
「……、」
 呆れかけているヴェイルと、淡々と割り切っているシアンが言葉をかわす。アルスの行動に対しても、シアンの割り切っている様子に対しても、ヴェイルは溜め息をついた。
 ゆるやかな風が吹く。
 警察のひとりが辺鄙な田舎、と表現していたが、都会育ちからすればそう想えても仕方ない場所だった。自然がありありと残されているが、手入れがされていないのか土は痩せていて木も朽ちかけている。岩壁に入ったひびは今にも大きく広がりそうに見えた。不死者がいようがいなかろうが、廃れたその風景は無気味である。
「帰投だ、準備しろッ、」
 突然張りつめた声が聞こえて、二人は警察の集まっている方を向いた。ひとりの年配の警察に全員が注目している。年配の警察は白髪混じりで髭をたくわえ、鍛えあげられた、がっしりとした身体つきをしていた。威厳を保つその姿と声はいかにも厳しい上司といった感じである。あれがウォルフさんかな、とシアンが呟き、ヴェイルが首肯した。
 警察はそれぞれに帰投の準備を始める。しばらくして、アルスが二人のもとへと近づいてきた。
「後で訊きたいことがある、」
 周囲に聞き取られないように、小さく低い声でアルスはそう言った。
 かすかに頷いてから、シアンはマイペースにゆっくりと立ちあがる。
「構いませんよ。本来なら連行されるところを助けていただいたことですし」
「……I.R.O.に戻ったら適当に時間を潰しておいてくれ。十六時に本署ロビーの西側出口でどうだ」
「わかりました。さっきヴェイルが言った通り、どうせ帰る場所もないですから。そちらの都合に合わせます」
 帰る場所もないという言葉を聞いて、アルスはそうだったな、と短く言葉を返し、その後に、兄妹ということになっているのだから敬語など使うな、とつけ加えた。
 帰投準備は着々と進んでいる。不死者を察知するレーダーも綺麗に片付けられていた。警官はちらほらとシップのステーションの方に向かっている。
 その後を追ってアルスは歩きだす。二人もそれに続き、禁止区域から遠ざかっていった。





 I.R.O.に向かうシップに乗ると、シアンはすぐにシートに身を沈めた。
 シップ内には規則正しく二列に二人掛けの座席が並んでいる。そこに座る者もいれば立ったままの者もいた。辺境の地からのシップは当たり前だが随分と空いている、というより、今は警察の関係者以外乗っていない。
 ゆっくりとシップが動き出す感覚が伝わってくる。シップに窓はない。あってもどうせ周囲は亜空間、人間が生み出した人工の空間が見えるだけでおもしろくもなんともない。
 亜空間とは、街の上空に存在しているにも関わらず空間外からは視覚で認識できない空間である。強烈な磁力によって空間は維持されているため人間が生身で入ることはできないが、シップに乗って亜空間を移動すれば通常の何倍もの速度で移動することが可能である。交通の便を追求した科学が生み出した産物だった。
「あなたがアルスの妹さんかしら、」
 声をかけられて、シアンは顔をあげた。金髪の女性警官がシアンの顔を覗き込んでいる。
 ぼんやりとした瞳で女性を見上げ、シアンはただ頷き返した。
 女性警官はシアンににっこりと微笑みかけた。
「いきなり声かけちゃってごめんなさいね。びっくりさせたかしら。怖がらなくていいわよ。……そうだ、飴、食べる、」
 そう言うとポケットの中から飴を取り出して、シアンの方に差し出す。一瞬躊躇ってから、シアンはそれを受けとって握りしめ、ぎこちない笑顔を返した。
「あ……、ありがとうございます」
 その様子を、アルスは遠くで立ったまま眺めていた。なにを話しているかまでは聞こえないが、子ども好きの警官がシアンを可愛がろうとしていることくらいはわかる。
「こうして見ていると普通の幼い少女にしか見えないがな……」
 口の中でアルスはそう呟いた。その直後、隣に立っていた同僚が口を開く。
「なぁ、アルス」
 声をかけられて、アルスは隣へと視線を移した。同僚は離れて座っているシアンとヴェイルを交互に眺めている。
「お前んとこ、妹も弟もあんまりお前に似てねぇよな」
 相変わらず涼しい顔をしながら、アルスはさらりと返事をした。
「あいつらは俺と違って母親似なんだ」





 陽がゆっくりと傾いてきた。
 I.R.O.は非常に大きな組織で、セントリストの中心地である。敷地の中には高層ビルが立ち並び、この敷地内だけで街がひとつできそうなほどに思われる。敷地内には議事堂や警察、各省庁から病院、養育機関や福祉施設まで、実に様々なものが揃っていた。I.R.O.の中で不便することはまずない。
 I.R.O.のロビー西側出口で、シアンとヴェイル、そしてアルスは十六時に再び顔をあわせた。
「これからどうするの、」
 三人が集まるなり、ヴェイルはそう問いかけた。
