そして、始まる




 遠い空の下、崩れ落ちた瓦礫の上に二人は落下した。
 突然に落下したとはいえ、二人とも怪我ひとつない。咄嗟に護身のための術であるレジストを使い、半透明のシールドを自分の周囲に生みだして、外部の衝撃から二人は身を護っていた。
 瓦礫の上で少年はアルスに声をかけた。
「お怪我ありませんか、」
 少年は穏やかな瞳でアルスを見ていた。
 薄暗い地下、頭上に光が見えている。
 少年に頷いて返事を返してから、アルスは上を見上げた。随分と広範囲で地割れが起こったらしい。豪邸が一件建ちそうなほどの面積が地割れによって沈下していた。勿論、今二人がいる場所も含めて。
 空が見えていることからすると、霧は晴れたらしい。これだけ地形が変わったのだから当然といえば当然かもしれなかった。
「しかし……随分と派手に沈下したようだな。これでは応援でも呼ばない限り上には戻れないか」
 不規則に割れた地面を登るのは無理そうだった。上からロープでも下ろして貰うくらいしか上に戻る方法は考えつかない。
 しかし少年は首を横に振る。
「やめた方がいいですよ。不死者がまだ地上に残っているかもしれませんし……。数が少なければいいですけど、はっきりと数が把握できない以上は危険です」
「……そうだろうな」
 まだ不死者の圧迫感は完全には消えていなかった。その圧迫感を二人とも感じている。この頭上の近辺が不死者の溜り場になっている可能性もないとは言えない。
「とにかく、移動しませんか? ここにいても危険なだけですから」
 少年はそう言う。アルスは少年に向かって頷き、黙って二人は歩きだした。
 この地下はもともとなにかに使われていた場所だったらしく、きちんと空洞になった道は続いていた。ただ、しばらく使われていないのか、人が歩いたような形跡はない。
 しばらく進んでから、少年は足を止めずに、想いだしたように口を開いた。
「名前を知らないままだと不都合かもしれませんね。この先、なにがあるかわかりませんから。……僕はヴェイルといいます」
「……俺はアルス。アルス・トロメリアだ。ああ、ついでに敬語は要らない。と言うより、あまり好きではないんでな」
 了解、とヴェイルは短く返事をした。
 二十分ほど歩いたところで、ヴェイルは通路の先を睨んだ。薄暗くて見通しが悪いが、少し開けた場所があるのがなんとなくわかる。
 その開けた場所の手前までくると、ヴェイルは突然足を止めた。そしてアルスがそれに気付いて振り返ったときには、もう奥に向かって走りだしていた。
「おい、どうしたんだ」
 アルスはヴェイルを追いかけた。
 開けた場所には、使われなくなった荷台や投棄された木箱があちこちに見受けられる。それを軽々と飛び越えて、ヴェイルは奥へと進む。そしてその先に人影を見つけると、その名を呼んだ。
「……シアンっ、」
 ヴェイルの声にその人影が反応するのと、ヴェイルの背後までアルスが追いつくのはほぼ同時だった。
 アルスの瞳にシアンと呼ばれた少女が映る。十五、六歳くらいの女の子、茶髪で背が低い、そしてはっきりとしたオッドアイ。彼女がヴェイルの連れに違いなかった。グレイのコートの下にはベージュを基調としたワンピース、その下に黒い細身のズボンがのぞいている。ヴェイルと同じく普段着のような格好で、金属類といえばアクセサリが目立つ程度だった。左手の指にやたらとシルバーリングがはめられている。
 オッドアイの左目は蒼く、右目は赤い。蒼はどこまでも静かで、見る対象を呑みこむように深く、赤は射抜くように攻撃的で熱い。この世のものとは想えないほどに、綺麗なコントラストだった。
 アルスの方を見遣ってシアンは首を傾げる。I.R.O.の腕章がシアンの目に入った。
「警察の方ですか、」
「……あ、ああ……そうだ」
「……警察に知り合いなんていたんだ、」
 シアンはそう言いながら、今度はヴェイルの方を見た。異常なほど落ち着いているシアンに、ヴェイルはかぶりをふった。
「いや、アルスはここに仕事で来てた警察の人だよ。僕のかわりに君を捜してくれるって言ってくれたんだけど、地震が起きてこんなところに落とされちゃって。……それで、一緒に行動してるところ」
 端折って説明するヴェイルの後ろで、アルスはじっとシアンを見つめていた。その視線に気付いてシアンもアルスの方を見上げる。視線がかち合って、アルスはゆっくりと口を開いた。
「こんなところで何をしていたんだ。ここは一般人が来る場所じゃない」
 その声は冷たいが、そこに怒りはなかった。警察として一応忠告をしている、といった雰囲気に近い。
 問いかけられて、シアンは言葉を発しかけた。しかしその直後、三人の動きが硬直する。
 突然圧迫感が増大した。 不死者の姿は見えない。だが、その圧迫感は普通ではなかった。 息が詰まり、身体が凍り付くような戦慄を憶え、得体の知れない恐怖が肌を刺激する。
 苦々しい表情をしながらアルスが呟く。
「この感覚は……」
「このあたりの不死者の根源……通称アストラル、だね。圧迫感からして他の不死者とはまったく違う……」
「まずいな……警察でも数人で敵うような相手じゃない」
 少し厳しい表情になったヴェイルの隣で、アルスは焦りを浮かべた。
「……来る」
 シアンがぽつりと呟いてからひとつ間をおいて、目の前の岩壁がガラガラと礫岩を飛ばしながら派手に崩れた。そこに現れた砂埃から影が見える。これもまた獣に近い姿をしているが、アルスが地上で戦ったものとは違う。身体が数倍ほど大きい上に、殺気の桁が明らかに違っていた。
 しかしそればかりではない。アストラルの周囲に、先程ヴェイルやアルスが倒したような不死者もずらりと見受けられた。
 ヴェイルはパーカーの内側にあったレイピアを手にし、アルスは銃を抜いた。その後ろでシアンはぼうっと不死者を眺めている。
 しばらく、互いに動かなかった。そして空白の時間の後、緊張の糸がぷつんと切れたように、不死者は一度に動きだした。飛びかかろうとする者、走って近付いてくる者、統一感のない攻撃を始めた不死者の後ろで、護られるようにアストラルは動かずにいる。
 第一波が迫りくる。アルスは銃口を不死者に向けた。その一歩前でヴェイルはレイピアを握り、慣れた手つきで不死者を薙ぎ払う。
 アルスの両手に握られた銃は飛びかかってきた不死者を撃ち落とし、地面を伝って来た不死者はヴェイルのレイピアによってものの見事に切り裂かれる。
 しかし、二人の攻撃だけでは倒せる不死者の数は知れている。術を使うために精神集中をするような余裕はない。
 ヴェイルとアルスが第一波を殲滅したものの、まだまだ不死者の姿がある。不死者の第二波が襲いくる前に、シアンは二人の後ろでぽつりと呟いた。
「深紅なる意志よ翠嵐を呼べ 遍し結晶を汝が胸に刻み込め」
 精神を瞬く間に集中させると、シアンはそっと不死者の方に左手を翳す。
 紅い風が巻き起こったと思えば、その風は鎌鼬に姿を変え、前に差しだされたシアンの左手を伝って前方に広がった。その刃は荷台や木箱を粉々に粉砕し、次々と不死者を薙ぎ倒す。その威力はとんでもない破壊力を有していた。
「熱を帯びた風……熱と風を組み合わせた合成術、シンセサイズ……。しかしそんなに軽々しく使えるものじゃないだろう、シンセサイズなんて……」
 アルスは応戦することも忘れて、ひとりごとを呟きながら、術を放つシアンを見つめていた。その耳にヴェイルの声が飛びこんでくる。
「アルス、上ッ、」
 声に反応して、アルスは慌てて銃口を上に向けた。迫りくる不死者に向けてトリガーを引き、次々と不死者を撃ち落とす。弾丸に貫かれた不死者は音をたてて地面に落ちた。
 アルスの後ろで、術を放ち終えたシアンがゆっくりと動きだす。ぼんやりとしながら足を進めると、アルスの前まで歩み出た。
「下がっててください。危ないから」
「危ないって……」
 そう口を開いたものの、アルスは言葉を飲み込んだ。
 攻撃の手を休めないまま、感覚だけでアルスはシアンの力を感じ取った。あまりに強大な精神力が、シアンの小さな身体から溢れている。
「偽印の天蓋 粛正の綺羅 ……在るべき流転へ還れ」
 シアンの内から言葉が溢れる。
 軽々とシアンは精神を統一して左手のリングに力を集中した。どこからともなく生まれた光がリングに集い、次第に煌めきを増してゆく。 そしてそれがある程度の大きさまで膨張した瞬間、光は周囲に弾けるように広がった。
 眩しさにアルスは片目を閉じた。それでも懸命に目の前の状況を把握しようと片目だけで様子をさぐると、目の前の不死者は溶けるように消えてゆくさまが見える。アルスが相手をしていた者だけではない、その場にいたすべての不死者が溶けるように消えてゆく。その中にヴェイルは見慣れた様子で佇み、光の中心でシアンは光を放つ左手をアストラルに向けて翳していた。
「……封絡せよ」
 シアンが手を翳して言葉を発すると同時に、光は標的のアストラルに向けて飛翔した。
 光がアストラルを包む。声もなく、アストラルの身体は溶けるように朽ちてゆく。
 アルスは呆然とそれを見ていた。夢でも見ているかのようだった。
 たっぷりと時間をかけて、光はやわらかく消えてゆく。 すっかり元の薄暗い状態に戻っても、時間が止まったかのように、誰も動かなかった。
 シアンはまったく覇気のない表情をしていた。そこに周囲の破壊され具合を見たヴェイルが近寄って、シアンの肩に手をかける。
「あのさ……加減、しようよ」
「……あ、随分派手に壊れたね」
「……はぁ、そうだね……」
 あっさりと返事をするシアンに、がっくりとヴェイルは溜め息をついた。それからひとつ間を置いて、アルスの方を振り返る。