 ロビーには大勢の人間がいた。警察の人間も、一般人もいる。広いロビーには絶え間なく人が出入りしており、周囲は常にざわついていた。
「……こっちだ」
 それだけ言うと、アルスは足を進めはじめた。出口の前で待ち合わせたが、アルスは出口とは違う方向に向かってゆく。とにかく二人はその後を追った。
 ロビーを通過して、廊下へとアルスは向かう。その行き止まりにある扉についているセキュリティ・センサーに手をかざすと、扉は軽い音をたてて開いた。
 その奥には廊下が続き、左右に扉が一定の間隔で見受けられた。その光景が暫く続いた後、アルスはひとつの扉の前で突然足を止める。
「ここって……」
 扉を見ながらヴェイルが呟く。
 一定の間隔で見受けられた扉とアルスが立ち止まった扉は明らかに違う。目の前の扉は他の扉よりもずっとしっかりとしていて、外から見た感じだけでも他よりも中の面積がずっと大きそうである。
 アルスは扉の隣にあるセンサーに再び手をかざしながら答えた。
「俺の家だ……、と言っても、警察の宿舎だがな」
 扉がゆっくりと開くと、アルスは視線で二人に中に入るように促した。
 遠慮がちに二人は扉の奥へと足を進めた。
 エントランスから見える家の中の様子は、一般的な宿舎のイメージではない。他の部屋はどうだか知らないが、アルスの家はとにかく広かった。家具類を見ても値段が張りそうなものが置いてある。
 贅沢な間取りなのがまず印象的である。キッチンは不便しない程度のもので、その近くにはテーブルが置かれている。近くにはソファがあり、壁に添って棚が並べられていた。それからその奥の部屋は、シアンたちのいる位置からはあまりよく見えないが、機械類がごちゃごちゃと置かれているようだった。廊下はずっと奥に続いており、まだエントランスからは見えない場所がある。
 きょろきょろとヴェイルは家の中を見回した。
「こんな広いところにひとりで住んでるの、」
「まあな。本部から与えられた部屋だ、俺が望んだわけじゃない」
「こんなに大きい部屋が与えられるってことは……アルスって偉いんだ……」
「……警視正だしね」
 ヴェイルとアルスの会話にシアンが口を挟んだ。その言葉に、一足遅れて部屋の中に入ってきたシアンを、二人は目を丸くして見つめた。涼しい顔をしているシアンにアルスが問いかける。
「俺、そんなこと言ったか、」
「……アルスからは聞いてないけど。周囲の人が話してるの聞いたり警察本部内の掲示物見たりしてたから。そのネクタイのアクセサリもある程度の地位がないとつけないみたいだし。……アルス・トロメリア、二十五歳、警視正。高い地位にも関わらず、敬語嫌いで職場では同年代の人間には一切敬語を使わせない。十八歳で就職、過去に例がないほどの早さで着実に昇進中」
「……ほう、随分な観察力だな。地位が高いとか早い昇進だとかは周囲の評価でしかないが、そのほかの部分は正解だ」
「知ってて当然。私、妹ですから」
「お前なぁ……」
 さらりと言ってのけるシアンにアルスは脱力した。
 アルスは一人暮らしであるため、三人が使えるようなテーブルはあっても椅子はひとつしかない。ソファに座るよう指示され、シアンとヴェイルは黙って腰を下ろした。
「……さて、と」
 アルスはさっきまできちんと着ていたスーツを着崩して腕章を外した。鋭い瞳でシアンを射抜く。
「訊きたいことはいろいろある……お前ほどの不死者に対抗できる力がある人物を世間が放っておくとは想えないが、I.R.O.にもお前についての情報は入っていない。それほどの力を隠し持っている人物がいるというだけで俺は正直驚いた。……だからお前自身のことについても訊きたいが……、まずはどうしてあんなところにいたのか教えてくれ」
 その問いにシアンは小さく首を傾げて即答した。
「不死者がいたから。殲滅しようと想って」
「ヴェイルが連れとはぐれたと言っていたが」
「……ああ、途中まで一緒だったんだけど気がついたらヴェイルいなかったんだよね」
「君が警察がいるにもかかわらず躊躇なく先に行っちゃったんだよ……」
 参ったようにヴェイルが言う。その向かいでアルスは拍子抜けしたような表情を浮かべていた。二人の視線を浴びながら、シアンは表情ひとつ変えずにソファに座っていた。
 ひとつ咳払いをしてから、アルスは改めてシアンを見据える。
「……その様子だと、不死者を殲滅させようとしたのは今回だけではないようだな。職業にしていなくともハンターと同じようなことをしている、そして二人で不死者を殲滅させるのは珍しい話ではない、ということで問題ないか、」
 シアンが軽く頷く。
 それを確認してアルスはしばらく考え込むような仕草をした。それからゆっくりと椅子から立ちあがると、奥の部屋に向かった。
「奥へ行く。ついてこい」
 ちらりと顔を見合わせてから、シアンとヴェイルも立ちあがる。それからアルスの後ろについて奥の部屋へ向かった。