「……ごめん、驚いた……よね、」
 ヴェイルが申し訳なさそうにそう言うと、銃にセーフティロックをかけてホルダーに戻しながらアルスは口を開いた。
「そんな次元じゃない。アストラルや不死者が消えるなんて、夢か、はたまた映画か、そんな気分だな」
 アルスは大きく息を吐きだした。
 シアンはふわりとアルスを見上げる。あれだけのことをやってのけたというのに、けろりとしていた。
 アルスの頭の中で先程の光景がフラッシュバックする。何度でもリフレインしそうなその光景を振り払おうとして、はっとした。
「まさか……」
 アルスの口から言葉が零れた。シアンを見据えて、続きの言葉を紡ぐ。
「禁忌、か……今のは。術の研究者が禁忌と称する、不死者を『倒す』のではなく『消し去る』術……。しかし使用者は術に呑みこまれる恐れがあると噂には聞いている。俺は専門家ではないので詳細まではよくわからないが……」
「……あ、なんか、そういうカテゴリのものみたいですね。私もよくわかりませんけど」
「あのさ、いい加減に自覚しようよ……」
 とぼけたようなシアンの反応に、ヴェイルは再び溜め息をついた。それからアルスの方を向き直ると、あらたまって説明する。
「たしかに、今のは禁忌と呼ばれている術だよ。……使い手が自我を失って暴走するだとか、人ではなくなるだとか、いろんな噂があるのも知ってる。でもシアンはそんなことにはならないし、大丈夫」
 ゆっくりとした口調でヴェイルが述べ終えるのを、シアンは黙って待っていた。そして説明の言葉が途切れてから、アルスをまっすぐに見上げる。
「アストラルを断ったからには地上も安全です。道はわかってますから、戻りませんか、」
 シアンの無垢な瞳に見つめられ、アルスは小さく首肯した。
「……俺としては訊きたいことがまだあるが、そうすべきだな。……お前たちはどこに帰るつもりだ。警察に見つからないようにシップに乗せてやることくらいならできるが」
 歩きだしながらアルスはそう訊ねる。するとシアンとヴェイルは顔を見合わせ、しばらく目で会話をしてから、ヴェイルが口を開いた。
「いや、それが……どこということもないと言うか……」
「……どういうことだ。生家でなくとも住んでる場所のひとつくらいあるだろう。取り調べというわけでもないんだ、正直に言えばいい」
「その、嘘はついてないんだけど、身を寄せているところがなくて……」
 それを聞いてアルスは目を丸くして立ち止まった。改めてシアンとヴェイルをまじまじと見つめる。しばしの沈黙の後、アルスは目を伏せてかぶりを振った。
「……事情はよくわからんが、無理に聞きだすような趣味もないからな……。とにかく、ステーションに戻ったら最初に来たシップに乗せてやるから……」
「アルスっ、」
 アルスの言葉を遮るように、前方から声が飛んでくる。それは先程の同僚の声だった。仲間の無事と合流に一瞬アルスは安堵の色を示したが、そんな状態ではないことにすぐに気付いた。同時に、同僚の視線はアルスの後ろにいる二人の少年少女に注がれる。
「佳かった、連絡がとれなくなったから心配して……、ってお前、その子ども……一般人か、」
 アルスと同じように、スーツに腕章をつけた警察の姿をシアンもヴェイルも黙って見ていた。ちらりとアルスは二人を見遣る。ヴェイルは少し慌てたように見えなくもないが、シアンは相変わらず余裕そうな表情を浮かべていた。
 頭の中で少し考えをめぐらせてから、アルスは無表情のまま淡々と言い放った。
「俺の身内だ」
「……え……っ、」
 思わず大声を上げそうになるのを、シアンとヴェイルは抑えた。予想にもしなかった言葉に目を丸くする二人に、アルスは視線だけで、驚くな、と訴えている。
 あまりに自然に言うアルスの言葉を、同僚はなんの疑問もなく受け止めた。
「そういやお前、三人兄弟だとか言ってたな」
「ああ……俺を訪ねて来たらしいが職場に不在だったんでな、勝手にここまで来たらしい」
「兄貴が家出て行ったままじゃ寂しいのも無理ないよなあ。しっかし無事でよかったな、こんな危険なところで。でもアレだ、いくら身内でも立ち入り禁止区域内でウォルフさんに見つかると面倒だからさ、とりあえずフェンスの外まで出してやった方がいいぜ。あの人、頭が法律でできてっから」
「賢明だ」
 アルスが了解の意を示すと、同僚はくるりと背を向けて歩きだした。その後ろをアルスもゆっくりとついてゆく。
 シアンとヴェイルは小走りにアルスを追いかけて、彼と並んで足を進めた。前を歩く警察に聞こえないように、ヴェイルは小さな声で質問を投げかける。
「三人兄弟、なの、」
「そうだ。兄が二人いる」
「……そう、……なんだ、」
 さらりと返答するアルスに、ヴェイルは気の抜けた声を発する。会話はそこで途切れ、砂利を踏む音だけを響かせて、一行は外へと向かって行った。